2005.2.17 - 江南ロータリークラブ

2005年(平成17年)2月17日 (木) 晴れ
点 鐘
会 長
山田 猛君
司 会
SAA 安藤 喜代司君
ロータリーソング
「我等の生業」
ゲスト及びビジター紹介 会 長
山田 猛君
ローターアクト
幹 事 伊藤 美貴子君
ローターアクト
地区年次大会実行委員長 磯村 考輔君
会長挨拶
会 長
山田 猛君
日本の産科医療はどうなっていくのか?
今日、診療所だけでなく公的病院の医師にとって
も産婦人科医療を巡って多くの問題が噴出してい
る。有床診療所は48時間以内だけでそれ以上入院
させては駄目と昭和23年に制定された。
日本の全
出産の45%を取り扱っている有床診療所が入院
分娩ができなくなる。その後、医師が必要と認めれ
ば、ということで当面解決された。
『よい産院の10か条問題』 朝日新聞に『検診は
医院で、出産は大病院』の記事が掲載され会員の間
で大きな議論となった。(現実には不可能)日本の
全分娩の45%を有床診療所で扱っている。
『看護師の問題』 平成14年の鹿児島に続いて、
愛媛、
大阪と助産資格のない看護師が医療事故に絡
んで補助看法違反と指導を受けた。「医師の指導の
下でなら認める」と医師会側の意見は認められず、
中には
「医師は医学部で助産技術を学んでいないか
ら助産は来ない」という愚かな日本看護協会である。
『助産師の不足問題』 助産師は私的病院・診療所
においては60%以上が不足しているが、
公的病院
では30%に過ぎない。これは、東京の公的病院の
データーに過ぎない。当然医師が不眠不休で分娩管
理をしなければならなくなる。病院も困る事態にな
る程過酷な労働条件。いかに産科医が過酷な労働条
件に体をすり減らしているか、過重労働は他科の医
師には理解されず、報酬も反映されていない。産科
医師の不足に加えて女性医師の増加も当直体制不
備につながっている。有床診療所はもとより、中小
病院が分娩をやめる事態に歯止めが利かない。
- 1 -
第1990回( 当年度第29回 )例会
『産科医療の将来はどうなるのか』 当面、産科医
師はローリスク妊娠の分娩を行い、ハイリスク妊娠
は周産期医療センターなど、
高次医療への分娩を集
約化する。
将来はマタニティーセンターを標榜する
施設は産科の医師に加えて小児科、麻酔科医。医師
が一人の施設や助産所は出来るだけオープン・セミ
オープンシステムに移行すべきである。だが現実は
今度、
昭和と愛北が合併して新しい病院をつくるが、
オープンシステムを考えていない。産科医不足が主
な原因である。
2005∼2006年度地区委員 委嘱状伝達
会 長 山田 猛君
2005国際博委員会・・伊藤 鶴吉君
ローターアクト委員会・・高木 博君
2005国際博委員会(副委員長)
地区諮問委員会・地区指名委員会
ロータリー財団委員会(カウンセラー)
福田 清成君
国際奉仕委員会・・・・・滝 勝夫君
会員増強委員会・・・・・古田 嘉且君
インターネット委員会・・伊藤 靖祐君
傘寿御祝
会 長
山田 猛君
真野 則光君
幹事報告
祝福
出席報告
―別紙―
―別紙―
幹 事
委 員
委員長
古田 嘉且君
土井 勝朗君
伊藤 鶴吉君
会員数
出席者数
欠席者数
出席率
58名
40名
10名
80%
前々回(2月3日)欠席者数 2名
補正出席率
96.23%
ニコボックス
委員長 澤田 昌久君
○ロータリー100周年をお祝いして。
山田 猛、大塚 祥敬、古田 嘉且、伊藤 靖祐各君
○傘寿を祝ってくださってありがとう。
真野 則光君
○パストガバナーのRC100周年の記念卓話を
楽しみにしています。真野 則光、伊藤 鶴吉各君
○福田 清成パストガバナー100周年を語る。
岩田 進、岩田 俊久、景山 芳樹、岩井 正彦、
滝 勝夫、安藤 喜代司、熊沢 治夫、大池 武徳、
澤田 昌久、中島 仁各君
○卓話をさせて頂きます。
福田 清成君
○愛妻くるみとは誕生日がたった1日違いのため、
かつては交互にお祝いを出していましたが、お互
い相手が空気のような存在になりつつある今で
はプレゼント交換はプラスマイナス、ゼロです。
大塚 祥敬君
○忘れたい結婚記念日ですが、ロータリーに入り
いやでも思い出さなければならなくなりました。
ロータリーに感謝。
中島 仁 君
ローターアクト委員会
《海外研修の報告》
委員長 大池 武徳君
幹 事 伊藤 美貴子君
皆様こんにちは。先日、2月 10 日∼14 日まで、
海外研修(オーストラリア・ゴールドコースト)に
江南と地区から計6名参加させていただきました。
天候にも恵まれ、目的でありますRID9640地
区アクターとの交流を、
モーニングBBQという屋
外の形で無事行なうことができました。海外のアク
ターと言語の壁はありましたが、
コミュニケーショ
ンを取りながらそれぞれ多くのことを学ぶ事がで
きたと思います。最後には全員で輪になりアクトソ
ング・手に手・Top of the worldを
歌った時は我々も感極まって涙する場面もござい
ました。また、世界遺産に登録されておりますナチ
ュラルブリッジ国立公園・スプリングブルック・ラ
ミントン国立公園を見学、オーストラリアの広大な
大自然を目の当たりにし参加アクター皆と自然に
対する畏怖と感動を共感できたこと、
アクトに入っ
てよかったと思える一つの思い出となりました。
このような素晴らしい経験・体験をさせていただ
いたこと参加者代表として心より御礼申し上げま
す。ありがとうございました。
《登録のお礼》
地区年次大会実行委員長
磯村 考輔君
みなさま、改めましてこんにちは。先日は皆様に
ご登録いただきまして本当にありがとうございま
- 2 -
した。
我々登録業務に携わっている者にとって登録
をしていただけるということは、
本当にやる気の出
ることでありまして、江南ロータリークラブの皆様
に感謝しております。
卓話タイム
《100 周年クラブ・プロジェクト》
パストガバナー
福田 清成君
たくさんのニコボック
スありがとうございます。
皆様にご満足のいただけ
るお話が出来るかどうか
わかりませんが、
時間のあ
る限り務めさせていただ
きます。
先ほど地区の委嘱とい
うのを私は 4 枚もらった
のですが、諮問委員会とい
うのはパストガバナーと
ガバナーで構成されておりまして、これは自動的に
なるという形でございます。
委嘱者は今のガバナー
の大島さんがなり、
来年度のガバナーエレクトの高
橋さんが連名で委嘱するという形で出ています。
なぜ私が今年 4 枚ももらったかと言いますと、
ひと
つは指名委員会というのがありまして、これは候補
者をクラブが指名するにあたって、候補がない場合
には指名委員会で地区内で誰にするかということ
を決める、
それが新しいほうから五人のパストガバ
ナーで指名委員会が構成されておりまして、五年間
は指名委員会にいるのですが、私は来年最後の年に
なるという仕組みになっています。それからここ2、
3年いわゆる 3 月 25 日からの万博が行われますの
で、ロータリー館を作ろうということが、内藤さん
の次の野村さんの年に地区に万博委員会、
そのとき
は委員長の内藤さんだけで出来ていました訳です
が、私の次の年頃から、
だんだん委員が任命されて、
大きい委員会になっています。私は募金担当副委員
長という形で、
現在は2 億8 千万円ほど集まりました。
もう一つロータリー財団のカウンセラーという
委嘱受けております。今まで地区にはほとんどの委
員会にガバナーがカウンセラーという形でついて
おりましたが、2 年ほど前から拡大とロータリー財
団だけはカウンセラーを残し、あとは外していくと
いうことになりました。
私はたまたま今年もロータ
リー財団のカウンセラーで、
あまクラブの鈴木さん
がまた来年も委員長をやってくださるということ
で、私にもカウンセラーとして残ってほしいという
意向です。
ロータリー財団奨学生の資金のことですが、年次
寄付というのを我々一人当たり 1 万円しようとい
うことでやっておりますが、この2760地区は
50 万ドルから60 万ドル近くまで年次寄付をしてお
ります。従来はそれの60%が 3 年後地区のDDF
という形の地区資金という、
地区で自由に決められ
る財団資金となっております。そのうちの大半がそ
の奨学生の留学費用に当てております。十数人留学
にいっており、
非常に伝統的なシステムになってお
ります。
100 周年としまして私がお話させていただくに
あたり色々考えさせて頂きましたところ、ポール・
ハリスは 1905 年にシカゴに 4 人でロータリーを創
ったわけですが、日本は米山梅吉という人がアメリ
カに勤務していて、「ロータリーはいいものだ。」
ということで日本に創ろうとしたのが 1920 年に東
京クラブを 20 人くらいで創ったそうです。そうい
った形で日本には 15 年遅れで創られたわけですが、
私はポール・ハリスと米山梅吉という人が非常に関
係深い人だと思います。それは両人とも 1868 年に
生まれているのです。しかも亡くなるのは、米山さ
んが 1946 年、ポール・ハリスは 1948 年。殆んど同
じ時に生まれ、
同じ時に死んでいっているというわ
けです。
日本という国がこの近代社会の中でどんな形で
その世界に入って行ったかということは、1603 年
に徳川幕府ができ、250 年たった 1853 年にペリー
が日本に開国を迫ったというわけです。この結果、
鎖国がとかれ、
その時は世界中が日本を植民地化し
ようということで言葉巧みに押し寄せてきました。
幕府派と討幕派とを列強各国がそれぞれ応援して、
内乱をおこさせて植民地化するつもりでしたが、勝
海舟と西郷隆盛が会談をして、無血で江戸城を開城
させました。そしてそういう大きい内乱を起こさず
に明治時代をむかえました。
列強の植民地化の野望
はそれで消えたという風に思っておりました。
その
ころ 1900 年代の初めは各先進国が膨張しようと、
荒々しく世界に向かっておりました。
シカゴというところは、
アメリカの中では都会で
あり、
写真などではたくさんの人が町の中にいる様
子がうかがえます。
ゴットファーザーなどももう少
し後ではありますが、各国からニューヨークへ人が
集まってきて、渦巻いております。そんなときにポ
ールハリスが生まれ育ち、シカゴに出てきて弁護士
になるというわけです。
初めは弁護士の仕事もあま
りなく、友達もほとんどいなかった中で、かつてお
じいさんおばあさんと暮らしたアメリカの片田舎
の人情細やかないいところを思い出し、このシカゴ
にも!と思ったわけです。そして、たまたまヒント
があってロータリーが生まれたわけです。
仲間意識と人に尽くすというその概念がくっつ
き、100 年にもわたってロータリーが続いてきたわ
けです。1905 年のシカゴと 1920 年の日本ではある
意味で共通性があったとおもうわけです。
もう一つ感銘を受けておりましたのは、私の想像
ではありますが、1902 年にジェーム・スアレンと
いう人の、「人はひそかに思ったとおりになる」と
いう非常に薄い本ですが、それには、悪い気持ちを
持ったら悪いことが起きて来るし、良い気持ちを持
てば絶対に良いほうに向いてくるという考え方の
本です。聖書に次ぐほどたくさん売れておりまして、
まだ読み継がれております。
最近日本にも翻訳され
たものが入り、非常によく売れておりますが、それ
が 1902 年にでていて、ポール・ハリスが 1905 年に
ロータリーを作ったということは、ジェーム・スア
レンの影響を非常に受けていたのではないかと私
は想像しております。
ジェーム・スアレンというのはとくにプロテスタン
自由主義ということを表号しておりまして、本来人
間は良い性善説をもっているという考え方がひと
つと、
もうひとつは非常に日本の仏教に影響を受け
ているという事と言われております。
このジェーム
スアレンの考え方とポール・ハリスのロータリーに
対する取り組みが非常によく似ているのではと思
います。もう一つ、先程ポール・ハリスと米山梅吉
さんとのお話はしましたが、
米山梅吉さんに対して、
日本では中村天風という人の考え方と共通してい
るのではないかと思います。
それは 1920 年に東京クラブができましたが、こ
の中村天風という人は 1919 年に実業界で非常に活
躍していた人で、銀行の頭取などの地位や財産を全
部捨て、人々を幸せにするという辻説法を上野の山
で始めたのです。米山梅吉さんが上流階級の中にい
ながらもロータリー精神を持ったと同様に中村天
風さんが日本中のすべての人に対して心の救いを
作っていったと私は思っております。
どちらも相手
の名前は言っておりませんが、きっとこの両者は相
手のことを良く知っていたのではないかと思いま
す。それからその 1920 年という頃はどんな時代か
ということ、先程シカゴの 1900 年代初めとよく似
ていたのではないかと申し上げたのですが、それに
非常に良く似た資料があるのです。
それはどういうものかというとロータリーが
1920 年に出来、その 2 年後の 1922 年に書かれたも
ので、
社会事業家の本間俊平という人が書いたもの
で雑誌私も見ましたが、
その書いてある文句を見て
みるとその頃は大変な日本だったと、
しかもそれが
80 年たった今にもよく似ているなあと思います。
その文章を読ませていただきますと、
「今更言うま
でもなく真人間になることが教育の目的であらね
ばならない。しかるに今の学生の中でどうして真人
間になれるかと考えている者はいない。どこに就職
口を求めようか、どこに持参金付の娘がいるか、な
んとかして楽をして金儲けの口にありつきたい。世
の名誉と多くの財産、有力な地位を求めようと脳病
- 3 -
をおこしている。大いに同情すべきことではあるが
こんな方面ばかりこせついてばかりいてはとうて
い真人間にはなれない。
今や日本に大不景気が来た。
鉄が安くなった、砂糖が安くなった、造船所が閉鎖
した、
失業者、
破産者がぞろぞろ出て大騒ぎである。
政府も日本銀行も知者も愚者も青い息を吐いて救
済業をこうじている。経済上は少しは良くなるに相
違ないけれど、
私より見れば大部分が真人間ではな
いから起こっているのである。正直者が馬鹿だとみ
なされ、善人では商売は出来ない、真面目なことで
落伍者となるしかない。
というようにしているから
起こってきたのである。」そして最後に「今日の人
々はあまりに成功宗になりすぎている。そんなこと
で人は上下することはできない。
貧なるがゆえに賤
しからず、富めるからとて貴からず、大切なるは真
人間か否かである。
日本の大欠乏は誠の人間のいな
いことである。
国を憂える者が起こってこの根本の
大問題のため骨折るべきである。」ということをこ
の本間さんという方は書いています。
創立40周年記念
植 樹 セ レ モ ニ ー
2月17日(木)14:30 より、大口町ほほえみプ
ラザ駐車場西側において、大口町長立会いのもと、
ライラックの記念植樹が行なわれました。
ここのところ景気が良いですが、2,3 年前だと
まったくこの通りの状況のことが日本では起きて
いたなと私は思っております。結論は、ガバナーズ
レターにも書いたのですが、アインシュタインが
1922 年に日本へ来て残していった言葉が世界の名
士というものですが、「近代日本の発達ほど世界を
驚かせたものはない。この驚異的な発展には他の国
とは異なる何者かがなければならない。果てするか
なこの 3000 年の歴史がそれであった。この長い歴
史を通して一家の天皇を頂いているというのが今
日の日本を有らしめたのである。
私はこのような尊
い国が、世界に一箇所くらいはなくてはならないと
考えていた。なぜなら世界の未来は進むだけ進み、
その間幾度か戦いを繰り返されてきて最後には戦
い疲れる時が来る。
そのとき人類はまことな平和を
求めて世界的に名士を上げなければならない。
この
世界の名士なるものは武力や筋力ではなく、あらゆ
る国の歴史に抜き超えたもっとも古くまた、尊い家
柄でなくてはならない。また、世界の平和はアジア
に始まり、アジアに帰る。それはアジアの後方日本
に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する、我
々は日本という尊い国を作ってくれたことを。」
このようにアインシュタインが日本に来たとき
に言い残しているわけですね。それで、やっぱり日
本人が和の精神をもっているし、心優しいし、こう
いう日本人が今乱れている世界を最終的に良いも
のにしていく人種だろうと思いますし、これは特に
ロータリーの仕組みを通じていけばうまくいくの
ではないかと申し上げまして私のお話を終わらせ
ていただきます。
担当 真鍋
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