発 表 番 号 : A―23 Dmitry Orlov 氏 の崩 壊 5段 階 説 ○大 谷 正 幸 (金 沢 美 術 工 芸 大 学 ) 著 者 は こ れ ま で に 、 『お い そ れ と 帰 農 で き な い 理 由 に つ い て 』と 題 す る 論 文 に お い て 、 日 本 の 名 目 GDP の 長 期 的 な 推 移 の 傾 向 を、フ ィテ ィン グ パ ラメー タを 用 い ず に 、一 次 エ ネ ル ギ ー 総 供 給 量 の 関 数 として近 似 し、熱 力 学 第 二 法 則 によって規 定 される各 種 エネルギー価 格 の序 列 に着 目 して都 市 化 と農 業 の衰 退 を余 儀 なくしてきた数 理 を考 察 した 1 。さらに、その考 察 の応 用 として、一 次 エネルギ ー価 格 の低 下 が EPR(Energy Profit Ratio)の小 さなエネルギー開 発 事 業 を頓 挫 させる数 理 を導 出 し、 1cal の食 料 が食 卓 に届 くまでに 10cal の化 石 燃 料 を費 やしているような食 料 供 給 システムと総 平 均 で EPR<10 となるエネルギーの質 的 状 況 にある社 会 とは両 立 し得 ないことを示 した 2 。このような都 市 化 と都 市 の限 界 に関 わる数 理 とはつまり、問 題 解 決 のためのシステムである社 会 が、複 雑 性 を増 しな がら問 題 解 決 に当 たるも、見 返 りの減 少 によって崩 壊 に至 るという歴 史 発 展 パターンを論 じた、ジョセ フ・テインターの学 説 3,4 の代 数 学 的 表 現 にほかならない。 テインターは、”For human societies, the best key to continued socioeconomic growth, and to avoiding or circumventing (or at least financing) declines in marginal productivity, is to obtain a new energy subsidy when it becomes apparent that marginal productivity is beginning to drop.” (p.124) 3 と書 いているのだが、私 たちはすでに石 油 減 耗 時 代 に突 入 している。このことが意 味 してい ることをテインターの学 説 に照 らして考 えれば、現 代 社 会 は既 に複 雑 性 の高 いレベルにあって限 界 収 益 が低 下 している、崩 壊 に対 して脆 弱 な状 況 にあるということであり、それでいて一 次 エネルギー 総 供 給 量 の継 続 的 増 加 を期 待 で きないのであるから、「成 長 戦 略 」よりもむ しろ崩 壊 (複 雑 性 の急 低 下 とそれに伴 う社 会 の機 能 不 全 )を所 与 の条 件 としたコンティンジェンシー・プランをこそ構 想 しておく べきだ、ということになる。それは決 して敗 北 主 義 などではなく、冷 厳 なる数 理 の思 し召 しである。 ところが 困 った ことに 、大 局 観 の 構 築 に は 知 識 の 体 系 化 を要 す るが 、社 会 の 成 長 局 面 に お け る複 雑 性 増 大 の 典 型 例 として テ インター が 挙 げ た 通 りに 、専 門 分 化 が 進 み 、知 識 の 断 片 化 を招 い て い る。 マ ッ ク ス ・ヴ ェ ー バ ー の 言 葉 を 借 りる な ら ば 、「専 門 の 仕 事 へ の 専 念 と 、そ れ に 伴 うフ ァ ウ ス ト的 な 人 間 の全 面 性 からの 断 念 は、現 今 の世 界 で はす べ て価 値 ある行 為 の前 提 であって、したがって「業 績 」と 「断 念 」は 今 日 で は どうしても切 り離 しえない もの となってい る」 5 とい うわ け だ 。したが って 、2007 年 に 出 版 されたデイヴィッド・ストローンの著 書 『地 球 最 後 のオイルショック』の中 に、「経 済 成 長 にとって石 油 が重 要 なのは自 明 であり、経 済 学 者 は石 油 の動 向 を注 視 し、その重 要 性 を正 確 に分 析 していると 思 うかもしれない。だが、これまで、そうした研 究 はないに等 しかった」6 と指 摘 されていたことも宜 なる かな、IMF の報 告 書 に「ピークオイル」が考 慮 され始 めたことが窺 えるようになったのもようやく 2012 年 10 月 になってからだ 7 。「分 化 」と「統 合 」は組 織 の戦 略 適 合 性 にも関 わる問 題 であり、大 東 亜 戦 争 に おける諸 作 戦 の失 敗 を分 析 した大 著 『失 敗 の本 質 』において提 起 されていた、「複 雑 性 に対 応 する ために、組 織 はよりいっそう「分 化 」をせざるをえない。問 題 は、「分 化 」をいかにして「統 合 」するか」 8 と 1 いう課 題 に、私 たちは今 まさに直 面 しているのである。 石 油 減 耗 問 題 を 正 視 す る に は 、専 門 の 殻 に 閉 じ 籠 もる の で は な く、「知 の 統 合 」の 実 践 者 と な る こ とが要 求 される。模 範 となるのは、日 本 ではほとんど知 られていないが、石 油 減 耗 問 題 の展 開 に関 す るデイヴィッド・コロウィッツの二 つの論 文 であり、一 読 の価 値 があろう。コロウィッツは、” Tipping Point: Near-Term Systemic Implications of a Peak in Global Oil Production “ 9 を著 し、主 流 派 経 済 学 の 教 科 書 ではなくフレデリック・ソディの貨 幣 論 10 にもとづく思 索 から、石 油 減 耗 に伴 う生 産 活 動 の物 理 的 縮 小 と 成 長 を 前 提 と し た 金 融 シ ス テ ム (部 分 準 備 預 金 制 度 )と の 齟 齬 を 指 摘 、 さ ら に ” Trade-Off: Financial System Supply-Chain Cross-Contagion: a study in global systemic collapse ” 1 1 では、 石 油 減 耗 がグローバル経 済 に及 ぼす影 響 を理 路 整 然 と論 じている。要 するに、石 油 減 耗 に伴 う生 産 活 動 の物 理 的 な縮 小 は不 可 避 的 に経 済 活 動 の実 質 的 縮 小 を招 来 するために、融 資 条 件 が厳 し くなって経 済 は停 滞 、なおかつ債 務 の返 済 が滞 るために金 融 システムが支 障 をきたす。これについて は 政 府 ・中 央 銀 行 の 量 的 緩 和 な い し公 的 資 金 注 入 に よる問 題 先 送 りも可 能 だ が 、や が て 物 価 上 昇 という通 貨 価 値 の低 下 、ひいては通 貨 の信 認 の問 題 に発 展 し、とりわけ貿 易 における掛 け売 りが成 り 立 た なくなって、グロー バ ル 化 した サ プ ライチ ェー ンが 破 綻 、生 活 物 資 の 不 足 は もちろん の こと、部 品 不 足 から様 々な社 会 インフラの維 持 管 理 が困 難 になり、社 会 が機 能 不 全 に直 面 するというシナリオ である。一 大 事 である。コンティンジェンシー・プランの策 定 が急 がれるべきである。 だが、このような不 穏 な未 来 シナリオに対 して防 衛 機 制 が働 く、ということに留 意 しておかなければ な ら な い 。「ほ と ん ど の 人 は 不 治 の 病 で あ る こ と を 知 っ た と き 、は じ め は 「い や 私 の こ と じ ゃ な い 。そ ん な ことがあるはずがない」と思 ったという。だれでも最 初 に訪 れるのがこの否 認 (denial)である。・・・予 期 し ないショッキングな知 らせを受 けたときにその衝 撃 をやわらげるものとして、この否 認 という機 能 があ る。」 1 2 ジミー・カーター大 統 領 がテレビ演 説 でエネルギー問 題 の緊 急 性 について訴 えたのは 1977 年 4 月 のことだったが、2010 年 6 月 のメキシコ湾 深 海 油 田 の原 油 流 出 事 故 直 後 のバラク・オバマ大 統 領 の 演 説 は 米 国 が 石 油 中 毒 か ら脱 す る必 要 性 に つ い て 何 度 も話 題 に しな が らそ の 行 動 に 失 敗 して き た こ とを 認 め て い た 。「国 民 所 得 倍 増 計 画 」の 理 論 的 支 柱 と し て 日 本 の 高 度 経 済 成 長 を 支 え た 下 村 治 が「今 後 の成 長 のペースは、現 在 のエネルギー供 給 の限 界 、現 在 の資 源 供 給 の限 界 で頭 を押 さえ られ る 」 1 3 と四 半 世 紀 も前 に 明 言 し て い た とい うの に 、今 な お 政 治 家 が エ ネ ル ギ ー 事 情 を 慮 る こと な く「成 長 戦 略 」とい う言 葉 を連 呼 す るの は な ぜ か 。庶 民 レベ ル で も、よくわ か らな い 経 済 理 論 や 新 エ ネ ル ギ ー 技 術 に 人 々 が 縋 ろ うとす るの は な ぜ か 。私 た ち の 行 動 が 基 本 的 に 快 楽 原 則 に 従 っ た もの で あるという認 識 は、石 油 減 耗 問 題 への人 々の対 応 やエネルギー制 約 の顕 在 化 に伴 う人 々の行 動 、 つまりは社 会 ・経 済 ・政 治 の構 造 変 化 を推 測 するための鍵 になるだろう。 専 門 分 化 の 弊 害 に 気 づ き 、 防 衛 機 制 を 乗 り越 え て 、テ イ ン タ ー とコ ロ ウ ィッ ツ の 崩 壊 理 論 を 了 解 し たならば(両 者 の見 解 をオルロフは踏 まえている)、いよいよディミトリー・オルロフの崩 壊 5段 階 説 14 へ と進 むことができる。それは、石 油 減 耗 問 題 という人 類 史 的 大 津 波 を前 に、多 数 派 同 調 性 バイアスと 正 常 性 バイアスに呪 縛 されて逃 げ遅 れることのないようにするためのイメージトレーニングでもある。 「すでに社 会 および経 済 が激 変 するという見 通 しを受 け入 れる心 の準 備 ができた者 にとっては、感 情 的 な 言 い 回 しよりもより正 確 な 専 門 用 語 を 持 つ ことが 有 益 か もしれ な い 。崩 壊 の 分 類 を 定 義 す るこ 2 とは 、単 な る知 的 訓 練 以 上 に 有 益 な ことだ とわ か るか もしれ な い 。私 た ち の 能 力 と環 境 に もとづ い て 、 私 た ち は 、一 過 性 の も の な の か 、永 続 す る も の な の か 、崩 壊 が 治 ま る 地 点 な の か 、な ど と崩 壊 の 段 階 に応 じて特 異 的 に準 備 に取 り組 むことができるかもしれない。」(p.13) このような観 点 から、オルロフの崩 壊 5段 階 説 は、失 われることになる信 頼 の対 象 に着 目 して社 会 変 化 ないし崩 壊 過 程 を次 のような5段 階 に分 類 したものである。 第 1 段 階 : 金 融 の 崩 壊 。 「平 常 通 りの ビ ジ ネ ス 」と い う 信 頼 が 失 わ れ る 。 未 来 は も は や 、 リ ス ク 評 価 や 保 証 付 き金 融 資 産 を可 能 にした過 去 とは違 うものだと考 えられ るようになる。金 融 機 関 が破 産 す る。 預 金 が無 くなり、資 本 調 達 が損 なわれる。 第 2段 階 : 商 業 の崩 壊 。「市 場 が供 給 してくれる」という信 頼 が失 われる。通 貨 が減 価 する、あるい は珍 しいものとなる。商 品 価 格 が高 騰 し、輸 入 および小 売 りチェーンが支 障 をきたす。そして、生 存 上 の必 需 品 が広 範 囲 で不 足 する事 態 が常 態 となる。 第 3段 階 : 政 治 の 崩 壊 。「政 府 が あ な た の 面 倒 を 看 て くれ る」とい う信 頼 が 失 わ れ る。生 存 上 の 必 需 品 で市 販 されているものの入 手 困 難 を緩 和 する公 的 措 置 が奏 功 しなくなるにつれて、政 界 の支 配 層 は正 当 性 と存 在 意 義 を失 うことになる。 第 4段 階 : 社 会 の崩 壊 。権 力 の空 白 を埋 めるために現 れるのが慈 善 活 動 だろうと他 のグループだ ろうと、方 々の社 会 が資 源 を使 い尽 くすか内 部 抗 争 の果 てに機 能 しなくなり、「周 りの人 々があなたに 気 遣 ってくれる」という信 頼 が失 われる。 第 5段 階 : 文 化 の崩 壊 。人 間 の善 良 さへの信 頼 が損 なわれ る。人 々 は 「親 切 気 、寛 大 さ、思 いや り、情 愛 、正 直 さ、もてなしのよさ、同 情 心 、慈 悲 」 1 5 といった資 質 を失 う。家 族 はばらばらになって、個 人 と し て 希 少 な 資 源 を 巡 っ て 争 う こ と に な る 。 新 し い モ ッ トー は 「私 が 明 日 死 ぬ た め に 、 あ な た が 今 日 死 ぬことを祈 る」というものになる。 オルロフは、「第 1 段 階 と 第 2 段 階 の 崩 壊 を 食 い 止 め よ う と す る 試 み は お そ ら く エ ネ ル ギ ーの無駄に終わる一方で、おそらく第3段階そしてなんとしてでも第4段階を食い止める ことに拘泥することは万人の利益となる。第5段階を避けることは単純な死活問題にすぎ な い 。 」 (p.15)と 記 し た 上 で 、 銀 行 や 通 貨 の な い 状 態 で 取 引 を 開 始 す る ヒ ン ト を 与 え る ジ ェームス・クラベルの小説『ガイジン』、アナーキーと相互扶助の理論家ピョートル・ク ロポトキンの思想、「スモール・イズ・ビューティフル」のシューマッハーの師匠である レオポルド・コールの経済思想、ウィルフレッド・ビオンの不安と集団行動に関する理論 等々を援用しつつ「知の統合」を実践し、崩壊過程の各段階を考察するための有益な思索 材 料 を 提 供 し て く れ て い る 。 また、各 段 階 に応 じた具 体 的 な事 例 を紹 介 しており、金 融 の崩 壊 で は 2008 年 に破 綻 したアイスランド経 済 とオラフル・ラグナル・グ リ ム ソ ン 大 統 領 の 下 で の 復 活 劇 を 、 商 業 の崩 壊 ではソビエト崩 壊 後 のロシアンマフィアの台 頭 からウラジーミル・プーチンの登 場 と「法 の 独 裁 」に よる治 安 回 復 を、政 治 の 崩 壊 で は 帝 国 による支 配 を免 れ てきた パ シュトゥー ン人 の 統 治 シス テ ムの 要 諦 を、社 会 の 崩 壊 で は 社 会 に 属 そ うとしな い が ゆえ に 崩 壊 後 も栄 え ると予 想 され るロマ の 生 き方 を、文 化 の崩 壊 ではウガンダの厳 しい生 存 条 件 で人 間 の善 良 さを失 いつつも生 き抜 くイク族 の 姿 15 を、それぞれ取 り上 げている。オルロフは、贈 与 経 済 と相 互 扶 助 を基 盤 とした自 治 的 な未 来 社 3 会 に望 みをかけながらも、専 制 政 治 の悲 劇 や果 てはイク族 のような末 路 をも深 慮 している。あたかも 入 念 な 形 稽 古 に よ っ て 実 践 に 備 え る 武 道 で あ る か の よ うに 、 オ ル ロ フ は 崩 壊 の 各 段 階 に お い て 想 定 される状 況 とその克 服 方 法 についての想 像 力 を刺 激 して、崩 壊 を 切 り 抜 け て 生 き 残 る こ と を 望 む 者 に は 段 階 ご と に 異 な る 心 構 え の 適 応 が 要 求 さ れ る こ と を 示 しているのだ。 本 セッションのテーマ「石 油 ピーク等 エネルギー源 の限 界 がもたらす社 会 ・経 済 ・政 治 の構 造 変 化 」とは、誰 も知 り得 ない未 来 の推 測 でしかない。その推 測 のためには、どのような思 索 材 料 を引 っ張 ってくるかが肝 要 であり、書 籍 版 のオルロフの崩 壊 5段 階 説 14 はその適 切 な思 索 材 料 足 り得 るように 思 われる。それはまた各 人 のコンティンジェンシー・プランを構 想 するための一 助 となるだろう。 ■References 1. 大 谷 正 幸 , 「おいそれと帰 農 できない理 由 について」, もったいない学 会 WEB 学 会 誌 もったいな い学 会 WEB 学 会 誌 , 1 (2007)21. 2. 大 谷 正 幸 , 「ひと夏 の経 験 ~EPR と経 済 の関 係 が示 唆 する現 代 文 明 の翳 り~」, もったいない 学 会 WEB 学 会 誌 , 2 (2008)49. 3. 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