6 2 平成 現在主流のアルミケースに移行する ている。 ﹁切 り 羊 羹﹂について は、 て商標登録して広まり、現在に至っ に小城羊羹協同組合が地名を冠し 産 地の変 容や使 用 量の増 加にとも 長 崎 か ら 寒 天 を 入 荷 していた が、 近 隣の佐 賀 市 富 士 町 から豆 類 を、 質のものを 確 保。以 前は、小 城 市 を 信 条に足で確かめ、それぞれ良 するため、 ﹁材 料に勝る技 術 なし﹂ には寒 天で固める﹁煉 り 羊 羹﹂が 羹﹂が作られたが、江戸時代後期 をつな ぎに蒸 して固める﹁蒸 し 羊 があり、鎌倉時代に小麦粉や葛粉 く2種﹁蒸し羊羹﹂と﹁煉り羊羹﹂ 日本 茶と相 性よしの羊 羹。大 き もに寒天を火で煉り固めるとされ、 さこう︶﹂の紹介で小豆や砂糖とと 聞録﹁卓子式﹂に﹁豆砂 藩︵大 分 県︶の田中 信 平の長 崎 見 天明4︵1784︶年、豊前中津 長崎と諸説あるが、江戸時代後期、 煉り羊羹の発祥は、江戸・京都・ さて、小 城 羊 羹のふるさと小 城 製 法が街 道 沿いの小 城に定 着した の製 法 とほぼ同 じことか ら、この ︵とう 誕 生し、口当たり と日も ちの良さ 現 在 の﹁小 城 羊 羹︵切 り 羊 羹︶﹂ は 江 戸 時 代、長 崎 街 道 沿いに あっ 小城では明治初年から煉り 羊羹 ものではないかと推測される。 え た 町。鎖 国 政 策のも と 唯一の貿 づく り が 始 まった。大 正 時 代 後 期 て肥 前 国 小 城 藩の城 下 町として栄 易 港だった長 崎 出 島で陸 揚 げ され た砂糖が長崎街道等︵長崎∼ 佐賀∼福岡小倉︶を経由して 京都・大坂・江戸へと運ばれて いたことで砂 糖が入 手 しや す く人と物資が行き交う土地柄 だった。ま た 北 部 に そ び え る 天山山系を水源として良水に 恵まれ、佐賀平野で穀物も豊 かに実ることなどから煉り 羊 た 生 地 を、羊 羹 舟︵専 用の木 箱︶ 羹づくりが始まったとされる。 ﹁本 場の 本 物﹂認 定 品の﹁小 城 められた寸 法・重 量に包 丁 を 入れ に流し込み、一昼夜かけて固め、決 て﹁裁断=切り分け﹂を行 う。裁 羊羹︵切り羊羹︶﹂の最大の特色は、 あ り、名 称に 反 映 されている。即 断された羊 羹は、す ぐに竹 皮と経 食文化の歴史を伝える伝統製法に ち﹁切 り 羊 羹﹂。煉 り 上 げ た 生 地 品 質・衛 生 管 理 については、菓 木︵薄 板︶な どで包 装 されてでき より、切 り 出 しのみずみず しさと 子製品の製造過程管理高度化基準 を木箱に移して固め、一本 ずつ包丁 シャリ感という口当たりの妙が味わ を 踏まえて、清 潔の徹 底、羊 羹 裁 あがる。 える。対して、主 流となっているア 断室や冷却室の温度管理や全製造 で切 り 分 けるという 製 法。これに ルミケースの袋詰め羊羹を﹁流し込 工 程に対 応 す る数々の項 目 をクリ 認定に際して、株式会社村岡総 アしている。 手 間 と 時 間はかかるものの昔 なが 本 舗の村 岡 安 廣 氏は﹁食 文 化の継 切 り 分 けや竹 皮・経 木での包 装に らの羊羹に宿る味と趣が楽しめる。 承 を 通 じて、本 物の羊 羹の味、本 み羊羹﹂といい、比べると認定品は 羊 羹づく りは、製 餡 所からの入 物の価 値 を 知っていた だ く こ との 味わえる。ときには器にこんも り盛って至福のひと時を過ごし 年度 本 場 の 本 物 認 定 品︵ Ⅰ 種 ︶ 切り出しのみずみずしさとシャリ感を奏でる伝統羊羹 お ぎ 味と技にこだわる 餡 づ く り か ら 一棹一棹に切り分 け る 伝 統 製 法 まず、﹁小城羊羹︵切り羊羹︶﹂は、 前の、切り分け工程を要 する小城 で人気を集め、各地に広まった。 江戸期からの製法による 小城羊羹 ︵切り羊羹︶ には、電動煉り機蒸気釜が導入さ 軍 隊の酒 保︵売 店︶で喜ばれたこ れて羊羹の製造量がイッキに拡大。 とから、戦前には満州やジャワ︵イ 類 を 原 料 と す る。添 加 物 な ど一切 砂 糖・寒天・小 豆や手 亡 などの豆 名 称は、他の地 域の羊 羹 との差 な く 素 材の質ができ あがりに影 響 ンドネシア︶へも販路を広げた。 別 化のため昭 和 ︵1 9 5 2︶年 羊羹であることを明示している。 なって、現 在 は 厳 選 し た 北 海 道の 豆類や長野県茅野産の角寒天等を 使 用 している。砂 糖 は、産 地 は 変 荷ではなく、﹁餡づくり﹂から始ま 株式会社 村岡総本舗 佐賀県小城市小城町 861 ☎0952-72-2131 * 特認者とは、当該地域に当該地域食品の伝統的・歴史的製法等を一者のみが受け継いでおり、それが関係者等によって明らかにされ、一般財団法人食品産業センターが特に認めた者をいいます。 たい。 わらず 羊 羹に適した結 晶の大 きな 出来たてのみずみずしい舌触り、 本場の本物 86 87 本場の本物 きっかけにしてゆきたい。業界団体 特認者 かなり糖化が進み硬いと感じる ヤドリギと俗称される3段階が る。続いて﹁煉り﹂、仕込み桶に寒 糖化しかかった微妙なシャリ感、 食と農研究所 代表 加藤 寛昭 氏 純粋な白双糖︵はくざらとう︶を 整されその乾燥の進み具合で、 や行 政とも 連 携して地 域に人 を 呼 面は空気に触れ自然に水分は調 天を 入れ、煉り 釜に移して白 双 糖 審査専門委員 佐賀県小城市小城町は、 煉り羊羹の町として有 名で、 町の本通りを中心に羊羹店が集まってい る。村岡総本舗の創業は明治32(1899)年、太 平洋戦争中には東京虎屋と同社のみが海軍御 用達となり、その名前が内外で知られること に。昭和59(1984)年に、小城の羊羹作り文化 を伝える村岡総本舗羊羹資料館を開館し、 平成 9年国の登録文化財となる。 で切りだしていく煉り羊羹。表 特認者*/株式会社村岡総本舗(佐賀県小城市小城町 861) 村岡安廣 氏 び込む仕組みづくりにもつなげてゆ れたものを職人が 1 本 1 本包丁 製法の特徴/木製の箱に生地を流し込み、一昼夜ねかせて固めた羊羹を、寸法に従って 包丁で 1 本 1 本裁断する伝統製法を受け継いでいる。 と 餡 を 加 え、切 り 羊 羹に合った 糖 小城の羊羹は、流し箱で固めら 品質と安全性/原料は、砂糖・寒天・豆類のみで完全無添加。 自社の厳しい安全管理 基準に従い、また菓子製造の製造工程管理高度化基準をクリアする HACCP の認証を 受けている。 株式会社村岡総本舗 代表取締役社長 小城羊羹 (切り羊羹) 特徴 小城市は、 佐賀県の中央部に位置す る小城藩の城下町。 隣接する県庁所 在地の佐賀市とは車で 20 分ほど。 北部に天山山系を配して清らかな水 に恵まれ、穀物も豊富である。江戸時 代には鎖国政策下で唯一開港されて いた長崎と中央を結ぶ長崎街道の街 道筋にあって、 昔から砂糖が入手し やすく物流が発達した土地柄だっ た。砂 糖・水・小 豆・寒 天 が そ ろ い、 羊羹作りが盛んになった。 佐賀県の 羊羹購入額は、 つねに日本トップク ラスとなっている。 写真左から、小城羊羹(切り羊羹)本煉・挽茶・ 小倉・きびざとう・青えんどう 江戸時代から続く伝統製法の羊羹。煉りあげた羊 羹を、個別のアルミケースに詰めるのではなく木箱 に移して一昼夜ねかして切り分けて仕上げることで、 独特の食感が生まれる。切り分けられた羊羹は昔 ながらに竹皮と経木で包まれている。 物 の本 本場 認定 かつては砂糖入手が容易な立地 商品情報 みずみずしさと微妙なシャリ感、 多様な食感が楽しめる切り羊羹 きたい﹂と意欲的である。 切り分けるとすぐ、 竹皮と経木で包装す る。 中心に用いている。 こだわりの素材 を原料とする、 「本 、 小倉、 きび ざとう、 茶、青 えんどう」。上品 な甘さそのまま に、 風味・味わい・ 色合いさまざま な5種類がある。 が ココ 度 と 固 さ を 見 極める。煉 り 上 がっ 取り出した羊羹は、 熟練の職人が専用の 裁ち包丁で寸法通り に切り分ける。 27 原材料の特徴/原料はすべて、羊羹に適した良品に限っている。原料の豆類は、品質優 良な北海道産等。寒天は、長野産等。砂糖は、羊羹に適した白双糖を使用している。 自家製餡・寒天・砂糖 を で りあげた ら、羊羹舟に一昼夜 ねかし固め、注意深 く取り出す。 佐 賀 県 り上がった羊羹を、 専用 の羊羹舟(木製の箱)に流 し込み一昼夜ねかせて固 める。 アルミケースへの流 し込み羊羹と比べ、 時間を かけず水分が保たれるた め、 切り出しのみずみずし さとシャリ感を奏でる切 り羊羹が生まれる。 名称の由来/明治初期より羊羹が小城周辺で作られ、「小城羊羹」の発祥地であるか ら。昭和 27(1952)年に小城羊羹協同組合によって商標登録もされ、全国的にも知 名度がある。 また 「切り羊羹」 については伝統製法であることを明示している。 小豆の煮上がりを調 べたのち、製餡機工 程を経て自家製餡が できあがる。 一定の寸法どおりに切り分 けられた羊羹は、すぐさま 竹皮でていねいに包まれ る。切り羊羹は時間の経過 とともに外の砂糖のシャリ 感が微妙に増し中はしっと りのままという舌触りの変 化が、 日々楽しめる。
© Copyright 2024 ExpyDoc