江 戸 期 か ら の 製 法 に よ る 小 城 羊 羹︵ 切 り 羊

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平成
現在主流のアルミケースに移行する
ている。
﹁切 り 羊 羹﹂について は、
て商標登録して広まり、現在に至っ
に小城羊羹協同組合が地名を冠し
産 地の変 容や使 用 量の増 加にとも
長 崎 か ら 寒 天 を 入 荷 していた が、
近 隣の佐 賀 市 富 士 町 から豆 類 を、
質のものを 確 保。以 前は、小 城 市
を 信 条に足で確かめ、それぞれ良
するため、
﹁材 料に勝る技 術 なし﹂
には寒 天で固める﹁煉 り 羊 羹﹂が
羹﹂が作られたが、江戸時代後期
をつな ぎに蒸 して固める﹁蒸 し 羊
があり、鎌倉時代に小麦粉や葛粉
く2種﹁蒸し羊羹﹂と﹁煉り羊羹﹂
日本 茶と相 性よしの羊 羹。大 き
もに寒天を火で煉り固めるとされ、
さこう︶﹂の紹介で小豆や砂糖とと
聞録﹁卓子式﹂に﹁豆砂
藩︵大 分 県︶の田中 信 平の長 崎 見
天明4︵1784︶年、豊前中津
長崎と諸説あるが、江戸時代後期、
煉り羊羹の発祥は、江戸・京都・
さて、小 城 羊 羹のふるさと小 城
製 法が街 道 沿いの小 城に定 着した
の製 法 とほぼ同 じことか ら、この
︵とう
誕 生し、口当たり と日も ちの良さ
現 在 の﹁小 城 羊 羹︵切 り 羊 羹︶﹂
は 江 戸 時 代、長 崎 街 道 沿いに あっ
小城では明治初年から煉り 羊羹
ものではないかと推測される。
え た 町。鎖 国 政 策のも と 唯一の貿
づく り が 始 まった。大 正 時 代 後 期
て肥 前 国 小 城 藩の城 下 町として栄
易 港だった長 崎 出 島で陸 揚 げ され
た砂糖が長崎街道等︵長崎∼
佐賀∼福岡小倉︶を経由して
京都・大坂・江戸へと運ばれて
いたことで砂 糖が入 手 しや す
く人と物資が行き交う土地柄
だった。ま た 北 部 に そ び え る
天山山系を水源として良水に
恵まれ、佐賀平野で穀物も豊
かに実ることなどから煉り 羊
た 生 地 を、羊 羹 舟︵専 用の木 箱︶
羹づくりが始まったとされる。
﹁本 場の 本 物﹂認 定 品の﹁小 城
められた寸 法・重 量に包 丁 を 入れ
に流し込み、一昼夜かけて固め、決
て﹁裁断=切り分け﹂を行 う。裁
羊羹︵切り羊羹︶﹂の最大の特色は、
あ り、名 称に 反 映 されている。即
断された羊 羹は、す ぐに竹 皮と経
食文化の歴史を伝える伝統製法に
ち﹁切 り 羊 羹﹂。煉 り 上 げ た 生 地
品 質・衛 生 管 理 については、菓
木︵薄 板︶な どで包 装 されてでき
より、切 り 出 しのみずみず しさと
子製品の製造過程管理高度化基準
を木箱に移して固め、一本 ずつ包丁
シャリ感という口当たりの妙が味わ
を 踏まえて、清 潔の徹 底、羊 羹 裁
あがる。
える。対して、主 流となっているア
断室や冷却室の温度管理や全製造
で切 り 分 けるという 製 法。これに
ルミケースの袋詰め羊羹を﹁流し込
工 程に対 応 す る数々の項 目 をクリ
認定に際して、株式会社村岡総
アしている。
手 間 と 時 間はかかるものの昔 なが
本 舗の村 岡 安 廣 氏は﹁食 文 化の継
切 り 分 けや竹 皮・経 木での包 装に
らの羊羹に宿る味と趣が楽しめる。
承 を 通 じて、本 物の羊 羹の味、本
み羊羹﹂といい、比べると認定品は
羊 羹づく りは、製 餡 所からの入
物の価 値 を 知っていた だ く こ との
味わえる。ときには器にこんも
り盛って至福のひと時を過ごし
年度 本 場 の 本 物 認 定 品︵ Ⅰ 種 ︶
切り出しのみずみずしさとシャリ感を奏でる伝統羊羹
お ぎ
味と技にこだわる 餡 づ く り か ら
一棹一棹に切り分 け る 伝 統 製 法
まず、﹁小城羊羹︵切り羊羹︶﹂は、
前の、切り分け工程を要 する小城
で人気を集め、各地に広まった。
江戸期からの製法による
小城羊羹
︵切り羊羹︶
には、電動煉り機蒸気釜が導入さ
軍 隊の酒 保︵売 店︶で喜ばれたこ
れて羊羹の製造量がイッキに拡大。
とから、戦前には満州やジャワ︵イ
類 を 原 料 と す る。添 加 物 な ど一切
砂 糖・寒天・小 豆や手 亡 などの豆
名 称は、他の地 域の羊 羹 との差
な く 素 材の質ができ あがりに影 響
ンドネシア︶へも販路を広げた。
別 化のため昭 和 ︵1 9 5 2︶年
羊羹であることを明示している。
なって、現 在 は 厳 選 し た 北 海 道の
豆類や長野県茅野産の角寒天等を
使 用 している。砂 糖 は、産 地 は 変
荷ではなく、﹁餡づくり﹂から始ま
株式会社 村岡総本舗 佐賀県小城市小城町 861
☎0952-72-2131
* 特認者とは、当該地域に当該地域食品の伝統的・歴史的製法等を一者のみが受け継いでおり、それが関係者等によって明らかにされ、一般財団法人食品産業センターが特に認めた者をいいます。
たい。
わらず 羊 羹に適した結 晶の大 きな
出来たてのみずみずしい舌触り、
本場の本物 86
87 本場の本物
きっかけにしてゆきたい。業界団体
特認者
かなり糖化が進み硬いと感じる
ヤドリギと俗称される3段階が
る。続いて﹁煉り﹂、仕込み桶に寒
糖化しかかった微妙なシャリ感、
食と農研究所
代表
加藤 寛昭 氏
純粋な白双糖︵はくざらとう︶を
整されその乾燥の進み具合で、
や行 政とも 連 携して地 域に人 を 呼
面は空気に触れ自然に水分は調
天を 入れ、煉り 釜に移して白 双 糖
審査専門委員
佐賀県小城市小城町は、
煉り羊羹の町として有
名で、
町の本通りを中心に羊羹店が集まってい
る。村岡総本舗の創業は明治32(1899)年、太
平洋戦争中には東京虎屋と同社のみが海軍御
用達となり、その名前が内外で知られること
に。昭和59(1984)年に、小城の羊羹作り文化
を伝える村岡総本舗羊羹資料館を開館し、
平成
9年国の登録文化財となる。
で切りだしていく煉り羊羹。表
特認者*/株式会社村岡総本舗(佐賀県小城市小城町 861)
村岡安廣 氏
び込む仕組みづくりにもつなげてゆ
れたものを職人が 1 本 1 本包丁
製法の特徴/木製の箱に生地を流し込み、一昼夜ねかせて固めた羊羹を、寸法に従って
包丁で 1 本 1 本裁断する伝統製法を受け継いでいる。
と 餡 を 加 え、切 り 羊 羹に合った 糖
小城の羊羹は、流し箱で固めら
品質と安全性/原料は、砂糖・寒天・豆類のみで完全無添加。
自社の厳しい安全管理
基準に従い、また菓子製造の製造工程管理高度化基準をクリアする HACCP の認証を
受けている。
株式会社村岡総本舗
代表取締役社長
小城羊羹
(切り羊羹)
特徴
小城市は、
佐賀県の中央部に位置す
る小城藩の城下町。
隣接する県庁所
在地の佐賀市とは車で 20 分ほど。
北部に天山山系を配して清らかな水
に恵まれ、穀物も豊富である。江戸時
代には鎖国政策下で唯一開港されて
いた長崎と中央を結ぶ長崎街道の街
道筋にあって、
昔から砂糖が入手し
やすく物流が発達した土地柄だっ
た。砂 糖・水・小 豆・寒 天 が そ ろ い、
羊羹作りが盛んになった。
佐賀県の
羊羹購入額は、
つねに日本トップク
ラスとなっている。
写真左から、小城羊羹(切り羊羹)本煉・挽茶・
小倉・きびざとう・青えんどう
江戸時代から続く伝統製法の羊羹。煉りあげた羊
羹を、個別のアルミケースに詰めるのではなく木箱
に移して一昼夜ねかして切り分けて仕上げることで、
独特の食感が生まれる。切り分けられた羊羹は昔
ながらに竹皮と経木で包まれている。
物
の本
本場 認定
かつては砂糖入手が容易な立地
商品情報
みずみずしさと微妙なシャリ感、
多様な食感が楽しめる切り羊羹
きたい﹂と意欲的である。
切り分けるとすぐ、
竹皮と経木で包装す
る。
中心に用いている。
こだわりの素材
を原料とする、
「本 、
小倉、
きび
ざとう、 茶、青
えんどう」。上品
な甘さそのまま
に、
風味・味わい・
色合いさまざま
な5種類がある。
が
ココ
度 と 固 さ を 見 極める。煉 り 上 がっ
取り出した羊羹は、
熟練の職人が専用の
裁ち包丁で寸法通り
に切り分ける。
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原材料の特徴/原料はすべて、羊羹に適した良品に限っている。原料の豆類は、品質優
良な北海道産等。寒天は、長野産等。砂糖は、羊羹に適した白双糖を使用している。
自家製餡・寒天・砂糖
を で りあげた
ら、羊羹舟に一昼夜
ねかし固め、注意深
く取り出す。
佐 賀 県
り上がった羊羹を、
専用
の羊羹舟(木製の箱)に流
し込み一昼夜ねかせて固
める。
アルミケースへの流
し込み羊羹と比べ、
時間を
かけず水分が保たれるた
め、
切り出しのみずみずし
さとシャリ感を奏でる切
り羊羹が生まれる。
名称の由来/明治初期より羊羹が小城周辺で作られ、「小城羊羹」の発祥地であるか
ら。昭和 27(1952)年に小城羊羹協同組合によって商標登録もされ、全国的にも知
名度がある。
また
「切り羊羹」
については伝統製法であることを明示している。
小豆の煮上がりを調
べたのち、製餡機工
程を経て自家製餡が
できあがる。
一定の寸法どおりに切り分
けられた羊羹は、すぐさま
竹皮でていねいに包まれ
る。切り羊羹は時間の経過
とともに外の砂糖のシャリ
感が微妙に増し中はしっと
りのままという舌触りの変
化が、
日々楽しめる。