第20回講義メモ

2015/06/13
15 年度「比較経済史」第 20 回講義(40 分)
第1次世界大戦と世界経済ーアメリカ資本主義を基軸に世界経済が展開
--生産者資本主義から消費者資本主義へ--
(はじめに)
第1次世界大戦はそれまでの世界経済の枠組みを変えることになった。それは(1)パックス・ブルタ
ニカの崩壊(イギリスの衰退)と帝国主義的植民地争奪戦競争の破局。(2)ロシア革命とソビエト社会主義
連邦成立。(3)経済大国アメリカ[新「世界の工場」・「世界の銀行」]の出現。(4)「自由放任の終焉」(ケ
インズ)と国家の市場への介入が始まったこと、等である。
アメリカは 19 世紀末工業生産額においてイギリスを凌駕するに至ったが、それでも「資本」面と「労
働力」面でヨーロッパ(前者は主にイギリス)に依存していた。それが、第1次世界大戦後は、資本面でも
労働力面でもヨーロッパに依存する必要がなくなり、逆に資本面では戦災で崩壊したヨーロッパの再建に
アメリカの資本が不可欠であった。
一般にイギリスが金本位制に復帰した 1925 年から 29 年のアメリカで興った大恐慌に至る時期を「相対
的安定期」とよんでいる。それはアメリカの耐久消費財を中心とした未曾有の経済繁栄と、アメリカがヨ
ーロッパの再建に提供した資本輸出によって成り立っていた。つまり、アメリカはヨーロッパの商品を購
入するとともに、ドイツに復興資金を提供する。ドイツは経済の復興によってイギリス・フランスに戦時
賠償金を払う。イギリス、フランスはそれをアメリカへの戦債支払いに充てる。アメリカはそれによって
膨らんだ資金を再びイギリス・フランスに短期資本融資を行う、こういった危うい基盤の下での世界経済
の再建であった。アメリカが一度経済混乱に陥り資金を引き上げればこうした枠組みはあっけなく崩壊す
ることになるのである。
最後にもう一つ付け加えれば、経済発展の原動力は生産の側から需要(消費)の側に移った。19 世紀末
のアメリカでこうした現象は露わになっていたが、第1次大戦後はより鮮明になり世界的傾向となった。
生産者資本主義から消費者資本主義へ、経済学でいえば、「セーの法則」から「有効需要の原理」へとい
うことなる。
[1914:戦争勃発と共に金本位制解体/17:ロシア革命/18:戦争終結・ドイツ大インフレ始まる/26:アメリカでバ
ブル発生/29:アメリカ恐慌発生/1930 年代不況は世界に拡散]
1.第1次世界大戦以後の世界経済
1),イギリスの衰退とアメリカの台頭(アメリカの債務国から債券国へ転進)
*1919 年の金保有量と工業生産力:米→世界の 38 %・工業生産力世界の 30 %
*1920 年の国民所得:米→英、仏、独、日など主要 18 ヵ国の合計よりも多かった。
アメリカは、 1890 年代には鉄鋼生産額のみならず、工業生産額全体においてイギリスを凌駕し、1919
年には世界の工業生産額の 30 %(イギリスは 19.5%)を占めるようになる。なおかつイギリスが世界経
済に君臨できたのは、豊富な海外投資残高と貿易及び決済システムであった。19 世紀初頭以来の世界各
国に対する資本輸出(アメリカ対する投資が圧倒的に多い:1870 年で 27%)、それにともなう利子・配当
収入と貿易にかかわる運賃、保健、手数料収入。それらで貿易赤字を埋めたのみならず、経常収支全体を
黒字にしていた。こうした、金融・貿易におけるイギリスの優越がイギリスを世界の金融機構の中心(シ
ティー)にし、貿易決済(ポンド決済)の中心にしていた。
アメリカがイギリスに劣っていたのはまさにこうした金融面であった。アメリカは 19 世紀末から積極
的に資本輸出に乗り出し、第一次世界大戦後は、債券国となり、世界経済におけるイギリスの地位に完全
に追い付き、1920 年代のアメリカ経済の繁栄と商品・資本輸出はイギリスに代って世界経済の安定に繋
がった。
こうしたアメリカの世界経済におけるプレゼンスの増大とその影響力を自覚することなく行なった 1929
年の「大恐慌」後のニューディール政策は、世界経済における資金還流に支障をきたし、1930 年代の世
界的不況の長期化をさそった。
工業生産及び国内総生産において世界の首位に立ちながら、アメリカが劣っていたのは、金融面と並ん
で労働力面であった。
南北戦争後の急速な工業化の結果労働力が不足し、国内ではまかなえずヨーロッパ等からの移民に依存し
ていた。しかし、大次世界大戦後の国際的労働力移動の中で 1924 年(1924 年移民法)には過剰気味とな
り、移民への門戸を閉ざす。黒人の北上もあって、労働力面でも自立するようになってくる。
こうしてアメリカは物(生産力)人(労働力)金(資本)等の事業資源を完全に自給できるようになり、
文字通り世界経済の中軸国となった。
2.第1次大戦(1914 ー 18)とアメリカ経済ー資本主義の変容
1)生産者の時代から消費者の時代へ[消費者資本主義の時代へ]
アメリカの参戦(1917.4-18.11)は後方において軍事物資の生産に集中した。戦後は戦時物資の生産ライン
を消費物資のに転換した。
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アメリカは 1880 ~ 1920 年頃迄に「生産者」的資本主義から「消費者」的資本主義に変っていたといわれ
る。南北戦争後の高度経済成長で人々はそれまでの勤勉で慎ましいやかな生活から「消費」志向を強めて
いた。
2)フォーディズムの登場[労資協調路線の始まり]⇒後日改めて講義
H.フォードは 1908 年自動車の大衆化を目指して「T型フォード」を$850 で売出した(尚、1916 年には$360
にまで下がり、車の普及率も 1920 年の全世帯 26%から 1935 年には 55%にまで上昇している)。
賃金も当時の平均 1 日$2.5 から倍の「日賃金 5 ドル制」を採用した。つまり、$2.5 は賃金・残りの&2.5
は利潤の配当という考えかたである。但し、労働者の生活態度を会社が細かく観察し、健全なアメリカ的
な生活をしている者にだけ配当を支給し、労働者に企業と社会に対する意識の変化を要求した。
3.1920 年代のアメリカ経済ー耐久消費財を中心とする消費ブーム
1920 年代は「新時代」、「ジャズ・エイジ」、「アスピリン・エイジ」、「失われた時代」など様々な呼び方をさ
れるが、経済的には消費ブームに支えられた未曾有の繁栄である。
1)繁栄を支えた要因
①対外貿易の好調と海外投資の増大(前にも述べた企業の海外進出)
②大企業による技術開発(フォードシステムと、テーラーの科学的管理法、電話、 ラジオ、冷蔵庫 Etc.,
など次々と新製品の開発)
③新しい産業の登場(自動車、化学、石油、電気、ミシンなど精密機械、住宅など。航空機も実用化され
た)
T型フォードの出現によって「自動車」は大衆の必需品として普及。 1920 年 220 万台→ 1929 年 560 万
台と倍増。これとともに、ハイウエー建設増大、住宅建設増大と連鎖波及的に産業が発展した。
< W.W.ロストウは、自動車の普及をメルクマールに「高度大衆消費時代」としている(『経済発展の諸
段階』)が、いち早くこの段階に達したのはイギリスでなくて、1920 年代のアメリカ(以下、カナダ、イ
ギリス、オーストラリア、スエーデン、フランス・ドイツ、日本{1950 年代後半}の順)であった。>
④工作機械産業における画期的改良
自動車用工作機の分野で画期的改良が進み、大量生産体制の基礎を作った
⑤エネルギー資源としての電力使用の増大
大発電所の建設によってエネルギー源が石炭から電力にシフトし、炭田に近いという従来の工場の立地条
件を解放した。
⑥農業政策の台頭
1917 年食料管理局や連邦銀行制度の新設によって、価格資金面で農業を育成する体制が整った。
◎このころから、国民の消費動向が景気をはっきりと左右するようになり、J.M.ケインズが『一般理
論』において展開した、「有効需要の原理」・
「金融・財政政策」はイギリスに先立って 1930 年代の不況下
のアメリカで「ニューディール政策」として試みられた。
2)繁栄の陰でのアメリカ経済の脆弱化
①所得格差の増大:1929 年の統計では僅か 42%の家族が国民所得の 13%しか受け取れず、逆に 0.2%の家
族が 13%を受け取っていた。「ラザルスにはデービスがついてある!」
②農業不況、特に西部の小麦の過剰生産と世界的な穀物の過剰傾向の醸成(東欧の飢餓輸出)/工業の繁
栄に対する農業の遅れ(シェーレ現象)
③バブルの形成:割賦販売の普及、特に株式市場への過剰投資
④企業の内部留保金の蓄積:過剰資本の形成→これも投機に回る
⑤労務管理の強化:アメリカ的生産方式と経営学的手法による労働者の管理強化は、一方では生産性を増
大したが、他方では雇用を押え込む役割を果した。
⑥不均衡な産業構造の形成:労働集約的な繊維、石炭といった在来型の産業は不況で、第三次産業の発達
にもかかわらず、雇用は伸び悩んだ。従って、失業問題は容易に解決せず、農業の不況とともに「永遠の
繁栄」影の部分を形成していた。
⑦独占の進行:この時期大企業の「独占」は益々進み、当然独占利潤は増大した。さらに、法人税も軽減
される傾向にあったから、大企業は高い配当を続けながら企業の内部に留保金を増やして行き、銀行への
預金も増加し、資本の過剰をきたしていた。
⑧金融システムの脆弱性:1913 年制定された「連邦準備金制度」が経済の実状から遊離してきたこと、
この制度に加盟しない銀行が多数存在した。
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