川内村から新しい風 ~川内村から日本へ。そして未来へ。

川内村から新しい風
~川内村から日本へ。そして未来へ。~
長野県更級農業高等学校
生産流通科 3 年
荒井 葵久恵
平成 23 年 3 月 11 日 14 時 46 分 18 秒、宮城県沖 130mの太平洋の海底を震源とする東北
地方太平洋沖地震が発生しました。マグニチュードは 9.0 で日本周辺における観測史上最大
の地震となりました。この地震により波高 10m以上、海岸から陸地の奥まで入り込んだ波
の距離は 40mにも及ぶ巨大な津波が発生し東北地方から関東沿岸に壊滅的な被害が発生し、
人々の生活に必要なライフラインが寸断されました。これが日本有史以来最大の自然災害
である東日本大震災です。震災による行方不明者は 18,475 人、震災当時の避難者は 40 万
人以上となりました。そして東日本大震災から 3 年目の秋、私たちは修学旅行で福島県川
内村を訪れました。川内村は福島県の郡山市からバスを乗り継いで 2 時間山々に囲まれた
高原地帯に広がっています。農業が主な産業でした。村は東京電力福島第一原子力発電所か
ら 30km圏内にあり、震災後原発事故の影響を受け、全村避難を余儀なくされた地域でし
た。平成 26 年 10 月 1 日に避難解除され帰村が可能になりました。また、事故の翌年村長
さんが帰村宣言を出しましたが、村民全員が川内村に戻ってきているわけではありません。
震災時の村人口は 3000 人ほどいましたが、いまだ帰村者は、村民の約半数にとどまってい
ます。また、老人の世代が帰ってきているにもかかわらず、子どもと働き盛りの親の世代が
戻ってきていない現状があります。村はお年寄りばかりが住んであり、若い世代は震災によ
り村には仕事がなく、また子どもの放射能への不安と高校等への進学問題などがありなか
なか帰れない事情があります。これでは震災前の川内村に戻ることは決して容易なことで
はありません。そんな中で自治体では原発事故でおよそ 500 人が職を失いましたが、企業
誘致に力を入れこれまでに 4 つの企業が村に進出しました。また、東日本大震災の被害を
農業で乗り越えようとしている方々を知りました。秋元美誉さんは、稲作の有機栽培とアイ
ガモ農法を行っています。また、かつて稲作を行っていた農家にコメ栽培ではなく高原の気
候を生かしたイチゴ栽培に移行してもらいコメ 10 アールあたり 10 数万円にしかならない
売り上げをイチゴ周年生産に切り替えて 500 万円以上の売り上げを目指し、川内村の特産
品にしようとがんばっている菅波光雄さんのような方もいます。村と企業が合同で立ち上
げた植物工場「KiMiDoRi」では、原発事故の風評被害を払拭するため、
「新しい農業による
川内村の震災復興」と銘打って植物工場で水耕栽培の栽培方法をとり、レタス類、ハーブ類
を主に生産し出荷されています。施設は土を使わないため土壌からの放射能の移行がなく、
植物体地上部は、放射性物質を含む粉じんの付着気にせず栽培できるように、閉鎖型植物工
場になっています。原発事故後、放射性物質を気にして東北の物に対する抵抗感が生まれ、
農産物がなかなか売れなくなり、川内村では風評被害に悩まされていました。
私たちは川内村のことをメディアで知り、農産物の風評被害が少しでも払拭されるように、
自分たちでも何か川内村の人々のお手伝いになることはできないかと考えた末、一昨年の
文化祭で「川内村を応援しよう!」という企画を行いました。川内村から、野菜を中心とし
た農産物を仕入れ、植物工場「KiMiDoRi」からはフリルレタスを仕入れ販売を行いました。
私たちは、川内村を応援のための学年展を行うにあたり様々なアイデアを出し、
「どのよう
に川内村のことを知ってもらうのか」などの工夫をしながら販売を行いました。福島県で生
産された農産物ということでやはり放射性物質を気にする方の声がありましたが、栽培方
法などを説明し、放射性物質の心配のない農産物であんぜんだということを伝えながら販
売を行いました。一昨年に続き昨年の文化祭でも、川内村の農産物の販売をおこないました。
昨年の文化祭は修学旅行後にあり川内村から来てくださった方々と一緒に販売を行いまし
た。修学旅行前から川内村の農産物を販売してきて、多少でも風評被害払拭のお手伝いが出
来たのではないかと感じています。まだまだ、風評被害が残っているのが現状ですが、今年
の文化祭でも川内村の農産物を販売し、より多くの方々に川内村の農産物を手にとってほ
しいと願っています。私たちに出来ることは本当に小さなことですが、私たち農業高校生に
も東北の方たちのためにできることがあったのだと思いました。一昨年始めた文化祭での
活動が、修学旅行後も終わることなく続き、川内村の方々とより一層関わりが深まったと感
じています。現在川内村の直売所では、本校で加工したリンゴジュースや、ジャムなどの販
売をしていただいています。私たちは、このような形で交流が深まったことを非常にうれし
く思っています。
震災から 4 年が経った現在も、大震災からの復興は完全とは言えません。震災復興は容
易ではないですが、日々進んでいます。私たち 3 月 11 日の東日本大震災を決して忘れては
いけない、被災地の現状をもっといろいろな人に知ってもらい、支援をこれからもしていか
なければならないと思いました。どんなに辛くても、悲しくても、たとえ笑顔でいられなく
ても、ひたすら前を向いて過ごしてきた被災者の方々。そんな被災者の方々を直接支えるこ
とは出来なくても、私たちには出来ることが沢山あります。高校生の私たちが、川内村に赴
き現地の方々に元気や勇気をもらったよと言っていただける活動ができました。このとき
私達は東北の方々の力になりたいという思いが第一にとても大切だと感じました。私は今、
農業高校生という立場を強みに感じています。農業で東北を復興させようとしている方々
のお話をお聞きして一層農業は素晴らしいと思うことができ、農業に新たな震災復興の可
能性を感じました。修学旅行で現地の方々にさし上げた本校のアサガオの種が次回東北に
お邪魔するときに花を咲かせていたらいいなと思います。そして、毎年アサガオが咲くたび
に東北の方々が私たちを思い出し、笑顔になってくれたらとてもうれしいです。とても暖か
く、とても強い東北の方々とお会いでき元気をもらいました。また本校の今後の取り組みと
して、文化祭や修学旅行といった行事だけで終わらずに、川内村、東北への支援を続けてい
ってもらいたいと思います。農業を学ぶ私たちは自信と夢を持って農業に取り組み、それを
東日本大震災復興につなげることができたらとてもすばらしいと心から私は願っています。