募金に大いなるご協力を

第
号
す。2月からは、インター
側にある土地の本校卒業生
一つ目は、土地寄付・整
備事業です。校門を入り右
て簡単に説明いたします。
す。ぜひご見学ください。
ら4日にまた特別公開しま
ました。そして
まで特別公開し好評を博し
月1日か
半、お陰様で3200万円
ネットを利用した寄付が可
で も あ る 持 ち 主 の 方 か ら、
開催します。
ただ目標額の5600万
円にはまだ足りない現状で
を超える寄付金が集まりま
能になりました。
弘高創立百三十年記念事
業協賛会設立からはや1年
した。同窓生の皆様はもと
五 つ 目 は、 記 念 式 典 で
す。本校第一体育館を会場
土地の寄付の申し出があり
よ り 関 係 諸 氏 の 皆 様 に は、
月5日に
備を終えて、現在駐車場と
年1月、整
付金のお願
して利用しています。
年
ました。平成
い」にカード
六つ目は記念祝賀会で
す。 式 典 と 同 日、 ホ テ ル
とし、平成
鏡ヶ丘同窓会のホーム
ペ ー ジ に ア ク セ ス し、
「寄
心から感謝申し上げます。
決済について
さい。銀行や
向けて原稿を執筆中です。
す。
七つ目は、ねぷた制作・
運行です。創立百三十年記
開催されます。
ニューキャッスルにおいて
二つ目は、記念誌刊行事
業です。平成 年 月、記
念 誌 編 集 委 員 会 を 設 置 し、
の説明があり
ますので、ぜ
郵便局まで足
三つ目は、旧生徒会館整
備事業です。解体作業と土
年7月の校了へ
を運ばなくと
盛りを終え、
さらに、寄付金の募金状
況次第ではありますが、部
を賑わしていると思います
んのエベレスト登頂が世間
地は、将来生徒の役に立つ
した。さらに旧生徒会館跡
らしくリニューアルされま
ますので皆さん奮って出
典に合わせて同日開催し
会総会も130年記念式
の充実等も予定されていま
皆様のさらなるご支援を
お願いいたします。
記念式典・総会・祝賀会案内
今 年 は 総 会 を 学 校 で、 百 三 十 年 記 念 祝 賀 会 を 左 記
のとおり開催いたしますので、皆様お誘い合わせの
上、ご出席下さるようお願い申し上げます。
・ 月5日(土)午後1時 分より
・ホテルニューキャッスル 麗峰の間
・会費 七千円
な お、 ご 出 席 さ れ る 方
は、 同 封 い た し ま し た 返
協 力 金 を い た だ き ま し た。
から435万円を超える
は1266名余りの方々
信用ハガキを事務局まで
誠にありがたく、衷心よ
会が負担します。
金下さい。手数料は同窓
なお、協力費は年間一口
し く お 願 い 申 し 上 げ ま す。
今後ともご協力の程よろ
せ て い た だ い て お り ま す。
への旅費の負担等に使わ
餞別、各支部同窓会総会
助、全国大会出場者への
この協力金は会報の発
行・発送、ねぷた制作援
り御礼を申し上げます。
お送り下さい。
記念講演(9: ~ : )
(千葉貴司)
本校 第一体育館
記念式典( : ~ : )
本校 第一体育館
同窓会総会
( : ~ : )
本校 第二体育館
祝賀会 ( : ~ : )
ホテルニューキャッスル
麗峰の間
同窓会運営協力費の
御礼とお願い
毎 年、 鏡 ヶ 丘 同 窓 会 運
営費のご協力をお願いい
式典へのお車でのお越しはご遠慮下さい。
替用紙で郵便局からご送
でも結構です。同封の振
千円で、一口以上、何口
た し て お り ま す。 昨 年 度
10
10
現在平成
も入金ができ
新築、アスファルト舗装へ
活動にかかわる設備と用具
日ま
い出深い旧生徒会館の解
が、昨年も新聞紙上でたく
施設が建設される予定です。 席され、母校の創立13
11
30
ひご利用くだ
ま す。 何 卒、
の準備が完了しました。
日から
さて、時間の経つのも
早いもので、創立130
体が行われ、その跡地が
0年を祝って下さい。そ
12
30
念ねぷたを運行する予定で
意のあるとこ
年度の倉庫
ろをご理解く
す。
年4月
で、及び5月3日から5日
今後も、先輩の後を追う
後輩が母校から輩出されて
年の記念式典
もう間近です。130年
に参列してくれることを
今年は例年7月の第一
願っております。
更地となりました。学校
さんの同窓生の活躍を拝見
しかしながら事業基金が足
れでは 月5日、お待ち
15
30
10
10
四つ目は、鏡ヶ丘記念館
整備・活用事業です。平成
ださいますよ
年から鏡ヶ丘記念館の新
たな整備、リニューアルに
うお願い申し
上げます。
成
取り掛かりました。なお平
さて、記念
事業の進捗状
況につきまし


ゆくことと思います。
式典を盛会裡に終えるた
月5日も
魂は変わるものではありま
130年事業も粛々と推
進され、鏡ヶ丘記念館は委
めにも多数の会員が式典
このように、校舎の形は
ご無沙汰しております。
変わりますが、我々の弘高
同窓生の皆さんいかがお
過ごしでしょうか。
せん。
員の皆様のご尽力で展示館
この新聞が発行される頃
には大先輩の三浦雄一郎さ
130年事業の成功を
鏡ヶ丘同窓会会長 を訪問した卒業生は、校
いたしました。まことに弘
りません。どうか今一度の
ホームページ URL http://kagamigaoka.com/
管理者メール [email protected]
実 行 委 員 長 大中 実(昭61卒)facebook開始
この一年も色々な事が
ありました。昨年は鏡ヶ
丘記念館前のカヤの木に
落雷があり、長年親しま
れた大木が伐採されると
いう出来事がありました。
中林 裕雄(昭 卒) 土曜日に開催される同窓
地 内 の 変 貌 を 見 て 驚 き、
前高校の面目躍如たる思い
また、卒業生にとって思
昔日の思いに駆られるこ
しております。
10
25
鏡ヶ丘同窓会では昨年5年ぶりに同窓会名簿改訂版を発行しました。
名簿をご希望の方は同窓会事務局〔電話 0172-32-8545(FAXも)
〕
にご連
絡下されば頒布いたします。
●B5版 約750頁
●価格 3,800円(消費税込み。発送費、振替手数料は別途)
◇ご注意 同窓会名簿は長年にわたり取引している㈱廣済堂にお願いし発行
しております。名簿について、㈱廣済堂以外からのハガキによる問い合わせ
があった際は、ご返答しないようにくれぐれもお願いいたします。
10
30
10
29
ご協力をお願いします。
とと存じます。
鏡ヶ丘ホームページ
10
30
■申込み方法
幹事 太田宏明(昭和39卒)℡0172-32-4071
〃 大村嗣郎(昭和30卒)℡0172-38-3626
27
12
15
24
22
25
25
10
13
30
日 時 平成25年7月6日(土)午前7時30分集合
午前8時スタート(アウト、イン同時)
場 所 津軽カントリークラブ 百沢コース
競技方法 18ホールストロークプレー(新ペリア方式)
会 費 3,000円・プレー代各自(当日受付にて徴収)
展示を強化し、リニューアルした鏡ヶ丘記念館
索
検
鏡ヶ丘同窓会
インターネットも利用可能に ホームページ参照
10
時下、新緑の候、同窓生各位、益々ご清勝のこととお慶
び申し上げます。
扨、我々の先輩でありました坂田二郎氏が、創立100年
を記念して始まったゴルフコンペも、第30回目となりま
した。同窓の旧交を深めるべく、下記要項の通り、開催致
します。各同窓生の皆様へ、声を掛け合いご参加下さいま
すよう、ご案内申し上げます。
募金に大いなるご協力を
9月末
まで!!

同窓会名簿発刊のお知らせ
23
25
10月5日日程
第30回 鏡ヶ丘同窓会ゴルフコンペのご案内
創立百三十年記念事業進む

があります。
39
鏡ヶ丘同窓会報
(1) 第25号 平成25年6月20日 25
公式ホームページ http://kagamigaoka.com/ 題字・故・鈴木忠雄名誉会長
つながりの中で
真之
も、お稽古を重ねるうちに
難しいと感じた茶道の作法
ラウンドで活発に練
ではあるが、日々グ
軟式野球部はそれ
ほど多くはない人数
年の高校選手権では
練習をしています。昨
クールで大会へ向けて
水泳部は各自所属し
ているスイミングス
一人が心を込めて、抹
もらえるように、一人
至福の時間を過ごして
こ の 東 北 大 会 の 期 間 中、
選手たちがスタンドで待機
すことができた。
東北大会準優勝の結果を残
3年生引退後の新チームで
東北大会出場、また、
れない。スタンド
後輩と共有できるのかもし
経験のある者は時を経てな
じられることがある。その
は、しばしば夢のように感
の影響を受けた。
を教育目標に掲げ、自己を
・体力の増進
・自学自習
いるのを垣間見た
ような気がした。
切 り、 総 合 で の 入 賞、
リレーでの東北大会へ
の 出 場、 個 人 で の 東 北
大会への出場を決める
ことができました。東
北高校選手権でも、入
自分たちの上
き ま し た が、 あ く ま で も
では好成績を残すことがで
ができました。昨年の大会
る最高のレースをすること
の、それぞれが自分ができ
と思います。一人でも多く
く、もっと上を目指したい
年の成績に甘んじることな
取り組み、技術を高め、昨
かすために集中して練習に
が、その短い練習時間を生
量が少ないことは確かです
賞はならなかったもの
にはたくさん
と比べて練習
ため、強豪校
進学校である
と思います。
れからも練習を頑張りたい
に出場することを目標にこ
校があります。 会に出場し、インターハイ
県予選を突破して、東北大
もっと上を目指して
水泳の強い学
3年 三浦 慶己
インターハイが目標
茶道部は、3年生が卒業
した後、2年生8名、1年
自然と行うことができるよ
習している。生徒そ
顧問 兼田
生8名の 名で、一期一会
うになりました。
に向かう一方で、和
茶を点てたいと思いま
していると、側に来て声を
で微笑む老紳士の
しかし、難関大への現役
生出願状況はセンター試験
平成二十四年度
)
▼昭 卒 大中
忠
弘果のあゆみ
周年記念誌
▼昭 卒 成田 佳乃
十五代目 片岡仁左衛門
▼昭 卒 長内
健
フ ェ ル マ ー の 最 終 定 理、 道 路 の
リ エ ン タ リ ズ ム、 帝 国 意 識 の 解
リ ス の 階 級 社 会、 大 英 帝 国 の オ
の 帝 国、 西 洋 史 の 新 地 平、 イ ギ
となったのか
▼平9卒 古山和香子
八重子の桜
▼昭 卒 原 忠三郎
ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン、 帝 国 の 誕
生、 衰 退 し な い 大 英 帝 国、 虚 飾
剖 学、 い ま 歴 史 と は 何 か、 イ ギ
リ ス 帝 国 と 世 界 シ ス テ ム、 日 本
の 福 祉、 大 英 帝 国 と 帝 国 意 識、
伝 統・ 逸 脱・ 創 造、 過 ぎ 去 ろ う
としない近代、角川世界史事典
▼昭 卒 工藤 敏行
茶蘭歩乱先生大いに、つぶやく
▼昭 卒 田澤千代子
四月のよろこび
▼昭 卒 田伏 正義
科学におけるルネサンス
権 力、 道 路 の 決 着、 日 本 の 近 代
なにか
▼昭 卒 川﨑 吉充
松前詰合日記
▼昭 卒 今
喜典
中小企業金融と地域振興
▼昭 卒 福井 次郎
マリリン モ
・ ンローはなぜ神話
猪瀬直樹著作集1構造改革とは
原忠三郎水彩画集
▼昭 卒 平田 雅博
世 界 史 の な か の 帝 国 と 官 僚、
(2012.4/1~2013.
3/
同窓会関係寄贈図書一覧
ccccccccccccccccccccccccccccc
30
工 業 高 校 校 長 へ )教 諭・中 村 佐
( 鰺 ヶ 沢 高 校 教 頭 へ )金 谷 克 憲
( 弘 前 南 高 校 )大 瀬 幸 治( 弘 前 南
■ 転 任 / 教 頭・奈 良 昌 孝( 五 所 川 原
■ 退 職 / 教 諭・ 日 景 正 敏 奈 良 和
子 事務長・唐牛治 技能主事・
阿保光治(再任用満了)
子( 青 森 商 業 高 校 ) 事 務 長・ 加
千 葉 栄 美( 田 名 部 高 校 ) 新 谷 雅
山高校)佐藤あんず(黒石高校)
落 合 宏 子( 青 森 南 高 校 ) 小 山 内
花恵(平賀西中学校(交流人事)
)
藤栄一(弘前中央高校)
前 中 央 高 校 ) 小 枝 泰 隆( 青 森 戸
慎悟(野辺地高校)清藤直哉(弘
三 浦 弥 和 子( 田 名 部 高 校 ) 小 山
高 校 )菊 池 敬( 三 本 木 高 校 )小 舘
( 弘 前 南 高 校 )杉 山 太 子( 八 戸 東
浩 史( 弘 前 南 高 校 )毛 内 志 の ぶ
教諭・須藤さおり(八戸西高校)
■転入/教頭・米内山裕(八戸高校)
師・勘林登貴子
(青森商業高校)
高校)
杉澤雅寿
(青森高校)
臨時講
4444444444444444
梨沙
の精神を大切にして、活動
また、弘高祭でのお茶会
は、3年生にとって最後の
やかな雰囲気もあり、
一期一会
部長 野宮
しています。
お茶会であり、今年は私た
生徒は本当に野球を
館で行っています。初めは
主な活動は、毎週木曜日
のお稽古と弘高祭でのお茶
ちが中心となって開くと思
楽しんでいる。それ
す。
かけて下さった老紳士がい
顔を見て、先輩と
前志望と変わらず、ほとん
確立し、自己実現をめざす
各々が自らの力を出し
会と抹茶パフェ販売です。
う と、 一 期 一 会 の お 茶 会
れぞれが真剣に目標
お稽古は、夏は歴史ある
鏡ケ丘記念館で、冬は北斗
水泳部
が力となったのか昨
東北大会準優勝
は常に人生で一度きり
そして、昨年は参加
できなかった京都の家
た。話を伺うと、半世紀以
後輩が同じ「夢の
ど出願した。結果は東京大
生徒を育成するように指導
45
33
29
27
のものであると心得て、 年度、夏の予選で北
元見学に今年こそ参加
上前に弘高軟式野球部で活
圧縮型で、理系が563点
(河合塾推定)が900点
1名、東工大1名、一橋大
卒業生の多くが社会に貢
献し、有為な人間となるこ
お、その夢のような時間を
したいと思います。
躍したOBだと仰っていた。 中」でつながって
大1名の計 名が合格した。
名、山形大1名、岩手医科
高校生活において何か
に真剣に取り組んだ経験
これからも一期一会
の精神を忘れずに、お
稽古に励んでいきたい
と思います。
平成 年度 大学入試について
来年度も
(昨年598点)
、文系が
1名、東北大
・規律ある自由
5 4 2 点( 昨 年 5 8 3 点 )
大4名、九州大1名であっ
進路指導部 竹内 義雄
と大幅に下がった。本校は
た。また、医学部医学科で
していきたいと考えている。
理系平均点が616・4点、
名、北海道
文 系 平 均 点 が 6 0 9・5 点
とを期待する。
40
軟式野球部
は、東北大1名、弘前大
38
53
37
22
42
49
16
25
と、国語と数学ⅠAの難化
13
23
27
茶道部
昨年度の大学入試セン
タ ー 試 験 は、 全 国 平 均 点
16
一人一人が心を込めて
平成25年6月20日 第25号 (2)
鏡ヶ丘同窓会報
4444444444444444444444
造詣が深く、開口一番、青
が っ て い っ た わ け で あ る。
銀行のトップにまでのし上
彼は、その後の努力により
もののふ
をなし、外務省に代わって
域での開拓者に多くの支援
日本人移民のアマゾン河流
いる状態であ
配慮に欠けて
るには十分な
武士を顕彰す
闘家として世界制覇をなし、 ており巌城の
日本人移民の救済に誠心誠
る。
巌城の武士を顕彰する
柔道世界制覇と
』
発刊!
ア マゾ
開拓
ン 意努めて、日本人移民のみ
として世界制覇に勇躍壮途
「おおい被さってくる巌
コマ物語は柔道の奇才「前
もののふ
城岩木の勢いに鳥肌が立つ。 田 光 世 」 の「 巌 城 の 武 士 」
ルの地で終えたことに熱く
となく、その生涯をブラジ
ついには故郷に錦を飾るこ
に生かそうという思いで取
田 光 世 」の 存 在 を 中 学 教 育
に生まれた柔道の異才
「前
中 学 校 校 長 に 赴 任 し、船 沢
わ っ て き た が、弘 前 市 船 沢
と 壁 新 聞、絵 画 の 交 流 が 始
ナウスの
「ジョセフィナ校」
ち、アマゾンへ旅立った。
マ
ちとの国際交流を思い立
終焉の地アマゾンの子供た
ン デ・コ マ の 生 誕 地 船 沢 と
『コンデ・コマ物語
著者・三戸建次(昭 卒)
眺めるというのでなく、仰
したその情熱が著者三戸建
胸を打つのを禁じ得ない。
り 組 み を 始 め た。地 元 船 沢
ま っ た。平 成
著者は中学
ならずブラジル人からも高
い信頼を得る活躍をなした。 校 教 育 に 携
ぎ見るというのにふさわし
次(さんきゅう会・昭 卒)
今までに行われた顕彰
は、昭 和 年 に 弘 前 公 園 追
の子供たちにまずその存在
部ではない、住む人々を全
木山は決して風景の中の一
い。ここ青森県津軽での岩
かれてきた。今また平成の
成し続けた人物によって築
歴史の進展は常に後に続
くを信じて限りなき前進を
まる。
に乗り移ったかのように始
園追手門のすぐ西側の顕彰
ま り な か っ た。現 在 弘 前 公
田 光 世 」に 関 す る 資 料 は あ
碑を建立してあったが、「前
「巌城の武士」の額を設置し
伯爵)
」の巨大肖像パネルと
場には
「 コ ン デ・コ マ( コ マ
こ と か ら 取 り 組 ん だ。武 道
とすばらしさを認識させる
本剣道形」を演じ、故郷の小
士 」を 読 誦 し、奉 納 演 武「 日
た。そ の 折 弔 詞「 巌 城 の 武
レンを訪問し墓参を行っ
生 誕 1 3 0 年 を 記 念 し、ベ
す。
本傔三先生の自宅の前で冷
町 土 手 町 を 経 由 し て□
はデ
た い 水 の サ ー ビ ス を 受 け、
手門脇と生誕地船沢に記念
年6月には
て包み込む空気そのもので
時代に到りて改めて旧制弘
碑は隣接するテニスコート
ある」――で始まるコンデ・
前 中 学 出 身 者「 前 田 光 世 」
た。続 い て 平 成
月コ
に追い囲まれた状況となっ
年
に光を当てた本である。格
川の水を注いでいる。
今回の出版を機会に多数
の人に読まれ、巌城の下に

を受け、三市以外に赴任し
森県の経済指数は1パーセ
ここにも加福氏の謙遜や羞
弘
高祭とねぷた
髙松 隆清(昭 卒)
ライト・ワークのライトと
昭 和 年 ま で「 弘 高 祭 」
は自治会行事で学校行事で
月6
辻坂をのぼって学校にゴー
ル イ ン。「 弘 高 祭 」は
20
31
卒業生へのメッセージ
「愚兄からの伝言」
加福氏の講演
た こ と を 話 し た。 し か し、
ントであることから始まっ
その後の語らなかった経歴
加福氏は青森県の経済界
をリードする青森銀行の頭
た。つまりは、県の経済力
10
舘田 勝弘 昭( 卒 )
が聞きたいところであって、
日、本
もう一つ、おもしろかっ
たのは、
仕事はライス・ワー
恥がある。
取を務め、その頂点を極め
た男である。9月
校体育館で在校生とともに、 が全国で占めるのは1パー
セントだけということであ
る。言われてみて、なるほ
三九会(昭 卒)の8名が
開校記念講演を傍聴するこ
俄か自治会役員として、そ
の想いを果たしました。
は、人生の目標であり、自
はありませんでした。学校
写真は昭和 年の夏第3
回弘高ねぷたの運行スナッ
クではあるが、それがライ
団にも当てはま
己実現である、と語る。納
フ・ワークとなり、ライト・
る法則で、優秀
得することである。
講演の中で、面白いと思
な人が2割、普
する弘高の自治会は他校の
年
日の創立記念日前後に行わ
れ て い ま し た が、昭 和
から3学期制となったため
夏休み前に行われることに
なったのです。
年からでした。
全ホームルームがねぷた
を出すようになったのは昭
和

多数の「天下の賢」の出現
を期すものである。
発行・路上社(注文は 察
0172・ ・8858まで)
希望の方は弘前高校渉外部までお電話下さい。0172-32-8545
どと思うことである。
通 の 人 が 6 割、
会場の同期生、講演を聞
きつつ、もっと高校時代に
羨望のまとでした。
プです。ねぷた本体は新寺
ぱっとしない人
勉強するべきであった、と
ねぷた運行では自治会役
員と応援団幹部が絶大な力
ワークとならなければなら
が2割、という
後悔することしきりであっ
わ れ た の に、
「 2・6・2 の
のである。加福
た。加福氏には、これまで
り謙遜したものである。
氏自ら在校中を
を持っており、袴を着用で
当 時 の 運 行 コ ー ス は、学
校から弘前駅まで行き大
ぱっとしない2
得た豊富な知識や実践を今
きるのは彼らだけで一般の
ないと話されたことである。 町 ね ぷ た を 借 り た も の で
割にいたと言う
後も機会あるごとに語って
パ ー ト を 左 折、桶 屋 町 の 坂
が、青銀の入社
もらいたい。講演が終って、 生徒は制服制帽での参加で
の文化祭を生徒のみで運営
試験に、大学か
した。私はどうしても袴を
鏡ヶ丘同窓会報編集委員を募集しています。
(若干名)
36
7月17日
(水) 詳細はホームページを御覧下さい。
とが出来た。演題は「愚兄
39
さんきゅう会は加福氏を囲
法 則 」 が あ っ た。 ど の 集
からの伝言」と、思いっき
(昭30卒)
む慰労会を市内で開催した。 着用したく、友人に頼んで
創立130年記念ねぷた運行
15
●プロフィール
■略歴
生年月日 昭和20年9月20日
学 歴 昭和44年3月 明治大学政治経済学部卒業
昭和44年4月 青森銀行入行
平成14年6月 同行常務取締役
平成18年4月 同行専務取締役
平成19年4月 同行取締役頭取
平成23年4月 同行取締役会長
ら推薦がもらえ
32
32
30
28
39
10
平成24年9月28日(金)
39
祖父尼賢一
平成24年度 開校記念講演
加福氏は、経済に対する
31
39
ず、一般で試験
38
サッカー部キャプテンでした
鏡ヶ丘同窓会報
(3) 第25号 平成25年6月20日 る機会であると考えており
度の節目である創立記念
ります。そして生徒には
激しい変化が訪れる気配を
の中の激しい変化」にもま
節目の年に弘高生として
の年であろうと思ってお
呼応するかのように教育界
れながらも守り通してきた
在籍していることの幸せ
ます。また、
在校生には
「世
び申し上げます。3月1
も新しい制度や仕組みが検
弘前高校の精神を感じ取っ
漂わせております。それに
日の卒業式では278名
討され、その内容の報道が
同窓生の皆様にはます
ますご健勝のこととお喜
の大鵬が大空に羽ばたい
てもらいたいと願っており
にしていきたいと考えて
を実感できるような一年
ます。万物は時の流れと共
毎日のように目や耳に入っ
い ま す。 そ の た め に も、
同窓生の皆様には創立記
念行事にご協力をお願い
化があります。それがなけ
すが、弘高には継続する文
に変化するものではありま
最 後 に な り ま し た が、
鏡ヶ丘同窓会のますます
しております。
ていただきますよう切願
育つ若い鵬たちを応援し
哲司
いよ「創立百三十年」の節
れば、時代や校長が変わる
のご発展と同窓生の皆様
校長 古山
『継続する文化』
てきております。
て行きました。彼らもま
た、 先 輩 達 と 同 様 飛 び
立った先々で大いに活躍
するであろうと期待して
おります。そして、4月
目をむかえる年であり、弘
たびに学校がゼロにリセッ
するとともに、これから
年度をスタートさせます
中・ 弘 高 同 窓 生 の 皆 様 に、
トされてしまいます。長い
Dの編集や、歌詞の手直し
す。
この下駄が後輩たちに受け
などてんやわんや。
そ れ で も、 総 会 当 日 は、
大勢の同期の仲間に助けら
継がれていくことを信じて
鏡ヶ丘伝統の下駄は、次
の 幹 事 学 年 に 預 け ま し た。
れ、実行委員長の大役を務
います。
会
会喜寿を祝う
卒後
年 と も な る と、
鳴海 弘憲(昭 卒) この世に別れを告げた人
も多く、つれあいを亡く
毎年、7月最後の土曜日
に 同 期 会 を 開 い て い ま す。
により宴会となりました。
ごあいさつと乾杯のご発声
人の恩師佐藤圭一郎先生の
いのあと、現存するただ一
「 死 ぬ ま で 生 き る?」 と
れからは米寿を目指し
多くなってきました。こ
じめ、家族の病気などが
した人、自身の病気をは
人の参
年には喜寿の祝というの
44444444444444444444444444
名勤務しています。学
今年の記念品は、平山萬
年 堂 作 製 の「 タ カ 丸 く ん 」
散会となりました。
意して、再会を祈願して
で、全国各地から
の 鉛 筆 を 配 り 好 評 で し た。
因みに 会生の卒業証
書は、校長藤森睿による
いう気持ちで、健康に留
れました。
因 み に 還 暦 と 古 希 の 時 は、
加があり、会が盛大に開か
還暦には122名が集
合、毎年 名前後の参加が
菊池孝君の教え子、護国
神社の齊藤宮司によるお祓
あります。
と趣向を凝らしています。
サマージャンボ宝くじ1枚
赤、白のTシャツ、時には
唯一のものです。
名、
44444444444444444
時の思い出話や仕事の
とんど口をつけず、当
藤木 義行(昭 卒) 歳となった今、殆どの人の
キャッスルで恩師の「中村
参 加 し て、 ホ テ ル ニ ュ ー
園に参集しなかった仲間も
頭が薄くなり、中には高校
哲郎先生と佐藤圭一郎先
一致せず、「俺だ」「お前誰
もいて、半分は名前と顔が
を開催しました。
卒業以来
年ぶりに逢う人
集まったのは約
44444444444444444444444444444444
三一会
か ん ご う か い
た。度重なる綿密な打合せ
こと、家族のことなど
と 思 い ま す。 次 の 開 催 が、
楽しみでなりません。
遅 れ 気 味 の 桜 も 2、3 日
44444444444444444
り、公園内の散策は気分最
高でした。
一行は、記念写真
を撮りながら公園を
一巡して、「亀甲門」
の向かいにある石場
家(重要文化財指定)
に 入 り ま し た。 石 場
家の当主も同期生な
ので、早速板敷の大
広 間 で、 地 酒 の 1 升
瓶を回しての酒盛り
が始まり、昔話に花
が 咲 き、 予 定 時 間 を
オーバーしてしまい
ました。
名で同期会
から、地元・弘前の連中も
だっけ」
とやり取りが続き、
三一会・観桜会に集合
と 名 簿 制 作 作 業 等 を 経 て、
を話しました。次の日、
午後5時から、公
名、弘前のことや関東方
生」を交え、
年の正月頃にありま
一緒にどうか、という話が
握手や抱き合って、それぞ
平成
した。早速地元の仲間にも
れの健勝を確かめ合いまし
の名称を「三一会」と称し
我々が弘高を卒業したの
は、昭和 年。そのため会
東 京 方 面 か ら の 参 加 は、
都内、横浜、千葉等から約
ています。
日午後2時
連絡し、4月
に、弘前公園追手門に集合
た。
このたび、「東京三一会」
の仲間から、何十年振りか
となりました。
かんごうかい
で「弘前の観桜会」に行く
五十嵐喜代敬(平5卒)
町誠也先生を始め、長
内崇先生、三橋栄蔵先
生、木田多聞先生、森
内勇治先生、以上
名
校では特異な存在と揶揄さ
の恩師に参加していた
次 会・
初めての同期会を開催する
喉 が 枯 れ て い た の は、
次会とも、料理にほ
だ き ま し た。
運びとなりました。1月2
実行委員会を立ち上げまし
名が一念発起し、同期会
れているところです。その
て
現在、弘前高校には平成
年卒の仲間が、私も含め
卒業して 年、初同期会開催
平五会
444444444444444444444444前からの高温で7分咲とな
められたと感謝していま
74
年度はいよ
が、私たち教職員一同は
時代とともに「世の中の激
て、先には進
30
さて、平成
鵬の雛を育てる喜びと感
しい変化」にもまれながら
「下駄を預けます」
。一見
無責任な、しかし、鏡ヶ丘
まず…。
57
30
56
6日には新たに280名
激を胸に張り切っていま
同窓会らしい重みのあるこ
幸 い に も、
我が学年には
30
31
の新入生を迎え、新しい
す。
方のご健勝をご祈念申し
の一言が幹事学年の始まり
弘高PTA会
上げます。
間受け継いできたものは何
でした。1年1年幹事学年
長と副会長を
かを探る機会が、 年に一
も脱皮を繰り返してきた弘
が近づいてくるのをヒシヒ
経験した最強
DVDを制作
日、 弘 前 パ ー ク ホ テ ル で、
60
前高校の現在の姿を披露す
年度総会
シと感じながらも、それが
したり、替え
50
自分だけではなかった
期会となりました。
案も出て、楽しい楽しい同
次会は弘前から東京へ行く
面のことなど、話はつきず、
30
24
現在、日本の社会や国
際情勢は混沌としており
平成
現実となった瞬間でした。
のコンビが。
か し、 久 し ぶ り の 再 会 に、
歌を作ったり
29
昨年の総会仕切りました
毎 年 の 出 席 者 が 2、3 人 程
来年のことよりも今のこと
と奮闘しまし
30
30
名の参加者と学年主任柳
恩師との再会に笑顔
佐藤 記一(昭 卒)
度の我が学年。これではマ
この二人が
中心になっ
で 盛 り 上 が り、
「次集まる
たが、総会直
自作の替え歌で大合唱
米寿の再会を祈願して
74歳健勝を確かめあった観桜会
20
結局は飲んで、盛り上がっ
ズイと一年前の総会に仲間
て、今の弘高
時 ま で に 考 え て お く べ。
」
の姿を映した
人 余 で 参 加 し、
を 集 め、
というお決まりのパターン
前まで、DV
「さて来年、何やるば」
。し
へ。
その後何度か集まるも、
月5日(土)
1
10
60
5
5
57
10
31
25
24
2
40
4
4
90
24
平成25年6月20日 第25号 (4)
鏡ヶ丘同窓会報
獅子の会
第7代会長 藤田
の先の進路に関して多種多
す。大学時代というのはこ
ですが、
少人数ならではの、
かなか人数が集まらないの
東の同窓会と比べ関西はな
んでおられます。仙台や関
二七会
境 淳一郎(昭 卒) には、今年5月に 歳を記
最後の弘中健児
先生方は、今は誰もおりま
44444444444444444444444444444444444444444444
「あだなる文化をよそに
して 吹雪花散る鷹城に 剛
せ ん が、 特 に 忘 れ
までお世話になった恩師の
気の姿堂々と たてる健児
設中学校に入学し、更には
年に卒業しました。途中併
雄 先 生 で す。 ご 冥
いただいた鈴木正
特別会員になって
てはならないのは
4年間下級生の居ない寂し
福をお祈り申し上
の一千名」と歌って昭和
い生活を強いられ、信義の
ます。定期総会は毎年五月
実の精神で同期を導いてい
満男氏で勇往邁進、温厚篤
前商工会議所会頭の新戸部
Kアジア太平洋連
良哲夫氏(元NH
の 開 催、 同 期 の 早
奥様同伴の懇親会
最近の活動を一
部 紹 介 し ま す と、
大道を闊歩して参りました。 げます。
第四土曜日に開催していま
合報道部長)の「中
現在の二七会会長は、前弘
名
すが、最近の出席者は
健康に留意して永く続けた
の貴重な講演、更
内戦を取材して」
前後と少なくなりましたが、 東和平とレバノン
いと思っております。これ
松井 睦朗(昭 卒)
念してエベレスト登頂に挑
む三浦雄一郎氏。どうか元
気な姿で帰って来る事をお
やーやどー
祈りいたします。
ていたのであります。
444444444444444444444444
尾上支部
後にその有志達の熱意で
平成8年4月に「鏡ヶ丘同
青森支部
新しい風
藤田 卓也(昭 卒)
た、若い方々の同窓会離れ
す る の は 困 難 で あ り、 ま
念ながら皆さんに御案内
約900名おりますが、残
らピックアップしたところ
青森市内に在住する同窓
生は、過去に同窓会名簿か
した。
諭を来賓に迎え開催されま
会長、古山学校長、福井教
森支部総会が、中林同窓会
去 る 平 成 年 月 日、
年に一度の鏡ヶ丘同窓会青
げていただきました。
巻き込んで、大いに盛り上
フ レ ー! 弘 高!」 の 大
エールと、会場のみんなを
の大合唱、
そして「フレー!
輩を壇上に呼び出し、校歌
じ野球部で平成卒の若い後
は、指名された会員が、同
御多分にもれず、同窓会
では先輩に頭が上がらない
感じております。
吹き込んできているように
にも、少しずつ新しい風が
だくようになり、青森支部
もあって、総会への参加者
もので、その日の中締めで
集めには毎年苦労いたしま
す。
なんだかうれしい気持ちに
この先輩風を吹かせるこ
とも、それに従いながらも
そんな中、常連参加会員
からの御紹介や同じ職場で
楽しもう!」で乾杯し、無
に 返 っ て、 杯 を 交 わ そ う、
の副会長の要職を兼務され
任されました。本部同窓会
清藤勇也氏(昭
が再開され、支部会長には
年間勤
バンカラ・もつけ魂が受
け 継 が れ て き た 同 窓 会 に、
ではないでしょうか。
なることも、同窓会の魅力
年度の総会は、昭和
の声がけなどを通じて、平
成
数名が、世代を超え
年卒から平成7年卒までの
会員
礼講が始まる。弘中・弘高
ながら一昨年の3月に病で
更なる新しい風が吹くこと
と 描 い た 紅 白 の 旗 を 振 り、
ご逝去されるまで
に同窓会会長な
て交流しました。
かつて尾上支部は「鏡ヶ
丘尾上町同窓会」という会
太 鼓 を 打 ち 鳴 ら し、 校 歌・
めていただきました。
び渉外部の先生
を願っております。
名だった。昭和の終わり頃
応援歌が放歌高吟されるの
平成8年以来総会日は毎
年4月 日(祭日)と決め、
窓会尾上支部」として総会
ま で は、 会 長 が 学 帽 を か
である。
会場も猿賀神社宮司の山谷
特にここ数年は、平成5
年以降の卒業生も参加いた
ぶってマントを羽織り、高
勇吉会長が満 歳で逝去
されたのが平成5年。その
敬氏(昭
卒)のご好意を
47
存在しない。)
が、規約はまだ
役員名簿はある
に は 会 員 名 簿、
(因みに当支部
しております。
り深く感謝いた
方のご臨席を賜
らびに学校長及
我々の支部総会
ま す が、 毎 年
後記にて礼を
逸するのであり
4444444444444444
下駄をはいて登壇すれば総
年を前後して平成4年から
得て神社社務所を使用させ
卒)が選
会の開会ということになっ
7年まで総会は開かれな
むかしなつかしバンカラ総会!
44444444444444444444444444444
様 な 可 能 性 を 含 ん で お り、
家族的で楽しい宴会になる
当時の会長は清藤勇吉氏
(大8年)で先代支部会長
かった。というのは、当会
致の賛成を得て新支部会長
14
同窓会総会・祝賀会でお会いしましょう
ないと実感し、名ドラマー
道昭(昭 卒) の堀内氏を招へいしてバン
ドのスタイルを確立しまし
会と伴に乞う御期待を
逆に言えば安定しない時期
の清藤勇也氏のご尊父であ
ていた。
る。勇吉会長の名挨拶も今
ていただいている。
に選任されました。
ある。
には規約がなかったからで
「 弘 中・ 弘 高 健 児 の バ ン カ
昨年度の総会では小田切
克彦氏(昭 卒)が満場一
会長が数人の有志たちと
話し合い、地元同窓生を招
ラを発揮し、世界平和の為
集(?)して総会を開催し
11
た。
「 ザ・ サ ン セ ッ ツ 」 と
しで私もボーカルとして参
バンド名も決まり、付け足
加し、昨年
り成長して来た世代
ので、関西にいるとなかな
開催され、弘前高校卒の関
ではありますが、同窓会の
24
「獅子の会」
見参
場を盛り上げてもらいまし
た。
人の聴衆を集め公開練習を
獅子の会は、各年代の同
窓会同様に卒業年次の語呂
そ の 後、 平 成 年 に は、
還暦間近ということで、「私
行いました。今後も獅子の
頃から、ただ集まって酒を
であれば、必然的に
月に市内で
2代)の時に名付けられま
の年金講座」を行い、翌年
合わせで今泉良郎会長(第
した。
の平成
ら、待望の親父バン
節目でもあることか
年は、卒後 年の
これまでの歩みは、最初
に卒後 年の昭和 年に開
催、第2回目は節目の卒後
ドが登場するのであ
ります。きっかけは、
年の平成元年に盛大に開
催し、その後は、会員の要
出て来たビートルズ、
私達が中学生時代に
することとし、現在に至っ
ベンチャーズからグ
日に毎年開催
ております。参加者は毎回
ループサウンドに至
望から8月
年
飲むだけでは、参加者が頭
エレキバンドだべと
名前後ですが、平成
打ちになりマンネリ化して
いるのではという意見から、 いう声から、当初は
ギターと若干のボー
カルでスタートしま
年、 年と、会員で
ある平尾雄三氏に薩摩琵琶
したが、何かが足り
平成
を演奏してもらい、懇親会
関西学生会長 京都大学理学部
加賀屋宗志(平 卒) か話す機会のない津軽弁を
話 せ る と い う こ と も あ り、
西在住の方が主にご参加さ
よう努めております。
みなさん様々な会話を楽し
れます。また、毎回現弘前
場をお借りして先達の方の
三浦雄一郎と同期 まだまだ元気!
は断片しか覚えていないが
444444444444444444444444
関西同窓会
賑わう関西同窓会
高校教員の方も遠方よりご
お話を色々参考
関西同窓会は、4月の学
生会と 月の総会で年2回
参加してくださり、大学生
にさせていただ
多くのことを学
から定年退職された方まで
また、同窓生と
く こ と が で き、
やかな宴会です。
いうだけで自然
に奮闘しよう!……先輩後
毎年猿賀神社で開催
80
!!
輩のへだてなく、昔の悪童
19
11
80
!!
28
15
20
様々な年代の方が集まる賑
私、学生の立場から書か
せていただきますと、この
と打ち解け合え
ん で お り ま す。
ように様々な年代や職業の
る部分があるも
24
50
!!
44
40
22
27
!!
21
方とお話できる機会という
37
16
のは非常に貴重なもので
29
43
54
27
36
14
19
!!
93
10
18
10
40
20
45
!!
ザ・サンセッツの演奏
津軽弁満開でした
鏡ヶ丘同窓会報
(5) 第25号 平成25年6月20日 鏡ヶ丘同窓会報
平成25年6月20日 第25号 (6)
平成24年度 鏡ヶ丘同窓会会務報告
平成24年4月1日~平成25年3月31日(渉外部確認済みのみ掲載)
月
日
行 事 名
4
5
第4回同窓会報(24号)編集委員会
9名
24
同窓会役員会
48名
29
尾上支部総会
24名
29
三一会
30名
17
第1回総会実行委員会
23名
19
仙台学生会
24名
20
関西学生会
20名
24
二七会(27卆)
30名
5
6
7
8
9
10
参加者
7
会報編集委員会・ウェブ委員反省会
9名
9
板柳支部総会
24名
15
第2回総会実行委員会
29名
16
札幌鏡ヶ丘同窓会総会
18名
17
宮城鏡ヶ丘同窓会総会
32名
19
双葉会(28卒)
26名
23
平賀支部総会
22名
29
教育庁支部総会
34名
5
第3回総会実行委員会
7
鏡ヶ丘同窓会総会
285名
19名
7
鏡ヶ丘同窓会ゴルフコンペ
未確認
27
鏡ヶ丘同窓会総会反省会
14名
28
30年会(30卒)
60名
4
新潟鏡ヶ丘同窓会総会
8名
11
よこの会(45卒)
98名
12
円の会(51卒)
12
平三会(平3卒)
12
第32回鏡ヶ丘親睦野球大会
未確認
14
さんきゅう会(39卒)
未確認
14
四一会(41卒)
14
獅子の会(44卒)
14
孫の会(48卒)
17
五所川原支部総会
未確認
66名
39名
45名
未確認
27名
2
二六会(26卒)
未確認
22
三二会(32卒)
54名
7
大鰐支部総会
22名
13
東京鏡ヶ丘同窓会総会
135名
14
関西鏡ヶ丘同窓会総会
23名
11
15
青森支部総会
56名
12
8
県庁支部総会
57名
1
2
平五会(平5卒)
90名
19
田舎館支部総会
28名
24
第1回同窓会報(25号)編集委員会
23
藤崎支部総会
35名
278名
2
8名
28
同窓会入会式
3
21
第2回同窓会報(25号)編集委員会
7名
4
1
同窓会監査
2名
*この他に、130年記念事業各委員会による会合が何度も持たれました。
間山 重嗣
三浦 一雄
横山 文夫
吉岡 利忠
吉岡久美子
昭和37年通
和泉 正二
昭和38年
赤川 正広
虻川 勝
阿保 耀子
梅田 隆
江森佳世子
大塚 三朗
大中 忠
大和田 強
小山内英尚
葛西 修
片岡 滋
鎌田 徹郎
唐牛 孝之
河合 文男
工藤美穂子
古村 一雄
斎藤 徹
斉藤 啓子
齋藤佐武朗
櫻庭 秀俊
佐々木誠司
色摩 明子
神 敏勝
鈴木 弘武
清野 耕司
田辺 義弘
田畑志津子
戸澤 義夫
戸澤 忠
長妻 恵子
中野 善壽
中村 元彦
鳴海 邦碩
西川 勝彦
西谷 洌
乳井 雄
野呂 昌男
萩野 道夫
橋本 郁子
橋本 禎嗣
平山 脩
福士 修成
福田 孝志
藤田 征芳
藤田 幸直
松田 恒蔵
水木 蓉子
盛永 恵子
柳田 晴夫
山内 敏之
山内 弘
山内 善浩
吉岡 利孝
昭和39年
赤平 和順
秋山 邦男
荒木多恵子
五十嵐 實
一戸 洋次
伊東 保之
太田 宏明
尾崎 一美
小田桐正孝
柿崎 光顕
笠井 哲哉
葛西 克彦
鎌田 重輝
光栄なつ子
古川 道雄
小坂 清弘
小林忠一郎
佐藤 学
三戸 建次
白戸美智子
竹内 明夫
田沢 一之
舘田 勝弘
田中日出興
棚橋 達彦
田辺 和彦
寺山 弘彦
永井 雅廣
長尾 光洽
長崎 昭義
中林 裕雄
鳴海冨美子
鳴海 光彦
西嶋 正子
花田 安弘
藤井 資宣
三浦雄一郎
村上 謙藏
昭和40年
有賀 孝雄
井上 保子
内山 衆一
大高 勝造
奥平 洋子
小山内 晃
小野 善弘
加藤 勇一
菊地 正寿
菊池 正浩
北川 武彦
工藤 智規
工藤 忠
斎藤 恭一
坂本 道彦
柴田 哲郎
関根百合子
高橋 修一
千葉 嘉之
中川千佳子
成田 助清
鳴海 道安
西沢 純悦
萩原 崇嘉
松江 一
八木橋鉄弘
昭和41年
秋元 清仁
石澤 誠
臼渕 徹
大津 幸世
大中 廣
小野 一男
葛西 恒雄
葛西 敞
川越 啓一
川村 敏男
菊池せい子
菊谷 裕悦
北川 順一
工藤 勉
小林 二郎
斎藤三千政
佐々木幸男
佐藤 晃
塩田 宏三
塩谷 晃
白戸 浩一
田澤 雄作
田中 正彦
對馬 晃
戸澤 喜子
戸田 憲
鳴海 弘夫
二川原敏信
二木美保子
肥後 隆
福島 雄一
古市 豊司
町田才之丞
三浦 麗子
光弘 隆
森 浩一郎
安田 俊夫
昭和42年
荒井 恵子
荒城 正
今岡 洋子
尾板 正人
小田 至
小野ふさ子
折原 裕
工藤 健造
工藤 時子
小林 繁樹
桜庭十三夫
高橋 透
高橋 遵子
武田 修
谷淵 秀光
土岐 憲二
奈良岡修一
成田 堅生
福島 崇
盛 文武
八木橋勇治
吉沢 隆治
昭和42年通
鎌田 玲子
昭和43年
秋元 義禮
犾守 絹江
一戸 敏
蝦名 修
加藤 一眞
工藤 義春
小寺えみ子
後藤 博
櫻庭 雅幸
七戸 一
篠崎 珠樹
鈴木 明子
須藤 正光
関場 慶博
高橋 憲三
竹内 幸子
対馬 省次
中野 京子
野呂 幸男
花田 鎮雄
菱谷 豊章
松井 信雄
宮田 芳明
山内 春勇
山田 良一
山上 佳男
昭和44年
石岡 昭
今泉 良郎
海老名徳雪
小野 徳昭
川村 広明
工藤 博明
工藤 良一
古川 隆
古村 直樹
神 繁司
常田 孝
奈良 誠一
西尾 幸一
西谷 栄
野口 章子
繁在家 昇
福山 直人
藤田 道昭
松野 俊子
三浦 祥英
三國 典昭
昭和44年通
工藤兼太郎
佐藤ふじ子
昭和45年
青山 仁志
秋元 英志
遠藤 真
太田 博康
大津 友見
鎌田 恒
川越流美子
川村 邦明
菊池 潔
木村 明
木村 郁子
高橋 行吉
田端 優子
中野 幸子
中村 公彦
成田 和義
成田 則正
宮本 和平
山田 仁
矢本 嘉則
昭和46年
石岡真智子
枝村 則彦
工藤千恵子
工藤 清文
今 隆志
佐伯 幸弘
塩見 知子
渋谷 明
下山美保子
須藤 俊之
滝渕志津子
田金 順弘
中嶋 和郎
中嶋 均
中田 義則
永吉 規子
西澤 明子
平尾 雅世
布施 協一
村上豊千代
昭和47年
五十嵐郁男
石岡 昭年
石岡 具子
今井 高志
角田 宏明
木村 誠
黒滝 恭一
齋藤三千義
三浦 彰
宮川 修一
山本 一利
昭和48年
加福 康麿
木村 勝康
工藤 武重
小松 明夫
佐々木 修
大坊 民夫
中田 龍子
服部 庸
藤岡 隆昭
藤田 雅俊
増田 章子
町田 光司
松本 了
三上 信久
三明 智彰
山内 誠一
山上美情子
幸田 茂雄
吉田 仁
世永 晃生
昭和49年
阿部 尚子
大滝 次雄
岡本 栄子
笹 裕
柴田 政子
瀧本 壽史
成田 清文
根深 忠
梁原 裕志
福井 次郎
福島 伸雄
堀内 治子
円山 昌子
三浦 幸弘
三上 昌樹
山形 陽
幸田 正美
横山 幸雄
昭和50年
石川 玲
伊藤 雅一
岩崎 一
鴨下 厚子
川嶋 純子
菊池 裕一
佐々木克治
須藤 悟
鶴山るり子
鳥居 誠
成田 洋子
昭和51年
荒井 元明
太田 斎
小菅 園子
佐藤 仁
中島 易子
三上 栄子
三上 洋子
幸田 恵子
渡部 司
昭和52年
秋田谷和直
海老名英俊
尾崎 俊寛
小山内清和
菊地 清夫
工藤 雅哉
斎藤 和子
坂本 光博
須藤まゆみ
坪水 直子
虎谷 正三
奈良 俊一
野呂 直宏
牧野 吉伸
昭和53年
柿崎 順子
木村 真明
工藤 敏彰
嶋脇 秀徳
竹浪 仁
田澤昭次郎
外崎 佳造
福田 祐明
水木 清治
吉岡 正俊
昭和54年
飯塚 貞子
長利 伸一
小野 正己
川崎 恒俊
須藤 朗孝
高井 博基
中村 佐
成田 俊介
藤田 正雄
水木 道義
八木橋善行
米谷 勲
昭和54年通
斎藤ミキエ
昭和55年
芦田 豊昭
大間 祥宏
鈴木 珠敏
高橋 伸光
田名部正成
中野渡瑞子
中村 典雄
藤田 昭彦
松原 真美
松本 光生
山口 美穂
昭和56年
阿保 雅幸
荒井 優子
越後谷直樹
大湯 淳功
鎌塚 吉忠
工藤 慎悦
工藤 誠治
児玉 達彦
佐々木直裕
佐藤 正幸
佐藤 光男
嶋脇 秀隆
白石千寿子
神馬 裕司
田中 圭子
谷田 尚子
成田 俊吾
三浦 理香
三上智久子
宮川 耕一
昭和57年
工藤 清彦
齋藤 晴彦
佐藤 記一
佐藤 亮介
関 昌子
高橋みどり
竹子 生
中村 徳秀
水木 久夫
南 直之進
森 岩樹
山口 晴弘
昭和58年
芦田 斉子
大湯 智行
小友 勇人
小濱 正文
鈴木 誠
盛 和行
昭和59年
久保由佳子
佐藤 伸之
鈴木 孝之
須藤 武行
竹田奈津子
成田 治
平井 隆樹
昭和60年
内海 剛
神山 恵美
葛原 秀人
成田 昭吾
濱口 祥子
昭和61年
明本 康伸
浅瀬石久仁子
浅瀬石 悟
一戸まき子
伊東 健
大中 実
葛西 広海
加藤 武
兼平 裕
木村 次郎
齋藤 等
水木 夏彦
宮腰 淳一
三和 聖徳
八木橋靖子
横澤真理子
昭和62年
清野 暢邦
高木 徹
田中 真紀
奈良岡広二
花田 勝彦
鼻和 敏夫
平岡 学
前山恵理子
昭和63年
内海 健介
小笠原康雄
櫛田 智美
佐藤 直
白戸 克明
鳴海 景
三上 正
水木 道子
三和 公也
平成元年
斎藤 香
清野 月世
原 直美
番場 泰文
蒔苗 伸郎
三浦 真介
宮腰 直樹
平成2年
石橋 裕子
川村 啓之
菊池 理子
平成3年
今井知世子
工藤絵里子
工藤 康生
成田 諭隆
西田 明美
三浦 行
三和 貴道
山口 真吾
山口 静香
平成4年
小舘 浩史
菅原 宏之
寺山 明哲
十川 恒寿
成田 千恵
福井 隆修
水木 正朝
平成4年通
飯塚 明廣
平成5年
五十嵐喜代敬
鳴海 雅子
伴 一聡
平成6年
阿部 高士
千葉もと子
奈良 文生
平成7年
石戸 康幸
西澤 秀哉
三浦 貴之
平成8年
古川 大吾
西沢 尚徳
平成9年
秋元 禮
工藤 和洋
倉坪 洋平
栗形 悠平
今 昭人
中道 哲郎
乳井 麻乃
三上 洋平
村上 義親
平成9年通
山内 明示
平成10年
大平 明
倉坪 耕作
高橋 一徳
山口 章江
山崎 直洋
平成10年通
石川 リヨ
平成11年
秋元 義
鍵谷 弘次
今 剛志
西野 智
日景 聡子
三國 典央
平成12年
菊池 勲
高橋 秀徳
中道 卓郎
日景 研一
平成13年
鎌田 耕輔
佐藤 史章
高橋 辰徳
安田 一夫
平成14年
柿崎 彩
今 由起子
中道 健郎
平成15年
石岡 学
鍵谷真理子
笹 晃説
佐藤 元哉
田中 希依
平成16年
秋元 優
今 一幸
高橋 枝み
根深 忠大
日景 瑞奈
平成17年
石岡奈々実
海老名紀廣
工藤 文昭
須藤 脩
橋本はるか
日景 明夫
福山 朝子
平成18年
市川 淑恵
井上 玲奈
小館 佑介
田中 亜実
根深 友希
日景 秀徳
八重畑佑一
矢本 真丈
平成19年
勘林登貴子
小館フユミ
平成20年
青山康太郎
市川 奈菜
木村 玲美
工藤真梨子
黒滝 知優
高橋 実か
橋本浩太郎
福山 寛人
山谷 紋央
矢本 愛佳
平成21年
柿崎 沙野
木村 圭太
木村 美和
橋本 晶平
南 弘毅
村上 翔
平成22年
井上 瑛
加藤 剛
小館 里依
齊籐真依子
三上 文
平成23年
芦田 夏葵
市川英里香
大津 恵美
小山内修平
岸 研登
木村 沙耶
小林 繁明
東浦 遥
藤本 浩史
三浦 慧太
平成24年
三上 優生
南 将之進
前田 貴子
特別会員
飯田 淳一
石川 緑
岩田 秀夫
宇藤 裕夫
大瀬 幸治
加藤 久子
金谷 克憲
川口 智
菊池 敬
熊坂 長敏
小向 博
古山 哲司
櫻田 泰弘
佐々木康人
鈴木るり子
外川 裕子
高橋 菊弥
田中 勝男
谷淵 敏子
寺田 徳子
中道 哲
中村 宰和
奈良 昌孝
早川 博文
日景 正敏
三上由美子
山田 陽子
毛内志のぶ
鏡ヶ丘同窓会報
(7) 第25号 平成25年6月20日 なりたいわたしになる
「一期一会」を発刊
古山和香子さん(平9卒)
黒瀧 睦子さん(昭61卒)
平成24年4月「八重子の桜」にて、颯爽の作家デビューをはたし
「むっちゃんの詩集が出た!」との情報が舞い込んだ。黒瀧睦
た古山和香子さん。デビューを機に、6月地元弘前に帰り、執筆活
子さんと私は同級生だ。物理のベクトルの問題を一緒に解いた記
動中である。出版のきっかけは、ご自分のブログに作品を連載した
憶がある。お弁当を食べながら、テレビの話題で盛り上がった、
ところ、興味をもった出版社の方から連絡が入り、デビューとなっ
高三の頃。でも、詩、書いていたかしら…?卒後再会した彼女には、
た。古山さんいわく、どこからチャンスが来るかわからないと言っ
高校時代と変わらぬ雰囲気と共に大人の穏やかさが加わっていた。
ている。小説は、大学時代から書いていた。実体験ではなく、見たり
詩を書き出したのは本当に、ここ、3、4年とのこと。ある時突然、
聞いたりの中で自分の中へ取り入れ、物語にしている。小学生の頃
言葉が自分の中に降りて来た感じと話してくれた。ほとんど推敲
は、少女マンガが大好きで、友達と交換日記のように、創作のマン
されることはないという、その言葉は無駄がなく、荒ぶることも
ガリレーをしていた。弘前高校には、中学浪人をして入学。どうしても弘高には入りたかっ
なく、静かに物事の本質を捉えている。そこには当たり前の日常の中の静かな幸福感が流
たそうで、あきらめず信じて突き進めば叶えられるという、その経験、人生が小説に活かさ
れている。表現するということが、自分の内を暴くことに拠るのではなく、ホーキング博
れている。高校では、野球部のマネージャーをしていた。なんと私と同じ!縁を感じました。
士のワームホール理論のように別の世界との一瞬の接点によってもたらされるものなのだ
次回作は?と尋ねたところ、出版は決まってはいないが、青少年向けの童話を出したいと、
としたら、きっとそんなこともあるのだろうと思わせてくれる。しかし、それは物理学を
執筆中である。好きな作家は、小川未明。いかにして自分が生きてきたか振り返り先をみれ
専攻した彼女の、物事の普遍性を見極めようとする観察眼がもたらすものに違いない。彼
ば感謝だと言っていた。自分の感覚を信じ、感じるものを受け入れ進んでいけば、たとえ時
女の心の波動と共鳴して紡ぎ出される言
間がかかっても現実になる。叶えられる。その大きな
葉なのだ。「でもね、リズムが悪いなあと
略 歴
瞳が、輝き遠くを見つめていた。
「八重子の桜」を読む
と、懐かしい情景が浮かんでくる。おとぎ話のような
恋愛小説。これからのご活躍を期待し、応援していき
たい。次回作が楽しみである。
思うことが多いから、言葉のリズムを感
じようと試みているの。」あの頃と同じ笑
平成14年 同志社大学 法学部卒業
平成18年 イタリア留学
平成21年 ソムリエ取得
平成24年 「八重子の桜」でデビュー
顔で話してくれた。益々のご活躍を期待
いたします。
記:八木橋靖子(昭61卒)
記:高木恵美子(昭61卒)
巨大アップルパイで弘前を PR
南 直之進さん(昭57卒)
田中 篤さん(平元卒)
「巨大アップルパイギネスに挑戦する会」
(現在、会員42名)の事
「日本代表」…というと遠い世界に思われる。サッカーのW杯や
オリンピックをイメージする人が多いだろう。田中篤さんは私の
2学年上の将棋部の先輩で、よく将棋を教えていただいていた。
イを焼くために出向くそうです。市内はおろか手弁当で県外へ(出
大学生だったとき、中国に留学していた友達がシャンチー(中
張依頼をした先から手当が出ることもあるようです)。明治神宮
国将棋)の盤駒を買ってきた。田中さんが日本の将棋が強いのを
で行われたイベント「とことん青森MAX」や、函館のレンガ倉庫で
知ってのことだった。シャンチーは日本の将棋と昔懐かしの軍人
焼いた直径2メートルものアップルパイはインパクト大で「りん
将棋が混ざり合ったようなルールでおもしろかった。これがきっ
ごのまち弘前」をPRするには十分な効果があります。また、東日
かけで田中さんはシャンチーに興味を持ち、中国語で書かれたシャ
本大震災の被災地である岩手県宮古市、釜石市などからも要請が
ンチーの本も買って勉強するようになった。言葉はよくわからなかったが、図面と棋譜(数
あった時には巨大アップルパイを持ち込んでもいいものだろうかと躊躇したようですが
字の記録)で何となく理解しプロの棋譜を並べるうち力をつけていった。
「温かくて甘いもの」がほしいと言われ、足を運ぶことにしたそうです。
国内の大会で好成績を収め世界選手権大会に出られるまでになった。マカオ代表の中国
これらの活動が認められ、昨年 11 月には弘前商工会議所街づくり大賞を会として受賞。
人選手に勝ったときは、シャンチー棋院のサイトで「大番狂わせではないが日本の田中が
その他にも南さん自身が平成 24 年度弘前市リードマン(理念を持って地域づくりに活躍
中国人選手を破って並ではない棋力を示した」と紹介された。世界選手権は2年に一度開
している実践者)に認定されました。しかし、これは巨大アップルパイの活動だけではなく、
かれ、田中さんは今年7大会連続出場となる。言葉
市内の道に親しみやすい名前(北大通り・茜通りなど)を付ける活動や、白神山地の大川
で自然に親しむ機会を子供たちに提供したりしたことが
さて、巨大アップルパイですが、今後は大きさもさる
ことながら、パイを焼いた回数とか、提供した枚数でギ
ネスに挑戦していきたいと南さんは語っていました。是
非とも頑張ってほしいと思います。
で意志が通じるのがシャンチーの魅力と田中さんは
語る。近年日本の将棋も海外で人気が高まっていて、
昭和62年3月 日本大学工学部
建築学科卒
平成16年4月 株式会社南建設
代表取締役社長
就任
興味を示す外国人選手がよく田中さんに勝負を挑む
とか。これからも世界と交流を深め、いつか優勝を
と願っています。
記:三浦 行(平3卒)
記:橋本貫司(昭52卒)
藤山 由造
松井 鼎
山崎 俊三
渡辺 健三
昭和21年
鈴木 淳一
相馬 達雄
中山 将明
三浦 光義
山田 新一
昭和22年
阿部 恒彦
荒谷 五郎
今井 秀夫
金崎 昭三
川崎 吉充
坂本 育造
佐藤圭一郎
須藤 倫行
手塚 敏
東海 久雄
豊田 伍郎
鳴海 怜次
橋本 亮三
三浦 實
山内 恒男
昭和23年
秋元十三郎
石郷岡 隆
小宅 弘道
蔭山 光顕
櫻庭 朔
高橋 章
田中 玲
富澤 成美
外山 親俊
中村 豊
福士 和衛
福士 文雄
三上 和彦
昭和24年
秋元 良三
石岡 晶敬
猪股 圭二
岩間純二郎
長利 清弘
小野 圭吾
兼田 洋三
川崎 勝巳
川村 昭男
武田 隆治
福津 辰大
古市 誠治
松盛 陽二
盛 嘉次
昭和25年
会津喜久造
会津 孝蔵
阿部 泰久
五十嵐邦享
一戸 克夫
伊藤 正樹
岩谷 剛
海老名清美
尾坂 昭治
小山内重治
小山内信昭
長内 昌美
葛西良二郎
神田晃太郎
菊池 武
工藤 浩之
工藤 正昭
佐賀 郁朗
坂本寿太郎
桜庭芳太郎
佐藤 茂
清水 行正
下山一二三
神 弘見
田澤 安宣
千葉 護
長尾栄一郎
永沢 寛
成田 努
成田 瑞穂
鳴海 康安
鳴海 昭文
花田 喜一
原 庄三郎
蒔苗 實
松山 宗平
昭和26年
秋元 義隆
荒井 祐蔵
石戸谷 武
一戸 宏
岡田 勇吾
小山内英造
小野 晃
葛西 昭蔵
葛西 恭治
梶野 良二
木村 光敏
工藤晋三郎
坂岡 博
佐々木稔雄
佐藤昌覚郎
柴田 晋
関 登志雄
相馬 昭典
建部 高明
田中 光世
田辺 実
中嶋嘉四雄
中村 孝
中村 雄三
成田 昌次
西塚 眞
町田 宇平
松本 巌
松山 孝弘
三浦 行一
村田 弘
安田 良樹
山崎 幸夫
山本 治郎
横島 茂
若松 清吾
昭和27年
阿蘇 哲
石岡 正憲
石岡 満
石堀 哲男
梅原 正年
蝦名 保雄
大高喜久夫
長利 暢雄
略 歴
は通じなくても盤をはさんで同じことを考え、それ
略 歴
認定理由だそうです。
桜庭 陽三
佐藤 万吉
柴田昭太郎
清野 隆
清野 利保
高山 良二
田中 健雄
時任 昭二
成田 孝好
丸山 隆次
矢田 慶治
山田 吉弥
吉岡 隆一
吉崎 修蔵
渡辺 弘之
昭和20年
相坂 正夫
秋元 和好
一戸 良七
一戸 孝七
海老原 巽
大西 稔
小川 敦
小野 敏男
葛西 栄治
黒滝 寛
黒瀧 秀昌
小嶋 誠一
斎藤 義一
斎藤 健
境 辰五郎
佐々木義郎
桜田 純造
七戸 靖
鈴木 慶照
相馬 正勝
奈良岡辰夫
花田 郁男
福士 主計
平成3年3月 弘前大学理学部物理学科卒業
株式会社トプコン研究所に2年間
勤務後帰弘、康之氏(昭61卒)と
結婚。現在に至る。
平成23年 第二回日本文学館詩集大賞受賞
平成24年3月 日本文学館より「一期一会」発刊
世界と戦うシャンチープレーヤー
務局長を務める南直之進さんは、1年間に50回以上もアップルパ
昭和9年
杉浦 次郎
昭和10年
花田 潔
盛田 稔
昭和11年
菊池 武正
中村 道郎
昭和12年
千葉 彦二
松木誠一郎
昭和13年
櫛引 金治
長谷川 舒
昭和14年
石岡 貢
柿崎陽三朗
前田 幸一
昭和15年
大平 喜彦
豊田 吉郎
昭和16年
佐藤 慶三
武藤 善美
昭和17年
対馬 和郎
新岡 徳治
松井 一郎
昭和18年
川崎 亮一
工藤 俊夫
黒滝 淳一
中村善佐衛門
安田 二朗
山内 孝
昭和19年
葛西 良男
工藤 順三
工藤 邦男
略 歴
小山 毅
葛西 正
加藤 一男
菊池 武弘
北畠 顕文
工藤 良平
工藤 堅二
小枝 清作
児玉 俊助
斎藤 寛
境 淳一郎
桜庭 旭
櫻庭豊三郎
佐々木恵吉
佐藤 君雄
荘司 道夫
神 武弘
杉浦 銀策
相馬 英三
高谷 博文
田口 公大
竹田 良三
竹原 昭雄
田澤 正美
田澤 和郎
田辺 靖彦
中村 義弘
新戸部満男
野原 敏昭
長谷川 巌
三浦 義光
三上 昭夫
三上 靖介
三上 満雄
三橋 寛
宮川 二郎
盛 清祐
盛 義明
山内 尚道
山内 博尚
昭和28年
池田 敬
石坂 浩
石戸八千代
長部日出雄
小山 秀弘
加茂下 豊
川野名 靖
齋藤 春彦
櫻井 溥
三戸 一孝
白戸 英一
神 正道
新宅 清司
須郷 健市
須藤 惇
対馬三四年
中西 充子
夏坂 栄一
成田 一典
鳴海 満朝
花岡 宏六
福士知英子
真嶋 淳
松山壮一郎
村谷 邦男
渡辺 厚吉
昭和29年
新谷 勉
池田 浩三
石川 賢助
泉 嶺
一条 琢子
大和田一衛
小山内 裕
小田 純士
葛西 常美
梶野 敦子
加藤 順治
金枝 亮
川村 年
川村 美通
工藤 とし
黒岩 隆介
古川 力男
小濱 正春
小林 勇
小林 貞三
小林 陽三
古村 満喜
斎藤 政一
斎藤満智子
斎藤 周
斉藤 斉
笹谷柾四郎
佐藤 剛
澤田 静
嶋脇 英司
神 忠男
杉田利八郎
鈴木 漾子
相馬 慶造
田澤千代子
成田 惠子
成田 静雄
鳴海 隆
西田 容三
野呂 謙
花田 瑞穂
花田 聡子
林 朋衛
平栗 城志
藤田 功
船水 清美
前田 弘子
宮川 昭
宮川潤次郎
宮地 孝雄
宮本奈々子
村田 範子
村谷 令子
山口 幸夫
山崎 ヤヱ
山本由紀子
吉川 瑞浩
渡辺 健一
昭和30年
秋元良之祐
阿部 和悦
石岡 秀治
猪股 敏
今井 孚
大村 嗣郎
鎌田 健造
鎌田 禮志
萱野 彰
川原田久雄
木村 弘三
木村 忠資
木村 昱介
工藤多喜二
工藤 武三
黒瀧不二夫
小枝 昭一
後藤 荘平
斎藤 哲
坂田 宗等
佐々木一雄
佐々木 淳
佐藤 一生
佐藤誠四郎
地主 静生
鈴木 弘
祖父尼賢一
高木 了司
高梨 和夫
田口 鉄治
田中 幸子
対馬 初美
土田 謙
中田 健造
中野 健治
奈良岡幸弘
成田 静司
鳴海 弘憲
鳴海 紀
福士 六郎
藤田富美子
船水 静児
三上 尚義
三上 忠二
三和 孝徳
八木橋良範
安田 周平
昭和31年
会津 清英
太田 耕正
長利 浩三
唐牛 襄
楠美 明子
工藤 光男
工藤 久雄
齊藤 嘉州
佐々木孝司
佐藤 泰弘
須藤 和信
瀬尾 孝文
丹藤 公雄
千葉 光政
外崎 昭
中野 祐輔
西谷 耕治
長谷川了信
藤木 義行
舟本 統
松山 和夫
松山 哲三
三浦 妙子
水木 哲男
八木橋栄一
山本 嘉政
横岡 一
昭和32年
秋元 善智
阿部 恵子
安倍 政幸
阿保日出一
荒川 紘
石戸谷 弘
石橋 憲興
一戸惇一郎
一戸純三郎
一戸 博臣
今井 忠利
岩渕 弘子
小笠原愼逸
小笠原 勲
小笠原時雄
小野 博光
角田 秀雄
木村 進
楠美 和文
工藤 秀久
工藤 栄一
小舘真佐夫
小舘 玲子
斎藤 守
斎藤 肇
佐々木 巌
佐々木孝明
佐藤 正
佐藤 勉
佐藤 章道
佐藤 光春
渋川 尚文
島中 弘
高松 隆清
田澤 郁夫
外崎奈奈美
長尾 章二
中村 健
名古屋和夫
成田英久範
鳴海 弘明
西澤 昭悦
西村 健
芳賀 文彦
長谷川勝勇
原子 典文
福士 壽一
福士誠一郎
福原 幸
藤田光三郎
船水 長昭
堀川永一郎
松浦 恭子
松山 繁夫
松山 久雄
松山 正毅
真野 洋
三浦 精子
三上 瑛子
三上 惇
森田 昌好
八木橋常和
矢田 治
山口 耕造
山本 セツ
世永日出雄
昭和33年
石田 稔
大川 俊雄
工藤 一夫
工藤 直樹
小林 泰秀
酒井 重名
澤田 浩佳
鈴木 敬子
鈴木 孝英
須藤 建
隆島眞喜子
竹内 健二
竹谷 好弘
田中 仁
田中 浩子
中畑 忠弘
中村 直司
奈良 壽眞
成田 裕司
鳴海 諄
二川原誠逸
則田 智寿
野呂 陽一
花田 誠三
花田 幸三
原田 幸弘
樋口 喆也
福原 建三
伏見 静夫
船水 義三
三浦 昭子
三浦 紀子
水木 厚美
山口 眞彦
山田 誠司
若松 隆
昭和34年
石黒 紘一
石戸谷啓子
小野 光貞
川村 永三
川村 貞夫
川村昇一郎
木村あさの
工藤紀千蔵
工藤 眞生
工藤 哲生
栗林 欣一
黒滝 信行
小枝 兼悦
斎藤 紀
笹 進
平成元年 茨城大学人文学部入学
平成5年 茨城大学人文学部卒
平成13年 シャンチー(中国将棋)
世界選手権に初出場
平成15年 世界選手権5位入賞
日本シャンチー協会監事
として活躍中
佐々木重昭
佐藤 眞
佐藤 隆雄
佐藤 睦子
塩谷 駿二
島中 誠
白取 輝夫
住吉 一紀
関 邦男
田口 順子
田中 豊和
田村 郁子
塚本 康喜
柘植 順子
冨田 重照
中村 勇一
成田 昭紀
成田 紘基
鳴海 泰典
西谷 邦男
野宮 正行
廣瀬 博
福士 宏
福士 謙
福田 忠敏
蒔苗 伸一
三浦 玲子
三浦 幸雄
山下陸奥男
山本 正紀
吉田 彰
昭和35年
秋本 博
秋本 昭子
五十嵐弘子
今井 健夫
岩渕 光伸
岡部光太郎
小山田顕裕
加藤 弘治
工藤 勝弘
黒沼雄喜男
佐藤 公征
佐藤 祥子
佐藤 陽子
須藤 宏
竹内 正隆
舘山 公文
田中 浩
玉田 友一
千田 勝弘
千葉國美津
中道 靜郎
成田 正光
二川原和男
橋本八重子
肥後 和保
藤澤 一夫
藤田 善徳
逸見 直義
蒔苗 忠典
松尾 徹也
宮川 忠義
森岡 啓二
山形 英雄
山本 善弘
横山 篤
昭和36年
相沢 恒
赤坂 桂吾
浅利 朝子
油川 義博
石岡 隆
石川 良子
内海 俊治
大場 良平
大湯 芳文
小笠原 弘
金沢百合子
川村 哲子
北畠千賀子
工藤美智子
工藤幸七郎
工藤 直人
久保田隆二
斎藤 正一
斎藤 雪雄
櫻庭 忠雄
佐藤 光毅
佐藤 康二
高橋 信進
高松 秀興
田辺欣二郎
土屋比呂幾
中西 重嗣
成田 郁夫
鳴海 忠孝
松井 睦朗
三浦きく子
三浦 セツ
三和 公明
森山 和子
森山 武彦
森山 芳宏
昭和37年
青山 晃淳
赤石 昭次
荒関 博章
小川 睦男
小山内信一
長内 健
小田切克彦
落合 昭子
帯川 雄三
加藤 正大
加藤 裕
菊池 昭夫
木田 多聞
京野 巖
工藤 剛
工藤 弘典
斎藤 重周
櫻庭 勤
嶋津 一彦
下山 康
田口 隆
竹浪 勍佑
竹谷 勇勝
敦賀 哲朗
鶴田 洋史
戸澤 正誼
富島 英宇
中島 靖雄
花田 忠夫
原 俊輔
東 好弘
福士 貞夫
柾木 尚義
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札幌からの手紙
ふるさとへの思い
札幌国際大学副学長、
人文学部教授、 日本文学・日本語表現 武井 昭也(昭 卒)
かあります。道路には熊が歩
いているし、エゾシカが走っ
ている。凍らせたくないもの
は冷蔵庫に入れる。寒さで鳥
が落ちる。こんな話に驚く反
応を楽しむのです。最近は温
暖 化 か ら か、「 米 ど こ ろ 」 が
1 9 7 4( 昭 和 ) 年 卒、
四駆会の一人です。北海道に
と話題には事欠かないのです
レ に 日 本 ハ ム フ ァ イ タ ー ズ、
加わり、勝てないコンサドー
移り、今年が 年目になりま
した。
が、一番の自慢は広い大地と
の眼で確かめ価値を見極める
化を誇りに、しっかりと自分
姿ではなく、地域の風土や文
自殺者の多さ―こんな社会の
レビ番組、疲れている大人と
CMとお笑いが幅をきかすテ
経済的な豊かさ、携帯電話の
残す日本の姿です。望むのは
思うのは、次世代や孫世代に
代の後半に入り、自分の
足跡とこれからを考える時に
が増えてきていますが)
ことを意識し大切にする道民
す る こ と で す。
(最近はその
会であり、流行であり、消費
か、無いものに憧れます。都
財産に慣れ親しんでいるから
す。ところが北海道民はその
される圧倒的な自然の力で
や表情とともに思い出すこと
が授業中に語ってくれた言葉
を考えていた高校時代を恩師
油ストーブ、深夜放送。何か
イカの呼び声、雪の匂い、灯
塗り桶の煮豆売り、屏風山ス
店、ねっとりとした暑さ、朱
並木、桜祭りのサーカスや出
流れる汗、岩木山と公園の桜
の太鼓と笛と囃子、浴衣姿と
立ち上がってきます。ねぷた
蛙の鳴き声となって記憶から
の夏景色は、うるさいほどの
につながる水田と茅葺き家屋
ん。蚊帳と蚊取り線香の匂い
けに思いが強いかも知れませ
す。ふるさとを離れているだ
そんな私が大切にしている
のは津軽の風土や人間模様で
ています。
とはできないものかなと思っ
う生活です。
と馬を飼い、文学に向かい合
標は森の中で暮らすこと、犬
れません。私のこれからの目
場所であり、時間なのかも知
な感覚を忘れさせないための
自分自身が仮の姿であるよう
ふるさと弘前と家、父と母、
血脈、それらと同化できない
す。
た時間が色濃く残っていま
じ、土手町や新寺町を往復し
を追いかけながら
かも知れません。団塊の世代
れが重荷になったこともある
とかも知れません。時にはそ
ながるという意識を持てるこ
の積み上げた歴史に自分がつ
年代を感
弘前高校の財産は有能かつ
人間的な教師陣であり、先人
があります。
こ と の で き る 人 間 を 育 て る、
(編集長)安田 俊夫(昭 卒)
秋元 義禮(昭 卒)
橋本 貫司(昭 卒)
高木恵美子(昭 卒)
編集委員会
弘前から直線距離にして約
1万4500キロ離れた米国
ノースカロライナで、藤野君
は大鵬たるホンダジェットで
飛翔しています。
今は大鵬をいだく学生帽姿
の生徒を見ることはありませ
んが、藤野君は今も被ってい
ます。ジェットビジネスとい
う荒れ狂う嵐の中で南の果て
の海を目指して飛んでいま
す。その姿は、まさしく一飛
びで九万里飛ぶという大鵬で
す。
世界を席捲! ホンダジェット
ホンダジェットで飛翔!
る彼を度々見かけ
る近隣女性が心配
す る ほ ど で し た。
(昭 卒)
藤野 道格
「弘前高校の授業
中村 佐(昭 卒) に つ い て い け て い
るの」と言われ
た こ と が あ る、 と
は後年彼の母親の
話 で す。 文 武 両 道
を体現する人でし
た。
私が初めて学生
帽を被っていない
藤 野 道 格( ふ じ の
みちまさ)君に
会 っ た の は、 三 年
前 の 夏 で す。 校 長
室で矢本校長に陪席した時で
す。一緒に帰郷していた彼の
賢娘さんに本校の学校生活を
体験させる依頼で訪れた時で
す。薄い紺色のジャケットを
はおった彼は、丁寧に言葉を
選 び な が ら 話 す 好 漢 で し た。
およそ世界市場を相手にして
いるとは想像できないおだや
かな話しぶりでした。
北の果ての海に棲む巨大な
魚は、やがて数千里にも及ぶ
羽根を持つ巨大な鳥に変身し
ます。
54
で初めて受賞しました。
今年発売のホンダジェット
は、他社の同クラスのジェッ
ト機を速度、室内の広さ、燃
費のいずれも約 %、
約 %、
約 %凌ぎ、さらに驚くべき
は、にもかかわらず価格は他
社とほぼ同じという点です。
ジェット機生産では新参の
ホンダが、かくも話題を集め
ているのは、彼の安易な妥協
を求めない正面突破を図る戦
略と情熱のためです。
彼は、昭和 年3月に弘前
高校卒業後、東京大学航空学
科からホンダに入社しまし
た。
弘前高校在学中は卓球部に
所属していました。現在五所
川原市でクリニックを開業し
ている寺田明功(同年卒)君
に卓球で負かされたことに発
奮し、部活動を終えてからも
卓 球 ス ク ー ル に 通 い ま し た。
朝早く卓球スクールに出かけ
54
20
ooooooooooooooooooooo 
彼 は、 学 生 帽 の 人 で し た。
3年間学生帽で通学した唯一
の人でした。
記憶の中の彼は、
学生帽を被り、人懐っこい笑
顔の、いつも朗らかな人物で
す。卒業アルバムでも、3年
時の石川大仏公園遠足写真の
中で、彼は校章である大鵬の
ついた学生帽を被っていま
す。
現在、彼は米国ホンダ・エ
アクラフト・カンパニーの社
長の職にあり、現在のホンダ
ジェットの設計から開発、市
場 参 入 と、 そ の 全 て に か か
わってきました。これまでホ
ンダが手がけていない事業を
牽引しているのが彼です。
彼が関わった機体のデザイ
ンは2007年日本グッドデ
ザイン賞の金賞を受賞、さら
に2012年9月には航空業
界で最も権威のある米航空宇
宙学会の「エアクラフト・デ
ザイン・アワード」を日本人
15
54
歳での快挙!
卒)
27
27
三浦雄一郎3 度 目 の 登 頂 果 た す
うことを示したい。チョモラ
濃度地上の3分の1という地
ンマの女神が呼んでいる」と
球のてっぺんで、訓練を重ね
語った。
てきた 歳の三浦さんの快挙
その果敢で粘り強い訓練と
は、世界中を席巻するビッグ
エベレスト
実行力に、世の高齢者そして
ニュースだ。
私たち鏡ヶ丘の同窓生が毎回
「いつまでも青春!」
/青春は ある/臆
励まされてきた。
病な二十歳がいる
三 浦 さ ん は 2 度 の 登 頂 後、 〈同期生にインタビュー〉
既にして老人/勇気
●新戸部満男(昭 卒)
次の目標を「 歳でチベット
ある六十歳がいる/
側から登る」と定めた。翌年
「 歳 の 気 概 で す。 ま だ ま
青春のまっただなか
の 年冬、札幌でスキー中に
だ可能性があることを、身を
/歳を重ねただけで
もって示した。目的を持てば
約4㍍転落し、骨盤と肋骨を
人は老いない/夢
元気でやれる。若い人はこれ
折
る
重
傷
を
負
っ
た
が
、
リ
ハ
ビ
を失ったとき はじ
を良い手本としてほしい。彼
リを続け復活を果たし、また
めて老いる……(「青
昨 年 の 月 と 今 年 1 月 に は、 とは気が合い、仲良くしても
春」=サムエル・ウ
ら っ て い る。 彼 が い た た め、
不整脈の手術を受けている。
ルマン/自由訳=新
歳 で の 挑 戦 に あ た っ て、 スキー部が優勝できた。今度
井満)
の同期会は燃えるでしょうね。
「今までで一番エキサイティ
今回、旧制弘中、弘高、弘前
ングな挑戦。人類の可能性を
5月 日正午、三
開 く ん だ! と 思 っ て い る 」 市の旗をエベレストに持参し
浦雄一郎先輩が 歳
てくれました」
と語っている。
にして3度目のエベ
●梅原 正年(昭 卒)
「年寄りの半日仕事」とい
レスト(8848㍍) う昔のことわざを山歩きにも
「 夢 を 実 現 さ せ た 男 で す。
登頂に成功した。
応用し、身体になるべく負荷
若い人にはそのためのたゆま
青春とは 真の 青春 と は
歳 で 初 登 頂 し た 時 に は、 をかけない高度馴化を、自ら
ぬ努力を知ってほしい。当時
/若き 肉体のなかに あ る 「 人 生 の 節 目 で 、 自 分 に し か
考案し取り入れてきた。
私はテニス部、練習場所の取
のではなく/若き 精神 の な
できないことに挑戦したかっ
り合いになりました。スキー
3月 日に日本を出発した
かにこそ ある……
た 」、 歳 の 2 度 目 の 挑 戦 で
部の彼は遅くまで熱心でした。
が、国内外各地で神仏に祈り
勇気と冒険心のなかに こ そ
は、「 高 齢 者 に も や れ る と い
この世界的快挙で、弘前市長
を捧げ、無事を祈ったのが印
は市民栄誉賞を決めました」
oooooooooooooooooooo象 的 だ っ た。 標 高 8 0 0 0
安田 俊夫(昭 卒)
㍍、気温マイナス 度、酸素
名物恩師列伝④
(昭
ooooooooooooooooooooooooooooooooo
そのための教育を立て直すこ
50
中村 道郎 先生 80
新鮮な空気、水、食べ物、そ
70
(渉外部)
福井
三浦
行
(平3卒)
次郎(昭 卒)
今井知世子(平3卒)
八木橋靖子(昭 卒)
61 61 52 43 41
印刷 ㈲小野印刷所
49
〒036-8558 弘前市新寺町1の1
TEL 0172-32-0251(代)
TEL 0172-32-8545(FAX共)
(渉外部直通)
11
26
21
80
して、人間の限界を思い知ら
32
41
49
渋谷 龍一
渾名は〈ガリ〉その名 の 所
以 は、 僕 は わ か り ま せ ん が 、
真 面 目 で、 物 事 の け じ め が 、
ガリッとしていたからで し ょ
うかねえ。
国語の先生で、おだや か な
方で、特に怒ったりなぞ 、 な
555555555555555555 oo
道外や海外からの知人に北
海道を紹介するネタがいくつ
青森県立弘前高等学校
「鏡ヶ丘同窓会報」
編集委員会
15
住所変更などは、事務局までご連絡下さい。
(電話・ファックス0172― ―8545)
編集と発行
40
49
23
80
さいませんでした。
僕は、先生が現役の頃の事
より、弘高をリタイアされて
からの印象が強いんでありま
す。
先 生 は、 森 田 村 に あ る 森
田学園の園長をなさいまし
た。ところが! ところがで
すよ! 何と先生は森田まで
走って出勤され、森田から弘
前まで、又走って帰ったそう
です。それも、一回ではなく、
ほぼ毎日。
おだやかな風貌に似
合 わ ず、 大 変 に モ ツ ケ
な 先 生 で あ り ま し た。
剣道を愛し、茶を愛し、
短 歌 を 愛 し、 人 生 を 愛
し て、 現 在( 2 0 1 2
年) 才。
すばらしい人生の先
輩。 も っ と も っ と、 長
生きしてもらいたいで
すねえ。
92
80
31
70
万歳!
登頂!
出発前
80歳の青春 (TV画像から)
75
80
35
平成25年6月20日 第25号 (8)
鏡ヶ丘同窓会報