I-12 - 日本大学理工学部

I-12
分離派時代における森田慶一の建築観について
K.Morita’s view of architecture at the Bunriha era
○木川正也1, 大川三雄2
*Masaya Kikawa 1, Mitsuo Ohkawa2
The present study pays attention to Keiichi Morita's paper in the Bunriha era. And, I deeply read paper in the Bunriha era of Morita.
It aims to clarify view of architecture of Morita of the Bunriha era to understand why Morita advanced to the research of classics of
the West.
う分析的な力学美には芸術性が欠如している事を指摘
1.研究背景及び研究目的
森田慶一は分離派建築会としての側面だけではなく
している.なぜなら,そこには建築家の個性が排除さ
ウィトルウィウスの研究を行い,日本における古典研
れている為,「豊かな主観的な感情、情緒が溢れて」7)
究の第一人者となった.同じ分離派会員であった堀口
いないのである.森田はあくまでも「自由な感情の豊
捨己や瀧澤真弓なども,後に西洋古典あるいは伝統的
かな芸術品」7)としての建築を目指していた.
なものへの探求を同時期に興味をもつようになる.そ
3−2.生命の表現
して彼らは,建築の新しい動向への強い関心から一転
森田は構造学が自然
して,過去の建築へと関心が移ることになる.
の力の美しさを建築に
森田慶一についての既往研究は市川秀和らによるも
実現する上で恰好の方
の 5)などがあげられる.この既往研究では主に森田の
法であるとしたが,その
古典研究について重点が置かれているため,森田の分
概念的な知識のみだけ
図 1「屠場案」森田慶一
離派時代における各論考に対して,個別の考察はまだ
に頼ることは斥けた.そ
外観透視図、1920 年
十分な言及はされていない.
れは,構造力学という知識だけでは,芸術性をもった
建築は生まれないためである.
そこで本研究では,まず分離派時代の森田慶一の言
説に焦点を当て,各論考に対しての言及を試みる.そ
「自分らは表現しようとする生命をぴったりと表現で
して,森田の分離派時代の言説を深く読み解くことを
きるまで努力しよう.」7)というように森田は,建築に
通して,なぜ西洋古典研究へと森田が進むことになっ
必要な要素として「生命の表現」という言葉を用いて
たのかを理解するため,分離派時代の森田の建築観を
いる.ここで,森田は建築を静的なものではなく,動
明らかにすることを目的とする.
的なものとして考え,人の感情に訴えかける建築の力
2.研究方法
を「生命」という言葉で表している.
本研究では、森田慶一の建築観を『分離派建築會宣
「そして恐れよう,意識して表現しようとした内容よ
言と作品Ⅰ』(1920)に掲載された「構造派について」,
りも無意識に作品に現れる自分たちの人格を.
」7)
『分離派建築會の作品Ⅱ』(1921)に掲載された「工人的
ここでは,森田は建築の中に現れる「人格」という独
表現」
,
『分離派建築會の作品Ⅲ』(1924) に掲載された
自の視点がみられる.これはその後の森田の構造に対
「構造に就いて」と 1924 年に書かれた「機能主義につ
するイメージに常に係り続けることになる.また、森
いて」6)を取り上げ,考察を進めていく.
田はこの論文で構造派の建築理論における不完全な点
3.構造派について
(建築美における芸術性の欠落)を見つけ,そこを主体の
3−1.構造派の欠点
介入により補うことによって打開しようとしている.
森田は「構造派について」の中でヨーロッパにおい
4.工人的表現
4−1.工人的表現
て生まれた新建築は科学を基盤とした構造的な特徴を
くみ
「構立てられた建築の中に自己を表現しようとする,
斯う云ふ傾向を工人的な傾向と名づけやう.
」8)といい,
その表現はただ構造力学に従い建築をつくるのではな
く,
「自己の表現が構立てられた形に向かって企画され
持っているとして,これらの一派を構造派と名づけて
いる.そして「構造派はその性質として著しく理知的,
客観的である.
」7)といい,その作品として現れたもの
が一つの芸術として認められるに値するとしている.
1:日大理工・院・建築 2:日大理工・教員・建築
森田は構造派の建築にみられる古代・中世の美とは違
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ることが必要なのである.
」8)としている.つまり,構
はなりえないのである.さらに「美」とは違う領域と
造を客観的に方法として扱うのではなく,表現する空
して「芸術性」をあげている.この「芸術性」は単な
間を支えるために,より主観的に構造を扱うべきであ
る美しさと同一の経験ではないとしている.森田は「芸
るとしている.そして,
「われわれは構造を選択する自
術性」こそが最終的に建築に求められるべき要素とし
由が与えられている.
」8)という点において,これまで
ている.また、
「機能主義はしょせん,建築の原理を示
の建築の構造とは違った意味を近代の建築家が与えた
すものではなく原理に帰する事を要求せる一つの道に
ことについて評価をしている.
4−2.構造へのアプローチ
構造派であった佐野は森田と違った構造へのアプロ
すぎない.
」10)と森田は機能主義の欠陥を見抜く.機能
ーチをしていた.佐野はシステムとしての構造を念頭
を得るとは限らないのである.
に建築から都市へと視野を広げ,より普遍的で,均一
6.結論
主義はほとんど無数の解答を生み出しうるために,機
能主義を徹底したとしても,それが必ずしも「芸術性」
化された社会を構想していた.森田のように表現を先
以上のことから,森田は構造派による構造合理主義
に構立て自由に構造を選択するという思考とは全く逆
や機能主義などの建築理論をただ方法として用いるの
の方向から構造を捉えようとしていたのである.
ではなく,その本質について注意深く考察を重ねた上
佐野をそのような構造理解へと導いた理由の一つと
で理解しようとしたのである.
して,国家,社会への対応がある.一人の建築家が社
分離派時代の森田における最大の収穫として,近代
会的な要請に応えるには,合理化された構造により建
の建築理論には充分に自身の建築観の基盤となるもの
築単体ではなく、複合体としての都市を想定した理論
は存在しないということを発見できたことがあげられ
と方法が必要となったためである.
る.そして,森田は自身の建築論の基盤を求めるべく
5.構造と機能
5−1.構造の概念
「構造に就いて」(1924 年)という論文の中で森田は
古典研究の道へと進んでいくのである.それは建築の
根源的な追求を行なうことであり、建築とは何かを問
い続けることである.その建築への本質的な問題への
さらに自身の構造の捉え方を修正する.
意識が芽生えたのは分離派時代における試行錯誤の結
「建築の本質,建築をして建築たらしめる意味,い
果であったといえる.
いかえれば建築そのものは構造ではないかと思う.」9)
7.参考文献
ここで使われている「構造」という概念は「くみ立て」
あるいは「力そのもの」とも呼ばれている.森田は建
2)青井哲人:
「IMITIATIO CORBVSIERI—分離派から古
築の本質としての構造には,構造力学によって分析さ
典主義へ」
,
『建築文化』彰国社,2000 年 1 月号
れた力ではない,もっと「なまの力」があるとしてい
3)長谷川堯著:
『神殿か獄舎か』相模書房,1972
る.この「なまの力」は以前の「人格」というイメー
4)中谷礼仁著:
『国家・明治・建築家―近代「日本国」
ジにつながっている.森田は構造に対して,客観的に
建築の系譜をめぐって』波乗社,1993
合理的には捉えることのできない何か別の表現が含ま
5)市川秀和・佐藤篤:森田慶一の建築論と古典研究の
れていることに関心を持ち続ける.その謎に対しての
意義-西洋プロポーション理論の受容に関する建築思
解答は森田自身もあいまいなままで,正確な解答はみ
潮研究(1)-,日本建築学会北陸支部研究報告集 2006
られない.
pp.395-398
5−2.機能主義の欠陥
6) 森田慶一:
『建築における構造と美と用』彰国社,
「機能主義について」(1924
1957 pp.61-66
年)において森田は,まず「快」
7) 分離派建築會:
『分離派建築會宣言と作品Ⅰ』岩波
と「美」の区別を行なう.
「快」
書店,1920 pp.34-35
とは実生活の要求が達せられ
8) 分離派建築會:
『分離派建築會の作品Ⅱ』岩波書店,
ている建築から与えられる感
1921 pp.33
覚である.それに対して「美」
9) 分離派建築會:
『分離派建築會の作品Ⅲ』岩波書店,
は「快」とは無関係に美しいの
であり,建築が機能的で実用的
であっても,必ずしも「美」に
1) 森田慶一著:
『建築論』東海大学出版会,1978
1921 pp.22
図 2「楽友会館」
図1.2 加藤邦男「建築家・森田慶一」
,
『SD』鹿島出版
森田慶一、1924 年
会,1987 年 6 月号 pp. 65-67
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