第 号 平成 年 7月 日、 22 記念式典は、平成 年 丘記念館整備・活用、③土 月5日、本校第一体育館に 設立準備が かねてより 育支援。以下、報告する。 ⑥ねぷた制作・運行、⑦教 行、⑤記念式典と祝賀会、 祝賀会が、それぞれ盛大に ニューキャッスルを会場に おいて、その午後、ホテル 地 寄 付 整 備、 ④ 記 念 誌 刊 進められて 年記念事業 ト舗装が完了。倉庫・駐車 の後倉庫新築とアスファル 年7月 日の弘高祭初 成功裡に終了した。 多くの同窓生が駆けつけ、 に同窓会のねぷたが出陣、 日、生徒のねぷたの最後尾 成 ねぷた制作・運行は、平 開 催 さ れ た。 ︵ 3・ 4 面 参 照︶ 協賛会﹂の 場として利用されている。 般公開が行われた。 土地寄付・整備は、寄付 された土地のアスファルト より新駐車場として利用さ 同窓の皆さんはいかが お過ごしでしょうか。 場スペースの不足が緩和さ たのです。これにより駐車 ただき、そこを駐車場にし 業生より土地を寄付してい た。そして一般開放も行い 最後は教育支援事業です 見学者の利便を図りまし が、在校生に対して様々な ルを行い、観光客を含め、 物館を意識したリニューア 備、②鏡ヶ ①旧生徒 会館の整 に行われました。 会の実施です。これも盛大 席者を中心に配付された。 発行。在校生と記念式典出 題の多い年でした。そし て創立百三十年を迎えた 年でした。 創立百三十年の事業に ついては5年前よりこの 新たなる歴史がスタート た会館を取り壊し、そこに 大な援助をいただき、まこ とにありがとうございまし た。この場を借りて御礼申 向けた弘前高校の歴史がス 五つ目はねぷた制作と運 行です。弘前高校の生徒ね ために寄与していきたいと はこれからも母校の発展の 学校教育活動への援助が行 われた。 同窓会会員諸氏を中心とす る募金の賜物である。まこ とに感謝に堪えない。 ︵渉外部主任 成田清文︶ ります。長年同窓会を支 えてきた方々の高齢化が 進 んでお り ま す。一方、 若い人の同窓会参加率は あまり高くありません。 同窓会の総会、あるいは 各地区の総会に顔を出し てみて下さい。同窓会活 方のご参集を期待してお ます。できるだけ多くの タートいたします。同窓会 ﹁ 同 窓 会 総 会 ﹂ が 行 わ れ ぷたと一緒に盛大に運行い を記録いたしました。 動を通じて新たな出会い 中林 裕雄︵昭 卒︶ し上げます。 本年度、新たなる歴史を があるかもしれません。 世のために弘前高校の歴史 刻むべく、創立百四十年に 今年も7月5日㈯にホ テルニューキャッスルで 鏡ヶ丘同窓会会長 もありましたが無事に終 倉庫を新築、一部舗装し駐 事業にとりかかり、不安 えることができました。 の有効利用は百四十年の課 題です。 車場としました。この土地 ここで改めて百三十年 の事業を振り返ってみた いと思います。 10 最後に、教育支援として、 4∼5月の連休と 月に一 いくつかの部活動を中心に れ、平成 年4月に完了。 鏡ヶ丘記念館は、平成 開催され 年からリニューアルが行わ 容・予算が 念事業の内 0万円と記 目標560 会で、募金 た。この総 設立総会が 創立百三十 旧生徒会館は、平成 年 いた﹁弘高 1月に解体作業を終え、そ 25 これらすべての事業を遂 舗装が完了し、平成 年度 行することができたのは、 が、記念事 れている。 昨年は、同窓生である 三浦雄一郎さんのエベレ ました。 支援を行いました。 れました。 記 念 誌 は、﹁ 鏡 ヶ 丘 百 三 つである。 十年﹂と題され、9月末に 業は次の7 了承された 17 今回の事業を遂行するに 四つ目として 年ごとに 続いて、旧生徒会館整備 この新聞を手にした若 園青森予選決勝進出と話 事業です。耐震上問題あっ 作っている記念誌です。後 あたり、同窓生の皆様に多 い同窓生の皆さん、是非 スト登頂、野球部の甲子 25 ります。 総 会 案 内 平成 年度の鏡ヶ丘同窓会総会を左記のとおり開催 いたしますので、皆様お誘い合わせの上、ご出席下さ るようお願い申し上げます。 ◆ 7月5日︵土︶午後5時より ◆ ホテルニューキャッスル 麗峰の間 懇親会でのアトラクショ ンは当番制で各同期会が 力金をいただきました。誠 から372万円に及ぶ協 は1310名余りの方々 ◆ 会費 7000円 担当しており、昨年は百 御礼を申し上げます。 にありがたく、衷心より 年卒の方に 三十年の記念事業と同時 に開催され の旅費の負担等に使わせ 餞別、各地同窓会会合へ この協力金は会報の発 頑張ってもらいました。 今 回 は 昭 卒︵ 代 表・ 行・発送、ねぷた制作援 秋 元 哲 ︶の 出 番 で す。 ど 助、全国大会出場者への んな企画が飛び出すか楽 しくお願い申し上げま 今後ともご協力の程よろ しみです。 なお、ご出席される方 のみ、同封いたしました す。なお、協力費は年間 ていただいております。 返信用ハガキを事務局ま ます。 手数料は同窓会が負担し 便局からご送金下さい。 す。同封の振替用紙で郵 以 上、 何 口 で も 結 構 で 1口1000円で、1口 でお送り下さい。 同窓会運営協力費の 御礼とお願い 毎年、鏡ヶ丘同窓会運 営費のご協力をお願いい たしております。昨年度 ホームページ URL http://kagamigaoka.com/ 管理者メール [email protected] 実 行 委 員 長 大中 実(昭 61 卒)facebook 開始 23 25 ただ、一つだけ問題があ 鏡ヶ丘ホームページ 10 24 58 59 25 考えています。 ■申込み方法 幹 事 大村嗣郎(昭 30 卒)℡ 0172-38-3626 弘高創立百三十年記念ねぷた運行 平成 25 年 7 月 17 日 六つ目は記念式典と祝賀 たしました。 日 時 平成 26 年 7 月 5 日(土)午前 7 時 30 分集合 午前 8 時スタート(アウト、イン同時) 場 所 津軽カントリークラブ 百沢コース 競技方法 18 ホールストロークプレー(新ペリア方式) 会 費 3,000 円・プレー代各自(当日受付にて徴収) 大型ねぷた 出陣 10年ぶりの 26 時下、新緑の候、同窓生各位、益々ご清祥のこととお慶び 申し上げます。 扨、我々の先輩でありました坂田二郎氏が、創立百年を記 念して始めたゴルフコンペも、 第 31 回目となりました。 同 窓の旧交を深めるべく、下記要項の通り、開催致します。各 同窓生の皆様へ、声を掛け合いご参加下さいますよう、ご案 内申し上げます。 記 念 事 業 無 事 成 功 三つ目に鏡ヶ丘記念館の まずは土地寄付事業か ら始まりました。本校卒 リニューアル事業です。博 鏡ヶ丘同窓会ゴルフコンペのご案内 第31回 10 題字・故 鈴木忠雄名誉会長 公式ホームページ h t t p:/ / k ag amig aok a.com/ 25 39 鏡ヶ丘同窓会報 (1) 第 26号 平成 26年5月 20日 26 努力の先に見えるもの 連覇を目指して 成田 清文 は、女子団体のベスト8が を考えています。ここ数年 日は負けたのかということ 今日は勝てたのか、なぜ今 が、屈するこ もあります います。辛い時や苦しい時 いう結果がついてくると思 努力をした先に﹁勝利﹂と ないと何も始まりません。 平成 年5月に行わ れた県高校将棋選手権 団体戦で弘高A・ 弘高 Bの2チームが3位に 入賞し、 層の厚さを示 した。先輩・後輩一緒 になって放課後練習し 月の県高総文で た成果であった。その 後、 はB組ではあったが1・ 国大会も経験し、次の年に 個人3位・2位を獲得、全 高校選手権・県高総文では 全国の強豪校と対戦する経 の長崎高総文にも出場し、 せつけた。弘高Aは、8月 と、圧倒的なチーム力を見 2位独占、翌平成 年の県 期待を抱かせた。 月の県高総 文では個人優勝と3位を獲 高校選手権、1年 得。戦力は整ってきた。 験も積んだ。 こうして迎えた 平成 年5月の県 部として活動するこ とができるようにな っ たことで、 今までの個 人の活動では出場する ことができなかった大 会にも出ることができ るようになりました。 県の大会では、安定 して上位に入賞できる 阿保 世聞 会などにも参加させていた ユースオリンピックの予選 なりました。東北総体や、 参戦でしたが、いい経験に ターハイ東北予選では、初 こ と が で き ま し た。 イ ン くるなど、自分の力を出す レベルにあると思われるの お馬さんも全国的に通じる いきたいと思っています。 ピックを目指して頑張って 体を、もっと言えばオリン るので、インターハイや国 ルーキーヤング1年生がい 部員も1位や2位に入って 自分はまだまだ力不足で ようになりました。1年生 はありますが、 ス ー パ ー 2年 インターハイを目指して 我々馬術部は、顧問 の小野先生のもと、2 年生1人1年生2人で 顧問 将棋部のこの3年ほ どの歩みを紹介する。 木村 龍生 それは、 名門復活への ソフトテニス部は少 人数ではありますが、 2年 活発に部活動を行って 活動させていただいて 最高で、個人戦でも東北大 となく部員全 おります。 歩みだ。 会に1ペアだけが出場を果 員で協力しな で固めた弘高Bが準優勝 います。日々の練習で は自分たちの勝利をイ メージしながら励んで います。 進学校だから 勝てないと割り切るの ではなく、 どうしたら 短い練習時間を有効に 使って勝利へと導ける かを考えながら取り組 んでいます。また、試 たした程度ではあります 合を終える度に、 なぜ が、男女共に個人・団体戦 新2・3 年生は合わせて 平成 年度 ▼昭 卒 稲葉克夫 ら 世界史を歩く﹄ ﹃津軽か ▼昭 卒 木村修三 ﹃句集 花屑﹄ 技術と国際関係﹄ ﹃科学 ▼昭 卒 齋藤 哲 てた祖 母の深い愛﹄ ﹃私を育 ▼昭 卒 上口清次 に言葉の種を蒔く﹄ ﹃こころ ▼昭 卒 長内 健 本主義 ウォール街の ﹃強欲資 自爆﹄ ﹃地下鉄は誰のものか﹄ ﹃文明の衝突と 世紀の日 本﹄ 同窓会関係寄贈図書一覧 25 人 事 異 動 ▼昭 卒 齋藤康輝 ﹃憲法﹄ ﹃憲法総論﹄ ▼昭 卒 平 川 広 風景﹄ ﹃四季花 ▼昭 卒 福地順一 木と北海道 その人 ﹃石川啄 生・文学・時代 ﹄▼昭 卒 髙木昌幸 くの風﹄ ﹃みちの ▼昭 卒 三戸建次 ﹃ コ ン デ・ コ マ 物 語 ﹁ 柔 道 世 界 制 覇 ﹂ と﹁ ア マ ゾ ン 開拓﹂ ﹄ ▼昭 卒 大島純子 ールド すばらしい ﹃純子ワ 人生を!﹄ ▼昭 卒 阿 部 東 を科学 する﹄ ﹃岩木山 54 30 30 33 39 52 28 28 30 33 ■退職/校長・古山哲司 康 人 ■転任 / 教 諭・ 佐 々 木 ︵青森東高校平内校舎教頭へ︶ 海老名英俊︵弘前南高校︶佐 藤光男︵金木高校︶前田ふみ 子︵五所川原高校︶栗生文子 ︵弘前市立東中学校︶山田陽 子︵岩木高校︶奈良文生︵弘 前南高校︶竹浪みゆき︵弘前 南 高 校 ︶ 山 口 真 吾︵ 岩 木 高 校︶今井尚一︵弘前南高校︶ (私立大) 総 括 事 務 主 幹・ 鈴 木 る り 子 ︵岩木高校︶ ■転入/校長・瀧本壽史︵青 森東高校校長︶教諭・鈴木裕 嗣︵六戸高校︶高杉和宏︵青 森商業高校︶泉司︵青森中央 高校︶赤平みどり︵弘前工業 高校︶中村真紀︵青森高校︶ 先川原展子︵六戸高校︶成田 光美︵弘前中央高校︶小田桐 世公︵岩木高校︶寺地麻衣子 ︵ 新 採 用 ︶ 実 助・ 加 藤 京 子 ︵ 板 柳 高 校 ︶ 主 事・ 工 藤 恵 ︵県総合学校教育センター︶ 32 平成23年 平成22年 平成21年 現 過 現 過 現 過 9 2 1 6 3 2 3 2 2 15 3 6 1 8 4 8 8 1 4 1 11 2 11 1 6 2 9 1 7 10 2 2 1 1 9 7 4 2 11 1 11 1 182 53 126 22 128 40 21 2 1 1 1 3 1 149 35 145 26 170 26 168 19 174 25 1 生と2年生2人の 平成26年 平成25年 平成24年 平成23年 平成22年 平成21年 がら頑張って 表2 最近6年間の進学率 で東北大会に出場できるよ 1 で仲よくやっていきたいで 0 2 だき、全国のレベルを肌で 67 名。このメンバーで、平 0 2 0 昨年 三段を擁する弘高 今年 母校 便り 5 いきたいと 8 す。 14 感じることができました。 5 昨年 年度は連覇を目指す。 47 10 うに練習を積み重ねていき 成 110 16 Aが優勝、3年生 292 今年 思っています。 昨年 ︵受験者 名︶でした。 52 大学入試について 弘前高校現役生の結果 は主な大学では東京大1 名、京都大1名、東京外語 名、北海 道大3名、弘前大 名︵医 大1名、東北大 学 部 医 学 科 9 名 を 含 む ︶、 でした。 挑戦をする生徒を育成して いきたいと考えています。 158 106 たいと思います。努力をし 平成 千葉 栄美 ター試験で、今年度から新 年 進路指導部 昨年度の大学入試セン タ ー 試 験 は、 全 国 平 均 点 課程での実施となります。 試 験 は 旧 課 程 最 後 の セン ︵ 河 合 塾 推 定 ︶ が9 0 0 点 定志向の出願が目立ちまし そのためか、全国的には安 た。 とを期待します。 表3 過去6年間のおもな大学の合格者数 将棋部 今年度も自己を確立し、 圧縮型で、理系が566点 ︵数学、理科で大きな変更︶ 自己実現をめざし、果敢に 34点︵昨年542点︶で ︵昨年563点︶、文系が5 あった。難化して総点が下 文系平均点が60 4・7 点 表1 平成26 年3月卒業生(275 名) 進路状況 東北大会を目標に 卒業生の多くが社会に貢 本校は理系平均点が62 がった一昨年度と比較して 4・7点 ︵受験者173名︶ 、 献し、有為な人間となるこ も大きな変化はありません 4 2 1 1 3 1 平成24年 現 過 2 2 4 2 6 9 7 1 18 4 9 4 6 7 7 1 1 150 56 平成25年 現 過 13 1 2 6 3 8 2 5 3 4 5 3 2 6 4 3 110 48 平成26年 現 過 11 3 5 2 1 2 3 4 2 3 1 7 3 2 3 105 37 東北薬大 慶 應 大 中 央 大 日 大 法 政 大 明 治 大 立 教 大 早稲田大 立命館大 計 66 昨年 10 オリンピックだって狙いたい 平成21年 現 過 4 1 83 6 9 1 28 4 3 1 4 2 1 2 平成22年 現 過 9 1 74 11 7 35 3 3 8 平成23年 現 過 5 1 69 7 11 2 30 2 1 2 4 1 平成24年 現 過 5 50 15 7 1 26 2 4 1 3 3 平成25年 現 過 4 2 75 13 2 1 23 8 3 1 6 (国公立大) 平成26年 現 過 北海道大 3 2 弘 前 大 73 15 岩 手 大 8 4 東 北 大 26 1 筑 波 大 3 2 千 葉 大 3 3 お茶の水女大 東 京 大 1 東京外語大 1 東京工大 京 都 大 1 1 計 157 41 140 135 136 138 129 140 卒業者数 127 136 142 134 149 135 卒業者数 267 271 ソフトテニス部 でした。昨年度のセンター 進 学 率 81.4% 82.9% 76.8% 82.4% 83.7% 86.4% 女子 進 学 率 71.9% 69.2% 64.9% 80.3% 77.9% 83.5% 男子 進 学 合 格 受 験 278 272 278 275 卒業者数 今年 進 路 未 定 24 37 馬術部 162 266 職 371 今年 就 10 全国の強豪校と対戦 昨年 他 154 私 立 大 学 157 の 23 89 26 平成 26 年3月卒業生の進路状況(3月 31 日現在) 25 26 73 26 10 386 国公立大学 今年 そ 進 学 率 76.7% 75.5% 71.0% 81.3% 80.8% 85.0% 全体 平成 26年5月 20日 第 26号 (2) 鏡ヶ丘同窓会報 千葉 貴司 ︵昭 に教育に人生 綬章と、まさ おられました。 ともたくさんの方が語って を捧げた方で 私は4月に赴任したばか りで、秋元先生にお会いし 祝賀会には 先生のお人柄 で面識もなく、お話もした 業協賛会の場です。それま あります。 に惹かれた五 校長の秋元善智先生の祝賀 秋の叙勲で瑞宝小綬章を 受章されました元弘前高校 東北大学教育学部学校教育 でお過ごしになり、その後 属中学校、弘前高校と地元 西小、弘前大学教育学部附 ました。秋元 が咲いており 話に大きな花 生を囲んで昔 名が集い、先 軽弁も交えて、人と街との いない。淡々と、時には津 手がけているという。マイ たスマートタウンづくりを ルプランやゴミ処理も含め 築を中心に、資源リサイク 所川原高校校長になられま 立ち、中里高校教頭から五 前高校、浪岡高校で教壇に 川原高校定時制、全日制、 弘 水元分校を皮切りに、五所 されました。五所川原高校 育功労者文部大臣賞を受賞 れました。平成9年には教 らず青森県の教育に貢献さ 職になるまで、本校のみな られ、平成 年3月にご退 4年間弘前高校校長を務め 出したり、声を荒らげる姿 過ごした中で一度も大声を とでした。長年同僚として のある紳士だったというこ たのは、とても穏やかで品 た方々のお話に共通してい て講演をすると聞き、彼と 母校の百三十周年を記念し 建築家・都市デザイナー として活躍中の千葉氏が、 が懐かしく思い出された。 て、思わず自分の高校時代 して掲げられているのを見 の最初の一節がタイトルと りの応援歌﹁北斗の黙示﹂ ク、そしてそれを造った時 手 町、 赤 煉 瓦、 街 角 パ ー 橋広場、下土手町から上土 プロムナード計画から蓬莱 いた。土淵川のウオーター したいという思いが溢れて 光の景観なども加えた街に せるものだった。 かって挑戦せよ﹂と奮起さ は、まさに後輩に﹁夢に向 している弘高OBの講演 野を理想都市に変えようと ど面白く語ってくれた。荒 ンゴル生活や異文化体験な の、あまり馴染みのないモ 軽﹂で偶然出会 が急行列車﹁津 敷通りなど手がけ、街に人 プトのもと奥山通りや花屋 際観光都市へというコンセ 弘前だけではなく、東京 浅草を江戸から続く街、国 渦巻きに重ね、自分の人生 アルキメデスのスパイラル に導かれた出会いと経験を 驚きであった。北斗の黙示 まとめていない私には少し の人生のイメージ図を未だ 千葉氏も、自分 となったと言う だった青年︵実年?笑︶は 導 か れ、 か つ て の も つ け 2年からは、北斗の黙示に ところである。 のさらなる活躍を期待する いたいと思う。彼には今後 を顧みている姿に私も見習 され、そして今回の瑞宝小 を見たことがないというこ 活が懐かしく思えた。 懸命に過ごしていた高校生 現在を思えば、自由に一生 てしまうことが多くなった られ、いちいち難しく考え 今や、仕事、家庭、社会 の中で責任ある行動が求め した。そして平成7年から あの頃の一枚 持つべきは友人 秋元 哲︵昭 卒︶ うか。それともいつが充実 していただろうか? 勉強も遊びも忙しかっ た。ただ勉強した記憶は残 らない。むしろ、3年間を た。会に先立ち、勲章、勲 記などをお借りするため先 生のご自宅にお伺いした 時、ご苦労さまですと穏和 な声をかけていただきまし た。お帰りの時も、お借り したものをご自宅まで届け た際にも、同様にとても恐 縮されたように優しい言葉 をかけていただきました。 これまで存じ上げなかった 方でしたが、弘前パークホ テルでの幸せな時間ととも に、感謝申し上げ、文を閉 じさせていただきます。 し、お互い切磋琢磨し、大 人への階段を一歩一歩駆け 上がりながら過ごした友人 との日々は、何年たったと しても、ついさっきのよう に目の前に広がる。 あると思うのである。 本当にかけがえのない宝で の友人の励ましや支えが、 そして、厳しい毎日を過 ごしている今こそ、昔から 80 し い こ と、 辛 い こ と を 通 3年間という短い期間で はあったが、その時期に楽 ろうか。 らいの人を思い出せるであ たして今となってはどれく から。 ず付き合う関係でいるのだ それだけ高校の友人とい うのは、今後も一生変わら い。 いうことわざもあってもい ﹁三つ子の魂百まで﹂と れられないものなのである。 これまでどれほどの人に いうことわざがあるなら、 出会って来たとしても、果 ﹁ 高 校 の 友 達 死 ぬ ま で ﹂ と 友達と過ごした出来事が忘 たのは創立百三十年記念事 とした、秋元先生のお人柄 教頭 米内山 裕 がそのまま表れたすばらし ことがないまま、祝賀会に 秋元善智先生を囲んで 1月 日、幸せな時間に 居合わすことができ、光栄 所川原高校、 参加させていただきまし 会は、奥様も御臨席の中、 学科をご卒業され、そして ソードを語っ 先生のエピ 関 わ り に つ い て 話 す。﹁ 街 ℃にもなる極寒で 同期である私はつい出かけ 小田桐孫一校長の﹁掘り出 のいたづら心や照明の工夫 い、交わした会 が戻ってきたスライドも見 の高校時代を思 新天地モンゴルで、学校建 10 氏 卒︶ い時間でした。 弘前高校両校 五所川原高校長時代のお仲 青森県の高校教員として長 は生きている﹂と自分のコ ナス 集っての、本当に和気藹々 ンセプトを出し、雪対策や てしまった。皆のお気に入 という熱き語ら を見せながら熱く語ってい ルキメデスの渦巻きスパイ い、愛すべきた くさんの﹁もつ た。 これまでの人生の中で、 講演の最後、千葉氏は自 など、さまざまなスライド 分の人生のイメージ図をア いつが一番輝いていただろ け﹂ 。同期の 話が弘前の街づ せてくれた。そして201 ラルで示した。それは自分 くりのきっかけ ﹁もつけ﹂同士 の関係者約 間 や、 も ち ろ ん 弘 前 高 校 きにわたりご活躍・ご尽力 先生は昭和 年、弘前市 新町にお生まれになり、城 ︵昭 卒︶でのお知り合いも 和むひとときでした。 に思います。穏やかで、心 18 卒業生へのメッセージ 平成25年10月5日(土) ﹁北斗の黙示に導かれ⋮﹂を聞いて 12 講 師 創立百三十年 記念講演 しものになれ﹂ 中野 幸子︵昭 卒︶ 弘前市出身。高校時代に世界的建築家前川國男の設計による弘前 市民会館にあこがれ、建築の道を志す。大学卒業後、都市デザイ ン事務所に入所し世界各地の都市デザイン・ 計画に従事。 昭和 55 年に独立し現在に至る。 「津軽藩ねぷた村」や 「まちなか情報センター」の計画・設計、「JR 弘前駅・東西自由通路」「JR 浪岡駅・地域交流センター」の設計 デザイン監修、 「蓬莱広場」 「駅前公園」 「下土手町・中土手町・ 上土手町」など弘前のまちづくり、「銀座線浅草駅リニューアル」 「五重塔通り」「花やしき通り」「伝法院東通り」など浅草のまち づくり、その他各地で建築からまちづくりまで多くのプロジェク トに関わる。現在は、モンゴル各地のニュータウン計画・建設プ ロジェクトを自身の集大成とすべく走り回っている。 い出しながら 59 ●プロフィール 45 32 40 45 夢に向かって挑戦せよ 語っていたに違 修学旅行にガイドと撮影(本人は右端) 鏡ヶ丘同窓会報 (3) 第 26号 平成 26年5月 20日 同窓生の皆様には 、 ま すますご健勝のこととお 校生活は生徒一人一人が り組むこととしました。高 ドとして本校学校経営に取 を積み重ねていく学校﹂ る 学 校 ﹂﹁ 日 常 的 に 努 力 を伸ばし、進路を実現す で、ご指導のほどよろしく ﹁連携﹂ の三つをキ ー ワ ー ﹁一人一人を理解し、能力 お願いいたします。 ています。さらに、その一 繋がりを仕事に生かしています 労を分かち合う︵傷をなめ 場を提供するとともに、苦 らもねぎらいの言葉をいた ださる県議会議員の方々か 宰 ︵昭 卒︶ 合う︶ネットワークづくり だいております。 教育庁鏡ケ丘同窓会長 佐藤 教育庁とは、青森県教育 も存在しますが、他の役所 に大変役立っております。 そんな、職場内同窓会で 委 員 会 事 務 局 の 呼 称 で す。 単位同窓会と異なる点、そ 幸いな事に︵?︶歴代の ありますが、毎年 人ほど 校長先生は教育庁に在籍し が集い、懐かしい恩師の思 いかなくてはならない時期 はなりません。一粒の種 頼される学校﹂でなくて 別支援学校に係る教育活動 員は、小学校から高校、特 は言えませんが、庁内の職 市井の印象は芳しいものと すばらしさを伝えてきた先 夢を持つこと、学ぶことの 現 場 で 子 供 た ち を 相 手 に、 ス を い た だ い て お り ま す 会員が多いことです。学校 形で勤務している元教員の 主事、社会教育主事という 事先生方に様々なアドバイ から、当会を通じて指導主 た経験をお持ちであること 繋がりを深め合っていま に盛り上がり、先輩後輩の 青春の話題、校歌や応援歌 い出や、お互いの輝かしい れは行政マンとともに指導 です。 ﹁持 っ て生まれたも が大きく成長し、美しく やそれを支える先生方のた 昨今の教育委員会に対する のを深くさぐって強く引き 咲き誇れるよう、生徒一 め、また、社会教育やスポー は一輪の花の美しさも知っ ﹁一輪の花﹂ として咲いて ﹁ 家 庭・ 地 域 と 連 携 し 信 喜び申し上げます。この 百輪の花はとても美しく 豪華です。しかし、私たち たびの異動により、青森 年卒 東高校から本校に赴任い たしました。昭和 出す人﹂という本校の目指 人一人にふさわしい時と い部分を支え、助けていた す。また、今回は不参加の 本当にありがとうございま た。 ご参会いただいた皆様、 工藤 千葉 瀬高 鈴木 秋元 一戸 事務局 す。 場所を与えながら、日々 新潟鏡ヶ丘同窓会 し、忙しい日程の中参加く す 人 間 像 も、﹁ 規 律 あ る 自 生が、役目を変えての役所 3年から再発足し、関東圏 だき非常に感謝しておりま 皆様、次回の参加を心待ち 鏡ヶ丘同窓会 中林 裕雄 会長 ︿敬称略﹀ 信哉︵平1卒︶ 琢矢︵昭 卒︶ 敏夫︵昭 卒︶ 寛治︵昭 卒︶ 大伸︵昭 卒︶ 57 一輪の花 由・ 自 学 自 習・ 体 力 の 増 ツ振興、文化財保護のため 申し上げますとともに、 の鏡ヶ丘同窓会員の学生で す。この場を借りてお礼申 にしております。 し上げます。いよいよ20 14年からは後輩が入会 活動してきました。 学生会の主な活動は、5 月に弘高の先生を招いて開 ナップ写真で、盛会だった 催する総会です。初年度で 継 続、 発 展 し て い く に あ 当日の様子をお伝えしたい はなはだ簡単ではありま し、これから東京学生会を すが、参会者のお名前とス したが、様々な大学の生徒 たって重要な年となりま 会場 新潟駅前﹁山姥﹂ 期日 平成 年1月 日㈯ 天候 小雨 積雪なし ご来賓 いします。 と思います。よろしくお願 す。今後ともよろしくお願 いいたします。 が参加してくれました。 今年、関東圏という広い 地域で繋がりを持つため に、 Facebook ペー ジ を 開 設 し ま し た。 ここでは学生会の広 報のほかに学生が生 活する上で便利な情 報を更新していきま す。また、みなさん 弘前高校渉外部 福井 次郎 先生 参会者︵卒年︶ 山岸 洋︵昭 卒︶ 若松 進︵昭 卒︶ 和泉 正二︵昭 卒︶ 57 55 53 50 45 瀧本 壽史 の教育活動に取り組んで に向かっていく人間の育成 県庁など役所毎の同窓会 事先生方に﹁ぐだめぎ﹂の 標記の会をご案内したと ころ、ご多用の折にもかか わらず9名の方からご参集 初年度の活動から発展へ いただき、同窓会の親睦を 大溝 康公 ︵平 卒︶ 深 め る こ と が で き ま し た。 初めまして、鏡ヶ丘同窓 学生会発足初年度という おかげさまで楽しいひと時 会東京学生会です。201 ことで、先輩方には至らな を 過 ご す こ と が で き ま し 新潟支部 校長 進﹂という教育目標も、自 ということであり、一輪の 輪の花が、その花にふさわ います。 が、当会は、そんな指導主 勤めは大変な苦労なのです しい時と場所を得ること 鏡ヶ丘同窓会のますます には、今回の す。 に日々努力を重ねておりま で四駆会の一員です。同 で、百輪の花よりも美しく、 花として勝負できるように のご発展を祈念申し上 ところで、今回関わった 日の間の鏡ヶ 丘 記 中で一番記憶に残ったの 力不足だった からのイベントの紹 介なども受け付けて います。現役学生や OB・OGを繋いで いく場になればと 思っています。 秋元 琢矢 ︵昭 卒︶ 久昭︵昭 卒︶ いきたいと思っています。 40 分自身の原点に立ち返りな 窓生の皆様が築き上げて ならなくてはならないとい 卒︶ 51 25 ︵昭 きた伝統の重みを日々感 しかも存在感を持って輝く 同窓生の皆様のご理解 がら自己の確立と自己実現 と一層のご支援をお願い じております。引き続き げ、新任のご挨拶とさせ に何ができるか、それが同 ていただきます。 うことなのではないかと考 校の素晴らしさが増した思 は、特別公開の際に記念館 分を補って恩 年、本当にありがとうござ 窓生の役割だと学んだ 年次は授業を の際に節目の このような機会を増やす ためにも、GWの特別公開 いでした。 私は﹁一人一人﹂﹁努力﹂ えています。そのためには ことがあります。 年度同窓会総会 本校発展のために努めて 参りたいと思いますの 平成 自分たちの居場所 卒︶ 受ける試み、 三上 直樹 ︵昭 たすことができました。 ムカミング 百三十年記念祝賀会幹事学年代表 幹事年度という立場があ るおかげで、久々の再会ば デーをやれば いわゆるホー 1983年卒﹁八三会﹂で かりでなく、長い歴史の中 いいのではと 母校の創立百三十年とい う記念すべき時に、私たち 幹事を引き受けることにな に自分たちの居場所がある 思っていま りました。 ことを実感することがで して学校での式典・総会か 担 当 の 山 上 副 会 長︵ 元 校 返しするつも ています。 き、本当にありがたく思っ 今回は祝賀会での余興が ない代わりに、OBねぷた らニューキャッスルでの祝 長︶が担任した教え子が訪 りで協力させ 最後列でのゴミ拾い、 月 賀会までの受付・案内・記 ねてきたことでした。懐か ていただきま もちろん、 提案したから 録に司会まで、たくさんの しの学び舎でいつまでも変 す。 日∼ 下働きがありましたが、呼 わらぬ師弟の関係を確かめ 母校のため びかけに応じてくれた同期 合う姿はほほえましく、母 念館特別公開の受付係、そ 教育庁 東京学生会 49 す。 58 7 月 5 日︵ 土 ︶ 1 49 10 のおかげで無事に役目を果 4 25 37 32 29 1 26 25 平成 26年5月 20日 第 26号 (4) 鏡ヶ丘同窓会報 札幌鏡ヶ丘同窓会は、毎 年6月の第二土曜日に開催 ました︶。 く当日所用のため欠席され 私でした︵東谷氏はあいに と自らを鼓舞し、頑張って ま し て、﹁ 継 続 は 力 な り ﹂ 先輩諸氏に言いくるめられ のであり、懇親会では持ち ギーたるや、すさまじいも ですが、先輩諸氏のエネル 者は固定化され、減少気味 高齢化により、毎回の参加 のは愛育病院理 会長に就任した ました。第三代 れることになり は後進に委ねら 任され、会長職 す。私も昨年総 会の場で、来年 は私定年退職な たのか︿横たわる裸婦像﹀をチョーク でいっぱいに描きました。生徒達も感 動?して、授業が終わってからも、黒 板消し係の生徒もそれを消さずにおき ました。2時間目の授業に来た山辺先 生がそれを見て、﹁誰だ、 こした落書 きした奴は ﹂生徒﹁鳴海先生でーす。﹂ ﹁何、 ナリケンが。 ん ー ⋮⋮ おめだち 尾上支部総会 平成25年4月29日開催 19 獅子の会(昭 44卒) 平成 25年8月 14日開催 37 34 田舎館支部総会 平成26年1月18日開催 同窓会名簿発刊のお知らせ 名簿をご希望の方は同窓会事務局〔電話 0172-32-8545 (FAX も)〕にご連絡下されば頌布いたします。 弘前高校吹奏楽部 OB 演奏会開催! 日 時 平成26 年11 月 9 日 (日) 14:00 開演 場 所 弘前市民会館 大ホール 代 表 髙橋伸光(昭55卒) 参加ご希望の方は事務局までご連絡ください。 事務局 佐藤清伸(昭57卒) 電 話 090-4477-2354 メール [email protected] 板柳支部総会 平成 25年6月8日開催 同窓会総会でお会いしましょう しています。札幌のその頃 ては、長年会長 時間をオーバーして延々と 卒︶で 事長の三和公明 しました。 ちなみに参加者リストの 中で最年長の方は、昭和 年卒の初代札幌鏡ヶ丘同窓 卒︶ ナリケンさんはそのワイドなまっさ らな黒板を見て、製作意欲をそそわれ ので、そろそろ 渋谷 龍一 ︵昭 鳴海健次郎 先生 名物恩師列伝⑤ 会会長の東谷清次氏であ 氏︵昭 自己紹介をする先輩が続出 24 36 通称はナリケン。 僕 は 美 術 を 習 い ま した。ある時、学校の美術室に、はじ めてワイド黒板がつきました。 見 だ 事 ね べ け ど も、 本 当 の オ ナ ゴ の 躰ってこうなってるもんでねえ﹂⋮⋮ とその評をはじめました。 山辺先生はその裸婦像をひとしきり 解説して、消せとは言わず終わりまし 五所川原支部総会 平成25年8月17日開催 幹事長から身を引きたい旨 はちょうど気候も良く、ラ いく所存です。 どと重なり、観光客で賑わ 職を歴任されま が平成 年に退 した福地順一氏 います。 ソーラン、すすきの祭りな ここ数年の札幌鏡ヶ丘同 イラック祭りや、よさこい 窓会の動きとし 継続は力な り の 話 を し ま し た と こ ろ、 西 令年 ︵昭 卒︶ ﹁ 退 職 し た ら ま す ま す 鏡 ヶ 札幌鏡ヶ丘同窓会幹事長 り、最年少は昭和 年卒の 丘に専念できるでねが﹂と 札幌支部 昨年の同窓会は6月 日 に行われました。参加者の 15 16 四一会(昭 41卒) 平成 25年8月 14日開催 ● B 5版 約 750 頁 ● 価格3, 800円 (消費税込み。発送費、振替手数料は別途) ﹁岸巖﹂と旧制一高 寮歌﹁仇浪騒ぐ﹂ 17 た。3時間目も4時間目も、その裸婦 像は消されませんでした。僕は、弘高 同期会・同窓会の情報を母校渉外部 までお寄せ下さい。 がしめくくりに歌う有名な 校卒業後は旧制一高へ進学 名な﹁嗚呼玉杯﹂で、一高に 寮歌があり、その作詞者が し、 東 京 帝 国 大 学︵ 東 大 ︶ 入学した岸青年も﹁嗚呼玉 を謳歌したでしょうし、 弘中出身の岸巖さんだがと 法科大学校政治学科を卒業 杯﹂ いわれ、その経歴を尋ねら した秀才で、朝鮮銀行の頭 また自ら寮歌を作詞しよう 取まで勤められた人です。 と想い立ったのでしょう。 對馬 英輔 ︵昭 卒︶ れたそうです。 一高在学中は作家谷崎潤 この寮歌は、作詞の内容 岸巖さんは明治 年卒で 1953︵昭和 ︶年卒 も充分ありましたし、病後 私の父對馬彌作︵明治 年 一 郎 と 親 友 だ っ た よ う で、 が良いと当時の一高校長の 葉会の一員ですが、これは 復学した高校3年では初め 卒︶の3年後輩になります このことは谷崎と中学、高 新渡戸稲造が激賞したと伝 双 病気で休学、療養していたか て男女共学を体験しました。 が、私が岸巖さんを知って 校で同級生だった仏文学者 えられています。 らで、双葉会の諸君と一緒 昨年の東京鏡ヶ丘同窓会 昨年春一休会の旧友佐賀 いたのは父親との縁ではな で東大名誉教授の辰野隆先 だったのは高校3年の1年 郁朗君から、明治末期弘中 く、母親との縁でした。岸 生の選集4の﹁忘れ得ぬ人々 で御披露する予定でしたが 間だけです。それ以前は昭 を卒業し、旧制一高に進学 巖さんは母の実家芹川家に │ 追憶﹂に﹁才人 岸 巖 ﹂ と 諸般の事情で実行できませ 和 年 に 旧 弘 中 に 入 学 し、 した﹁岸巖﹂さんを知らな 寄宿して中学校へ通ったそ して記されています。 んでした。詞文、楽譜は当 岸巖さんが作詞された旧 日の出席者に配布されまし 旧制中学4年間と高校2年 い か と お 尋 ね が あ り ま し うです。 迄一緒にいた一休会の一員 た。彼は旧制弘前高校最後 岸巖さんは鰺ヶ沢の出身 制一高寮歌は﹁仇浪騒ぐ﹂で、 たので、母校の音楽部の皆 です。旧制中学4年生迄在 の入学生で、2年先輩で寮 で、明治 年鰺ヶ沢町長や 明治 年一高の第 回記念 さ ん、 是 非 大 先 輩﹁ 岸 巖 ﹂ 学しましたので、旧制中学 歌祭で活躍した山田栄一さ 県議会議員を勤めた岸太氏 祭寮歌です。この5年前の さん作詞の寮歌を歌唱して や旧制高校についての認識 ん︵青中出身︶から、一高 の長男として生まれ、中学 明治 年の記念祭寮歌が有 下さることを願っています。 28 47 はおもしろい、弘高は素晴らしい!と 28 35 お願い 19 47 思いましたねえ。 40 35 !? 鏡ヶ丘同窓会報 (5) 第 26号 平成 26年5月 20日 鏡ヶ丘同窓会報 平成 25 年度 鏡ヶ丘同窓会一般会計決算書 鏡ヶ丘同窓会会務報告 平成 25 年度 月 日 4 24 同窓会役員会 36名 25 第3回同窓会報(25号)編集委員会 8名 29 尾上支部総会 29名 5 6 7 8 9 行 事 名 総 括 参加者 18 東京学生会 9名 18 仙台学生会 15名 19 関西学生会 20名 8 板柳支部総会 28名 15 札幌鏡ヶ丘同窓会総会 16名 22 平賀支部総会 26名 23 宮城鏡ヶ丘同窓会総会 37名 28 教育庁支部総会 35名 6 鏡ヶ丘同窓会ゴルフコンペ 27 30年会(30卒) 11 第31回鏡ケ丘親睦野球大会 14 四一会(41卒) 支出の部 差引残高 6,704,815 6,357,530 347,285 自:平成25年 4 月 1 日 至:平成26年 3 月31日 収入の部 項 1 繰 2 終 3 総 4 運 5 雑 予 算 額 越 身 会 会 営 協 力 収 増 △減 260,687 260,687 費 1,375,000 1,375,000 費 3,480,000 0 5,000 円×275 名 1,350,000 △ 2,130,000 広告1,350,000 円 費 4,000,000 3,719,000 入 200 128 計 Ⅲ 決 算 額 金 9,115,887 項 予 算 額 2 総 会 費 3,200,000 3 会 費 2,400,000 2,306,863 4 会員データ年間管理料 52,500 52,500 5 会 員 入 会 式 費 230,000 271,160 未確認 6 会 費 60,000 43,574 44名 7 支 部 連 絡 費 1,200,000 1,216,464 8 母 校 援 助 費 210,000 210,000 9 慶 弔 費 100,000 91,521 10 交 際 費 40,000 37,000 費 150,000 137,380 17 五所川原支部総会 31名 考 △ 72 銀行利息 増 △減 160,000 41名 備 △ 281,000 延1310 件 決 算 額 費 獅子の会(44卒) 考 支出の部 務 37名 備 0 前年度繰越 6,704,815 △ 2,411,072 事 未確認 二六会(26卒) Ⅱ 収入の部 1 14 8 青森県立弘前高等学校鏡ヶ丘同窓会 Ⅰ 平成25年4月1日∼平成26年3月31日 平成 26年5月 20日 第 26号 (6) 報 発 行 議 11 雑 147,454 プログラム作成費302,400 円、全国大会餞別110,000 円、 544,614 △ 2,655,386 二次会費90,000円ほか 12 人 件 費 1,300,000 1,299,000 13 予 備 費 13,387 0 計 未確認 △ 12,546 郵送費、コピー機リース、ウェブ経費ほか 9,115,887 会報印刷代461,244 円、会報発送料1,752,589 円、 △ 93,137 振込用紙印刷代75,810 円ほか 0 卒業証書ホルダー161,700円、学生会代表旅費補助40,000円、 41,160 記念色紙印刷代64,312円ほか △ 16,426 役員会、監査、その他 支部総会旅費祝儀(東京・関西・仙台学生会225,900円、 16,464 宮城・札幌314,740円、新潟114,400円、東京・関西325,070円ほか) 0 ねぷた製作HR補助1万円×21クラス △ 8,479 弔電、広告料ほか △ 3,000 弘高歓迎会・忘年会・送別会・卒業祝賀会 △ 12,620 運営協力費振込手数料 △ 1,000 私費職員給料 △ 13,387 6,357,530 △ 2,758,357 平成 25 年度 鏡ヶ丘同窓会特別会計決算書 27 関西鏡ヶ丘同窓会総会 21名 28 東京鏡ヶ丘同窓会総会 109名 5 鏡ヶ丘同窓会総会 165名 収入の部 5 創立百三十年記念祝賀会 470名 7,494,595 青森県立弘前高等学校鏡ヶ丘同窓会 10 11 15 青森支部総会 48名 12 9 県庁支部総会 41名 1 18 田舎館支部総会 18名 23 第1回同窓会報(26号)編集委員会 8名 Ⅰ 総 括 Ⅱ 支出の部 2 4 新潟鏡ヶ丘同窓会総会 11名 22 藤崎支部総会 30名 28 同窓会入会式 275名 1 繰 2 雑 予 算 額 越 金 収 入 1 同窓会監査 昭 和 39 年 青柳 健一 赤平 和順 秋山 邦男 鰺坂 淑江 新井 敏 荒木多恵子 石岡 徹 一戸 洋次 伊東 保之 太田 正史 岡山 洋一 柿崎 光顕 笠井 哲哉 葛西 猛 工藤 健 工藤 喜子 熊谷 勝弘 光栄なつ子 古川 道雄 小坂 清弘 小林忠一郎 斎藤 毅 桜庭五十司 佐々木淳造 竹内 明夫 田沢 一之 舘田 勝弘 田中日出興 棚橋 達彦 寺山 弘彦 永井 雅廣 中内 むつ 長尾 光洽 長崎 昭義 中林 裕雄 鳴海 光彦 鳴海 徳二 馬場 守 藤井 資宣 松野 ツギ 三浦雄一郎 三橋 正典 村上 謙藏 森内 勇治 森山 豊三 八木橋五郎 八木橋武範 吉岡 良治 渡部 綾子 昭 和 40 年 伊東 廸男 井上 保子 奥平 洋子 小野 善弘 加藤 勇一 臨 2名 菊池 正浩 工藤 智規 工藤 忠 斎藤 恭一 斎藤 光雄 佐藤 静 柴田 哲郎 竹内 初男 千葉 嘉之 中川千佳子 成田 助清 成田 義人 野呂 進 野呂 鉞朗 宮崎 方嗣 八木橋鉄弘 山形 喜隆 昭 和 41 年 秋元 清仁 一戸 孝之 臼渕 徹 瓜田 和久 大津 幸世 小野 一男 葛西 恒雄 葛西 敞 川村 敏男 菊池せい子 菊谷 裕悦 北川 順一 小林 二郎 斎藤三千政 佐々木幸男 佐藤 晃 塩田 宏三 塩谷 晃 新名フジエ 高嶋 一敏 田澤 雄作 田中 順子 田中 正彦 對馬 晃 敦賀 堂雄 戸澤 喜子 戸田 憲 苫米地 怜 二木美保子 西谷 泰 福島 雄一 福田 友之 町田才之丞 三浦 麗子 光弘 隆 村上 良子 森 浩一郎 安田 俊夫 昭 和 42 年 新谷 文子 一戸洋三郎 尾板 正人 小山内 孝 小野ふさ子 折原 裕 工藤 光隆 工藤 健造 工藤 時子 倉田 保夫 小林 繁樹 桜庭十三夫 下山 紳 高橋 透 高柳 健治 田澤 久義 月永 良彦 奈良岡修一 成田 堅生 盛 文武 八木橋勇治 吉沢 隆治 昭 和 42 年 通 鎌田 玲子 昭 和 43 年 秋元 義禮 犾守 絹江 一戸 敏 蝦名 修 片桐 和子 加藤 一眞 工藤 義春 坂岡 明 七戸 一 篠崎 珠樹 鈴木 明子 清藤 哲夫 関場 慶博 田沢 光正 高瀬 一博 高橋 憲三 竹内 幸子 対馬 省次 中澤 康臣 野呂 達實 花田 鎮雄 菱谷 豊章 松井 信雄 真野 明 森山 正 山内 春勇 昭 和 44 年 赤石 茂 板垣 隆 一戸 恵多 今泉 良郎 海老名徳雪 岡崎 耕衛 小野 徳昭 小野 正俊 川村 広明 北川 良治 工藤兼太郞 工藤 博明 工藤 良一 黒滝裕香子 古川 隆 櫻庭 和範 白石 一雄 神 繁司 常田 孝 奈良 誠一 西尾 幸一 西澤 光 西谷 栄 野口 章子 福山 直人 藤田 道昭 松野 俊子 三國 典昭 山口 義久 吉岡 猛 昭 和 44 年 通 佐藤ふじ子 昭 和 45 年 青山 仁志 秋元 英志 遠藤 真 大津 友見 小野寺 縁 川越流美子 川村 邦明 木村 明 木村 郁子 須藤 静子 須藤 博子 田端 優子 中野 幸子 成田 和義 成田 則正 宮本 和平 宮本 圭輔 山田 仁 矢本 嘉則 昭 和 46 年 赤石美恵子 枝村 則彦 大湯茂八郎 工藤千恵子 工藤 清文 今 隆志 佐藤 哲 塩見 知子 嶋津 智子 下山美保子 須藤 俊之 滝渕志津子 田金 順弘 中嶋 均 中田 義則 永吉 規子 西澤 明子 平尾 雅世 布施 協一 村上豊千代 昭 和 47 年 赤平 公朋 石岡 昭年 石岡 具子 今井 高志 大津 匡志 角田 宏明 木村 誠 齋藤三千義 佐々木 淳 増 △減 7,493,247 2,000 88,749 7,495,247 7,581,996 予 算 額 決 算 額 備 0 考 東奥信用金庫 504,148 円、東奥信用金庫 2,402,256 円、東 奥信用金庫 907,143 円、青森銀行 445,931 円、青森銀行 2,527,662 円、 青森銀行 706,107 円 (いずれも元金成長型) 86,749 銀行利息 1,349 円、名簿販売 87,400 円(23 冊) 86,749 時 支 出 計 高瀬 香 對馬 幸雄 中村 弘 副島 靖雄 間山久美子 棟方紀久雄 山本 一利 渡辺 明彦 昭 和 48 年 井上 純子 大川 誠 加福 康麿 木村 勝康 工藤 武重 齋藤 順子 佐々木 修 對馬 浩二 中村 隆司 服部 庸 藤岡 隆昭 藤田 雅俊 増田 章子 松本 了 三浦 朗 三上 信久 山内 千晶 山内 誠一 幸田 茂雄 昭 和 49 年 大滝 次雄 岡本 栄子 葛西久美子 引 洋一 笹 裕 佐藤 孝治 柴田 政子 外川 重信 瀧本 壽史 成田 清文 根深 忠 福井 次郎 福島 伸雄 堀内 治子 円山 昌子 三浦 幸弘 三上 昌樹 山形 陽 横山 幸雄 0 △ 100,000 100,000 0 △ 100,000 昭 和 50 年 昭 和 54 年 伊藤 元 長利 伸一 工藤 仁 佐藤 昭雄 芳賀 雅志 福井佐和子 米谷 勲 昭 和 50 年 通 昭 和 51 年 荒井 元明 太田 斎 小菅 園子 須藤 尚人 東野英利子 中島 易子 前田ふみ子 三上 栄子 幸田 恵子 渡部 司 昭 和 52 年 海老名英俊 大塚 真司 尾崎 俊寛 小山内清和 菊地 清夫 斎藤 和子 須藤まゆみ 政野 芳子 奈良 俊一 牧野 吉伸 昭 和 53 年 金田 浩徳 嶋脇 秀徳 鈴木 俊一 田澤昭次郎 福島 正師 福田 祐明 本多多佳子 間山 泰人 水木 清治 吉岡 正俊 備 100,000 石川 玲 伊藤 孝典 伊藤 雅一 今井 一仁 岩崎 一 鴨下 厚子 川嶋 純子 須藤 悟 高松 文也 田辺 美穂 鶴山るり子 成田 洋子 野上 幸治 増 △減 昭 和 54 通 年 斎藤ミキエ 昭 和 55 年 芦田 豊昭 大間 祥宏 四俵 誠 高橋 伸光 田名部正成 田村 正人 寺山 優子 中野渡瑞子 中村 典雄 藤田 昭彦 山口 美穂 湯浅志保美 昭 和 56 年 阿保 雅幸 荒井 優子 越後谷直樹 大溝 雅昭 兼田 寛悦 工藤 誠治 工藤 麻千 倉田 匡子 佐藤 正幸 澤田 雄 澤田 雅章 芝田 幸夫 嶋脇 秀隆 白石千寿子 白戸 輔 神馬 裕司 谷田 尚子 成田 俊吾 三上智久子 宮川 耕一 昭 和 57 年 梅原 一浩 小山内早苗 工藤 清彦 小沼 譲 坂田真理子 佐藤 記一 佐藤 亮介 関 昌子 高橋みどり 對馬 伸晃 鳴海 康方 沼倉たまき 野々口卓史 南 直之進 森 岩樹 山口 晴弘 昭 和 58 年 赤石 節夫 芦田 斉子 大湯 智行 小友 勇人 小濱 正文 鈴木 誠 寺沢 千明 鳴海 晃 三上 満宏 盛 和行 昭 和 59 年 佐藤 伸之 澤田 栄子 鈴木 孝之 竹田奈津子 成田 治 平井 隆樹 昭 和 60 年 内海 剛 葛原 秀人 成田 昭吾 濱口 祥子 昭 和 61 年 明本 康伸 大中 実 角田 元伸 加藤 武 木村 次郎 黒瀧 睦子 高木恵美子 水木 夏彦 宮腰 淳一 三和 聖徳 八木橋靖子 横澤真理子 昭 和 61 年 通 極檀多津子 昭 和 62 年 相沢 靖恵 木村 正雄 櫛引 唯善 清野 暢邦 高木 徹 田中 真紀 中山 みつ 奈良岡広二 成田 由美 花田 勝彦 鼻和 敏夫 平岡 学 前山恵理子 山形 政彦 昭 和 63 年 今井 慈 内海 健 小笠原康雄 櫛田 智美 佐藤 直 白戸 克明 鳴海 景 福士 貴博 福眞 陸城 水木 道子 三和 公也 平成元年 斎藤 香 佐藤 朋子 柴田 修吾 清野 月世 原 直美 番場 泰文 蒔苗 伸郎 三浦 真介 宮腰 直樹 山口 貴之 工藤絵里子 白鳥 雅史 津島 千聖 西田 明美 三浦 行 三和 貴道 山口 真吾 山口 静香 平 成 10 年 白取 智彦 須藤竜一郎 山崎 直洋 平 成 10 年 通 石川 リヨ 平成 4 年 平 成 11 年 木村 智子 菅原 宏之 須藤さおり 寺山 明哲 十川 恒寿 成田 千恵 福井 隆修 水木 正朝 鍵谷 弘次 西野 智 三上 尊 三上 龍 三國 典央 平成 4 年通 菊池 勲 中道 卓郎 飯塚 明廣 福井 寿志 平成 5 年 五十嵐喜代敬 鎌田 孝教 鳴海 雅子 伴 一聡 三上 卓矢 毛内 良也 平 成 11 年 通 金田 龍吉 平 成 12 年 平 成 13 年 工藤 倫之 安田 一夫 平 成 13 年 通 毛内 聖 平 成 18 年 市川 淑恵 小館 佑介 須藤 正法 田中 亜実 根深 友希 日景 秀徳 藤田 環 八重畑佑一 矢本 真丈 平 成 19 年 勘林登貴子 小館フユミ 平 成 20 年 青山康太郎 石岡 剛宗 市川 奈菜 大西 庸介 加藤 吉晃 木村 玲美 山下真梨子 佐々木崇矩 福山 寛人 矢本 愛佳 平 成 14 年 平 成 21 年 工藤 聡 中道 健郎 木村 美和 平成 6 年 平 成 14 年 通 千葉もと子 石村 雅 井上 瑛 加藤 剛 小館 里依 三上 文 平成 7 年 平 成 15 年 石戸 康幸 西澤 秀哉 毛内 慎 石岡 学 鍵谷真理子 笹 晃説 佐藤 元哉 田中 希依 平成 8 年 扇谷 満 小田桐奈央 古川 大吾 西沢 尚徳 平成 8 年通 平 成 16 年 太田 祐貴 根深 忠大 日景 瑞奈 平 成 22 年 平 成 23 年 芦田 夏葵 市川英里香 大津 恵美 岸 研登 木村 沙耶 小林 繁明 三浦 慧太 関 和男 平 成 17 年 平 成 24 年 平成 9 年 佐藤奈々実 海老名紀廣 加藤 彩乃 工藤 文昭 佐々木郁香 須藤 脩 高瀬 公子 福山 朝子 有馬 恵樹 藤本 浩史 三上 優生 前田 貴子 平成 3 年 秋元 禮 工藤 和洋 栗形 悠平 中道 哲郎 三上 洋平 村上 義親 今井知世子 平成 9 年通 平成 2 年 石橋 裕子 川村 啓之 川村 環 菊池 理子 大坂 和伸 山内 明示 考 平 成 25 年 市川 詩乃 遠藤 宣明 大津 真実 岸 優希 佐藤 阿弓 関 傑 前山 聖耶 特別会員 石川 緑 石山 憲章 宇藤 裕夫 大瀬 幸治 加藤 栄一 加藤 久子 金谷 克憲 菊地 修一 菊池 敬 栗生 文子 小向 博 古山 哲司 齋藤 環 坂下十三生 櫻田 泰弘 佐々木康人 外川 裕子 高井 都 田中 勝男 寺田 徳子 中道 哲 中村 宰和 奈良 昌孝 三上 史世 三上由美子 毛内志のぶ 山田 陽子 平 賀 支 部 たくさんの協力費 ま し ありがとうござい た。 小杉 正幸 斎藤 徹 斉藤 啓子 櫻庭 秀俊 佐々木誠司 神 敏勝 鈴木 重教 鈴木 弘武 田辺 義弘 田畑志津子 常田 育宏 戸澤 義夫 永井 三雄 中沼 丈昌 中野 善壽 中村ひろ子 中村 京子 中山 健司 鳴海 邦碩 西谷 洌 西谷 武夫 野呂 昌男 萩野 道夫 平川 正敏 平山 脩 福士 修成 福田 孝志 藤田 征芳 松田 恒蔵 溝江美穂子 水木 蓉子 盛永 恵子 柳田 晴夫 山内 敏之 山内 弘 山内 善浩 山口 富栄 横内 正典 吉岡 利孝 米田 継武 7,493,247 決 算 額 支出の部 項 1 7,494,595 自:平成25年 4 月 1 日 至:平成26年 3 月31日 項 Ⅲ 0 収入の部 計 25 差引残高 鏡ヶ丘同窓会報 (7) 第 26号 平成 26年5月 20日 糖尿病病理学を追求して… 棟方志功の緞帳復元 八木橋操六さん(昭43 卒) 昨年、日本病理学会において、長年に渡りその研究分野において 現在、NPO 法人 harappa(以下 harappa)の専務理事を務める畠 山秀文さん。帰弘の後、鏡ヶ丘の先輩である奈良美智さんの展覧会 を地元弘前で開こうと、平成 14 年に有志と共に「奈良美智展 弘前」 を開催し成功を収めた。 その収益を基に、 平成 15 年に harappa を 設立。 ア ー テ ィ ストへのアプロ ー チと若手作家の育成を柱に、 芸 術・ 文化の支援活動をおこな っ ている。 平成 23 年の弘前城築城 400 年祭では、harappa が主体となり映画祭「映画は、夢の祭り」 を開催。 大先輩である直木賞作家長部日出雄さんの作品「夢の祭 り」を傷だらけのプリントから新しいプリントフィルムに再生し、 永久に残すことに成功。長部さんもこの喜びをその後の機会に語ってくださった。 この時の活動とその想いが、長部さんも思い入れのある棟方志功の緞帳の再生・復元 へと繋がっていく。今年開館 50 年となる弘前市民会館は、昨年改修され、大ホールの シンボルでもある棟方志功の緞帳「御鷹揚げの妃々達々」の再生・復元も行われた。小 中高と文化祭等で思い出のある緞帳 …。 何かしら市に恩返し出来ることはないかと考 え、 「棟方志功緞帳応援市民の会」を立ち上げ、個人のみ1口 1000 円以上の募金とい う形で約 1500 名もの募金を集め市に寄贈した。また、弘前市民会館リニューアル記念 「緞帳完成を祝う会」を開催し、その中で DVD「棟方志功緞帳復元・再生のみちのり」 を上映。アーカイブを制作し、こちらも市に寄贈した。これは未来を担う子供たちに、 是非見ていただきたいメッセージでもある。今後も NPO 法人だからこそ出来る細やか な展覧会等を行って、地域の芸術家の 略 歴 活動の一助となればとのコメントに、 平成元年 東京都世田谷区の公認会計士渡邊二郎会計 淡 々 とした口調ながらも使命感にも 事務所に勤務後帰弘 似た熱い思いを感じた。 夢実現を追 平成18年 弘前市立百石町展示館(指定管理)副館長 い求める方々へ、心強い支援をお願い 平成22年 弘前高校 PTA 会長(2年間) いたします。 平成25年 NPO 法人 harappa 専務理事 記・高木恵美子(昭 61 卒) 成果を出された研究者のみが担当できる名誉ある宿題講演を担当さ れた。 現在日本で、40 歳以上の 3 割は糖尿病が疑われるといわれてい る。従来、糖尿病はインスリン作用不足による高血糖がその病態と 捉えられていたため、インスリンに対する対症療法が一般的であっ た。しかし、八木橋教授の研究成果から、糖尿病では膵臓のインス リンを分泌するラ氏島β細胞の脱落があることが解明され、 その脱落の防止、 再生の 促進という根本療法への転機となった。 これは糖尿病治療のパラダイムシフトといえる。 また、網膜症、腎症とともに糖尿病の三大合併症とされる多発性神経障害の発生機序の 解明に早期に取り組まれてきた。 一つの仮説に対して、 その問題解決のためにはあらゆるアプロ ー チを試みるとのこ と。具に検証し、矛盾を考察し、追加検証し、論文として発表する。それは継続すると いう信念と地道な努力によって成されるものである。しかし、それは常に新たな発見に よって覆される可能性を内包する。一研究者が追求できる時間は限られるのが現実だ。 万物の現象はその先に無限に広 略 歴 が っ ている。 それ故に記録しその 足跡を残すことで次へと繋がる。 今後も更にこの分野を極められま すことを祈念いたします。 記・八木橋靖子(昭 61 卒) 1973 年 弘前大学医学部卒業 1985 年 弘前大学医学部病理学講師 1993 年 弘前大学医学部病理学教授(分子病態病理学) 2014 年 弘前大学医学部病理学特任教授 公益財団法人 額田医学生物学研究所 所長 走り続けるお坊さん 将棋で器を大きく 三浦 真介さん(平元卒) 修学旅行生も毎年坐禅の体験学習に訪れる「金龍山盛雲院」 。私 も盛雲院では坐禅を 2 度経験させていただいた。人はいろんなこと を考えて生きている。次にこれをしようなどと常にはかりごとをめ ぐらしている。それは当然だろう。しかし坐禅前の法話で真介住職 に、頭の中を空にして下さいと言われた。私もうまくいったとかい かないとか小さなことにとらわれているが、坐禅をして自分を外か ら眺めれば、人は皆生まれて生きて死んでいくという自然の一部だ と思えた。短い時間ではあったが。 物事を疑ってみたり批判してみるのもひとつの方法である。本物 はそれでも這い上がってくるだろう、と真介さん。弘高の理想像「持って生まれたもの を深くさぐって強く引き出す人」 、すばらしい言葉に聞こえるが、一方で世を知らぬ未 成年である生徒任せとも取れ、 先生や我々OBが導けることもたくさんあるではないか、 といったんは批判してみる。禅にも流儀はいろいろあり、ただひたすら坐ることで 調 身 調息 調心 するのがひとつ。自身の懸案から逃げずに、己自身に対峙するのも坐 禅である。 駒澤大学の 1 年生だったとき、真介さんは正座ができないほど体重が増えていた。大 学の寮からすぐのところに、東京オリンピックのサブ会場として整備されたという駒沢 オリンピ ッ ク公園があり、 その周りを ジョギングすることにした。始めは 1 キ 略 歴 ロともたず息切れしていたが、続けてい 平成元年 弘前高校卒 ると 20 キロ以上走れるようにな っ た。 平成 5 年 駒澤大学仏教学部禅学科卒 禅とマラソン、通じるものがありそうで 平成 8 年 大本山永平寺(福井)にて修行 はないか。箱根駅伝で優勝争いをする駒 平成 9 年 盛雲院に帰り副住職に 澤大陸上部の後援会にも入っている。今 平成16年 盛雲院住職に も早朝真介さんは走っている。健康と普 一平会(平成元卒同窓会)会長・弘前ロータリー 遍的な人間力を培うために。 クラブ監事としても活躍中 記・三浦 行(平 3 卒) 平成 25 年度 同窓会運営協力費 協 賛 者 数字は卒業年度 通は通信 敬称略、順不同 昭 和 10 年 高谷 進三 花田 潔 昭 和 11 年 菊池 武正 昭 和 12 年 千葉 彦二 松木誠一郎 昭 和 13 年 櫛引 金治 工藤 昌助 棟方 肇 昭 和 14 年 石岡 貢 柿崎陽三朗 昭 和 15 年 大平 喜彦 豊田 吉郎 福士 光信 昭 和 16 年 斉藤 健治 昭 和 17 年 石戸谷正司 松井 一郎 昭 和 18 年 工藤 俊夫 黒滝 淳一 安田 二朗 昭 和 19 年 工藤 順三 工藤 邦男 境 恭平 桜庭 陽三 佐藤 亮一 柴田昭太郎 清野 隆 清野 利保 高山 良二 田中 健雄 時任 昭二 成田 孝好 船水 弘行 丸山 隆次 矢田 慶治 山田 吉弥 渡辺 弘之 昭 和 20 年 相坂 正夫 秋元 和好 一戸 良七 一戸 孝七 海老原 巽 大西 稔 小川 敦 小野 敏男 小野 徳朗 葛西 栄治 黒瀧 秀昌 小嶋 誠一 斎藤 義一 斎藤 健 境 辰五郎 佐々木義郎 七戸 靖 田村 武洋 中川原啓介 奈良岡辰夫 花田 郁男 福士 主計 藤山 由造 山崎 俊三 渡辺 健三 昭 和 22 年 阿部 恒彦 荒谷 五郎 今井喜久男 大和田昭一 金崎 昭三 須藤 倫行 東海 久雄 豊田 伍郎 鳴海 怜次 橋本 亮三 藤本 吉幸 藤森 等 三浦 實 山内 恒男 昭 和 23 年 秋元十三郎 小宅 弘道 蔭山 光顕 高橋 章 田中 玲 玉井 定美 富澤 成美 中村 豊 福士 和衛 福士千恵穂 三上 和彦 安田 準三 昭 和 24 年 秋元 良三 石岡 晶敬 猪股 圭二 岩間純二郎 長利 清弘 兼田 洋三 武田 隆治 福士 正一 福津 辰大 松盛 陽二 盛 嘉次 昭 和 21 年 昭 和 25 年 鈴木 淳一 相馬 達雄 相馬 齋弼 武田弘三郎 中山 将明 三浦 光義 山田 新一 阿部 泰久 五十嵐邦享 一戸 克夫 伊藤 正樹 稲葉 克夫 岩谷 剛 海老名清美 遠藤 麟雄 尾坂 昭治 長内 昌美 葛西 省恒 金澤 川野名 智 川村 昭男 神田晃太郎 工藤 正昭 斎川 俊明 坂本寿太郎 桜庭芳太郎 佐藤 茂 清水 行正 下山一二三 田澤 安宣 玉田 清治 長尾栄一郎 成田 努 成田 瑞穂 鳴海 昭文 花田 喜一 蒔苗 實 三上 精一 昭 和 26 年 秋田 豊 秋元 義隆 荒井 祐蔵 石戸谷 武 一戸幸一郎 一戸 宏 小山内英造 小野 晃 葛西 昭蔵 葛西 恭治 工藤晋三郎 工藤善一郎 黒沢 純三 坂岡 博 佐々木稔雄 柴田 晋 相馬 昭典 建部 高明 田辺 実 永井 俊衛 中嶋嘉四雄 中村 雄三 成田 亨 西塚 眞 野尻 壽康 花田 弘 町田 宇平 松本 巌 松山 孝弘 村田 弘 安田 良樹 山崎 幸夫 山本 治郎 横島 茂 若松 清吾 昭 和 27 年 秋元 克郎 阿蘇 哲 井澤 文廣 石岡 正憲 石岡 満 梅原 正年 蝦名 保雄 大高喜久夫 加賀谷健三 葛西 正 加藤 一男 北畠 顕文 工藤 良平 工藤 晃 工藤 堅二 工藤 慎三 小枝 清作 古川 昭雄 児玉 俊助 桜庭 旭 櫻庭豊三郎 佐々木恵吉 佐藤 新平 佐藤 君雄 荘司 道夫 神 武弘 神 廉 竹原 昭雄 田澤 正美 田澤 和郎 中村 義弘 新戸部満男 長谷川 巌 福士 直哉 三上 靖介 三橋 寛 宮川 二郎 盛 清祐 盛 義明 米田 茂樹 昭 和 28 年 天木 章夫 石坂 浩 石戸八千代 遠藤 正子 長部日出雄 小山 秀弘 川野名 靖 木村 修三 工藤 健作 齋藤 春彦 櫻井 溥 三戸 一孝 新宅 清司 須郷 健市 須藤 隆 対馬三四年 中西 充子 夏坂 栄一 成田 一典 花岡 宏六 福士 尹 福士知英子 真嶋 淳 村谷 邦男 昭 和 29 年 井汲 頴子 池田 浩三 一条 琢子 一條 アツ 一戸 紀美 大沼眞佐子 大和田一衛 小山内 裕 葛西 常美 加藤 順治 金枝 亮 川村 年 木村 光男 工藤 とし 黒岩 隆介 古川 力男 小濱 正春 小林 勇 小林 貞三 小林 陽三 古村 満喜 斎藤 政一 斎藤満智子 斎藤 周 斉藤 斉 澤田 静 嶋脇 英司 神 忠男 須郷 尚 鈴木 漾子 清藤 悳 相馬 慶造 田澤千代子 田澤 昌弘 田辺 昭彦 対馬 紀子 對馬 誠治 中川 美昭 成田 静雄 成田 正雄 鳴海 隆 西田 容三 野呂 謙 花田 瑞穂 日景 宏和 平栗 城志 藤田 功 前田 弘子 光永 道生 宮川潤次郎 宮本奈々子 村田 範子 村谷 令子 山崎 ヤヱ 山本由紀子 吉川 瑞浩 渡辺 健一 畠山 秀文さん(昭57 卒) 三浦 行さん(平3卒) 強豪弘高将棋部は数々の逸材を輩出している。 その中の一人である三浦行君は、今年の青森県王将戦の覇者。元 県名人でもある。自己ベストは大学4年次のオール学生選手権全国 8強だ。 弘高時代は、 自由 な校風を拡大解釈して、将棋三昧。同期の横 山幸男君の胸を借りて、連日、腕を磨いた。百戦中数回の勝利が励 みとなって、飽くなき挑戦を続けられたという。このとき礎が築か れた。 尊敬する棋士は?の問いに、 「特にいないが、 羽生さんの本が好きで、 彼のコミュニケー 13 ション能力の高さに魅かれる」と。最も響いた「自分の器を大きくする」ことを心に置 いたところ、決勝戦など大一番での勝率が上がったという。2年前に脱サラ。カフェの オーナーの顔も持ち、 「おかげさまで今年は第一子(女の子)が産まれました」と顔を綻 ばせる三浦君。垣根のない、どこか超然とした彼の周りには、将棋ファンはもちろん、多 様なお客さんが集まる。そんな彼独特の雰囲気は、自らの器を大きくせんという確かな 気概によって作られているものだと合点がいった。将棋はそのために最適な手段なのだ。 今は勝ち負けにこだわらず、趣味として楽しんでいる、と繰り返しつつ、 「でも、やっ ぱり勝ちたいよね!」の一言に勝負師のホンネが 光る。 県将棋界の牽引役として、 表舞台でも活 略 歴 躍を続けて欲しい。 彼はまだ右肩上がり。 全盛 平成 3 年 弘前高校卒業 平成 9 年 東北学院大学卒業 平成24年 カフェ・ド・アルペジオ代表 期はこれからなのだ。 記・今井知世子(平3卒) 昭 和 30 年 河津 恵一 川原田久雄 木村 忠資 木村 昱介 工藤多喜二 工藤 武三 黒瀧不二夫 小関 克洲 後藤 荘平 斎藤 哲 坂田 宗等 佐々木一雄 佐々木 淳 鈴木 弘 祖父尼賢一 高木 了司 田口 実 竹内 典子 田中 幸子 玉田 二朗 地主 静生 対馬 初美 土田 謙 中田 健造 中野 健治 奈良岡幸弘 鳴海 弘憲 鳴海 紀 二唐 東朔 福士 哲郎 福士 六郎 藤田富美子 船水 静児 三上 尚義 三上 忠二 三和 孝徳 村山 勝弘 八木橋勝也 八木橋良範 安田 周平 米澤 實 秋元良之祐 阿部 和悦 石岡 秀治 海老名正捷 大村 嗣郎 鎌田 禮志 萱野 彰 会津 清英 有賀 正雄 梅原 輝朗 太田 耕正 長利 浩三 小田桐駿介 昭 和 31 年 小田切隆昌 鎌田 学而 唐牛 襄 北川 清春 北畠由良子 木村 公則 楠美 明子 工藤 光男 工藤 純一 工藤 久雄 齊藤 嘉州 佐々木孝司 佐藤 泰弘 瀬尾 孝文 丹藤 公雄 千葉 光政 外崎 昭 中野 祐輔 西村 政恒 西谷 耕治 藤木 義行 舟本 統 三上晃一郎 八木橋惇夫 八木橋栄一 横岡 一 昭 和 32 年 秋元 幹雄 阿部 恵子 阿部 東 安倍 政幸 阿保日出一 五十嵐祐治 石田トミヨ 石戸谷 弘 石橋 憲興 石村 秀雄 一戸惇一郎 一戸純三郎 今井 忠利 岩崎 哲夫 岩渕 弘子 小笠原愼逸 小笠原 勲 小笠原時雄 小野 博光 角田 秀雄 片桐 康雄 川浪 洋一 楠美 和文 工藤 朝臣 工藤 秀久 工藤 栄一 工藤 彪 小舘真佐夫 小舘 玲子 後藤 圭吾 斎藤 守 斎藤 肇 齋藤 次郎 田 正史 佐々木 巌 佐々木孝明 佐藤 正 佐藤 勉 佐藤 章道 佐藤 光春 渋川 尚文 島中 弘 須藤 祥二 清藤 玲子 祖父尼俊雄 竹内 時男 竹浪 隆 田澤 郁夫 外崎奈奈美 長尾 章二 中村 健 名古屋和夫 成田英久範 鳴海 弘明 芳賀 文彦 長谷川勝勇 原子 典文 福士 壽一 福士誠一郎 福原 幸 藤田光三郎 堀川永一郎 松浦 恭子 松木 明弘 松山 繁夫 松山 久雄 真野 洋 三上 瑛子 三橋 正義 森田 昌好 矢田 治 山口 耕造 山邊 悠一 山本 セツ 吉川富士保 世永日出雄 昭 和 33 年 明比 範夫 石田 稔 大川 俊雄 長内 淳介 葛西 勝尚 嘉瀬 智子 鎌田 興治 木村 秀明 工藤 一夫 古川 昭 古坂 光 小林 泰秀 古村由比子 酒井 重名 佐藤 宏 澤田 精耕 鈴木 敬子 竹内 健二 田中 仁 中畑 忠弘 中村 匡男 鳴海 諄 二川原誠逸 則田 智寿 野呂 陽一 花田 誠三 花田 幸三 林 紀元 福田 壽徳 福原 建三 船水 義三 三浦 昭子 水木 厚美 山口 眞彦 山田 誠司 横山 泰久 若松 隆 昭 和 34 年 秋田 恂 石黒 紘一 石戸谷啓子 葛西 英之 川村 永三 川村 貞夫 川村昇一郎 木村 幸一 木村あさの 櫛引 章三 工藤紀千蔵 工藤 眞生 栗林 欣一 黒滝 信行 小枝 兼悦 古川 歌子 小中 徳雄 小森 和昭 斎藤 紀 櫻田 健 笹 進 佐藤 眞 佐藤 紀子 佐藤 隆雄 佐藤 睦子 島中 誠 住吉 一紀 関 邦男 谷村 竹生 田村 郁子 塚本 康喜 対馬 文守 冨田 重照 中村 勇一 成田 昭紀 成田 紘基 鳴海 泰典 野宮 正行 廣瀬 博 福士 宏 福士 兼義 福士 謙 福田 忠敏 蒔苗 伸一 三浦 玲子 三浦 幸雄 柳川 勝 山口 二郎 山下陸奥男 山田 脩一 山本 正紀 吉田 彰 昭 和 35 年 秋元 弘一 阿部 紀昭 今井 規淳 岡部光太郎 小山田顕裕 加藤 弘治 菊池 駿 木村 久夫 工藤 勝弘 工藤 要一 黒沼雄喜男 古川 育男 齊藤 隆行 鈴木富美子 須藤 宏 相馬 茂樹 舘山 公文 田中 浩 玉田 友一 千葉國美津 中道 靜郎 成田 正光 二川原和男 西田 鐵郎 西谷紀久子 橋本八重子 花田 幸雄 肥後 和保 藤澤 一夫 藤田 和美 藤田 洋 藤田 善徳 逸見 直義 蒔苗 忠典 松尾 徹也 松山 道子 宮川 忠義 村上 泰彦 森岡 啓二 山形 英雄 山本 善弘 昭 和 35 年 通 木津久仁夫 昭 和 36 年 赤坂 桂吾 油川 義博 有賀 孝雄 石岡 隆 石川 良子 内海 俊治 越前 登 大久保誠子 大場 良平 葛西 友子 川村 哲子 北畠千賀子 木庭袋弘昭 工藤美智子 工藤 秀則 久保田隆二 斎藤 雪雄 櫻庭 忠雄 佐々木 智 佐藤 勝美 佐藤 光毅 白戸 信昭 鈴木 惠子 高木 泰宏 土屋比呂幾 中西 重嗣 成田 郁夫 成田 誠治 藤田 淑江 堀内 久子 松井 睦朗 三浦 勝治 三浦きく子 三浦 哲志 三和 公明 森山 和子 森山 武彦 米澤 惠子 昭 和 37 年 青山 晃淳 赤石 昭次 五十嵐 等 小川 睦男 長内 健 帯川 雄三 加藤 裕 菊池 昭夫 木田 多聞 京野 巖 工藤 剛 工藤 弘典 工藤 正穂 小林 弘司 小林 信之 齊籐 文則 櫻庭 勤 佐藤美和子 嶋津 一彦 下山 康 田口 隆 竹浪 勍佑 竹谷 勇勝 對馬 隆 敦賀 哲朗 戸澤 正誼 富島 英宇 原 俊輔 東 好弘 福士 貞夫 福士 隆司 柾木 尚義 増田 順子 松田千代治 松田奈津子 松山 翰吉 間山 重嗣 円子 絢子 森 豊吉 横山 文夫 吉岡 利忠 昭 和 38 年 赤川 正広 阿保 耀子 板垣 肇 梅田 隆 江森佳世子 大塚 三朗 大中 忠 大和田 強 尾崎 敏夫 小山内英尚 葛西 修 片岡 滋 鎌田 徹郎 唐牛 孝之 工藤美穂子 古川 栄一 ぞ! まして、準優勝という結果 第 回全国高等学校野球 選手権記念青森大会におき 力を発揮することができま の結果、普段の能力以上の 顔・笑顔の連続でした。そ は微塵も感じさせない笑 を収めることができまし 決勝戦も同様でした。大 考えます。 精選と理解力がこの結果を 最後に、弘高健児が甲子 園のグラウンドに立ち、ア 田中 玲 ︵昭 ダイナマイト節と 弘中応援歌 演歌師︵士︶といった。 こうした社会情勢の中で生 まれたのが、この﹃ダイナマ イト節﹄である。 キャッチフレーズであった。 ︵高︶ 応援歌を作 っ たもので 卒︶との共訳でした。 けるルネサンス﹄は清水俊夫 ︵昭 コッコー﹂ は、もう一つ気持ちを高める ために付け加えた、本当の﹁も う一つのおまけ﹂であったと ︵昭 ︵編集長︶ 安田 俊夫 義禮 秋元 ︵昭 卒︶ 卒︶ 卒︶ 貫 司 ︵昭 橋 本 高木 恵美子 ︵昭 編集委員会 ないかと思うのである。 のがこの応援歌だったのでは 違いない。そして、生まれた の音﹂として聞こえてきたに き、 ま さ に、﹁ 惰 眠 を 破 る 鐘 の激しさも先輩たちの胸に響 イナマイトどん﹂という言葉 違 い な い こ と で あ ろ う。﹁ ダ 想に傾いていったことは、間 え﹂立たせ、この自由民権思 が、その﹁青春の血を火と燃 丘に集い来た往時の先輩たち 高き理想の光に導かれ﹂鏡ヶ ﹁あだなる文化をよそにして、 捕らえていったと思われる。 に燃える若者たちの心を強く 津々浦々に広がり、特に血気 思想は前述したように全国 はなかろうか。まして、この も先輩たちの胸に響いたので ことである。この﹁激しさ﹂ ところで、わが弘前︵高校︶ 考えられる。 卒︶ 中学校のひとつの応援歌を思 それにしても、﹁ダイナマ イトどん﹂とは、実に激しい れを改正して文明諸国と対等 はないだろうか。 お詫び 前号寄贈図書一覧中、 ▼昭 卒 田伏正義﹃科学にお 演説ならぬ歌をもって説くと 言葉ができ、自由民権を歌っ たものを特に﹁自由演歌﹂と 明治4年、岩倉大使らは、 練習に励みます。 いった。だから、節と言って に国際的地位を占めること 18 ﹁もう一つおまけに コケ 15 いうので、演歌という新しい 10 は、日本の念願であった。 17 ま た、 準 々 決 勝 か ら は、 校歌がこだまする場面が実 欧米視察の途中、各国と現地 野 球 を 楽 し ん で い ま し た。 現できると信じて、今日も 交渉をしたが、いずれも失敗 ルプススタンドに同窓生の 11 も簡単なもので、歌うという す。 生んでくれたと思っていま それに加えて、メニューの 選 手 は 動 き 回 っ て い ま す。 魅 力 やロマンがあるのだと 33 した。明治9年、寺島外務卿が 今日にも高校野球が終わる 三浦 行 ︵平3卒︶ 次郎 ︵昭 卒︶ ︵ 渉 外 部︶ 福井 八木橋靖子 ︵昭 卒︶ 今井知世子 ︵平3卒︶ 卒︶ 61 61 52 43 41 た。これも、大会を通して、 した。 同窓生の方々が球場を埋め 新政府に引き継がれたが、こ 23 先日、何かの機会に、大久 印までこぎつけたが、イギリ い浮かべてみよう。 尽くし、熱い声援で選手を 観衆の前で、臆することな 保慈泉氏著﹁うたでつづる明 スの反対でこれまた失敗した。 いざやゆけゆけ 我が校 後押ししていただいたお陰 く、自分たちの野球を貫い 民権運動は、政府の改正失 の選手 治の時代世相﹂という書物を だと感謝しております。あ てくれました。あ と 一 歩 で 読む機会に恵まれた。 勝てば鷹城さ 花っコ咲 敗をはげしく攻撃し、寺島は く 選手どしどし意気示 りがとうございました。 甲子園を逃しましたが、試 そこで、次のような歌にで 退陣した。代わって、井上外 せ 振り返ると、今大会ほど 合終了後の選手たちの表情 あったのである。 務卿が、明治 年から条約改 もし成らずば ダイナマ 正の交渉を開始したが、これ ﹃ダイナマイト節﹄ 選手の能力や可能性に驚か には﹁やりきった﹂という イ ト ドンドン ︵一番省略︶ もう一つおまけに コケ までの失敗にこりて、斬新主 されたことはありませんで 達成感や充実感に満ちあふ 二 治外法権 撤去の夢を コッコー 義をとり、また交渉を側面か した。初戦こそ硬さは見え れていました。 見るもうれしいポルト ら促進するために、日本が欧 弘中︵高︶ 健児の 朋友 ガル たものの、3回戦は延長 弘高に赴任して早7年が のためだ コクリミンプクゾウシ 米諸国とおなじような文明国 回を戦い、4回戦は乱打戦 経過しました。 歳のとき どんな苦労もいとやせぬ ン シ テ ミ ン リ ョ ク であることを認識させ、それ を制するなど、初戦から3 に、母校の監督となりまし 選 手どしどし意気示せ キ ュ ウ ヨ ウ セ によって交渉を成功させよう もし成らずば ダイナマ もし成らなき ゃ ダイ 試合連続で1点差ゲームを た。当時は、自分が思い描 と日本社会の極端な欧米化政 イト ドンドン ナマイトどん 勝ち抜いてきました。幾度 い て い た 理 想 と は か け 離 一つおまけに コケ 策をとった。そして、まず西 もう コッコー 三 四千余万の 同胞︵そ ものピンチを凌ぎ、最小失 れ、苦悩の連続でした。私 洋 人 と の 接 触 を ス ム ー ズ に す なた︶ のために ゃ 赤 点 で 切 り 抜 け、 数 少 な い 自身、鳴かず飛ばずの時期 この応援歌と前掲の﹃ダイ い囚衣︵しきせ︶も苦 るため、社交場を作ろうとし チャンスを確実に得点に結 が続きました。2年連続初 にゃならぬ て、東京日比谷に鹿鳴館を建 ナマイト節の﹄三番を比較し コクリミンプクゾウシ てて舞踏会を催した。世はこ てみると、実によく似たとこ び付けてきました。 戦負けも経験しました。し ン シ テ ミ ン リ ョ ク れを鹿鳴館時代とよんだ。 ろがある。並べてみると、 ﹁指 この選手たちの研ぎ澄ま か し、 こ の 経 験 か ら、 キュウヨウセ 一方、自由民権派は、激し もし成らなき ゃ ダイ された集中力や極限で発揮 導者が変わらなければ、選 ︵ 応 ︶﹁ 弘 中 ︵高︶健 児 の 朋 ナマイトどん くこれを攻撃するようにな される忍耐力の凄さを感じ 手は変わらない﹂という考 友のためだ どんな苦 り、明治 年になると、自由 労もいとやせぬ﹂ ました。しかも、この間に え に な り、﹁ 選 手 主 体 の 練 四 悔やむまいぞや 苦は ︵そ ︵ダ︶﹁四千余万の 同胞 楽の種 やがて自由の 党過激派に指導された農民一 は、雨天順延が2日間、2 習や試合を作ろう﹂と日々 なた︶ のためにゃ 赤い 花が咲く 揆が連鎖して起こった。群馬 囚衣︵しきせ︶も苦にゃ 泊の遠征もありました。や 精進してきました。この形 コクリミンプクゾウシ 事件︵5月︶ 、加波山事件︵9 ならぬ﹂ はり、日ごろの授業や家庭 が、できつつあることを証 ン シ テ ミ ン リ ョ ク 月︶、秩父事件︵ 月︶、飯田 ︵ 応 ︶﹁ も し 成 ら ず ば ダ イ キュウヨウセ 学習で培った時間の効率的 明してくれました。 ナ マ イ ト ドンドン﹂ 、 大 阪 事 件 ︵ 年 もし成らなき ゃ ダイ 事件︵ 月︶ ら な き ゃ ダ ︵ ダ ︶﹁ も し 成 な活用や切り替えの上手さ この私学隆盛の時代に公 ナマイトどん 月︶と続いたが、いずれも イナマイトどん﹂ だと考えます。 立高校が、しかも、進学校が 警官と鎮台兵によってたちま 国利民福増進して、 練 習 に お い て も、﹁ 密 度 甲子園出場を勝ち取ること ち鎮圧された。ついに板垣総 実 に こ の 歌 詞 は、 同 じ と 民力休養せ 理は、自由党を解散しなけれ い っ て も い い く ら い 似 て い の濃い練習﹂をテーマに2 は 並 大 抵 で は あ り ま せ ん。 る。当時の先輩たちは、この 徳川幕府が外国と結んだ不 ばならなくなった。 時 間 あ ま り の 練 習 時 間 中、 しかし、そこに高校野球の ﹁ 国 利 民 福 増 進 し て 民 力 休 民権運動に刺激され、これら 平等条約は、そのまま明治の 養 せ ﹂ は、 当 時 の 自 由 党 の の 歌 詞 に 思 い を 馳 せ て 弘 中 14 より、どなるほうで、彼等を かもしれないという悲壮感 ︱8545︶ 印刷 やまと印刷株式会社 49 〒036-8558 弘前市新寺町 1 の 1 TEL 0172-32-0251( 代) TEL 0172-32-8545( FAX 共) (渉外部直通) 11 ◎住所変更などは、事務局までご連絡下さい。 ︵電話・ファクス0172︱ 編集と発行 95 五十嵐喜代敬︵平5卒︶ アメリカと交渉して 年に調 決勝戦終了後の記念写真。決勝を争った両校が 一緒の写真は珍しいと、全国的に話題となった一枚。 27 41 青森県立弘前高等学校 「鏡ヶ丘同窓会報」 編集委員会 32 11 野球部甲子園予選決勝進出 やった 平成 26年5月 20日 第 26号 (8) 鏡ヶ丘同窓会報
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