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1980年代後半における日本経済の分析
野口, 悠紀雄
一橋大学研究年報. 経済学研究, 34: 3-30
1993-08-10
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/9275
Right
Hitotsubashi University Repository
1980年代後半における日本経済の分析
野口悠紀雄
1.1980年代後半の日本経済
(1)大型景気
(2)対外投資の増大
(3)資産価格の高騰
2。1980年代後半における資金循環
(1)企業の資金調達と運用
(2)金融機関の資金調達と運用
(3)金融機関から不動産業への融資
3.土地取引
(1)国民経済計算
(2)法人企業統計による推計
(3)不動産業の資金調達と投資
4.1980年代の経済政策とその評価・
(1)金融政策
(2)財政政策
(3)金融自由化
(4)経済政策の評価
3
一橋大学研究年報 経済学研究 34
はじめに
1980年代の後半において,日本経済は,目覚しい経済成長と顕著な資
産価格の高騰を経験した.これについては,経済分析の観点からつぎのよ
うな点が検討の対象となろう.
(1)資産価格の大幅な変動の要因の解明。とりわけ,ファンダメンタルズ
要因とバブルの区別.
(2)資産価格変動が実体経済に与えた影響.
(3)資産価格変動を引き起こした資金循環面での変化.
(4)マクロ経済政策との関連.
本稿においては,これらの問題を,とくに(3)と(4)に重点をおいて
分析することとする.
1.1980年代後半の日本経済
(1)大型景気
円高不況を克服した日本経済は,1986年12月から拡大局面に転じ,
「岩戸景気」(58年6月∼61年12月,42ケ月)を抜く戦後二番目の大型
景気を記録した(戦後最長の景気は65年10月から70年7月まで57ケ月
の「いざなぎ景気」).
最初に著しい伸びを示したのは住宅投資である(表1).新築住宅戸数
は,1984年以前では毎年120万戸弱で推移していたが,1986年から87年
にかけて住宅投資はきわめて高い伸びを示し,その後も90年まで160万
戸を越える水準が続いた(表2).
4
1980年代後半における日本経済の分析
表1実質国民総支出等の推移(伸び率1%)
52
63
33
33
93
03
43
73
14
05
04
6
8
8
0
1
0
1
1
2
7
1
8
2
4246453
6
2
2
3
6
6
7
3
15
14
13
18
13
16
17
18
16
10
16
1
年度 国民総支出 民間設備投資 住宅投資
88
89
91
10.6
26.3
16。8
4.9
14.6
1.0
12.1
4.9
3.0
90
2.7
8。 6
87
12.2
3.0
86
8∩﹂7047︻U
1985
−1L3
(資料)経済企画庁,「国民経済計算年報」
表2住宅,耐久消費財,雇用情勢の推移
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
乗用車販売台数 百貨店売上
(万戸)
(万台) (兆円)
有効求人倍率
5
80
10
00
50
80
20
01
11
51
01
0
70
6
6
6
6
6
6
7
0
2
4
4
0
1980
建築着工戸数
7
12468150637
5666667乳8。絃99
年
っづいて設備投資の増加が始った,88∼90年の3年闇,実質で2ケタ
を越す伸びが続いた.このような高率の伸びが続いたのは,高度成長期以
来のことである.民間設備投資の対GDP比(実質)は,1980−86年度の
間は,ほぼ15%前後の水準であった.この間の平均は,15.1%である.
しかし,87年度からはこの平均を越え,とくに設備投資ブームがもたら
された88年度から90年度までは,極めて高い水準になった,1990年度
5
一橋大学研究年報 経済学研究 34
には,実に2L7%という高水準に達した.この4年間の対GDP比の累計
は,それまでの平均を17.5%ほど上回っている.つまり,1年分の設備投
資に相当するだけ従来の傾向よりは投資が増えたことになる.これは,資
本係数(資本ストックの対GDP比)の推移からも確かめられる。資本係
数には傾向的な上昇が見られるが,80年代の後半には,傾向線より高い
値となっている.91年では,傾向値より対GDP比で10%ほど高い.も
ちろん,設備投資のすべてが能力増大投資ではない.しかし,このことは,
企業の生産設備がかなり過剰になったことを示している.
耐久消費財の生産と販売も増えた.乗用車についてみると,従来,国内
の販売台数は年間約300万台だったものが,90年には年間500万台を越
える水準になった.また,家庭電気製品なども大幅に販売額が増加した.
景気拡大の結果,労働需給も逼迫した.有効求人倍率は1980年代の中
ごろまで0.7程度の水準で推移していたが,1988年には1を越え,90年
には1,4という極めて高い値になった.建設業などでは,人手不足が極め
て深刻な問題となった.そして,こうしたことを背景に,外国人労働者が
急増した.
企業収益も,この間に大きく向上した。大蔵省「法人企業統計」でみる
と,全産業の経常利益は,87年度に前年度比31.7%の増益の後,88年度
に同29.6%の増益となった.この結果,89年度の経常利益は,85年度の
1.87%となった.
また,地域構造に関しても,情報化や金融の国際化などによって,「東
京への一極集中」と呼ばれた現象が発生した.実際,東京圏への人口の転
入超過数は,1980年代になってからかなり増加している.これは,国際
金融業務や情報関連などの新しい経済活動が東京へ集中したことによる,
これによって,東京の土地の実体的な価値が上昇したと考えられる.これ
は,ビル賃貸料の推移からも確かめることができる.1980年代の中頃ま
6
1980年代後半における日本経済の分析
ではGNPとほぼパラレルに動いていた.ところが,東京では,1980年代
の後半に,それまでと異なる傾向が生じた.すなわち,それまで年間6%
程度の成長率であったものが,1986年に10%をこえ,87年には27.6%
の上昇となり,それ以降も2ケタの上昇率が続いた.
(2)対外投資の増大
1980年代には,経常収支が巨額の黒字を計上し,また日本の海外投資
も顕著に増加した(表3)。
経常収支の黒字は,80年代の中頃から拡大し,86年には858億ドル,
GDPの4.2%の規模にまで拡大した。長期資本収支の赤字(日本からの
対外投資)は,86∼87年の3年間には,1,300億ドルを越える水準になっ
た.本邦資本のみにっいて見ると,89年の長期資本流出は1921億ドルに
達した,
ここで注目されるのは,この期間の長期資本流出が経常黒字をかなり上
表3対外収支の推移
1980
7,012
1981
5,934
1982
9,135
1983
24,232
1984
37,015
1985
55,019
1986
94,139
1987
84,474
1988
77,274
1989
53,398
1990
33,716
1991
90,222
対GNP比 長期資本収支 対外純資産
60
50
82
02
93
74
43
32
61
9
0
経常収支
年度
(百万ドル)
(%) (百万ドル)
7
2,698
(億ドル)
115
14,934
109
11,876
247
20,797
373
54,197
743
73,177
1,298
144,680
1,804
119,465
2,407
121,400
2,917
99,720
2,932
16,793
3,281
39,756
3,831
一橋大学研究年報 経済学研究 34
回ったことである.長期的に見れば,長期資本流出を賄うものは,経常収
支における黒字であるから,これらは等しくなるはずである.80年代の
後半に前者が後者を上回ったのは,国内の貯蓄超過分(経常収支黒字)を
順調に海外に還流させたことに加え,日本の金融機関が海外で調達した短
期資金を長期資金にかえて還流させる金融仲介機能をも果たしたことによ
る.日本からの投資は「ジャパンマネー」と呼ばれ,オイルマネーにかわ
って世界金融市場の主役となった.
こうした対外投資の結果,対外純資産残高は,1986年には1804億ドル
に達し,イギリスを抜いて世界一の債権国となった.1989年末には2932
億1500万ドルとなり,5年連続して世界一の債権国になった(90年には
(注1)
ドイッに抜かれたが,その後再び世界一になっている),
(3) 資産価格の高騰
実体経済の成長と共に,株価と地価の著しい高騰が生じた.
株価の推移を日経平均株価で見ると,1983年の平均で8,800円であった
ものが,86年の平均では16,401円と,ほぼ二倍になった.さらに87年
10月には26,646円まで上昇した.その後,10月20日にアメリカで「ブ
ラック・マンデイ」と呼ばれた株価暴落があり,ニューヨーク株式相場は
22.6%も落ち込んだ,日本でもこれを「大恐慌の再来」とする意見が多く
見られた.しかし,実際には,日本の株価はその後もさらに上昇を続けた.
1987年10月14日の高値日経平均26,646円を翌88年4月に抜いて,1989
年大納会(38,915円)まで上げた.83年に比べると,実に四倍以上の上
昇である.
地価も,1980年代に異常な上昇がみられた,東京都心部の地価上昇は,
すでに1983年頃から始まっていた.都心3区(千代田区,中央区,港区)
の地価上昇率を都道府県地価調査でみると,1983年の段階ですでに
8
1980年代後半における日本経済の分析
13・3%となっており,84年に24.5%,85年44.2%と次第に上昇率が高ま
っていた.
ただし,東京都全体(あるいは区部全体)の住宅地の地価でみると,こ
の時期には目だった上昇とはなっていない.地価高騰が東京都全体に及ぶ
のは,87年の公示地価からである.これは,87年初の計数であるから,
86年中に地価上昇があったことになる.地価高騰は87年にも続き,結局,
86,87の2年間で約3倍になった.東京圏の地価は,88年以降,ほぼ横這
いになった,しかし,地価上昇は,東京圏から他の地域に広がった.大阪
圏の地価は,88,89年に顕著な上昇を示した.名古屋圏の地価も若干遅れ
て高騰した.地価高騰は,さらには,リゾート地や地方主要都市にもひろ
がった.
この現象は,日本列島改造論ブームの渦中にあった1972∼73年頃に続
くものである.日本の大都市の地価は,高度成長期以降一貫して上昇して
(注2)
きたが,それと比べてもこの上昇は異常なものであった.
地価高騰の直接の影響は,住宅価格の高騰に現われた.これは,日本の
大都市では,土地購入費用が購入コストの大部分を占あるためである.
一般に,労働者が購入できる住宅価格は,借入の返済能力などから考え
て,年収の5倍程度が限度といわれている,東京圏においても,1980年
代の中頃までは,集合住宅なら,そして都心からある程度の距離の地点な
ら・標準的住宅の価格はかろうじてこの範囲にあった.また,大阪,名古
屋圏では4倍台であった.しかし,地価高騰の結果,東京圏での比率は,
1990年には10倍を越えた.大阪圏でも7倍を越える水準になった。東京
圏の都心部では,20倍に近い水準になった.
株価や地価は,正常な状況下でも,経済の成長に伴って増加する.また,
資産価格は,利子率の動向によっても影響を受け,金利が低下すれば,資
9
一橋大学研究年報 経済学研究 34
産価格は上昇する.後に述べるように,1980年代後半は,未曾有の金融
緩和期であった.そこで,この期間の資産価格インフレが異常なものだっ
たか否かを判断するには,経済規模および利子率との比較が必要である.
仮に資産価格がファンダメンタルズ価格であるなら,
(資産価格)=(経常的収益)/(利子率)
となる.ここで,「経常的収益」とは,株の場合にっいては企業の収益,
土地の場合には土地の利用収益である.ここで,株,土地の各々について,
それらの総額がGDP(国内総生産)の一定率であるとしよう.すると,
表4 株価と地価の推移(年央値)
年度
対GDP比x利子率
対GDP比
株
土 地
株
土 地
1981
0.308
0.490
2.572
4.089
1982
0.333
0,495
2.747
4.082
1983
0.374
0.488
2。885
3.760
1984
0.451
0.487
3.232
3.494
1985
0.522
0.543
3.177
3.308
1986
0.680
0.829
3.498
4.260
1987
0.850
L269
4.166
6.217
1988
1.045
1.403
5.184
6.961
1989
L308
7.362
7.272
1990
1.101
7.611
8.235
1991
0.815
L292
L192
L103
4.475
6.058
1992
0.614
0.885
3.400
4.900
注
1.対GDP比×利子率は,単位%,
利子率は長期国債利回で%.その他は単位兆円.
2 株式価値は,東証1部上場株時価総額,土地価値は,東京都の宅地総額(公
示地価評価).
1991年度までは,GDPは各年度の値,利子率は各年度の平均値.
3土地原データは,東京都宅地資産額(国民経済計算統計年報).土地年中央値
は,1990年までは,原データからの単純平均計算,91,92年は,90年の値と都
道府県地価調査の東京都の値から計算.
4.92年度のGDPは,政府見通し.
10
1980年代後半における日本経済の分析
資産価値の総額は,GDP/利子率に係数を乗じたものになる.したがっ
て,(資産価値×利子率)/GDPは,株,土地の各々について,それぞれ
一定,あるいは傾向的に緩やかな変化を示すはずである.
表4の右側は,東証1部上場株時価総額と東京都の宅地総額について,
この式で定義される値の推移を示したものである.1980年代の中ごろま
では,株,土地のいづれについても,この値はほぼ一定となっている.株
の場合には,緩やかな上昇傾向があるとも見られよう,つまり,この期間
においては・株価も地価も,ファンダメンタルズ価格として説明できる水
準であった.しかし,80年代の後半には,株,土地のいづれにっいても,
この値が傾向値から大きく乖離する.これは,「バブル」(泡)の発生と解
(注3)
釈できる.
2.1980年代後半における資金循環
(1) 企業の資金調達と運用
表5に示すように,企業は,表のA,B,Cの手段により資金を調達し,
これを金融資産Dと実物投資Eに向けている(Eは「資金過不足」,すな
わち,実物投資のうち金融部門で賄われる部分を示す).
1985年から1990年までの間に,企業は株や社債の発行でマーケットか
ら約90兆円,金融機関から借入により約185兆円,その他の方法により
130兆円,総額405兆円の資金を調達した.このうち,金融資産の増額に
258兆円(約64%)があてられ,148兆円が実物資産の購入へ回された
(なお,この間の法人企業の総資本形成の総額は360兆円である).
資金調達面での特徴は,株式市場の活況によって資金コストが著しく低
下したため,大企業は資本市場から巨額の資金を調達したことである.こ
れが,いわゆる「エクイティ・ファイナンス」(時価発行増資,転換社債,
11
一橋大学研究年報 経済学研究 34
−轟
−11,847。5
8,240.2
15,657.9
−16,026.5
6,117.2
16,016.7
−12,935,6
27,135.2
−14,312.5
3,546.0
23,553.2
−12,938.3
−6,339.9
17,126.1
−12,281,6
12,632名
42,971。0
59,045.8
−22,426.2
29,989.2
19,414.7
27,063.4
53,412、0
−23,055.3
37,977,3
26,281.9
30,579.5
64,924.1
−30,014.6
39,484.5
15,638.8
31,872,5
39,729.5
−47,2663
16,4979
6,210.2
1982
17,380.3
6,063.9
1983
18,0850
4,750.1
1984
20,672.8
7,0743
1985
25,157.7
7,787.8
1986
26,611.7
9,1359
1987
25,868.2
1990
産
一12,640.0
4,332.1
1989
そ債
12,343.6
20,966.9
13,602ρ
1981
1988
c雛
金
A中厭
1980
B券式
債株
暦 年
非金融法人企業の金融取引(フ・一:10億円)
D資増
融純
金
表5(A)
累計 185,088.6
90,891.9
7,049.5
10,106.3
13,700.6
129,692.5 257,790.7 −147,982、3
資料1『平成4年版 国民経済計算年報』(1992年,経済企画庁)
注;金融資産の純増には,現金・預金,有価証券にその他の金融資産も含む.
表5(B)非金融法人企業の金融取引(フ・一の比率%)
E轟
産
金
その他
債務
D資増
融純
B券式
債株
A誌
年
暦
C
1980
54.4
17,3
28.2
49.4
一50。6
1981
50.3
189
30.8
63.9
−36.1
1982
54.9
19.1
26.0
49.4
−50.6
1983
62.5
16.4
21,1
55.3
−44。7
1984
49.9
17.1
33.1
65.5
−34.5
1985
68,9
21.3
9.7
64.5
−35.5
1986
90.5
31.1
−2L6
58.2
−4L8
1987
31.8
15.5
52,7
72.5
−27.5
1988
39.2
25.4
35。4
69.8
−30.2
1989
40.0
27.7
32.2
68.5
−3L6
1990
45.4
18.0
36.6
45.7
−54.3
資料=『平成4年版 国民経済計算年報』(1992年,経済企画庁)
12
1980年代後半における日本経済の分析
ワラント債などによる資金調達)である.その額は,87−89年の3年間だ
けで約58兆円にのぼった.
比率で見ると,80年代後半に,債券・株式など市場からの資金調達の
比率が上昇し,また,金融資産への投資の比率が上昇していることが分る.
ところで,調達された資金のすべてが設備投資に回ったわけではない,
かなりの部分は,大口定期や特定金銭信託,ファンドトラストなどの財テ
ク資金運用に流れ込んだのである。結局,負債を増やして資産を増すとい
う「両建て」的な資産運用がなされ,資産と負債がともに膨張していった
のである.
以上で見たのは全体の姿であるが,部門別に見ると顕著な特徴が見られ
る.すなわち,市場から資金を調達しこれを金融投資にあてたのは,主と
して製造業の大企業である.
1984年度末と1990年度末を比較すると,企業の資金調達に占める金融
機関からの借入と市場調達との比率は,法人企業全体ではほぼ8:2で大
きく変わっていない.しかし,製造業では,借入比率は70%から56%あ
まりに下落した.特に,製造業のうち資本金10億円以上の大企業では,
借入比率が59%から34%へと激減した.資金調達の額そのものも純減し
た.その反面,市場での資金調達は大きく伸長し,この期間の資金調達の
100%以上を市場で調達している.
これに対して,製造業大企業以外の業種では,基本的に借入に依存して
いる.しかも製造大企業が資金を返済したため,この6年間に181兆円あ
まりの資金を借入によって調達した。その70%が中小企業によって借り
入れられた.また全体の約26%(48兆円)を不動産業が占めている.不
動産業はもともと借入の比率が高いが,この6年間に調達した借入または
市場調達で調達した資金の92%までが借入である.
っぎに運用面をみると,金融資産投入比率が高いのは,やはり製造業大
13
一橋大学研究年報 経済学研究 34
企業である.期間を1989年までに限定すると,製造業大企業の金融資産
投入比率(現・預金+有価証券)は60%に達する.
(2) 金融機関の資金調達と運用
この期間の金融機関の資金調達と運用の状況を日本銀行の作成する資金
循環表によってみよう(表6)。
まず調達面を見ると,1986・87年の両年にわたり,「投資信託受益証券
の発行」が著しく増大していることが注目される.これは,前述の「特
金・ファントラ」が重要な役割を果たしたことを示している.86年から
89年の累計増加額は,約33兆円となっている.87年以降は,「預金」が
著しく増加している.これは,金融自由化によって自由金利預金が増えた
ことの反映である.また,88,89年には,保険の増加が著しい.これは,
一時払養老保険の増加による.
表6 民間金融部門の資金循環(単位=兆円)
中引
年取
資
現金 有価証券貸出金 預金等
5、3
3.0
5.7
3.9
7.0
4.2
9.1
3.9
15。0
27。8
20.1
14.6
3L9
24.9
16.7
30.2
23.7
36。4
38.8
27.7
11.0
12.9
30,7
47.9
41.8
1L7
15.5
44.3
75.9
46.3
47.4
36.1
19.4
13.3
20.6
7.4
52.4
23.2
5.9
29.6
3.2
18.9
3.6
24.8
27,8
、2.7
4.0
24,1
13.2
−0.3
2.1
4,6
10.6
8.4
1990
4,2
1989
16,4
8.9
1988
6,3
1987
5.2
1986
4.6
1985
4.4
1984
4.3
1983
20.6
投資信託
信託 保険 金融債 証券発行
2.3
1982
8.1
1981
10
10
40
00
。0
3
α
01
α1
α1
α4
α00
1980
債
負
産
15.8
85−90 1.1 1363 292.6 219.9 595 93.2 28,0
資料=『経済統計年報』(日本銀行).
14
一〇.l
L3
2.4
4.7
3.7
2.9
13.0
1L3
6.8
2.3
−3.8
32.5
1980年代後半における日本経済の分析
運用面では,1986・87年に有価証券が増加しており,87年頃からは貸
出金が大幅に増えている。これは,1986・87年に生命保険等の機関投資
家を中心に企業の債券・株式購入が行われたこと,また,87年頃から銀
行による不動産業や中小企業への積極的な貸し出しが行われたことを示し
ている.
製造業大企業を中心とした「銀行離れ」が進んだため,金融機関は資金
運用難に陥った。そこで,貸付け先を従来の大企業,製造業から中小企業,
不動産業へと大きくシフトさせていった.直接の融資でなく,ノンバンク
を経由したものも多い.これによって,土地投機の資金が賄われたのであ
る,
っぎに,業種別の融資残高の推移を見よう(表7).まず,製造業に対
する貸出残高が,1986年から89年まで継続して絶対額で減少しているこ
とが注目される.これが,前に述べた製造業大企業の「銀行離れ」である.
他方で,不動産業に対する融資は顕著な増加を示した.残高は,1984・
表7 全国銀行業種別貸出残高(各年12月,単位:兆円)
08
18
28
38
48
58
68
788
99
0
8
年 製造業 建設業 卸小売 不動産 その他 合計 中小企業大企業
40.2
9.1
9,2
47.5
49.7
155。7
68.5
47.8
5L7
10.2
43.0
10.2
56.5
171.6
74,5
53.4
55.3
1L2
46.6
11.9
64.5
189.4
82.6
58.4
57.7
12.7
49.9
14.O
74.2
208.6
93.0
63.4
60.7
14.1
53.5
l6,5
85.2
229.8
105.6
63.6
15.5
56。2
20.1
97.0
252.4
119.2
73.3
62,7
16.4
57.2
26.6
111.6
274.5
138.3
74.1
60.0
17.1
59。2
31.2
134.1
301.7
162.4
72.7
59.1
18,1
60.5
35.8
150.5
324.0
18L9
71.6
59.1
19.2
63.1
4LO
172.7
355.1
247.0
71。4
59.2
20.0
65.6
42.4
188.8
376.0
264.5
74.1
60,5
2L6
64.3
44.7
194.7
385.7
273.7
na
資料=r経済統計月報・年報』(日本銀行)
注=1989年以降第二地銀の計数を含む.
15
68.6
一橋大学研究年報 経済学研究 34
年には16.5兆円で製造業の27%でしかなかったが,91年末には40兆円
を越え,製造業の約74%にまでになった.1990年の4月からは総量規制
が実施されたが,この期間においてもなお増加が続いている.
なお,規模別では,中小企業への融資の伸びが著しい.中小企業に対す
る融資残高は,1984年末には大企業向けの約1.5倍であった.この比率が
1990年には3.5倍にまでなっている.
(3) 金融機関から不動産業への融資
すでに述べたように,金融機関から不動産業に対する融資の残高は・
1984年末で約16兆円であった.内訳は,全銀銀行勘定で約14兆円,信
託勘定で2.8兆円である.
これが,80年代後半に,著しく増加した.特に86年には,1年間で7、2
兆円の増加を見せた.85−90年累計では,約28兆円の増加である。この
’結果,1991年末における不動産業に対する融資残高は,全銀銀行勘定で
39.5兆円(第二地銀3兆程度を除く),信託勘定で5。9兆円の合計45,4兆
円となった,このうち,都市銀行が半分程度を占めている,
この結果,総貸付残高に占める不動産業向け融資残高の比率も高まった.
全銀銀行勘定でみると,1984年末の6.9%から,1991年末には1L6%に
まで高まっている.
なお,1990年4月から不動産融資の総量規制が導入されたことなどに
より,融資残高は90年3月をピークに減少に転じた(1990年12月末で
の銀行の不動産業向け貸付残高は,48。4兆円.),したがって,それ以降の
土地購入はあまり大きくない.
この状況を業態別に見よう(表8).まず,1985年に信託銀行の不動産
融資の伸びが高まった。86年には実に58%増と,著しい伸びを見せた,
増分の絶対額は1兆円程度で,さほど大きくはない。しかし・信託銀行の
16
1980年代後半における日本経済の分析
表8 不動産業への貸付の推移
(A)
対不動産業貸付残高(兆円)
4.3
5.2
5。3
5.9
6.1
5.9
3.1
﹄0
O0
O0
O0
Oα
O0
ρα
0
0
合計
22.9
27.5
35.6
4L8
47.2
53.9
56.0
57.8
0.0
34.9
長信銀 全銀信託 全銀計
2.1
2.6
3.0
3.6
7。2
4.5
4.8
6.4
8.9
6.1
17.6
27.9
32.1
38.7
7.6
9.7
6。5
8.2
5.8
10.2
15.2
22.2
6.2
4.0
40.1
40.2
6.1
6.8
2.7
3.5
5.9
17
3.4
3.1
9。2
1L3
輸銀
4.8
2。6
7.4
11.1
11.1
43.1
4.1
6.1
10.2
増加85−91
』2.3
3.4
5.4
年末 都市銀行地方銀行 信託
開銀
0.1
(B)対金融業貸付残高(兆円)
36。8
4L7
28.6
5
5
5
4
5556
00
00
0α
αα
3.1
2.8
85−91
商中
0.4
52
93
13
84
45
1a
45
3
2
48
58
68
788
99
09
1
8
4
5
6
7
8901
8&
88
88
99
年末 相銀(第二地銀) 信金
27.9
45.3
3.7
「、
1.3
5。8
増加85−91 14.7
6.3
91 2LO
6.0
90 19。9
5.7
89 19.3
16.7
20.6
32.7
5.1
88 16.9
4.6
87 14.4
3.9
86 1L8
2.8
85 8.2
長信銀 全銀信託 全銀計
3.0
84 6.3
2.6
4潟
95
43
ユ7
6
7
999010
02
9
9
4227
1
1
2
2
222
2
00
。αααLLL
22
34
εa
a4
6
200150石24
£
3456。7&豆9
23
30
4マ
46
50
66
丘
年末 都市銀行地方銀行 信託
25.0
一橋大学研究年報 経済学研究 34
24.3
19.4
30.4
34.7
4L6
43.7
0.1
長信銀 全銀信託 全銀計
6.1
0.8
7.0
8.9
1.2
1.4
11,2
2.6
15.5
3.0
16.0
16.1
3.3
2.4
10.0
2.7
6.8
7.8
9.7
12.2
13.9
16.6
17.5
17.4
0.1
0。0
0
0
0
0
0000
αα
αα
αα
00
0位
00
00
00
00
﹄0
﹄0
﹂
0
10.7
1.4
2.0
21
30
︻0
U
α
α2
02
030
1.1
L4
L5
商中
24。0マー4’4’5
2
233生444
40
40
50
£α6
0
0β
08
。コ
0
ρα
1α
ー0
ユ0
ユ0
20
2
90
2﹄1
941
。63
0
0
1
122α12
L1
L4
増加85−91 2.4
年末相銀(第二地銀) 信金
0.5
0.3
0.7
年末 都市銀行地方銀行 信託
(C)金融業経由不動産業貸付残高(兆円)
0.2
0.1
18
0.3
48
58
68
788
99
09
1
8
48
58
68
789
8
80
91
9
85−91
Ll
48
﹃8
︾8
6R7
8
︾8
R9
V0
9
85−91
8
9
6
0
251
2
2
3
3
3444
4石
7£
90
﹄ 011
αα
L2
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α
00
00
00
0
0
0
0
0
0
0
0
αα
αα
00
0 0004
ーβ
10
15
29
26
a9
3ユ
4
00
つ0
n0
O0
ユ0
ユ0
ユ
α
26.7
0、0
12.8
L8
合計
輸銀
開銀
LO
合計
輸銀
開銀
16.9
Ll
商中
年末相銀(第二地銀) 信金
1980年代後半における日本経済の分析
融資先は主として大都市であるから,限定された範囲に短期間に集中的に
資金が投下されたことになる.なお,信託銀行の融資は,87年から減少
に転じた.っまり,不動産業融資は,信託銀行から他の金融機関にとって
代わられたのである.なお,1990年から総量規制が発動されたが,1991
年に信託銀行の不動産業融資比率が再びかなり高まったことが注目される.
信託に続いて,都銀の融資の伸び率も高まり,1986年には44.7%増と
なった.増加額でいえば,3.6兆円の増加である.都銀からの融資は,89
年までかなりの増加を続けている。
土地関連融資はさらに地方銀行へ波及し,1989年に伸び率のピークを
記録した.これは,地価高騰が地方都市に波及した過程と軌を一にしてい
る.
金融機関からの資金供給ルートとしては,ノンバンクを経由する「迂回
融資」もあった.「ノンバンク」とは,リース,信販,住宅金融会社など,
銀行以外で金融業務をしている企業を指す.
銀行から金融業に対する銀行の融資推移をみると,融資残高は,1984
年末には全銀銀行勘定で約13兆円,信託勘定で2兆円で,合計15兆円で
あった.不動産業向け融資と同様,80年代後半に,著しく増加した。85−
90年累計では,約25兆円の増加である.このうち,長信銀と信託銀行,
全銀信託勘定で6割強を占めている.不動産業に対する融資が都市銀行・
地方銀行で過半数を占めていたことと対照的である,ノンバンクの融資の
実態については,整備された統計がないため,正確な状況を把握すること
が難しい.ただ,いくっかの資料から推測を行なうことは出来る.特に,
大蔵省が行なったノンバンク上位社の調査によって,融資の状況が分る.
これによると,総貸金の不動産業に対する比率は,事業者向けノンバンク
で43∼45%,全体平均で35∼38%となっている.
ところで,ノンバンクの資金源は,殆どが銀行からの借り入れである.
19
一橋大学研究年報 経済学研究 34
そこで,銀行からノンバンクヘの融資の4割が不動産業向けの融資である
と考えることが出来る.銀行の不動産業向け貸付残高は,1984末に約20
兆円であったものが,80年代の後半には,毎年4∼8兆円のオーダーで増
え続け,5年間に約28.6兆円増加し,1990年3月末の残高は約48.8兆円
となった.
ノンバンクを経由する「迂回融資」のルートでの5年間の累積貸出額は,
約15兆円である.したがって,合計すると,約44兆円の増加があったこ
とになる.
3.土地取引
(1) 国民経済計算
銀行からの貸付が不動産業にシフトしてゆく半面で,不動産業は借り入
れで調達した資金を,土地に投資した.
まず,「国民経済計算」における非金融法人企業の土地投資額の推移を
みよう.表9は,制度部門別に,土地の売却と購入を示したものである.
但し,ここで示されているのは部門ごとのネットの計数である.
家計部門は恒常的に土地のネットの売り手であり,非金融法人と一般政
府が主なネットの買い手となっている.家計のネットの販売は,1985年
度から90年度の5年間の累計額で約64兆円である.非金融法人企業のネ
ットの土地購入は,1980年代前半までは毎年ほぼ数千億円から1兆円程
度であったが,80年代後半から急激に増加した.1985年度から90年度の
5年間の累計額は,約40兆円である.
この中には当然,生産目的の土地も含まれているだろう.ただし,80
年代前半までの傾向から見て,法人企業の生産目的の土地需要がこの期間
20
1980年代後半における日本経済の分析
表9 制度部門別土地の純購入(金額10億円)
非金融法人 金融機関 一般政府 民間非営利 家 計
1980
1,125.5
116.9
2,395.8
169.7
一3,807.9
1981
1,361.1
123.2
2,585.1
105.1
−4,174.8
2,626.0
157.8
−3,559.7
119.4
1982
681.0
1983
741.4
132、8
2,616.3
1984
332.3
133。O
2,663.5
94.9
49.3
−3,609.9
−3,178.1
1985
2,613.7
l81,7
2,702.8
150.4
−5,648.6
1986
2,722.0
240.5
2,780.8
158.7
−5,902.0
1987
5,070.4
283.2
3,220.1
192.4
−8,766.1
1988
8,062.2
374,9
3,829.0
276.8
−12,542,9
1989
9,760.5
512.2
3,927.7
333.7
−14,534.1
554.0
4,482.7
1990
11,513。1
85−90累計 39,741.9
2,146.5
20,943.1
84.1
−16,633.9
1,196.1 −64,027.6
資料=『平成4年版 国民経済計算年報(資本調達勘定)』(1992年,経済企画庁)
にかくも急激に増えたことは考えにくい.したがって,この殆どは投機目
的のものと考えられる.
(2) 法人企業統計による推計
「国民経済計算」のデータでは,これ以上の詳細を知ることができない.
そこで,以下では,『法人企業統計』(大蔵省)によって,法人企業の土地
の購入状況を見よう.
ここで,不動産業の場合には,固定資産の他に棚卸資産にも土地が含ま
れている.ここでは,後者の半分が土地であるものと仮定して推計した.
全産業での土地保有額は,1984年末で約51兆円であったものが,90年
末には約119兆円となっている.したがって,85−90年の間の土地購入は,
約67,8兆円ということになる.
これを,すでに述べた国民経済計算データと比較すると,まず,保有額
の計数は,国民経済計算の計数に比べてかなり小さい.これは,評価法の
21
一橋大学研究年報 経済学研究 34
違いによる.すなわち,すでに見たように,国民経済計算の計数は値上り
益をカウントしてあり,時価で計上している.これに対し,法人企業統計
では,取得原価で計上しているため,購入時以後のキャピタル・ゲインが
含まれていない.
他方,土地購入額は,法人企業統計の計数の方が国民経済計算の計数よ
り大きい。これは,やはり評価法の違いによる.すなわち,法人企業統計
では,土地の売却時にそれまでのキャピタル・ゲインが顕在化するからで
ある.
前記の67.8兆円を規模別にブレークダウンすると,大企業が19。1兆円
で28.2%を占め,中小企業が48.7兆円で7L8%を占める.
っぎに業種別にみると,1985年∼90年の間に最も土地を購入した業種
は不動産業であり,累計は約28兆円となっている.全産業に占めるシェ
アは,38%である.この結果,1990年度末の残高は約38兆円と,1984
年末の約3倍になった.これを規模別にみると,土地勘定の76%,在庫
の80%あまりが中小規模の不動産業によって購入されている.年度別に
みると,1987年度の増加が15.5兆円ときわめて多くなっている.なお,
製造業の土地購入は他の業種に比べて,ウエイト・伸び率ともに比較的小
さい.
(3)不動産業の資金調達と投資
以上の分析をもとに,1980年代後半における不動産業の借り入れと投
資の状況をまとめておこう.
まず第1に,金融機関から不動産業に対して,1984年末∼90年末の6
年間に約44兆円の融資が行なわれた.これには,ノンバンクを経由する
ものも含めてある。
他方で,この間の不動産業の土地の購入額は,28。5兆円であった.
22
1980年代後半における日本経済の分析
不動産業は,土地以外にも,設備投資の他に有価証券などへの投資を行
なっている.投資累計額は,固定資産(建物など)が約10.7兆円,有価
証券が8.6兆円,計約19兆円であった.
4.1980年代の経済政策とその評価
(1)金融政策
1980年代の後半は,未曾有の金融緩和期であり,利子率が大幅に低下
した.公定歩合の推移を見ると,1983年10月以来5%であったものが,
86年1月から数次にわたって引下げられ,87年2月には2,5%という史
上最低の水準にまで低下した.
これは,85年9月の「プラザ合意」以降の急激な円高に対処するため,
国内金融を緩和する必要があったためである.また,アメリカからも,強
い利下げ要求があった.
1987年の中頃になると,景気回復が明らかとなってきたため,日本銀
行は市場金利の高め誘導を開始した.9月には,アメリカが公定歩合を引
上げたので,日本銀行も追随して公定歩合引上げを準備したとみられる.
しかし,10月にアメリカで「ブラック・マンディ」が生じたため,金融
引締めは見送られた.そして,89年5月まで,史上最低水準の公定歩合
が据置かれることとなった.
これは,資本供給国たる日本が金利を引上げると,海外への資本供給が
減少し,アメリカを始めとする資本輸入国が困難な状態に陥り,特にアメ
リカでは,再びブラック・マンデイのような事態が再発しかねない,との
判断による.実際,円高は88年中も続き,88年の秋には1ドル120円を
切る状態にまで至った.こうした対外的考慮が金融引締めを遅らせ,資産
23
一橋大学研究年報 経済学研究 34
(注4)
価格をさらに高騰させることとなったのである.
では,仮に金融緩和がなされなかったとしたら,どうだったであろう.
この場合には,現実に比べて,まず円高になっていたはずである。これは,
経常収支の黒字を縮小させ,対外投資を減少させていただろう.国内では,
金融機関の貸付が現実より少なくなり,したがって,不動産業の土地購入
も異常な増加を示さなかったであろう.つまり,80年代に起こった資産
価格インフレーションは未然に抑えられていた可能性が強い。
この政策オプションが現実に取れなかった理由は,第1には,円高が国
内産業に与える影響が配慮されたからである(しばしば,80年代のマク
ロ経済政策は,対外的な配慮,とくにアメリカヘの配慮から制約を受けた
といわれる.しかし,アメリカの最大の関心事は,日本の経常収支の黒字
だった.しかし,金融緩和をしなければ,経常黒字は現実の値よりも縮小
していたはずである).
為替レートに関しては,本来,生産者と消費者とで利害が異なるはずで
ある.前者は円高によって対外競争力が低下するため,輸出の減少あるい
は輸入の増加という形で被害を受ける.しかし,消費者の立場からみれば,
輸入物価の低下により実質所得が増大するので,円高は,本来は望ましい
ものである.
ところが,実際には,急激な円高が進んだにもかかわらず,さまざまな
規制やマーケットの不完全さによって,その利益が消費者に還元されなか
った(いわゆる内外価格差の問題).したがって,円高の経済的な効果は,
もっぱら生産者に損害を与えるということだけになった.このために,円
高を抑制するということが国論になった.本来であれば生産者の側の論理
と,消費者の側の論理のバランスがとれた経済政策が行われて然るべきだ
ったのである.
金融緩和がなされた第2の理由は,金融を緩和して設備投資を増加させ
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1980年代後半における日本経済の分析
る必要があると考えられたことによる.しかし,この理由が正当なものだ
ったか否かは,疑問である.なぜなら,まず第1に,開放経済においては,
国内利子率は,世界利子率の水準によって受動的に定まる傾向が強いから
である(差がある場合,資本移動と為替レートの変化で調整される).し
かも,87年以降は国内経済はむしろ加熱気味であった.
(2)財政政策
1980年代の日本の財政運営の至上目的は,財政再建におかれた.この
ため,当初,84年度に特別公債依存から脱却することが目標とされた.
しかし,81年,82年と大幅な歳入不足に見舞われた.このため,目標は
変更され,90年度に特別公債依存体質からの脱却が目標とされた.これ
は,当初は困難とみられていた努力目標であったが,80年代後半の大幅
な税の自然増収の伸びによって,90年度の予算において実現した.
80年代の後半に,税収は順調な伸びを示した.とくに法人税は,1987
年度に20.8%,88年度に12.0%と,きわめて高い伸び率を示した。もち
ろん,この原因は,資産価格の上昇だけではない.しかし,その影響はか
なり大きかった.平成元年の経済白書によると,経常的経済活動要因によ
る法人税の増加率は各年度ともほぼ5%程度であり,87年度における増
加の大部分は,資産要因(財産所得や値上がり益)と在庫品評価益による
ものであった.
他方,財政支出はこの間にめだった増加を示さなかった.このため,財
政赤字は顕著に縮小した。一般政府の収支(国民経済計算における一般政
府の貯蓄・投資差額)でみると,1986年まで赤字であったが,87年度か
ら黒字に転じ,88,89年度では対GNP比で2%を超える大幅な黒字にな
っている.赤字のピーク時であった1979年度にはGNP比で4.5%だった
ことと比べれば,大幅な改善があったことになる,
国債残高の対GDP比は,1986年度に42.7%と最高値を記録した後,
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継続的に低下し,90年度末には38.1%にまでなった.国債残高の対GDP
比が低下したのは,1965年度に国債の発行が開始されて以来,初めての
ことである。
これは,金融機関からみれば,適切な運用対象が減少したことを意味す
る.このため,金融機関は,ポートフォリオの中で貸出を増加させざるを
えなかったのである.仮にこの期間においても国債という投資対象の供給
が増加し続けられていたなら,貸出競争はあれほど激しいものにはならな
かったろう.実際,仮に86年度以後も国債残高の対GDPが不変に保た
れたなら,90年度末の国債残高は,現実よりは20兆円程度多い値となっ
ていたはずである.これは,不動産業への80年代後半の現実の貸出増と
同規模の額である.この一致は,決して偶然のものではない.国債発行の
削減がなければ,不動産業への異常な貸出増は生じなかった可能性が強い.
国債を増発すると,国内の金利に対して,上昇圧力が加わる.これによ
って為替レートは円高になり,この結果,対外経常収支も減少する(この
過程は,国内金利が世界金利に一致するまで続く).したがって,もし財
政再建が現実に比べて緩やかに行われていたなら,円高と対外経常収支の
縮小がもたらされていたはずである.したがって,対外投資も実際の値よ
りは小さくなっていたはずである.つまり,外国での資産の蓄積が減って
いたはずである.もし国債発行によって公共事業を増加させていたなら,
国内の社会資本整備が進んでいただろう.
国民の立場から見れば,現実に起こったことより,この結果の方がはる
かに望ましかったはずである.第一に,社会資本充実により生活水準が向
上した.第二に,円高による輸入物価低下の恩恵を享受できた.そして第
三に,異常な地価上昇を経験しないですんだ.
この政策オプションが現実にとれなかった理由は,第一に,財政当局が
財政赤字の縮小にこだわり続け,マクロ的な配慮を怠ったことにある.第
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二は,円高が産業に打撃を与えることから,政治的に困難だったことによ
る。
(3) 金融自由化
前に述べた企業の「財テク」が増えた背景として,金融の自由化によっ
て金融商品の選択幅が広がってきたことがあげられる.
1979年5月の譲渡性預金(CD)の導入を皮切りに,1980年代には大口
預金金利の自由化が段階的に進められていた.85年3月に市場金利連動
型預金が導入されたのに続き,同年10月には,10億円以上の定額預金金
利が目由化された.
自由金利商品の金利は,規制されていた金利より高く設定されたので,
これらの商品を利用できる企業の金融収益が上昇し,財テクヘのインセン
ティブが強まった.86年頃の定期預金金利は,6%程度である.他方,エ
クイティファンナンスの資金コストは,2%程度であったといわれる.し
たがって,企業にしてみれば,金を右から左に動かすだけで多額の金融収
益を上げることができたわけである.
ところで,金融機関からみると,金利自由化は,資金調達コストを引上
げる要因となった.それにも拘らず,貸出面で一般的に金利を高める行動
は取らなかった.金融機関の対応は,むしろ,融資先をリスクは高いが利
益率も高い対象にシフトさせたことによってなされた.このことと大企業
の「銀行離れ」によって,不動産業への貸付が増加したのである.
(4)経済政策の評価
以上で見たように,経済政策のいかんでは,80年代の経済状況は,現
実とはかなり異なるものとなっていた可能性が強い.
結局,80年代のマクロ経済的なメカニズムは,っぎのようなものだっ
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たことになる.まず,生産性の向上によって交易条件が改善した.マクロ
政策に変化がなければ,これによって円高がもたらされたはずである.そ
して,これによる輸入物価の下落を通じて,国民は勤勉さの報酬をうるは
ずであった,実際に円高は進行したのだが,円高差益は消費者には十分に
還元されず,生産者と流通業者に吸収されてしまった(経済企画庁の推計
では,円高差益は25兆円程度にも及んだ).
本来であれば,さらに円高が進むはずだったが,実際には,金融緩和と
財政圧縮(財政再建の進行)によって,為替レートでの調整は抑制された.
そして,金融緩和と財政圧縮は,金融機関からの貸出を増加させ,とくに
不動産業への貸出を増加させた.これにより土地投機がなされ,地価が高
騰した.
こうして,国民は勤勉さと高貯蓄の成果を,物価の低下,社会資本の整
備,金融収益の増加という本来得られるはずの形ではえられず,「地価上
昇」という形で受取るという,皮肉な結果に直面したのである.1980年
代のバブル発生の背後には,このような経済構造の歪みがあったことを見
逃してはならない.
(1)91年には,経常収支の黒字増大にもかかわらず長期資本収支が黒字(流
入超)に転じるという,異例の事態が生じた.しかし,これはジャパンマネ
ーが減ったためではない.主たる原因は,外国の機関投資家の日本株投資が
増え,日本への資金流入が急増したことにある.他方で,邦銀はユーロ市場
で短期資金の返済を行なった(したがって,こうした形態での資本供給は続
いたことになる).っまり,80年代後半における特殊な調達・運用形態を逆
転させたことが,91年の異例な結果の原因である.
(2) 株価,地価の動向は,90年代になって逆転した.
1990年初から,我が国の株式,債券,円は揃って値下がり傾向を強めた.
これは,「トリプル安」と呼ばれた。なかでも,株式の急落ぶりは著しく,
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日経平均株価は89年末史上最高値3万8915円を記録した後,90年の始め
から暴落し,4月には28,000円となった.4ケ月足らずの問に,値幅で1万
666円,率で27・5%も下落したことになる.その後,少し小康状態を保った
が・8月2日のイラクのクウェート侵攻を契機に,再ぴ下げ足を速めた.こ
の結果,東証1部株時価総額は,89年12月の850兆円から90年12月には
365兆円まで縮小した.90年12月の平均株価は2万3740円であったから,
一年間で4割近い下落を記録したことになる.
1991年の株価は比較的安定していた.しかし,92年になってから再び激
しく下落し,8月中旬には,日経平均が1万4千円台にまで下落した.これ
は年初の水準に比べると,3割を越える下落である.その後,総合経済対策
などによって・回復したが,10月現在,依然として2万円を下回る水準に
ある.
地価は90年までは高値安定を続けていた(地方中核都市では,上昇が続
いていた)・しかし・90年の後半からは地価も下落し始めた.そして,91年
には,顕著な下落を示した.92年の都道府県地価調査によると,91年7月
から92年7月までの1年間の下落率は,東京都で15。1%,大阪府で23.8%,
そして京都市では27.5%となった(いづれも住宅地).
(3) この数値は,最近になって再び傾向値に回帰してきている,つまり,バ
ブルが崩壊しているのである.
株価については,80年代の前半の水準そのものが均衡値だと考えると,
現在の値はほぼ均衡値である.しかし,80年代の前半の傾向的な上昇線か
ら比較すると,現在の値は3∼4害Ij程度低すぎると評価できる.これに対し
て,地価はまだ3割程度下落の余地があるようである(ただし,ここでの地
価は公示地価評価であるため,時価よりは変動を過小評価している可能性も
ある・っまり,「時価」ないし「実勢」は,もっと下がっているかもしれな
い).
(4) プラザ合意以降大幅な円高となった為替レートは,1987年以降は頭打ち
となり,88年中は125円から130円台前半の狭い範囲内でほぼ安定してい
た.しかし,89年に入ると円安傾向を示すようになり,5月には140円に近
づいた。このため,金融引締めを行なう為替レート面での制約は除去された。
他方,国内では,株価,地価の高騰のみならず,人手不足が深刻化し,景気
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の加熱が危惧された,さらに,原油価格の上昇という要因も加わった.
こうした背景の下で,金融政策は,89年5月から引締めに転じた.公定
歩合の推移で見ると,それまでの2。5%から89年5月の第1次引上げで
3.25%となり,以後1年3ヵ月にわたって徐々に引上げられて,90年8月
の第5次引上げで6%になった.
88年までの一般的な金融緩和期間においても,5回にわたって投機的土地
取引を誘発するような資金融資の自粛指導要請が行われていたが,1990年
には不動産業への総量規制が導入された.「総量規制」とは,金融機関の不
動産業向け融資の残高を一定水準以下に抑える規制のことで,具体的には,
四半期ごとの不動産業向け融資残高を総貸出残高の伸び率以下に抑えること
とした.規制の対象には全国の銀行のほか,信用金庫,信用組合,生命保険,
損害保険会社などが含まれていた.総量規制の実施は,「列島改造ブーム」
で地価が高騰した1973年以来17年ぶりのことであった.この結果,融資残
高の伸びはとまった.
資産価格の低下と実体経済の後退に対応して,金融政策は91年7月から
緩和に転じた.さらに,1991年末には,不動産関連融資総量規制の解除と
公定歩合の第3次引下げという金融政策の重要な決定が2っ行われた.
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