世紀初頭のアメリカ暖簾会計の史的考察 20

【研究報告Ⅲ2③―清水】
20 世紀初頭のアメリカ暖簾会計の史的考察
清水泰洋(神戸大学大学院)
Ⅰ
はじめに
いうまでもなく,暖簾の会計は企業合同と関係を有している。また,企業合同の結
果生ずる社会問題ともまた無関係ではない。社会問題を検討したうえで暖簾の会計を
考察すれば,その時々の会計理論もまた,時代の価値観に影響を受けていることが想
像できる。今回の発表の目的は,19 世紀末から今世紀前半にかけてのアメリカの暖
簾会計を,時代の価値観をふまえた上で再検討することにある。暖簾会計に関しては,
1920 年代までに現在行われている議論がほとんど登場しているといわれる一般的評
価は,必ずしもそうであるとは言い切れないであろうことを説明する。
Ⅱ
背景
19 世紀末から 20 世紀前半,特に 1920 年代までにかけてアメリカは二度の合併の
波( 1) が生じた。つまり,19 世紀末から 20 世紀初頭の世紀転換期にかけての合併運動
と,1920 年代半ばより始まる合併運動である。
19 世紀後半に生じたアメリカの産業化の進展は,競争の激化を引き起こした。競
争は価格競争という形を取り,約 10 年おきに生ずる恐慌期には特に厳しいものとな
った。これに対して企業は,競争相手を直接的に統制することにより存続と利益を追
求した。具体的にはプール(カルテル),トラストという方策がとられるが,コモン
ロー上,および制定法上の制限のため,合法的な競争制限の手段とはなり得なかった。
持株会社はこのような中でとられた最後の手段である。19 世紀末の一連の最高裁判
例により持株会社が合法であると認められたこと,産業株式会社の株式を売買する市
場が整備されはじめたことなどを背景として,競合企業の多くが単一の企業へと水平
的に結合した。このような水平的結合は非常に多くの産業で見られた。この合併運動
は非常に大規模であり,これまでにもこれ以降にも匹敵するものがないといわれる。
Ⅲ
革新主義の時代の暖簾
世紀転換期の合併運動によって設立された企業の多くは,「株式水割り」と呼ばれ
る財務方策を採用していた。合併に参加する企業の資産を過大に見積もっていた。そ
してその対価として,普通株と優先株を多くの場合 1 対 1 の割合で発行していた。こ
こで優先株は有形資産に,普通株は特許,商標,ブランド,暖簾などからな無形資産
に照応するものとされた。貸借対照表上では,有形固定資産に含めるか,あるいは特
許権などの無形資産をまとめた独立項目として計上されていた。普通株に照応する無
形資産は,企業合併後に生じる規模の経済や経営の効率化などによって生ずる企業収
( 1) 本稿では Ralph Nelson, Merger Movements in American Industry,1895-1956, 1959 に従って
「合併運動(MergerMovements )」と呼ぶ。
-7-
【研究報告Ⅲ2③―清水】
益により,その存在が保証されると経営者たちは主張した。
しかしながら,この合併運動によって設立された企業の多くは失敗に終わっている
ことからもわかるように,企業収益は十分なものではなく,多くの場合計上された暖
簾は疑わしいものであったといえる。また,過大に発行された株式への配当支払いの
ため,企業は製品の販売価格を上昇させるのではないかと広くおそれられた。それ故,
合併時点での資産の過大評価,そして株式の過大発行は広く批判される対象となって
いたのである。
会計上の議論もまた,これを反映したものであるといえる。たとえば,Henry Rand
Hatfield は Modern Accounting (1909) において,暖簾の存在を正当化する利益が存在
しない場合,暖簾は存在していなかったり,あるいは著しく過大に評価されたという
ことになるため,このような実務は決して正当化されるものではないとし,暖簾が存
在しない場合には株式割引と表示すべきであると教示している。Hatfield ほど具体的
でないとしても,合併の際に多くの株式会社が株式水割りを行っていたこと,そして
暖簾がその他の固定資産とまとめて計上,開示されていたという実務について,多く
の著者が言及しているのである。その一方,処理方法,たとえば認識基準や償却の必
要性の有無などについては一致した見解が見られない。
このような開示観に対する意見が一致している背景には,合併運動に対する社会的
反発があったと考えられる。これまでに見られなかった規模の産業企業の出現は,会
社設立を認可する州政府ではなく,連邦政府が対処すべき問題としての「トラスト問
題 (Trust Problem)」( 2) に対する議論の高まりをもたらしていた。その中で,株式水割
りはトラストの弊害の一つであり,開示はトラスト問題に対する有力な解決策の一つ
であったのである。このことは 1898 年から連邦議会に開かれた産業委員会 (Industrial
Commission) の報告や,同時代の経済学者の著書,あるいはシャーマン反トラスト法
の改正を目指したヘップバーン法案などにも見られる。会計において強調されていた
開示や株式水割り実務の批判は,トラスト問題を無視して語ることはできないのであ
る。
Ⅳ
1920 年代の暖簾
1920 年代後半に,第二の合併運動が見られる。これは,生産の統合を通じて価格
競争を回避しようとする企業戦略に基づくものであり,水平的結合に加え,垂直的結
合もまた見られるようになって点が特徴とされる。財務的には,「株式の水割り→株
式の種別化→過大資本化」という基本的には世紀転換期のパターンを踏襲していたと
いわれる。
他方,1920 年代までに,巨大株式会社に対する見方は大きく変化する。まず,1914
年のクレイトン反トラスト法および連邦取引委員会法の制定を境に,トラスト問題が
( 2) ここでの「トラスト」とは,先に挙げた議決権の信託を意味するものではなく,むしろ価
格決定力を持ち,大きな市場シェアを占有する大企業を指す。なお ,
「トラスト問題」に関
連する用語として ,「反トラスト運動( Antitrust Movement)」という言葉も広く用いられてい
た。
-8-
【研究報告Ⅲ2③―清水】
社会的問題ではなくなる。世紀転換期に誕生した企業の多くは失敗に終わり,他方,
おそれられていた価格上昇が起こらなかったことが明らかとなる。また,第一次世界
大戦中の物価水準の上昇と高利益は,会社資本中の実物資産によって担保されない部
分,つまり「水 」に相当する部分の割合を大きく低下させる「水抜き」を可能とした。
また,第一次世界大戦中の増税は,富裕な大株主層が保有する株式を売却し,税率の
低い資産である免税証券や不動産の購入するよう促し,安定配当による普通株の投資
対象としての地位の獲得とともに,株主数は大きく増加させることに貢献した。
これらの社会変化を受け,会計上の暖簾の議論は大きく変化する。暖簾の処理につ
いて一致を見なかった部分,たとえば償却の問題などに関しては,依然として一致を
見なかったものの,以前には強調されていた水割り実務への言及や開示の強調は,こ
の時代に暖簾について初めて文献を著した著者の記述には見られないのである。
たとえばアメリカにおいて,初めて暖簾に関する包括的文献であると考えられる
J.M. Yang の Goodwill and Other Intangibles (1927) では,会計目的の検討からあるべ
き無形資産の処理を導出している。一方,暖簾に対して支払いが行われ,正当な暖簾
が獲得されたか否かという問題の議論は,最終章で過大資本化の問題に関連してふれ
られているが,その扱いは大きくなく,また実務への言及やその批判は見られないの
である。同様に,会計のテキストにおいても株式水割り実務への言及が見られないも
のが現れている。
このようなトラスト問題の希薄化は,その当時の会計実務を厳しく批判し,1930
年代の証券諸法にも大きな影響を与えたとされる William Z. Ripley の記述にも見ら
れるのである。たとえば,Ripley は暖簾を「内部的な無意味の外部的表現である」と
述べ,その巨額の計上を批判するのであるが,彼の批判は価格上昇に対する懸念など
の,20 世紀初頭のトラスト問題の観点からものものではなく,第一次世界大戦以降
特に顕著となった,株式の保有の分散化に着目し,株主への情報提供を訴えたものだ
ったのである。
Ⅴ
結びにかえて
暖簾の会計は,その当時の社会背景にも大きく影響されたものである。従来の史的
考察においては,主張の内容などに関して,現在との同一性が強調される場合が多か
った。しかし社会環境の相違は,会計理論にも影響を及ぼすことが明らかとなった。
社会環境の検討は,会計処理に関する議論における表面上の同一性を重視する観点か
らは明らかにならない,新たな視点を加えると考えられるのである。
-9-