教文 通信 今号の紙面より… 長野県教育文化厚生協会 法 団 「教文会議でともに民主教育を」 新年度のスタートにあたって 教文議長 内堀 守 中にあるということでした。一方シ どのような主権者教育をすべきなの 階層で『全く勉強しない』子どもの 獲得する学力の平均値は、恵まれた 「変わらない」という諦観が学生の が、その主な理由は「分からない」、 学生が多くいたと報告されました ころ、投票へ行かなかったと答えた が学生に国政選挙について尋ねたと た。 宮 下 与 兵 衛 氏( 首 都 大 学 東 京 ) 校教育シンポジウムが開催されまし 恐れがあるとしています。公的格差 は人口減少が続く日本でも加速する に、資本や富の集中による格差拡大 ます。ピケティショックにあるよう よ う と し て も 難 し い。」 と 言 っ て い 家庭環境の影響を努力だけで克服し 学 力 の 平 均 値 を 下 回 っ た 」「 不 利 な か考える必要があります。 月も高 3 公 社 議 会 文 教 人 発 行 益 守 堀 内 発行人 ンポジウムのパネリストで元SAS P L の 大 学 生 の 発 言 に、「( 高 校 の ) 先生方には教員としての生き方が見 える存在でいてほしい。教員が自分 の言葉で生徒一人一人に問うてほし い。」 と い う 発 言 が あ り ま し た。 教 育内容に対する政治的介入、圧力や 攻撃にさらされている今、私たち教 職員の立ち位置が問われているのだ と認識を新たにしました。平和憲法 年を迎え ます。平和憲法を骨抜きにし「積極 を守り、いかす、主権者教育はます 私 た ち は 本 年、 戦 後 的平和主義」を推し進めようとする いて、耳塚寛明氏(御茶ノ水女子大) さて、社会経済的状況と学力につ ますその重要性を増しています。 年生が在学中に選挙 歳 選 挙 権 が 議 論 さ れ て い ま す。 年生、 は「最も恵まれない階層の子どもが 高校 権を行使する時が来ることになるか 家 で 毎 日、『 時間以上』勉強して もしれません。学校現場で私たちは 4 18 3 は 急激な動きがあります。国政の場で 70 3 教 文 通 信 No. 223 (2015-1) 2015 年 4 月 1 日 発 行 (1) 教 文 会 議 ●おもな内容● 教文会議でともに民主教育を 01 東北修学旅行 02-04 高校生の姿に元気をもらう 太鼓で地元を元気に 05 職場教研で「福島の今」を学ぶ 06 (高校生が地域に元気を 2頁・6 頁) ホームページアドレス http://kouseikyoukai.com/ 教文会議 教文通信 No.223 (2015-1) 2015 年 4 月 1 日発行 (2) あるべきはずですが、「教育再生」の下SGH(ス きました。本来公教育はすべての子どものために 拡大政策がグローバル競争に勝つためになされて です。このことは私たちが生徒に「自分のことば」 通して、教育の専門家として成長させてくれる場 会議は我々が自主性、主体性に基づく研究活動を コースにしました。 南三陸町」「福島県川内村・いわき市」を訪ねる ための計画、事前学習を進め、最終的に「宮城県 南三陸町での学習 〇 で語ることを可能にするのです。私たちが学校内 被災地視察 日目 パー・グローバル・ハイスクール)が150校指 外で互いに「むすび」あいながら、教育再生の荒 波に惑うことなく、自らの立ち位置を持って民主 校1600万円の予算付けがされてい ます。これ以外にも一部エリート人材育成を目的 的教育活動を可能にしてくれる教文会議を、皆様 定され、 とした教育予算は教育の平等、機会均等に反する す。 と一緒に大切に発展、継承させたいと思っていま 年目を迎え 状況になっています。 今 年、 全 県 統 一 が な さ れ て か ら 津波被災地をバスで移動しながら、震災ガイド の皆さんのお話を聞く。 現地の皆さんとの交流とボランティア活動 仮設住宅での傾聴ボランティアと南三陸町立名 足小学校生徒(3・4年生 人)との交流 名足小学校 熊谷俊一教頭先生の震災講話 25 と、私たちは考えました。私たちはもちろん、旅 〇 月 日震災当日から現在までの体験をスライ ドを使いお話いただいた。 日目 川内村での学習 遠藤雄幸・川内村村長講話と義援金の贈呈 らば止めたほうが良い」 「高校生活の中で仲間と すためにも止めるべきだ」 「業者まかせの旅行な 「経済的に苦しい家庭も増えている。負担を減ら 合ってみると、いろいろな意見が出てきました。 ださりました。お二人からいただいた情報は、そ 母さんと、それぞれプライベートで下見をしてく いと、ある担任は家族で、旅行社の担当さんはお に考えました。この修学旅行を何とか成功させた ことができる最適なルートはどれか?など、考え 川内村ではコメの作付が国によって制限されてい 有機農業(稲作)の講話と圃場見学 川内村で合鴨農法に取り組む、秋元美誉さんよ りお話いただく。震災後、放射能汚染の心配から 者へのメッセージ」などについてお話いただく。 至る川内村の状況」「これからの日本を背負う若 更農祭で、来場者からいただいた義援金を遠藤 村長にお渡しし、「東日本大震災当日から現在に 宿泊する機会は減っている。思い出作りのために の後の計画に大変参考になったことは言うまでも 泊 日の旅に決めました。沖縄で学ばなけ 縄」をやめ、東日本大震災の傷跡が残る「東北」 への 跡を見て、人々の悲しみを感じること、強く生き 平和の尊さや命の大切さを感じるには、震災の傷 んへの援助活動の3つです。この目的を達成する ②原発事故の被害について学ぶ。③被災者の皆さ 私たちがこの旅行で学ばせたかったこと、経験 させたかったことは、①津波の被害について学ぶ。 ればならないことはたくさんあります。しかし、 ようとしている東北の皆さんに会うことも必要だ 東北修学旅行への学年団の思い もやるべきだ」など。結果的には、できるだけ保 どのような場所に行けば子ども達の心に残る旅 行になるのか?、 クラス160人が同時に動く らのスタートでした。 行業者の担当者も初めてのことで、全くの白紙か 修学旅行生の姿が被災地に感動と元気を る教文会議の存在を改めて考えたいのです。教文 東北修学旅行 更級農業高校 今溝秀雄 どんな修学旅行にするか悩む学年団 「高いお金をかけて修学旅行にゆく必要がある のか?」そんな話し合いからこの修学旅行はスタ 人で話し 11 ありません。 ートしました。学年スタート時に担任 1 a b c 3 護者への負担を減らすため、 定番となっていた「沖 4 2 45 4 a 1 3 植 物 工 場「 ㈱ 見学 」の概要説明と施設 KiMiDoRi の農業指導をされている。 だく。秋元さんは松山ケンイチ主演の映画「家路」 り組み、有機農業へのこだわりについてお話いた 昨年より出荷できるようになった。それまでの取 たが、秋元さんは検証のためにコメ作りを続け、 b c 2 教文事務局へのメールは [email protected] 「若い世代が新たな感覚で新たな農業に取り組 む場として、また、復興のシンボルとして川内産 の野菜を全国に出荷し、川内の安心・安全をアピ ールしたい(遠藤雄幸・川内村村長) 」という目 津波の傷跡に言葉を失い 被災者のみなさんの言葉に耳を傾ける たメッセージカ ードと本校で採 種したアサガオ の種を差し上げ ま し た。 狭 い 仮 設住宅で一生懸 修 学 旅 行 日 目。 被 災地を訪れ 命生きようとし 的で設立された植物工場「㈱ た生徒たち ている皆さんと 」を視察し、 KiMiDoRi は、 さ ま ざ 触れ合ったこと 最先端農業について学ぶ。 日目 いわき市での学習 まなことを 1 スパリゾートハワイアンズでの自由行動 3 徒たちの意識を高める取り組みをしてくれまし った学習など、先生方もこの修学旅行に向け、生 っての学習、理科では放射線について線量計を使 たほか、英語科では震災に関係した自作教材を使 の宿題として修学旅行新聞を各自に作らせてくれ した。生徒からの依頼を受け、国語科では夏休み 旅行に向けた生徒の意識向上に一役買ってくれま 担当の先生方に事前学習をお願いしたりと、修学 その他にも、修学旅行新聞を発行したり、各教科 展示」をおこないました。修学旅行委員会では、 た募金活動」 「東北、東日本大震災関連の模造紙 産品の販売」や「川内村農業再生支援を目的とし 応援しよう」と学年全員で「川内村産農産物・特 原発事故の風評被害に苦しむ「川内村の皆さんを この修学旅行を実施するにあたり、生徒による 修学旅行委員会を立ち上げ、 1年生の文化祭では、 b アクアマリンふくしま(水族館) 、小名浜港 見学 る中、部屋の中に入れていただき、お茶を飲みな など、質問していました。話したくない思いもあ か。」「この震災で最も辛かったことは何ですか。」 た か。」「 ご 自 宅 は ど の よ う に 被 災 さ れ た の で す の東日本大震災時は、どこで、何をされていまし どの生徒も各住宅を積極的に訪問し、「 の思いも知ることができました。仮設住宅では、 て、長野にいただけではわからない現地の皆さん ん の 中 に は、 そ の 防 災 庁 舎 で 働 い て い た 方 も い は、どの生徒も言葉を失いました。震災ガイドさ 庁舎の前で 陸町の防災 まった南三 になってし て鉄骨だけ 津波によっ ようでした。 感じている 有機農業に取り組む農家の見学、植物工場の見学 通り進めることができました。遠藤村長の講演や 対応は副村長にしていただくなどして、ほぼ予定 ました。結果的には、遠藤村長の配慮で、大臣の きないのではないかとギリギリまで日程調整をし 訪問することがわかり、遠藤村長の講演が実現で 日目の川内村では、当時の経済産業大臣、小 渕優子さんが私たちと、時を同じくして川内村を 修学旅行生の姿が被災地を元気に ちにふれあったことは、きっと生徒にさまざまな 乗り越えて、明るく元気よく生活している児童た 小学生と交流した生徒たちも同様で、辛いことを 思います。また、 い体験だったと ることのできな とって一生忘れ は、生徒たちに 11 2 思いを抱かせたに違いありません。 た。修学旅行委員会の活躍や各教科での事前学習 がらお話をしていただいた方もいたほか、生徒の は、川内村農業の現状と原発事故による風評被害 日 により、生徒たちの気持ちが東北に向く中、いよ 質問に涙を流しながら一生懸命答えてくださった 月 いよ修学旅行当日を迎えました。 の現実を知る大変良い機会となりました。また、 a 方もいらっしゃいました。お礼に生徒自らが書い 3 教 文 通 信 No. 223 (2015-1) 2015 年 4 月 1 日 発 行 (3) 教 文 会 議 ホームページアドレス http://kouseikyoukai.com/ 教文会議 教文通信 No.223 (2015-1) 2015 年 4 月 1 日発行 (4) 姿も全く見るこ て お ら ず、 人 の 旅 行 後 も続 く交 流 ― 被 災 地 の小 学 校 の先 生 や河内村村長さんが来校 した。 で 遊 ぶ 者、 小 名 トハワイアンズ したスパリゾー 日目のいわ き 市 で は、 宿 泊 した。 た場所となりま することができ の大きさを実感 原発事故の影響 景 は 衝 撃 的 で、 ら見えるその光 足小学校の児童のみなさんと、交流をした本校生 いたのではないかと思います。そして、現在も名 自分たちのやったことの影響の大きさに改めて驚 学旅行後もこのような出来事が続き、生徒たちも、 ださり、代表生徒と座談会もおこないました。修 ました。また、 が体験した 月 日 ―災害から命を守るために は何をすべきか―」と題して講演をしていただき もらおうと、名足小学校の熊谷俊一教頭先生に「私 穫祭では、全校生徒にも被災者の方の話を聞いて 場者に見ていただくことができたほか、 その後、 月の文化祭では、 学年展として東 北修学旅行で学んできたことを紹介し、多くの来 月には川内村の遠藤村長が学校 元気を与えてくれたか計り知れません。」という 姿は、川内村、福島の皆さんにどれだけの勇気と 遠藤村長からは「皆さんが川内村の中を闊歩する ました。」「被災者の皆さんに元気になってもらい お話を聞き、あらためて人の役に立ちたいと思い 良かったと今は思います。」「被災した方々に会い、 て東北に行くことが不満でしたが、東北に行って 修学旅行後の生徒たちの感想には次のようなも のがありました。「最初は旅行先が沖縄ではなく につきました。 施をして来ました。しかし、今回ほど、多くの人 ます。今まで何回か修学旅行を担当し、計画・実 いほどの多くのエネルギーが注がれていたと感じ この修学旅行を振り返ってみると、私がこれま で体験してきた修学旅行とは、比べものにならな てゆくのではないかと感じています。 で販売したいという依頼があるなど、今後も修学 長にお礼をしたいと、わざわざ本校を訪問してく お言葉をいただきました。当日は私たちを取材し たいと思いながら東北に行きましたが、逆に元気 のエネルギーが注がれた修学旅行は初めてです。 旅行で築いた関係は継続し、新たな関係に発展し 私達の訪問が川内村、福島にとって影響力のある をもらって帰ってきました。」など、ほとんどの 暖かく迎えていただいた南三陸町、川内村のみな 社が同行するなど、 ことだということを、村長の言葉やマスコミの多 生徒は「東北に行ってよかった」という感想を寄 さんはもちろん、福島からわざわざ長野まで取材 社、 新聞社 さから生徒たちも感じ取ったのではないかと思い せてくれました。感想の中には「私たちが見て、 に来ていただいた新聞社などの報道機関のみなさ ようとテレビ局 ます。川内村からいわき市に向かう途中には、居 聞いたことを長野の皆さんに紹介し、東北の現状 5 教文事務局へのメールは [email protected] とができません 浜港やアクアマリンふくしま(水族館)を見学す 徒との間では、手紙のやり取りが続いているほか、 で し た。 車 窓 か る者など、ほとんどの時間を自由時間にあて、東 川内村からは、本校の加工品を村の農産物販売所 月の収 日を友達同士で楽しみ、長野への帰路 11 2 住制限地域となっている富岡町を通りました。周 北最後の 11 12 10 3 ん、私達の思いを理解し応援してくださった保護 3 を知ってもらいたい。」というものも多くありま 1 辺の田畑は草に覆われ、道路に車はほとんど走っ 6 教 文 通 信 No. 223 (2015-1) 2015 年 4 月 1 日 発 行 (5) 教 文 会 議 者の皆さん、生徒たちを応援しようと事前学習を た素晴らしい修学旅行になったと、今あらためて の中に与える影響力の大きさを感じることのでき も、地域とのつながりを通じて、生徒たちがさら び、人に対する思いやりの心を養っていく。今後 地域交流部部長( 年) 地域交流部とは、その名の通り、地域と交流す る部活です。「やんちゃ塾」(*1)に参加して、 地域交流部の活動を終えて なる成長をとげることを期待している。 進めてくださった本校の先生方、そして東北の皆 感じています。 月から、修学旅行に参加した生 さんを応援しようとがんばった生徒たちなど、そ 学年の生活に生かしながら大きく成長し、それぞ 年生です。東北で経験したことを最終 はなく、多くの人々に感動を与え、東北の復興に れの道に旅立って欲しいと担任 徒たちも 寄 与 し た と 感 じ て い ま す。 た か が 修 学 旅 行、 た です。 人は願うばかり かが長野の小さな高校のやったことなのですが、 人々が高校生に寄せる期待の大きさ、高校生が世 小学生と自然を生かした遊びをしたり、 「榊祭り」 (*2)に参加して、神輿をかついだり、といっ た活動を行ってきました。中でも、特に力を入れ て取り組んできたのが、地元「信州望月太鼓」の のみなさまにご指導をいただいて、練習を積み重 一つが「ひばりヶ丘太鼓」。地元「信州望月太鼓」 月の文化祭での発表に向けて、 月から週 回の練習に励みました。初めの頃は、太鼓の経験 する「ひばりヶ丘太鼓」の活動です。 ねた「地域交流部」の部員が演奏する。今年度、 者が少なく、戸惑いも多くありました。また、生 方々に教えていただき、生徒だけで和太鼓を演奏 年という節目の年を迎え 徒会役員がメンバーの中心でもあったので、文化 文化祭で発表を始めて た。当日、会場となった体育館は、来校したお客 習を重ね 祭の準備 本校には中学時に不登校であった者や特別支援 ていくう 様でいっぱいに埋めつくされ、熱気にあふれた。 学級に在籍した者など様々な生徒が在籍してい ち に、 部 との両立 る。全般的にみて、人とかかわることを苦手とし 員一人一 太鼓演奏をご覧になった方々のなかには、目を真 ている生徒が多い。そのような生徒たちにとって 人の顔つ にとても 文化祭は、「ひばりヶ丘太鼓」の取り組みにみら きが変わ っ赤にされている方もおり、「みな揃っていてと れるように、地域とつながり、さまざまな年代・ り、 和 太 苦労しま 立場の人たちと接することができる貴重な機会と 鼓を叩く ても迫力があって感動した」「頑張って練習した なっている。そしてそのかかわりのなかで、生徒 のが楽し し た。 そ たちは人とのコミュニケーションのとり方を学 成果が出ていた」「生徒がイキイキと輝いて見え 2 れでも練 6 れぞれのエネルギーは、自らを成長させるだけで 4 ( 太鼓と地域交流) 望月高校地域交流部 4 3 3 た」といった感想をいただいた。 9 太鼓で地域を元気に! 望月高校 栁澤弘蔵 生徒会最大行事の文化祭。 月に行われる望月 高校の文化祭は、 「ひばりヶ丘祭」とよばれ、地 域の方々 にも親し まれてい る。 小 規 模校であ り な が ら、 例 年、 他 校の文化 祭と比べ ても遜色 の な い、 盛りだく さんの企 画が行わ れている。 その目 玉企画の 20 9 ホームページアドレス http://kouseikyoukai.com/ 教文会議 教文通信 No.223 (2015-1) 2015 年 4 月 1 日発行 (6) いと思うようになりました。休み時間や授業中な 「 福島の今」を学ぶ 月 日本校理科教諭の林新先生による「福島 視察報告」を職場条件として開催しました。昨年 月に行われた高教組青年部主催の福島市視察に 顧問の先生方や保護者の方々のおかげだと感謝し った地域の方々をはじめ、毎回送迎をしてくれた このような経験ができたのも、指導してくださ がいて、努力した甲斐があったと思いました。 ちの演奏を聴き、感動して涙を流してくれた方々 奏をすることができたと思います。中には、私た 本番では練習の成果を精一杯発揮し、力強い演 場」視察の紹介、報道機会の少ない現地の高校教 され、商品化できない牛を飼い続ける「希望の牧 爪痕が色濃い現地の状況が写真やスライドで紹介 発 表 は「 放 射 線 と 放 射 能 の 違 い 」 や「 内 部 被 曝・外部被曝」の紹介から始まりました。震災の した。 民報、雑誌記事等々をもとに発表していただきま 文科省発行の放射線に関するリーフレット、福島 参加の経験から、現地で得た見聞や撮影した写真、 ています。高校を卒業しても、地域との交流に興 東日本大震災 か ら、 も う 年 えるものでした。 諭からのお話しを織り交ぜた「被災地の今」を伝 *1 やんちゃ塾…野外活動を通じ、たくまし い子どもを育てる活動。 *2 榊祭り…火と榊によって一切の不浄を払 い浄め、五穀豊穣、無病息災を祈る、室町時代か ら続くと云われる伝統ある火祭り。生徒たちは、 地域の方々にご指導いただきながら、神輿のあお りをしたり、松明を持って走ったり、民謡を踊っ たりしている。 じ ま す。 し か し、 記憶の風化を感 ろ し さ や 痛 み、 受けた震災の恐 取 り 上 げ ら れ、 ョナルな事件が などセンセーシ 中学生殺害事件 とイスラム国や 近の報道を見る が 経 ち ま す。 最 4 軽井沢高校職場教研 放射性廃棄物が 「仮々置き場」に 置かれている問 題、 廃 棄 物 を 包 むバックの耐用 年 数 の 問 題、 広 大な土地が耕作 できず放置され て い る 問 題、 津 波被害の片づけ がいまだ行われ な い 問 題、 定 員 割れが常態化し た現地高校の苦 悩等々、非常事態が常態化した状況が未だにあり ます。 福島民報は今も紙面の広い範囲を割き、福島県 第一原発や各市町村の風向きを伝えています。放 射性物質飛来への高い関心が窺えます。風化しつ つある記憶とは相反する被災地の現状を知り、生 徒に「伝えること」を生業とする私たちが、被災 地に関心を向け続けることの必要性を痛感する機 会でした。 軽井沢高校 栁澤学 教文事務局へのメールは [email protected] ど気づくとあちこちから机を叩いて練習する音が 聞こえ、 「もっと上手くなりたい!」というみん なの気持ちがそろった気がして、とてもうれしか ったです。文化祭が近づくにつれ、練習にもより 一層熱が入り、一曲通して演奏するたびにみんな 26 味をもち、 積極的に参加していきたいと思います。 汗だくになっていました。 2 11
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