2015年度研究会報告要旨

共通論題Ⅰ<沖縄をめぐる中央‒地方関係>
中央地方関係の中の「沖縄」なのか?
―構造的差別と人民の自己決定権の希求―
島袋純(琉球大学)
[email protected]
日本の中央地方関係の中で、北海道と沖縄は特異な歴史的経緯により近代日本の国土に編入さ
れている。琉球国は、東アジアの国際関係または外交関係に相当する中国中心の朝貢・冊封関係
を5百年わたって維持し、19 世紀西欧諸国が築きつつあった近代国際関係においては、1854 年、
琉米修好条約(米国上院の 3 分の 2 多数で批准)を締結、1955 年琉仏修好条約、1959 年には琉欄
修好条約を結んでいる。当時の国際関係の主体として存在していたという証といえる。
1879 年の琉球併合は、日本陸軍が首里城を囲む中で、武力による威嚇のもとに琉球国の意思に
背き強制されたものであり、当時の国際慣習法に違反し無効ということも可能である。以降内地
法とは別の法体系の「特別県」として組み入れた。
「内国植民地」というのが通説的な見解である。
この琉球併合に対して清が強く抗議し承認しなかったため、明治政府は米国の仲介のもとに、宮
古島以南を割譲する案など様々な提案を行っていた。
1945 年「皇土」を死守するための持久戦とされた沖縄戦の最中、戦争終結のためのソ連への仲
介依頼において沖縄の放棄は、日本側から提案されている。米軍は 1945 年 4 月沖縄本島に上陸
し、同時にニミッツ布告によって奄美以南の全琉球に軍政を布いた。米軍は「征服の権利」(Right
of Conquest)によって沖縄の土地を取得したとして、住民を収容所に強制収容している間に土地
を強奪して基地建設を行っていった(ハーグ陸戦条約違反)
。日本の沖縄支配を否定し、恒久的な
沖縄支配を目論んでいたアメリカにとって、問題となるのは沖縄の「民族自決権(人民の自己決
定権)
」である。米軍の支配から沖縄の人々が「民族自決」を要求した場合に対抗できない。1947
年の天皇メッセージは、沖縄を日本領とした上で米軍への恒久的な貸借を提案するものであり、
1952 年のサンフランシスコ講和条約はそれに基づいて日本の主権回復が図られる。同時に米軍に
対して、日本の主権を侵害する占領軍としての特権そのまま継続して認める安保条約及び行政協
定を締結し、全土基地化、自由使用を可能とする駐留軍用地特別措置法が制定される。
1969 年の沖縄返還協定は、施政権返還前と変わらない在沖米軍基地の特権をアメリカ側に与え
ることこそが本質であり、そのための沖縄に対する特別な法体系の整備がなされた。最大の問題
は、強奪により占有された米軍用地の形式的な合法化である。「沖縄における公用地暫定使用法」
は憲法 95 条の適用が要請され、住民投票がなされるべきまったく無視して制定し、さらには日本
本土では適用できなかった駐留軍用地特別措置法を適用し、土地の強制使用を合法化している。
実質的に沖縄だけに適用される人権侵害的な法律と言わざるを得ない。
このような人権制約的な特別法をムチとすれば、もう一方でアメに当たる法や制度の体系も構
築された。それが、沖縄振興開発特別措置法を中心とする沖縄振興開発体制である。一連の法案
を準備した山中貞則は、
「償いの心」をもって法律を準備したと国会で述べている。沖縄の労苦に
報いる、そのような言説はその後 30 年にわたって自民党中枢に共有され沖縄の日本への国民統合
の基盤となった。言説は同情的であったとしても法制度には反映されない。日本の中央地方関係
において、特別な予算を根拠づける特別な仕組みは限りなく小さい。
「沖縄振興開発予算」は、離
島振興法、過疎法等、当時の高率補助の事業メニューを束ねて看板を掲げ、一括計上するという
だけの仕組みに過ぎない。この仕組みが現在でも基本的には変わらない。ただし、政治的な正統
性は転換している。つまり「償いの心」は完全に消え失せ、基地の補償という意味が前面に出て
いる。金銭的補償による権利侵害受容の強制である。政府が投票で示された住民の明白な意思を
無視するのは沖縄以外にない。構造的差別と「人民の自己決定権」の極めて深刻な衝突である。
1
共通論題Ⅰ<沖縄をめぐる中央‒地方関係>
「領域」における独自性と自立の可能性と課題
―沖縄と北海道との比較から―
山崎幹根(北海道大学)
[email protected]
現代日本の中央地方関係において、沖縄と北海道は他府県と異なる特別な制度の下に位置づけ
られてきた。すなわち、国土開発政策の文脈から、北海道、沖縄に対して国が公式的、非公式的
に特別な意味づけを行い、国の役割を強める形での関わりを維持してきた。その一方で、地方自
治体の側から自立を追求する試みも断続的に行われてきた。本報告は、2 つの「領域」で繰り広
げられてきた振興/開発政策と制度の変容を比較しつつ、その中央地方関係の特質を明らかにす
ることを目的とする。
先ず、第一に、沖縄および北海道ですすめられてきた振興/開発体制と政策、その帰結を概観
するが、最大の特徴は、国策として振興/開発政策を位置づけてきた点にある。沖縄では、1972
年の復帰に際して、沖縄戦の惨禍と米軍統治の下に置かれてきた沖縄の歴史的な経緯とそれに由
来する社会経済的諸条件を「本土並み」の水準に改善させるという目標を掲げ、10 年ごとの時限
立法を延長する形で振興(開発)政策が行われてきた。北海道は、戦後の経済復興への貢献を目
的として始まり、その後、国土の均衡発展への寄与、東京一極集中問題への対応など、正当化の
論拠を変えながら今日に至った。一方、沖縄では米軍基地の存在が、また、北海道では冷戦の終
結まではソ連との国境隣接地であることによる政治的軍事的要因が、非公式的に振興/開発体制
に影響を与えており、国による「領域」の統合という観点が存在した。
第二に、沖縄と北海道の振興/開発政策および中央地方関係の異同とその要因を検討する。国
主導の特別な体制の下、沖縄でも北海道でも中央の振興/開発行政機構と地方自治体の双方は、
財政資源の量的確保に関しては一致して利害を共有し、社会資本整備を急速に推し進めた。その
結果、全国平均を上回る分野も見られるほどの成果をあげたが、自立経済の確立には至らず、む
しろ公共事業依存構造からの脱却が今なお課題とされている。一方、国の行政改革によって、北
海道の独自性は次第にこれを解消する方向で見直されてきた。北海道開発庁は国土交通省北海道
局へと統合、北海道東北開発公庫も日本政策銀行へ統合され、民主党政権期には北海道局の廃止
案も浮上した。沖縄開発庁は内閣府沖縄担当部局として改組、引き続き担当大臣が配置され、振
興計画に含まれる「機能」は拡大した。また、自己決定権を強化する試みに目を向ければ、沖縄
では 90 年代に国際都市形成構想、基地返還アクションプランが沖縄県主導で構想され、内外の注
目を集めた。その後、2012 年の新しい振興政策の発足に際しては、初めて県主導で「沖縄 21 世
紀ビジョン基本計画」が策定されるとともに、全国に例を見ない一括交付金制度が導入された。
北海道においては、70 年代より地方自治体である北海道によって独自の長期総合計画が策定され
る一方、2006 年に道州制特区法が制定され、国からの権限移譲を進めようとした。
このように、2 つの「領域」における中央地方関係は、依然として国主導の特別な振興/開発
体制によって規定される一方、自己決定権を強化する試みも見られ、自立志向と依存志向が相克
する状態にある。他府県とは異なる独自性を維持し、あるいは新たに拡大しようとする試みが行
われるが、中央各省、政権党の合意を確保し、実現に至るには多くの困難を伴う。また、独自性
の維持と拡大は、地方の側の自立と相反する側面も存在する。
そして最後に、沖縄および北海道における振興/開発政策の考察を通じて明らかにされる、
(1)
「領域」よりも「機能」に基づく政策形成・執行志向の強さ、(2)地域アイデンティティが政治
化する契機の弱さ、
(3)中央地方間に存在する「民主主義の欠陥」
、という現象が、日本の中央地
方関係全般にも通じる要因といえるか否かを検討したい。
2
共通論題Ⅰ<沖縄をめぐる中央-地方関係>
禍福は糾える縄の如し
―八重山教科書問題をめぐる政府間関係―
金井利之(東京大学)
[email protected]
本報告は、いわゆる「八重山教科書問題」を素材としながら、
「沖縄」-もっとも、企画委員会
が採用した「沖縄」という概念が、いかなる地理的範囲か、そもそも、地理的概念なのか否か、
いま一つよくわかっていないが-における「中央-地方関係」を検討する。もとより、単一事象
報告であるため、一般的命題を提起するものではないし、あるいは、多数の事象を収集したうえ
での命題の析出という傾向性を示すものでもない。しかし、地方自治論の重要な分析枠組である
「政府間関係」概念に、一定の示唆を与える事象として、採り上げてみたい。
八重山教科書問題とは、同一の教科書採択地区を構成する八重山地区の石垣市・竹富町・与那
国町において、同一の教科書を採択する決定ができなかった事象を指す。地方教育行政法に基づ
けば、市区町村立小中学校のいわゆる教科書の採択は、各市区町村教育委員会の権限である。同
時に、特別法である教科書無償法によれば、同一の教科書採択地区においては、各市区町村教育
委員会は協議して、同一の教科書を採択することとされている。このように地区ごとに同一の教
科書が採択されることを前提に、文部(科学)省は、教科書を無償で提供する、つまり、国費負
担する、とされているのである。ところが、石垣市・与那国町の各教育委員会が採択した教科書
と、竹富町教育委員会の採択した教科書が、協議を繰り返しても異なるという事態が発生した。
ときの民主党政権は、石垣市・与那国町にのみ、教科書無償法に基づいて、国から無償提供を
行うとともに、竹富町教育委員会が採択した教科書を、寄付を募ることにより、つまり、竹富町
予算から支出することなく、竹富町立学校で使用することを認める「妥協的決定」を行った。
しかし、政権交代後の自民党政権は、竹富町教育委員会が他の2市町教育委員会が採択した教
科書に合せた教科書を採択しないことが、教科書無償法に違反するという判断に転換した。そし
て、竹富町教育委員会の判断を「違法」と解釈し、
「法治主義」の観点から、竹富町教育委員会に
「違法」状態の是正を求める権力的関与を行ったのである。
いわゆる、第1次分権改革で導入された「是正の指示」である。竹富町教育委員会は、この権
力的関与に従う意志を持っていなかった。そこで、いずれは、第1次分権改革では導入されずに、
その後の民主党政権下で導入された、国からの違法確認訴訟が提起されるという観測もあった。
ところが、同時に、教科書無償法の改正案が、本問題とはまったく別個の経過から、政権交代の
有無にも影響されずに、つまり、各市町村の自主性を強化するという観点から、改正する方向が
進んでいた。そのため、教科書採択地区を、都道府県教育委員会が、各市区町村単位で設定でき
る法改正が 2014 年の通常国会で行われた。旧法では、教科書採択地区は「市郡」単位であったた
め、石垣市を単独地区にすることはできても、八重山郡に属する竹富町と与那国町を異なる地区
にすることはできなかったのである。ところが、改正法では「市町村」単位となったため、竹富
町を単独地区とすることが可能になった。結果的には、改正法を受けて、沖縄県教育委員会が採
択地区を再編し、竹富町は単独、石垣市と与那国町が同一、という地区にして、地区ごとの同一
採択が可能になった。こうして、表面的には事象は終息したのである。
以上の顛末から、国・都道府県・市区町村と<中央―地方>軸に基づき階統制的に整序される政
府間関係とは異なり、空間的・時間的・機能的に様々に入り乱れる海域的な諸政府からなる「政
府間関係」の枠組を検討してみたい。そして、それは「沖縄」から見える「政府間関係」の地平
(水平か)を、あるいは、失われた「地域主権」時代の「政府間関係」の残像を、提示すること
ができるかもしれない。
3
分科会A<行政責任・行政統制をめぐる変容>
行政責任・行政統制の変容と「行政倫理」
井寺 美穂(熊本県立大学)
[email protected]
効率的かつ国民ニーズに合致した行政運営を実現するためには、行政責任および行政統制の両
者の機能が重要である。行政が担う役割が多様化している現代社会において、すべての行政活動
を制度的に統制することは困難である。そのため、従来から外在性を重視する他律的責任だけで
はなく、行政組織あるいは職員による自律的責任の重要性が主張されてきた。1990 年代以降、世
界的情勢や行政を取り巻く環境、行政が保持する資源の変動のなかで行政改革が実施され、中央
政府では政策評価法(行政機関が行う政策の評価に関する法律)や国家公務員倫理法の制定、広
報広聴制度の充実等による新しい行政責任・統制の手法が導入されている。一方、地方政府にお
いても事務事業評価や外部評価の実施、職員倫理条例の制定、住民訴訟制度やオンブズマン制度
の導入など多様な取り組みが導入されている。
このような行政責任・統制の変容のなかで、本報告は近年の取り組みのひとつである「行政倫
理」に焦点をあてる。我が国の行政学において「責任論の広大な未開拓地」
(西尾隆(1995)「行政
統制と行政責任」
、西尾勝・村松岐夫編『講座 行政学(第 6 巻)有斐閣、294 頁)と表現される
行政倫理に関する議論および 1990 年代以降の政府における倫理保持のための取り組みに焦点を
あて、行政倫理の本質的意義とその現状について比較検討し、それらの制度の今後の展望に関す
る考察を試みたい。具体的には、我が国における行政倫理に関する先行研究を渉猟した上で、中
央および地方政府における倫理保持のための取り組みに焦点をあて、それらの機能および逆機能
について考察を加える予定である。その際、行政における多様な倫理保持のための取り組みを「行
政倫理活動(職員の社会的利益に合致した行動を確保するための制度構築とその実践)」、またそ
の仕組みを「行政倫理制度」と位置づける。
現在、中央および一部の地方政府において、職員の倫理保持や信頼確保を目的とする組織的な
取り組みが実施されている。我が国でも倫理問題を個人の価値観の問題という一方的側面から捉
えるのではなく、組織的な取り組みの重要性が強調されてきている。但し、行政倫理制度の現状
として、制度構築や取り組み等の背景からは、「汚職や不祥事対策」という側面に力点が置かれ、
他律的責任を確保するための手段という位置づけに近い感覚を覚える。本来的に行政倫理は、組
織や職員の公益実現という自発的な意識のもと確保されるものであり、禁止事項を列挙するよう
な消極論的なアプローチからの転換が求められるであろう。
4
分科会A<行政責任・行政統制をめぐる変容>
イギリスにおける学校教育の統制構造
―教育水準局による学校査察の確立と変容―
久保木匡介(長野大学)
[email protected]
本報告では、イギリスにおいて 1990 年代保守党政権期に設立された教育水準局(OFSTED)
による学校評価(査察)に注目し、同局を中心とした NPM 型の教育サービスの統制構造が、続
く労働党政権、現在の保守・自民連立政権においてどのように変容したのかを検討する。
イギリスにおいて 1980‐90 年代に行われた行政改革の中では、エージェンシー化や市場化テ
ストなど領域横断的な改革が NPM として知られるが、個別領域では教育行政における改革に
NPM 型の特徴が顕著に見られる。サッチャー、メージャーの保守党政権における教育(行政)改
革の画期となったのは、1988 年教育法による学校選択制、ナショナル・テスト、自律的学校経営
などの導入と、1992 年に設立された教育水準局による学校査察の開始であった。教育水準局は、
教育担当大臣の下に置かれる省から独立した準政府機関である。同局は、イングランドのすべて
の公立学校を対象に定期的な学校査察を行い、各学校のパフォーマンスを共通の指標に照らして
評価および「格付け」し、必要に応じて改善措置を行う強力な権限を有することとなった。
教育水準局の学校査察が導入された背景には、戦後数十年にわたって各学校と地方教育当局と
いう「教育コミュニティ」に委ねられてきた学校教育を改革するという保守党政権の強力な政治
的意思があった。そこで提起された教育サービスに対する新たな統制構造とは、国家による教育
目標・内容の設定、学校経営権限の分権化、学校間の競争強化と、それらを前提とした統一的な
査察=学校評価による各学校のパフォーマンスの管理であった。この統制構造は、教育サービス
の「顧客」たる親に対してサービス供給主体である学校の「説明責任」を強化しつつ、教育サー
ビスの質の改善は従来のような「教育コミュニティ」による教師や学校の専門性形成に委ねるの
ではなく、
「査察を通じた改善」という言説に象徴されるように、外部機関の事後評価に基づきそ
れを「保証」することを企図するものであった。これら一連の教育ガバナンスの改革と(再)構
築を指して「品質保証国家」と形容する議論もある。この 90 年代に整備された教育ガバナンスは、
今日までイギリスにおける教育サービスを統制する基本構造として存続している。
しかし、教育水準局の学校査察を軸とする教育の統制は、保守党政権期に確立されて以来同一
のシステムとして機能してきたわけではなく、時々の政権の教育政策によって変容を重ねて今日
に至っている。ブレア労働党政権においては、教育水準局と並んで地方教育当局が学校の評価主
体として位置づけられるなど評価体制の重層化が図られる一方、社会的包摂政策に対応した評価
指標の多様化や、査察という外部評価のプロセスに学校自己評価を導入するという評価主体の変
化も見られた。これに対してキャメロン連立政権においては、査察における「格付け」を厳格化
すると共に、多くの公立学校に評価を基準に地方自治体の管轄から外れる公設民営学校「アカデ
ミー」への転換を促すなど、学校評価と教育の「市場化」政策との連動が高まった。
本報告では、このような学校査察を軸とする教育ガバナンスの変化の過程を追いながら、現代
イギリスにおける教育サービスの統制構造が内包するいくつかの論点を具体的に析出することを
試みたい。
5
分科会A<行政責任・行政統制をめぐる変容>
「行政裁量」と現代の行政責任・行政統制について
村上 裕一(北海道大学)
[email protected]
1.「行政裁量」の概念的・実体的広がり
委任と分業(曽我謙悟 (2013)『行政学』有斐閣、3 頁)が多元的に埋め込まれた現代社会において、
「行政裁量」は、
「法律が行政庁に認めた一定の判断余地」よりも広く「行政にとっての(他に対す
る)活動の自由度」と捉えることが、行政の実態を研究するに当たって便宜的であり得る。
戦後日本の官僚像の変遷(国士型→調整型→吏員型)
、あるいは近年の「小さな政府」化や行政・
規制改革の中で、
「行政裁量」は縮減してきているように見える。しかし、社会の複雑化や不確実性
の高まり、新しい課題の出現、行政各分野の専門化、技術的高度化の中で、
「行政裁量」は実際むし
ろ量的に増大、ないし質的に変容しているのではないか。さらには、官僚がそうした環境変化の中で
自らの裁量を確保する戦略をとっているのではないか、とも考えられる(村上裕一 (2013)「規制空間
の構造変容と官僚制の裁量行使戦略(1~6・完)
」
『国家学会雑誌(第 126 巻 第 1-2~11-12 号)
』
)
。
2.「行政裁量」と行政統制・責任論
「行政裁量」は、ある局面では行政責任・行政統制と相互補完的関係に立ち、また別の局面ではそ
れらと背反的関係に立つ。すなわち、行政統制を強化し「行政裁量」を狭めることは、行政責任の確
保にプラスにもマイナスにも作用し得る(西尾隆 (1995)「行政統制と行政責任」西尾勝=村松岐夫編
『講座 行政学(第 6 巻)
』有斐閣、268~9 頁)
。ただいずれにしてもこれらは何らかの形で連動して
いることから、行政責任・行政統制を論じる上ではまず「行政裁量」の態様を探ることが重要となる。
なお、特に行政統制・責任論には、選挙の洗礼を直接に受けない官僚の活動を制度的・非制度的、
外在的・内在的に統制し、それにより行政は信頼を獲得すべきという「規範」が付きまとう。このこ
とから、本報告では「事実」のみならず「規範」によっても行政(学)にアプローチしたい。
3. 具体的事例に即した考察・検討
本報告ではこうした問題意識から、現代の行政責任・行政統制について、具体的な事例における「行
政裁量」に注目して検討する。事例には、安全規制の技術基準策定、独立性を付与された規制機関の
組織設計、内閣府・内閣官房における「戦略」策定等のうちの 1 つ、もしくは複数を取り上げたい。
これらの事例からは、中央省庁等改革がそもそもそれを志向したように、国会や内閣によるいわば
伝統的な行政統制の強化・実質化が認められる一方、様々な国際機関や民間アクターが公共的活動に
参画してきていることにより、それらにもある程度の責任を分担して問う向きがあること、さらに、
そうしたいわゆる「ガバナンス」の空間では、科学性(
「行政裁量」行使において一定の要件を備え
たその科学的根拠を求めること)やある種の市場的メカニズム(
「消費者主権」や「競争」
・
「淘汰」
のプロセス)といったものが、新たな行政統制原理として見出せること等を論じる。
6
分科会B<マルチレベルの行財政過程研究の動向>
地方機関国会承認規定(地方自治法 156 条 4 項及び 5 項)はどのような機能を果したか
小西敦(京都大学)
[email protected]
地方自治法 156 条は、同条 4 項により、国の地方行政機関は原則として国会の承認を経なけれ
ば設置できないこととした上で、同条 5 項により、例外規定を設け、同項に掲げた機関について
は国会の承認を不要としている。
この地方機関国会承認規定は、
「地方自治を侵害」する「国」の「地方」行政機関の濫設を防止
することを目的として制定されたものである。本規定は、規定自体にも変遷があり、下図のよう
に 1948~2012 年の 65 年間で 97 件の承認事例が存在するなど一定の運用実績がある。しかしな
がら、近時の行政学者や行政法者からは、本規定はあまり顧みられることがなかった。本規定に
関する稀有な先行研究としては、打田武彦(1997)「地方自治法第 156 条第 6 項関係解説――国
の地方行政機関の設置に関する国会承認について」
(『地方自治』601 号)があり、本規定の解釈・
運用について貴重な知見を与えてくれる。しかし、打田(1997)は、15 年以上前の考察であり、
規定の解釈論が中心であり、個々の承認事例についての検討も多くない。
本規定を考察することは現代のマルチレベルの行財政過程研究として一定の意義がある、と報
告者は考えた。
そこで、本報告では、地方機関国会承認規定について、以下の点を明らかにすることを目的と
する。
1 規定の経緯:本規定創設に至るまでどのような議論があったか
2 規定の趣旨:どのような目的で本規定が制定されたか
3 規定の解釈:本規定がどのように解釈されているか
4 規定の変遷:例外規定部分がどのように改正されてきているか
5 規定の運用①:本規定によって承認又は不承認された機関はどのようなものであるか
6 規定の運用②:承認(不承認)時の国会における議論はどのようなものか
7 規定の機能:本規定はどのような機能を果したか
本報告においては、
(1)
「地方自治の擁護」のほか、
(2)立法府(国会)による行政府(内閣・
各府省)の組織編制への関与、
(3)行政改革における組織縮減(肥大化防止)と組織編制弾力化
という視点からも考察を行いたい。
図 地方機関国会承認件数の時系列推移(1948~2012 年)(縦軸:件数、横軸:年)
10
8
6
4
2
0
1948 1953 1958 1963 1968 1973 1978 1983 1988 1993 1998 2003 2008
7
分科会B<マルチレベルの行財政過程研究の動向>
衛星都市自治体の行財政過程
―東京周辺衛星都市のガバナンス分析から―
箕輪允智(流通経済大学)
[email protected]
「地域の実情に応じた個性を活かした地域づくりを目指す」ことは地方分権改革のみならず、
地域再生、地域主権、地方創生等、政権が変わると標語の変わる国の対地方政策において概ね共
通して述べられてきたことである。また、自治体の作成する多くの各種計画でも同様のことが述
べられており、地域の実情に応じることや地域の個性を活かそうとすることは単なる流行ではな
く、国と地方自治体の双方が切実に必要と認識しているものであろう。
一方で、自治体にとっての地域の実情や地域の個性とはいったいどういったものか、というこ
とに関してはこれまであまり議論の対象にされてこなかったように思われる。地域の実情や個性
が違うということは各種のデータに現われ、また日常的に感じられることでもあり、あまりに自
明なことであるからだろう。しかし、それが自明なことと思われるからこそ、その輪郭を捉える
ことが難しくなっているのではないか。このような問題意識に基づき、本報告では自治体の個性
はどのように捉えられ、またそれが形成されるのかを考察する。
そのために、まずはどのようにそれを捉えることができるのか、分析方法としてここでは自治
体ガバナンス分析を提示する。自治体にとっての地域の実情や個性は、当該地域の地理や産業、
交通環境、住む人々等の内在的状況では無く、近隣自治体や中央政府等をはじめとする時には圧
力といったものも含めた外在的な状況にも影響を受けるものである。政治行政に関わる課題につ
いても、地域内の様々なアクターが、その置かれた環境の変化の中でネットワークを形成し、関
係性を強めたり弱めたり、また新たなアクターの登場によって新しいものを形成していくことを
繰り返していく中でそれが課題設定や政策の方向性などが形作られていく。これらを一時点のス
ナップショットではなく、一定の期間の経時的展開過程を観察することを通してその姿を浮き彫
りにすることを試みるものである。
考察にあたっては東京周辺衛星都市の 1 自治体を題材として用いる。衛星都市は意味の近いも
のに郊外都市、ベッドタウンという言葉があるが、大都市の発展過程で住宅などを中心に都市機
能の一部を担うものとして日本では三大都市圏を中心に非常に多くの人口を抱えている。そのよ
うな自治体においては、現在もある程度人口の流入はあるものの、高度経済成長時代に流入して
きた世代が一斉に高齢化を迎える時代が到来してきている。数値では高齢化率等は地方農村部に
比べて高くはないものの、高齢者の数が増加するスピードは非常に速いとされる。このような都
市自治体を題材とすることで、都市における内外在的な環境変化の中で市政運営のメカニズムや
そのあり方の変化を捉えると同時に、人口増加に対応するガバナンスの過程の特徴や、住民の多
くが高齢化していく最中でのガバナンス過程の特徴を明らかにしていくことも可能である。
8
分科会B<マルチレベルの行財政過程研究の動向>
地方財政とコミットメント問題
―地方分権改革に関わる国会議員、地方政治家、官僚の行動―
梶原 晶(神戸大学)
[email protected]
本報告は日本の地方分権改革と地方財政制度の動態について分析する。戦後の制度形成期以降
1990 年代に入るまで、日本の地方行財政制度は安定的に維持されてきた。しかし 1990 年代半ば
以降、第一次分権改革、三位一体改革、第二次分権改革と相次いで改革が試みられている。これ
ら改革の過程を見ると、行政面での分権化が進展しているのに対して、財政面での分権化は三位
一体改革を除いて容易には進んではいない。
このような背景のもとに、本報告ではなぜ日本の地方行財政制度が安定的に維持されてきたに
も関わらず、1990 年代以降に変化を始めたのかという問いを提示する。そして、断続的な地方分
権改革の政治過程を整合的に説明することを試みる。
本報告では、地方財政制度をコミットメント問題の観点から位置づけ、国会議員と地方政治家
の戦略的行動によって成立するものとする。つまり、国会議員と地方政治家は地方財政に関する
契約関係にあると考え、地方政治家は国会議員が地方政府に財政移転を確実に行うのか否かを判
断して行動するものと想定する。さらに国会議員の行動は、ルールとなる選挙制度と政党組織に
規定されるものとする。これらの想定から、以下の仮説を提示し論証していく。
中選挙区制度下では、国会議員が選挙区への利益分配を志向しており、地方政治家は国会議員
の集票にも貢献していた。また、自治官僚によって担われている地方財政の運営もマクロな意味
で政権政党の利害を反映したものとなっていた。この結果、選挙制度のもたらす国会議員の選挙
区への個別利益の分配志向と地方財政制度が結びつき、地方政治家は中央政府からの財政移転に
関するコミットメントが確実であると認識することにつながった。よって地方財政制度の安定が
もたらされた。
これに対して選挙制度改革が行われた後には、小選挙区制の下で国会議員の個別利益の分配志
向と地方政治家への集票依存が以前に比べ小さくなった。このことで国会議員は総論的には地方
分権を容認するようになる。ただし地方財政にはコミットメント問題が内包されており、地方分
権改革にも影響を与える。地方分権改革のうち財政面での分権化は、改革の後の財源確保に対す
る懸念を地方政治家に与える。このため地方政治家は行政上の分権化に対しては積極的になるの
に対して、財政面の分権化には必ずしも賛同しない。地方政治家が財政的な分権化に同意するの
は、中央政府からの財源面での保証が明確に示された場合のみである。地方政治家の意向を全く
無視した改革は難しいため、財政的な分権化を目指した改革の帰結は、地方財政のコミットメン
ト問題に関する地方政治家の認識と行動によって左右される。
以上に示したように、選挙制度と地方財政をめぐるコミットメント問題に注目し、これまで国
会議員や官僚に多くの焦点が当てられてきた地方分権改革の分析に地方政治家を取り込むことが
本報告の狙いである。
9
日韓交流分科会
Implications of population aging for labor policy
Lee, Yoon-Seock(Keimyung University)
[email protected]
This paper aims to draw implications for employment policy for supporting sustainable
aging society by understanding and comparing the current state of older people in Japan and
South Korea being re-employed by companies. To this end, the paper analyzes survey data
from both Japan and South Korea and examines the similarities and differences related to
employment of older people in both countries. While Japan and South Korea have similarities
in legally established systems, such as the retirement age system, those systems are managed
differently by each government and dealt with differently by companies in each country.
Furthermore, their differences in social and cultural background lead to different policy
effects.
The results of the analysis indicated that pension income, as well as non-pension income,
had negative effects on the employment of older people in Japan. I found that there is a
relationship between the employment of older people and the size of the employer prior to
their retirement. And the probability for being employed declined if one is female, higher age,
and/or in poorer health. The analysis that used the first year of the data as the baseline
showed that the probability of employment declined each year in Japan. In contrast, the
probability trended up in South Korea and the data also indicated different effects of family
variables from the ones observed in Japan. However, the employment rate among older people
is highly likely to stall or decline in the future as it happened in Japan.
The conclusion is that companies should put all efforts toward promoting sustainable aged
society by creating conditions that allow them to employ older people, and the governments,
in turn, should design systems that take account of unique characteristics in own country in
order to support companies in this endeavor.
10
日韓交流分科会
現代日本の地方分権
―民主党政権と地域主権改革を中心に―
木寺元(明治大学)
[email protected]
あなたは覚えているだろうか、
「地域主権改革」という言葉を。2009 年に熱狂の中誕生した民
主党政権が「改革の 1 丁目 1 番地」と宣言した地方分権改革のことである。あの改革は、何をど
こまで実現し、また実現できなかったのか。そして、実現の成否を分けた要因はなんであったの
か。
北村亘は,
「2009 年総選挙で民主党が掲げたマニフェストの中の「地域主権」改革については,
3 年 3 ヶ月の統治の間に相当程度達成できた」と評価する(北村 2014:94)
。しかし,民主党政権
発足直後の地域主権戦略会議において「地域主権改革」の施策として上げられた個々別々の施策
を検討した岩崎忠は,「第二次分権改革から引き継いだ 義務付け・枠付けの見直しと基礎自治体
への権限移譲については,第1次・第 2 次一括法を制定させたので一歩前進といえる。その一方
で,民主党政権の独自施策であったひも付き 補助金の一括交付金化は,各省庁の枠を超えた制度
設計にすることができなかったし,第 2 次分権改革(自公政権)で進めることができなかった出
先機関改革についても,
『国の特定地方行政機関の事務等の委託に関する法律案』を閣議決定した
ものの,この法律案は国会には提出されなかった」と手厳しい(岩崎 2013:34)
。たしかに,それ
ぞれの施策を検討すると,一定の成果を達成したものもあればそうでなかったと判断できるもの
もある。両者の違いは、これらの達成の程度を積極的に評価するか否かの違いであろう。それで
は、改革の成否を分けた要因は何であったのか。
本報告では,全てのアクターは「生存」のために Tversky and Kahneman(1981)が描くよう
な価値関数に従って行動するという前提のもと,木寺(2012)が提示した構成主義的制度改革モ
デルに則り、主導アクターが,
「規範的次元」においては他の政策とバインディングや地方六団体
の意向に沿うなど無党派層の支持が得られる改革案であることを示し,
「認知的次元」においては
精緻な制度案を形成することの両方を通じて,損失局面にあるアクターから合意を調達できたか
否かが,地域主権改革の成否を決定したとの仮説を提示する。
上記の仮説を検証するために,成功したケースと失敗したケースを比較するリサーチ・デザイ
ンを構成する。
「地域主権改革」と言っても施策は多岐にわたるので,本報告では,第二次分権改
革において主要な課題とされた「地方税財政の充実強化」「義務付け・枠付けの見直し」「出先機
関改革」の 3 つに,2009 年民主党マニフェストの目玉であった「一括交付金化」を加えた 4 ケー
スをとりあげ,成否を分けた要因を検討したい。
(参考文献)
Tversky, Amos and Daniel Kahneman(1981) “The Framing of Decisions and the Psychology of
Choice,” Science ,211.
岩崎忠(2013)「民主党政権「地域主権」改革の評価と検証」『自治総研』第418号.
北村亘(2014)「『地域主権』改革」伊藤光利・宮本太郎(編)『民主党政権の挑戦と挫折』日
本経済評論社.
木寺元(2012)『地方分権改革の政治学』有斐閣.
11
日韓交流分科会
韓国の分権改革の限界と展望
―大統領所属地方自治発展委員会の地方発展総合案を中心に―
金燦東(忠南大学)
[email protected]
2014 年 12 月韓国の地方自治発展委員会(大統領所属)は国務会議で地方発展のため総合案を決
議した。これは韓国の地方自治の歴史において画期的なことである。今までの地方分権議論は大
統領の諮問機関として議論したものを大統領に提案する形であったが、今回は中央政府の関連す
る省庁の検討の後、実施の義務を持っている計画案としての地位を持っている案である。
手続きとしては委員会の構成する時、地方 4 団体の推薦と大統領、国会の推薦する人々によつ
し、最終的には大統領が任命した。この意味では地方自治団体の異見が反映されたといえる。ま
た、地方自治発展委員会は3つの分科委員会に分けて、分野ごとに専門的な議論を進行した。ま
た、16 広域市・道を巡回しながら、住民との意見を聞く公聴会も開いた。その後、関連する中央
省庁の実務的な意見を聞いて調整する過程を辿った。ある程度、民主的な過程の条件を充足する
ため努力したといえる。
内容的には機関委任事務の委譲する件数が 3000 件を発掘する努力をした。基礎自治団体の警
察自治を導入すること、住民自治会の導入、大都市特例制度と機関構成の多様性の導入などとい
う成果がある。しかし、広域市の基礎地方自治団体の議会の廃止と自治区長の任命職への転換、
地方自治団体の財政統制の強化などは地方自治の発展に寄与するのかについては疑問がある。ま
た、教育自治制度と一般行政との合併の課題、市郡区の合併などの課題は未来の展望が不確実な
面が大きい。
本報告では,今回の地方自治発展総合案は行政効率性の観点から作成された限界があることを
指摘する。したがって、民主主義と住民自治の観点から見れば、相当の限界を持っていることを
指摘する。この議論は地方自治を見る二つの視点である団体自治と住民自治のどちらを分権改革
の観点として採用するのかと関連する。 問題は韓国の現在の地方自治法が想定している中央政府
ー地方政府の関係において、住民自治という観点を念頭をもって地方行政の制度設計がなされて
いないことである。もし、韓国の地方行政システムの設計をするとき、このような観点を排除さ
れているとすれば、実質的な住民自治はできないといえろう。したがって、韓国の分権改革が想
定している自治の理想が Arnstein(1969)が言う「住民の実質的な参加」を望んでいるとすれば、
現在の法律で可能であるかについて疑問が生じる。
結局、現在のシステムとしてもっと深刻化されている新中央集権化の現状を改革するために、
憲法の改革なしで分権改革が正常的に可能であろうか。特に、民主主義と住民自治の観点からみ
て、地方自治政府と住民自治が基本になる自治行政システムの形成と設計が可能であろうか。こ
の論点について日本分権改革の経験を聞きながら、韓国の分権改革への展望をしてみたい。
(参考文献)
Arnstein, S.R.(1969), “A ladder of Citizens Participation”
、JAIP, 35(4),: 216-224.
韓国地方自治学会(2014)『未来地方自治発展のため新しいガバナンスと指導力形成』ソウル研
究所.
金燦東(2014)『未来地方自治発展の議題発掘の研究』ソウル研究所.
12
研究部会<災害と科学技術-管理、制度、政策の視点から>
危機対応の体制
―「管理」の視点から―
森田朗(国立社会保障・人口問題研究所)
[email protected]
災害と科学技術部会では、設置以来 2 年にわたって研究活動を続けてきた。東日本大震災の経験
を踏まえた災害対応、危機管理に関する研究は、行政学の視点からも多岐にわたるが、その多くは、
個別の論点を掘り下げたものである。今後の防災や危機管理に活かすためには、災害を包括的に捉え
て、基本的な論点の把握とそれに基づく体系的な研究を行うことが必要である。災害類型に着目する
のではなく、災害の種類に拘わらずダメージを受ける社会的機能のレジリエンスに着目したオール・
ハザード・アプローチなどはその一例である。
本部会では、昨年度、行政学の基本的分野の区分に従って、管理、制度、政策の視点から、そ
れぞれのテーマについて研究を行った。この報告では管理の視点、とくに国レベルの中枢管理の
観点から、情報に着目して考察を行う。
災害発生直後の対応はその地域で行わざるをえないが、災害の規模が拡大し、地域での対応が
困難になると国レベルでの対応が必要となる。その場合、しばしば指摘されるのが、対応体制の
あり方であり、救援等において資源配分を行う中枢管理機能の重要性である。米国のFEMA等
の組織がそのモデルとして挙げられ、一元的な、タテワリを克服した司令塔機能の重要性が強調
され、わが国でも、そのような機関の設置の必要性が主張されている。
危機対応等において重要なことは、まず災害の状況についての把握であり、それに基づいて優
先順位に応じた支援のための資源の配分と被災地への出動である。それには、災害に関するすべ
ての情報を収集し対応策の決定を行う司令塔機能をもった機関の設置が主張される。
しかし、中央への一極的な情報収集に関しては、①実際に大規模災害が発生した直後にあって
は、情報網の多くが途絶し、被災地の情報が充分に入手できない、あるいは、②ある時点からは、
被災地等から大量に情報が寄せられ、その軽重の評価を行う余裕がなくなり、いわゆる情報の消
化不良状態に陥る、③処理可能な量の情報が集められたとしても、その情報のもつ意味・質を評
価できないために、的外れな対応になりかねない、等の問題点が指摘されている。
このような状態を改善し、より的確で迅速な対応を図るためには、第 1 に、適切に評価可能な
量に情報量を制御すること、第2に、集められた情報のもつ意味についての評価方法を確立して
おくことが、重要である。後者については、とくに被害が深刻な地域ほど情報収集が困難であり、
情報の入手が容易なところほど被害が相対的に軽微であるともいいうることから、入ってくる情
報に軽率に対応する誤りを防ぐためにも重要である。
さらに、こうした情報への対応を的確に行うためには、まず第1に、重要な情報をできるだけ
確実に司令塔に伝達するためのハード系のシステムを整備しておくこと、第2に、平時において
入手した情報の意味および被害と対応のあり方について想定し、それへの対策を考えておくこと、
そして第3に、タテワリの弊害を最少化し、迅速機敏に連携行動が取れるように、対応について
のイメージを共有した人的ネットワークを形成しておくことが重要と思われる。
司令塔的な機能をもつ機関の設置に関しては、日常的に一定規模の組織を維持しておくことに
コストがかかること、組織という器よりもその機能が重要であることから、他の組織との関係を
踏まえて弾力的に考えるべきである。組織ありきが解決にはならないことは銘記すべきである。
13
研究部会<災害と科学技術-管理、制度、政策の視点から>
災害対応、防災体制の制度と政府間関係
―リスク・ガバナンスの観点から―
新川達郎(同志社大学)
[email protected]
日本の災害対策は、これまでの被災経験から、様々な工夫が凝らされ、制度的にも整えられてき
た。しかしながら、それらは、被災に事後的に対応する傾向にあり、同程度の災害に対処するこ
とが防災の基準となり、それ以外の被災想定が手薄になりがちで、必ずしも十分な防災や減災が
制度的に保障され機能してきたとは言えない。防災や減災の体制づくりが必ずしも十分ではなく、
さらに言えばリスクに対するガバナンスが機能していない状況が見られることになる。
災害は、狭域においても広域においても発生するのであり、場所、時間、種類、規模は様々で
ある。その一方では、被災者は一人一人であり被災地はその活動現場である。そのため、災害発
生時に対応するのは、地方自治体等地域の組織が中心となる。ところが、地域の組織も、その規
模能力や役割分担は区々であり、身近なところでは自主防災組織から、地縁団体、消防団(水防
団)
、さらには常備消防、市町村、都道府県、国(政府、復興庁、防衛省、警察庁、消防庁)など
が重層的に災害防災対応に機能することになっている。ところが、現実には、その連携協力が適
切に進まず、過重な負担で救援の遅れが出るなどの問題指摘がされることになる。
災害には制度の想定内と想定外の双方があるが、同時に制度対応の限界として、災害規模が大
きい場合、地域組織だけで持続的に対応することは困難である。その際には、他の政府部門によ
る支援が不可欠となる。実際には、どのような単位の地域組織、そして国が、どのような役割を、
いつ果たすべきか、それら自治体間あるいは政府間の連携はいかにあるべきか、災害対応の政府
間関係の制度のあり方について考察する必要がある。
本報告においては、具体的には、災害対策基本法改正による制度改革を手掛かりとして、災害
防災対応の政府間関係とその変化を検討することにしたい。とりわけ、東日本大震災直後の改正
においては、大規模災害時の即応力強化が課題となり、情報収集や伝達の共有、国県の応援業務
の調整規程の改革、団体間応援の対象を緊急時だけではなく平時化していくこと、国県が自主的
に物資供給、供給体制創設、広域避難受入などをしていくこととした。またこれに加えて、首相
の指揮監督権限集中、地方公共団体機能低下時の国の応急代行、市町村の避難助言要請への国県
の応答義務、災害救助費用の国立替制度、関係機関間の連携・調整体制の整備などが進められて
いる。
問題は、災害時において、機能する制度となっていかどうかである。災害対応という観点から
は、防災、被災即応、救援、復旧、復興の一連の災害プロセスに対応した制度と、それを担う組
織間関係として情報交換、指揮命令、協議、調整、連携、応援、受援の制度が、取り上げられる
必要がある。加えて、機能別制度論も重要であり、救助、消火、救急、医療、福祉、教育、がれ
き処理、原発、コミュニティ、地域経済、行政、予算にかかわる制度は、一連の災害プロセスに
対応して機能するかどうかが問われているのである。
本報告では、東日本大震災を念頭において、日本における災害対応や防災体制の変化と組織間
関係の分析を行うとともに、災害プロセスにかかわる制度それ自体の検証を行い、リスク・ガバ
ナンスの課題を明らかにすることにしたい。
14
研究部会<災害と科学技術-管理、制度、政策の視点から>
阪神・淡路大震災の復興事業の神戸市の政策決定の評価
―2段階都市計画の採用の意義―
中山久憲 (神戸学院大学)
[email protected]
大災害が発生した被災現地では、国民の生命と財産を守るために、考えうる政策が実施される。
その根拠は、災害対策基本法や災害援助法を基本として、政府各省が所管する災害復興のための
法、政令、省令や、細則に基づく。当然その時代の社会や災害に応じた内容になっていることが
望ましく、必要であれば速やかに改正しなければならない。
1995 年に阪神・淡路大震災が発生した。人口 150 万人の大都市神戸の発展を支えてきた市街地
が、震度 7 の激震で壊滅した。被災の特徴は、住宅が老朽化し、道路や公園の都市基盤が脆弱な
密集市街地に被害が集中したことであった。神戸市では、さらに火災が発生し、地震で消防水利
が破壊されたため、周辺都市からの消防自動車の緊急応援があったが、消火活動はほとんどでき
ず、延焼が続いた。通常時の年間平均の 5 倍に相当する 82 万㎡の延べ床面積が消失した。
大規模に被災した市街地の復興で、道路やライフラインの管理者による復興と住宅は個人で復
興する従来型の手法では、密集市街地を再生する。安全で安心して暮らせるために、都市基盤を
拡充しながら住宅の復興を進める「創造的復興」が求められた。そのために、土地区画整理事業
や再開発事業の都市計画事業による復興が最適である方針を、震災から2週間で国と県や被災自
治体で決定した。それには、都市計画法による決定手続きが必要となった。
そのための課題の第 1 は、計画決定を完了するまでの建築制限の期間であった。当時の法的根
拠は、建築基準法第 84 条により、発災から最大 2 ヶ月間の期間であった。1976 年に 32ha を消失
した山形県酒田市では、都市計画決定、さらに土地区画整理事業の事業計画認可までを 2 ヶ月で
進めた実例が存在した。そのため、期間についてその後議論されることもなかった。しかし、都
市機能が麻痺するほどの大規模災害を想定していなかったため、手続きの遂行のため期間の延長
を神戸市から国に申出したが、できないと断られた。
第 2 の課題は、都市計画法に基づく住民参加の手続きをいかに図るかであった。建築制限期間
の 2 ヶ月では充分な住民参加を図ることができないため、非常事態の政策として、通常の都市計
画を 2 段階に分け、第 1 段階は行政の責務で事業手法と区域、主要な公園と道路だけを 2 ヶ月で
定めた。そして、第 2 段階で時間をかけて住民参加を推進し、復興事業のための詳細計画を定め
た。これが「2段階都市計画」と呼ばれたものである。
窮余の政策であったが、神戸市での住民参加型まちづくりの経験が活用され、まちづくり協議
会を主体とする住民参加が進み、その後「創造的復興」にふさわしい事業が進んだ。震災発生か
ら 16 年後の 2011 年 3 月末に、被災者の生活再建を目的とした復興事業は完了した。
通常ならば、その後に、阪神・淡路大震災からの復興事業に関する様々な視点からの政策の評
価が行われるはずであった。
しかし、その準備をする以前の 3 月 11 日に、超巨大災害である東日本大震災が発生した。
政府は直後、矢継ぎ早に、様々な政策を打ち出した。震災復興事業については、発災から 2 ヶ
月以内に特別法を定め、建築制限を最大 8 ヶ月間延長して、宮城県では復興事業に必要な都市計
画の決定をした。しかし、直接被災した市街地復興は進まず、被災していない地区での高台移転
の政策を中心とした事業が進んでいるのが現状である。
本報告では、震災復興事業のための阪神・淡路大震災の政策の決定と進め方の評価を、東日本
大震災の復興の進め方と比較も交えて進めたい。
15
共通論題Ⅱ<政策をめぐる理論と行政学>
Public Administration in Time
―政策フィードバック理論と行政学―
北山俊哉(関西学院大学)
[email protected]
政治学や行政学において、政策は従属変数として考えられることが多かった。なぜこのような
決定がなされたのかということが中心的なリサーチ・クエスチョンであった。
しかも決定実施された政策は、恒常性を回復せしめるという効果を持つと前提されてきたよう
に思われる。ちょうど解熱剤や降圧剤が、体温や血圧を正常に戻すというイメージである。これ
は負のフィードバックである。
しかし、ある種の政策は、正のフィードバックを起こす。すなわち、後戻りのきかないかたち
で、特定の方向に対して加速的な変化を起こすことがあり得る。戻るのではなく、どちらかへ行
ってしまうのである。
この場合、従来と異なって、政策が独立変数として社会・経済・政治に与える影響、およびそ
れが次の時期の政策に特定の方向で与える影響に関心があることになる。
こういった視点にとって、歴史的制度論は肥沃な土壌となった。ポール・ピアソンを代表とす
る、
「時間軸のなかで政治を捉えるアプローチ(Politics in Time)」がここから登場した。また、公
共政策学でいう「政策フィードバック理論」も、歴史的制度論から発展したものが多い。後者の
源にはピアソンの研究があるように、時間と呼ぶかフィードバックという名前をつけるかの違い
があるだけで、一つの幹に多様な花や果実がついているといってもいいかもしれない。
本報告では、行政学にとって重要な貢献となりうる政策フィードバック理論を念頭に議論を行
う。Paul Sabatier などが編者となった Theories of the Policy Process の最新版では Policy
Feedback Theory の章が追加された。この章では、ある時期に決定実施された公共政策が、1)
市民の意味・範囲、2)ガバナンスの形態、3)集団の権力、4)政治アジェンダと公共問題の
定義、をかたち造り、そしてそれが次の時期の公共政策に大きな影響を与えているというように、
当該理論が概観されている。
このなかで行政学にとって最も関心のあるのは、政策がガバナンス、より狭義にはガバメント
の形態に与える影響であろう。典型例でいえば、ある種の政策が政府機関を作り出し、このこと
が独自のダイナミズムを産んで次の政策に大きな影響を及ぼしているという議論である。
報告者もまた、このような視点に影響を受け、医療保険政策が日本の地方政府、そして後の政
策に与えた影響を、歴史的に、すなわち時間軸のなかでみてきた(『福祉国家の制度発展と地方政
府』
)
。1938 年に制定された国民健康保険法がこの後に市町村を保険者として位置づけ、その後経
路依存的に制度発展を繰り返しながら、2008 年の後期高齢者医療制度まで続いていると論じた。
本報告では、それ以外の多くの政策分野においても地方政府が大きな役割を果たすような政府
形態が発展してきていることを主張したい。より一般的に、地方政府が多くの政策の形成や実施
を担当し、そしてそのことが日本のその後の政策のあり方に大きな影響を及ぼしていると考える
のである。
それはいつからであろうか。行政学の領域では戦前戦後が連続しているか断続しているかをめ
ぐって重要な議論がなされてきた。報告者は、医療保険の分野でみたように、戦時期もまた決定
的な岐路であったと考える。しかし占領改革もまたしかりである。すなわち、戦時期と占領改革
期の二つの時期の政策に焦点を当て、地方政府が大きな役割を果たす制度へのフィードバックが
確立されていったことを主張する。
16
共通論題Ⅱ<政策をめぐる理論と行政学>
関係性の公共政策学と行政学
―ガバナンスネットワーク論の動向を手がかりにして―
風間 規男(同志社大学)
[email protected]
行政学者は、日本の政策過程研究において中心的な役割を果たしてきた。それは、官僚制の構
造や動態についての深い知識が、日本の政策過程を読み解くのに不可欠だったからである。たと
えば、政策起業家として官僚が政策過程において果たす役割についての研究、政策が形成される
「場」としての官僚機構の内部ルールについての研究、規制や給付といった政府特有の政策手法
の作動様式についての研究などにおいて、行政学者は充実した業績を残してきたといえる。
しかし、現在の政策研究者は、官僚制を起点とした研究からは少し距離を置いている印象を受
ける。その背景には、
「ガバナンス」という言葉が使用されるようになった状況についての問題意
識があると思われる。①政策の主体と客体が相互に浸透し、②政策形成の「場」が政府から外部
化していき「新しい公共空間」が作られ、③規制に代表される従来の政策手法では解決できない
課題に対応するため新しいタイプの政策手法の開発が求められている状況である。
このような状況認識を前提として、様々な政策研究のアプローチが試みられてきたが、その中
で、1990 年前後に登場した政策ネットワーク論は、当学会の研究者によって盛んに採用されてき
た分析方法のひとつであり、現在も若手研究者を中心に一定の研究成果を生み出し続けている。
かつてハロルド・ラスウェルは、政策科学を政策の「過程」に関する研究と政策の「内容」に関
する研究に分けて説明した。しかし、政策ネットワーク論は、ある政策領域においてアクター間
に形成されている関係性に注目するもので、そこで生み出される個別の政策の「内容」に深く立
ち入るわけでも、1つの政策が形成・実施される「過程」を詳細に追うものでもない。政策ネッ
トワークは、アクター間の相互作用に影響を及ぼすという意味で、
「制度」の一種であり、多くの
政策ネットワーク論者は、自分たちを新制度論者と自己規定している。かつて、このようにアク
ター間の関係性に注目した政策研究のスタイルを「関係性の公共政策学」と名づけて論じた。
政策ネットワーク論は、様々な批判にさらされながらも、特にヨーロッパにおいて、EU-国
-地方にまたがるマルチレベルガバナンスの中で展開される複雑な政策過程を分析する手法とし
て重宝され、脈々と研究が続けられてきた。しかし、最近、ガバナンス論の深まりを背景として、
政策ネットワークに代えて、
「ガバナンスネットワーク」という言葉をあえて用いることで、従来
の政策ネットワーク論が抱えていた分析上の問題を乗り越えようとする動きが見られる。政策ネ
ットワーク論が国内の政策領域を前提としているのに対して、ガバナンスネットワーク論は国境
を越える政策課題も射程に入れている。また、政策ネットワーク論は、主体間の相互依存性に着
目するので静態的な分析に陥りやすいのに対して、ガバナンスネットワーク論では、よりダイナ
ミックな構造変化までも分析対象にする。特に、ガバナンスネットワーク論者が主張するメタガ
バナンス論は、官僚などの官のアクターの役割を再定義するものであり、行政学にフィードバッ
クすることで、官僚制研究に新しい視点を提供する可能性がある。
本報告では、政策ネットワーク論とガバナンスネットワーク論との間の連続性・不連続性に着
目しながら、この分野における最近の研究動向を紹介し、その種の政策理論が行政学の発展に与
えるインパクトについて考察してみたい。
17
共通論題Ⅱ<政策をめぐる理論と行政学>
政策学と行政学
―その研究と教育―
武智 秀之(中央大学)
[email protected]
政治学・行政学における政策研究の意義を制度設計の可能性と分析的思考の蓄積に求め、科学的
検証としての演繹的推論、仮説条件の探索としての帰納的推論の相互補完を示す。行政学には「主
張・根拠・論拠」の議論の論証が欠けており、組織理論の蓄積はそれを補完できることを示す。
はじめに
政策分析論と政策過程論
制約の特質
1.政治学と政策学
制度設計の構築、制度条件の分析検討
演繹の論証ではなく探索の推論
推論の重要性、仮説条件の検討
2.行政学と政策学
学説史と理論の未分化
「主張・根拠・論拠」の議論の論証構造の希薄
反照的均衡:演繹的推論と帰納的推論、論理構築と経験分析、仮説修正の柔軟性
「セレンディピティ serendipity」
:嗅ぎ分ける能力、「脈略 context」の理解
3 組織理論と政策学
方法的個人主義とその修正
組織理論の議論と分析の蓄積
組織理論の限界
おわりに
リサーチデザインの呪縛:
「脱学習 unlearning」「忘れることの効用」
分析哲学との架橋:トゥールミンとパース、プラグマティズムの思考
18
分科会C<行政改革と官僚制の変容の国際比較>
規制改革の動態と官僚制
―再規制と市場変化の繰り返しは何をもたらすのか―
深谷 健(武蔵野大学)
[email protected]
従来、行政改革を説明する際、利益、制度、アイディア、という政策変化を説明する 3 つの概
念が、その態様を説明する上でも強力な役割を果たしてきた。そしてこれは、規制という領域に
限ってみても同様であろう。既得とされる利益は、少なからず改革進展への抵抗力になり、ある
いはまた、改革は時にその既得権を打破する理念の登場により、現実に動き出す(Derthick and
Quirk1985)
。さらに、その進展態様の多様性は、制度枠組の制約の中での理念受容に規定される
こともまた指摘されてきた(秋吉 2007)。重要な改革それ自体を捉える視座からも、そして、多
様性を説明する枠組みとなる国際比較としても、このような信頼できる説明の形を与えられてき
たことで、規制改革に対する我々の政治学・行政学的理解は促進されてきた。
一方、規制改革をある一点の制度変化といったスナップショットや短期的スパンで把握するの
ではなく、より長期の視座から捉えようとする場合、改革過程を、
「政策の再構築を繰り返す過程」
として理解することもできる。このような過程を理解する際には、従来の「個々の政策変化を説
明する」という視角が重要であることはもちろんのこと、あわせて「政策変化の受け手の反応」
もまた、その長期的方向性を規定する可能性を持つことから、視角としての意味を持ちうると考
えられる。改革は時にそれ自体、自己目的にもなれば、手段にもなる。これを手段として理解す
るならば、そこにはそもそもの改革目的とそれを推進する主体が存在するのみならず、個々の政
策変化の影響を受けて行動戦略を再構築する別の主体が、必ず存在することになる(Vietor1994)。
その主体間の相互作用の結果、ある「点」での政策変化の目的と、それに対する受け手の戦略的
な反応、さらにはその後に生み出される改革の大きな流れが、常に整合するものになるとは限ら
ないであろう。そして、このような視座からこそ、
「改革の後に何が起きたのか」
(Patashnik2003,
2008)という問いを含めた改革動態を把握することが可能となり、これを「点」ではなく「線」
として理解することもできるように思われる。
以上の問題意識を踏まえ、本報告では、以下の作業を行う。第1に、規制改革を長期の時間軸
で捉える分析フレームを提供する。具体的には、日本の規制改革を素材として、規制の変化と市
場の変化の相互作用を論じた研究(深谷 2012)
、に依拠しつつ、改革の長期的変化を、多様性を
持って理解する分析を紹介する。その上で第2に、こうした長期的な変化がもたらす、官僚制組
織自体に対するインプリケーションを議論する。このことは、規制という官僚制が社会経済の調
整のために働きかける政策手段の在り方が、改革を経て、いかに変容しているのかという「再規
制のガバナンス」を、その議論の射程として含もうとするものである。あわせて第3に、
「同一国
内の多様性を分析する政策領域比較」という試みが、
「多国間の多様性を分析する国際比較」とい
う試みと、いかに整合し、あるいはしないのか、という比較分析の方法論的な意味についても、
言及することとしたい。
なお改めて、以上の作業は、制度変化を長期で捉えようとする時間の視座、そして、その変化
を相対化して捉えようとする比較の視座、という二つの視角から規制改革の動態を分析すること
が、官僚制を主たる研究対象とする行政学研究にとってどのような意味を持ってくるのかを再検
討しようとする試みである。
19
分科会C<行政改革と官僚制の変容の国際比較>
地方財政赤字と官僚制
―国際比較分析と時系列分析―
和足 憲明(いわき明星大学)
[email protected]
本報告は、和足(2014)の内容に基づきつつ、地方財政赤字に関して、国際比較事例分析と日
本の時系列分析を行うものである。
和足(2014)の問題意識は、「なぜ、日本の地方財政赤字が大きいのか」である。そこで、本
書は、日本と欧米主要国(米英独仏)との国際比較から、
「なぜ、アメリカ・イギリス・民営化以
降のフランス(1987-2000)と比較して、日本・ドイツ・民営化以前のフランス(1975-1986)
は、地方財政赤字が大きいのか」というパズルを提起している。以上を踏まえると、本書の一般
的問題意識は、
「地方財政赤字を決定する要因は何か」となる。
本書が与える解答は、〈起債統制規律・市場規律〉仮説である。〈起債統制規律・市場規律〉仮
説は、①起債統制規律と②市場規律のどちらか一方が機能する場合に、地方財政赤字は小さくな
り、どちらも機能しない場合に、地方財政赤字は大きくなると主張する。第 1 に、起債統制規律
とは、地方政府の起債総額に対する中央統制による規律のことである。起債統制規律の強弱は、
地方政府の起債総額を統制する中央政府のアクター(「中央統制アクター」)が、存在しないか、
地方自治担当省庁であるか、財政担当省庁であるか、によって決定される。中央統制アクターが
存在しない場合、地方債発行に対する中央政府による制約がないため、起債統制規律は弱くなる。
中央統制アクターが地方自治担当省庁である場合、地方政府利益を擁護するため、起債統制規律
は弱くなる。中央統制アクターが財政担当省庁の場合、予算規模の抑制による裁量性の確保を志
向するため、起債統制規律は強くなる。その上で、起債統制規律が弱い場合には地方財政赤字は
大きくなり、起債統制規律が強い場合には地方財政赤字は小さくなると考える。第 2 に、市場規
律とは、地方債引受に対する市場圧力による規律のことである。市場規律の強弱は、地方債の引
受先に関する市場の構造的特徴(
「地方債引受の市場構造」)が、公的資金中心型か、民間資金中
心型か、によって決定される。地方債引受の市場構造が公的資金中心型の場合、地方債引受に市
場原理が働きにくいため、市場規律は弱くなる。地方債引受の市場構造が民間資金中心型の場合、
地方債引受に市場原理が働くため、市場規律は強くなる。その上で、市場規律が弱い場合には地
方財政赤字は大きくなり、市場規律が強い場合には地方財政赤字は小さくなると考える。
本報告の構成は、次の通りである。
まず、和足(2014)に基づいて、アクターの選好を設定し、地方財政赤字に関する分析枠組を
構築する。アクターの選好を、①地方政府の選好=歳入最大化、②地方自治担当省庁の選好=地
方政府利益の擁護、③財政担当省庁の選好=予算規模の抑制による裁量性の確保、として設定す
る。その上で、起債統制規律と市場規律を組み合わせ、地方財政赤字の一般モデルを構築する。
次に、上記の分析枠組に沿って、日本・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスの比較事例分析
を行う。すなわち、①起債統制規律=中央統制アクターと②市場規律=地方債引受の市場構造を、
各国ごとに検討し、
〈起債統制規律・市場規律〉仮説を、各国事例に即して検証する。各国の比較
事例分析を通じて、制度配置と帰結の因果関係を分析する。
最後に、日本の時系列分析を行う。上記の分析枠組に沿いながら、和足(2014)では分析期間
となっていなかった 2001 年度以降の変化を含めて、時系列変化の説明を試みる。もっとも、流
動的状況と時間的制約の故に、この部分は試論的となっている。
参考文献
和足憲明(2014)
『地方財政赤字の実証分析―国際比較における日本の実態―』ミネルヴァ書房。
20
分科会C<行政改革と官僚制の変容の国際比較>
ニュージーランドにおける行政苦情救済とグッドガバナンス
―オンブズマン制度を中心として―
福島 康仁(日本大学)
[email protected]
アングロ・サクソン系諸国として、オセアニアには行政先進国であるオーストラリアやニュー
ジーランドなどが存在し、それらの諸国は独自の行政制度、行政文化を有し発展してきた。オセ
アニア諸国では英国をはじめとするヨーロッパなどの文化が移入されると、その文化の本質を継
承しながらも、北米とは異なった発達を遂げ現代に至っている。その継承された文化のなかで、
北欧諸国型の苦情救済システムである古典モデルとしてのオンブズマン制度が移入され、独自の
発展を遂げている。ニュージーランドの苦情救済システムにおいて、我が国との最大の相違は国
レベルのオンブズマン制度の存否であるが、ニュージーランドは既に半世紀前にこれを採用した。
オンブズマン制度を導入する以前の状況は、国内で生じる苦情は政治家チャネルが使用され、大
臣が自らの省庁で処理されることとされていたが、処理能力には限界があり、苦情処理の件数・
時間、効果に多大な問題が残ったのである。
かかる状況に対して、イギリスから独立して15年後の間もない時期に、国民と政府の間の摩
擦緩和と苦情処理のため、スウェーデンから北欧諸国に普及したオンブズマン制度を、世界で4
番目に、オセアニアでは初導入した。ニュージーランドは「議会コミッショナー法(Parliamentary
Commissioner (Ombudsman) Act 1962、以下オンブズマン法)」を制定し「議会型オンブズマン」
を創設した。この動向を契機に、アングロ・サクソン系諸国であるイギリス、カナダ、アメリカ
など諸外国に急速に普及することとなる。
1962 年にオンブズマン法は、現在では 1975 年に公的機関の調査権限をもたせた大幅な改正が
なされその法律下で活動がなされている。近年では複雑化する社会問題に対してオンブズマンの
専門化(特殊オンブズマン)志向と、オンブズマンの管轄の拡大志向がある。
まず、前者は法令により設置されるものであるが、一例を挙げればプライバシーオンブズマン
(Privacy commissioner)
、警察オンブズマン(Independent Police conduct Authority)など
がある。その所管などは重複しているものが多い。その他に業界団体が組織するオンブズマンが
存在する。
一方、オンブズマンは国の機関であることから、当初その所管は中央政府の省庁や付随する部
門についての苦情を処理・調査に限定されていた。しかし、設立から 6 年後の 1968 年には教育
委員会や病院理事会を含む対象範囲が拡大し、さらに 1975 年には、オンブズマン法が大改正に
規定追加が熟慮され、管轄権は住民から持ち込まれる地方自治体への苦情も含むものとされたの
である。中央地方関係は、日本と同様に中央政府、地方政府の二層制構造であるが、母国イギリ
スの影響を色濃く受けているため、典型的なアングロ・サクソン系中央地方関係である。各主体
の事務の権限は制限列挙主義であるため、地方政府の権能は限定的であった。小規模国家のため、
集権的要素が存在し元々地方政府の中央政府への依存状況が存在していた。そこに、オンブズマ
ン法が改正され苦情救済についても、地方政府自らのものに加えられることとなった。それ以後、
オンブズマンの受任すべき対象範囲はオンブズマン法の改正なしに他の法律に依拠しながら拡大
傾向にある。
本報告では、オンブズマンが苦情救済の過程で期待されうる変革エージェントとして果たして
きた役割、グッドガバナンスの中での位置づけについて検討したい。
21
分科会D<自治体における参加・協働・紛争-ローカル・ガバナンスの諸相->
廃棄物処理施設の立地選定過程における市民委員会方式の構成と効果、その陥穽
金
今善(首都大学東京)
[email protected]
本研究が対象としている廃棄物処理施設の裏側には必ず「必要施設=公益施設」としての認識
が存在し、かつ「必要」を「迷惑」たらしめている「負の部分」がある。その「負の部分」の一
つに、
「便益拡散・費用集中の非対称構造」がある。その廃棄物処理施設の立地をめぐって、費用
負担を最大限回避しようとする少数の利害関係者の政治的影響力が働く場合がある。そのため、
廃棄物処理施設建設事業は「本質的に議会(政治)が扱えない問題領域」とされ、主に自治体の
執行部門(行政)が当たって来た。しかも、廃棄物処理施設は、その立地の際の迷惑の技術的な
依存度が高いために、立地点の選定や代替案の選択において専門家や技術官僚の意思や見解が重
んじられがちである。しかし、不確実性と複雑性、危険性を伴う環境政策関連の意思決定過程に
おいては、官僚や専門家の判断能力への懐疑とその決定の正当性確保の限界という問題が早くか
ら指摘されている。
そこで近年、政府や業界の唱えるリスク・コミュニケーションにおいて行政、専門家、企業、
市民などのステークホルダーの参加が重視されるが、結果的に専門家や技術官僚のテクノクラテ
ィックな知見や見解(=技術的合理性)を住民がいかに受容するかが論じられている観が強い。
したがって、廃棄物処理施設の立地の際には、専門家や技術官僚の主導する行政主導の意思決定
構造は依然として克服されず、事業主体・行政の見解あるいは姿勢が立地地域住民の見解より優
先される側面を常に内包するのである。
しかも、廃棄物処理施設の安全性や必要性をめぐる意見対立を政策論によって解決しようとし
ても、地方ないし地元にとって廃棄物処理施設が、しばしば経済的利益を引き出すためのツール
であることも事実である。これは、公共政策としての廃棄物処理施設の建設を「アカウンタビリ
ティ」や「政策評価」といった観点から議論することに対して、障害要因として働くのである。
こうした背景から、近年、
「分配的公正から手続き的公正へ」と論点がシフトしている中、廃棄
物処理施設の立地・建設をめぐる諸利益の調整過程において、多様な発議に公益を求めながら、
政策過程への一般住民ないしはステークホルダーの参加と対話・討論の過程を通じたガバナンス
モデルの構築が求められるようになった。
ところが、日本において用地選定の段階から住民参加を進めることにより施設建設に至った事
例は極めて少ない。しかも、先行研究が薦める住民参加手法に基づいて事業者が選定した場所が
立地地域住民に受け入れられず、その選定理由をめぐって立地地域と激しく対立し、紛争が長期
化したケースも報告されるなど、地域住民の視点を加味した立地プロセスを取り入れるだけでは、
必ずしも問題解決に繋がるとは限らない。
そこで、本報告では、市町村の固有事務の一つとされ、地方行政の中でも、特に住民生活に密
着した対応が求められる、一般廃棄物処理施設の立地・建設過程において市民委員会方式が導入
された事例を取り上げ、その決定に至るまでの過程を比較分析し、その設定のあり方や運営の仕
方の違いが紛争解決や合意形成の成否にどのような影響を与えたのかについて検討したい。それ
と共に、専門家などキーパーソンが複数の事例に関わり、最初の経験を踏まえて対応や見解を修
正したり、あるいは、自治体が先行する自治体での取り組みを参考にしたりするといった、一つ
の先行事例の経験が他の事例において参照される影響関係や波及効果についても論じたい。
22
分科会D<自治体における参加・協働・紛争-ローカル・ガバナンスの諸相->
ローカル・ガバナンスにおける新たな制度設計への道
―広域連携における参加と協働の仕組みづくり―
坂野 喜隆(流通経済大学)
[email protected]
基礎自治体におけるガバナンス、すなわちローカル・ガバナンスの新たなかたちが求められて
いる。本報告では、ローカル・ガバナンスおよび異なるレベルのガバナンスが相互調整されなが
ら、制度設計される姿を考えてみたい。ここでは、基礎自治体において必要とされている広域連
携などを中心に論を展開していくこととし、具体的には、①基礎自治体におけるこれからの広域
連携のあり方、②持続可能な広域連携の制度設計などを考察する。
市区町村は、現在、広域と狭域の 2 つの仕組みづくりを指向している。市区町村は、少子高齢
化、それに伴う人口減少への対応、公共施設・インフラなどの老朽化とその適正管理・再編など
の問題を抱えている。くわえて、住民ニーズも多様化・複雑化し、住民自身の活動範囲も自らの
課題によって異なってくる。基礎自治体は、住民課題解決のために、ときには広域連携を指向し
(広域化)
、ときには都市内分権などを指向する(狭域化)。
基礎自治体における広域化と狭域化は、東日本大震災などを契機として、いっそう推進されて
いる。狭域化については、平成の大合併により、基礎自治体の規模が拡大したことなどがその背
景にある。広域化は、東日本大震災により、防災、地域計画などの分野において広がりを見せ、
新しい広域行政のスタイルが目指されている。
従来の広域連携は、概ね、隣接している地域との連携を想定してきた(隣接型の広域連携)。し
かし、実際、隣接している基礎自治体であっても、県外の自治体間連携の数は府県内の自治体間
連携の数より少なく、連携を密にすることは少ないのが一般的であった。それ以上に、距離の離
れた自治体間による連携(非隣接型の広域連携)は、姉妹都市の締結など以外はあまりみられな
かった。
現在、地方自治法上の広域行政だけでなく、これまでの広域連携ないし広域行政の仕組みに加
えて、新しい仕組みづくりが喫緊の課題となっている。自治体間連携の姿も、住民の活動範囲や
ニーズによって、新たな対応が求められているのである。地域における活動主体が従来の圏域を
超えて活躍している。そのため、「市民」の定義にも、「在住」だけでなく、「在勤」、「在学」、そ
して「在活」といったところまで広がっている。在活の中心である NPO などの市民活動団体に、
多くの自治体は熱い視線を送っている。
基礎自治体における広域連携の重要なポイントは、多元的な活動主体が活躍できるあり方であ
る。参加と協働による連携である。広域行政圏や定住自立圏に代表される隣接型の連携(広域行
政圏型の連携)の仕組みにも、行政だけでなく、NPO などを含めた多くの活動主体の参加と協働
の仕組みが想定されている。
距離が離れていることに利点がある非隣接型の広域連携は、継続されることに意義がある。し
かし、非隣接型の連携の場合、距離だけでなく、「お付き合い」にかかるヒト(職員交流)、モノ
(交流価値のあるモノ)
、カネ(予算)などが問題となる。そのためにも、参加と協働の仕組みを
どのように考えるかが今後の課題である。都道府県などの広域自治体の役割も重要になろう。
持続可能な広域連携成功のカギこそが、行政だけでなく、いかに市民や企業、NPO などを巻き
込んでいくかである。そして、このようなネットワークを結びつける「架橋的な存在」を考えて
いくかが肝要となる。広域連携のために、架橋的な存在をどのようにとらえ、それをどのように
制度設計できるかを、いくつかの事例を踏まえながら検討していきたい。
23
分科会D<自治体における参加・協働・紛争-ローカル・ガバナンスの諸相->
大都市における地域住民協議会の可能性
―地域の役割、行政の役割―
三浦 哲司(名古屋市立大学)
[email protected]
本報告では、大都市における地域住民協議会の動態に焦点を当て、協議会活動のあり方を規定
する要因の解明をめざす。これは、ある自治体において、同じ制度的枠組みのなかで設立された
にもかかわらず、協議会の活動が推移するにつれ、多様な住民が参加して数多くの成果をあげる
協議会と、そのようにはならないで停滞し続ける協議会とが生じるのはなぜか、という問題関心
に由来する。
わが国では近年、小学校区や中学校区程度の範域で、自治会・町内会をはじめとする地縁組織
の関係者とともに、NPO やボランティア団体の関係者が参加するプラットフォームとしての地域
住民協議会(
「まちづくり協議会」「コミュニティ協議会」などと呼ばれる場合もある)の設立を
進める大都市自治体が増加している。元来、この範域は国・自治体による一連のコミュニティ施
策の対象エリアでもあり、協議会にはコミュニティの活性化機能が期待される。そのほかにも、
地域に関する事項の意思決定、地域が抱える課題の発見・解決、地域事情に即した公共サービス
の調整、地域活動の担い手の人材育成、といった機能も求められている。
こうした動向に対し、すでにいくつかの先行研究も存在している。ただし、特定の協議会に焦
点を当て、経年的にその動向を検証したうえで、協議会活動や行政支援のあり方に対する示唆を
提示する研究成果は、必ずしも多くない。大都市自治体で設立が進むものの、協議会活動が停滞
する事例も少なくないという今日の問題状況をふまえ、数々の成果をあげている協議会に注目し、
その背景・要因を解明することは重要な研究課題といえる。
そこで、本報告では大都市の地域住民協議会の具体例として、ふたつの事例を取り上げる。第
一は、わが国における先行事例である中野区の「住区協議会」である。中野区行政当局は 1970
年代の革新区政期に区内を 15 住区に区分し、それぞれに地域センターと住区協議会を設置して、
双方の連携による地域自治の活性化を促すという「地域センター及び住区協議会構想」を実践し
た経緯がある。この構想は首長の判断によって 2006 年に廃止となり、これを契機に行政支援も
なくなって大半の協議会が解散した。ただし、その一方で構想廃止後も活動を続け、成果を上げ
る協議会も確認される。
第二は、新たな市政改革のなかで構想を具体化させた大阪市の「地域活動協議会」である。大
阪市行政当局は 2012 年度から、概ね小学校区ごとに地域活動協議会の設立を進め、極めて短期
間のうちに市内全域での設立をほぼ完了させた。その結果、市行政当局主導の性急なうごきへの
対応が困難であるために、独自の取り組みを展開できていない協議会が数多く存在する。一方で、
市政改革に翻弄されることなく、さまざまな住民が活動に参加して地域公共サービスの一部を担
うなど、新たなうごきをみせている協議会も出現している。
以上をふまえ、本報告では「さまざまな成果をあげる協議会と、そうではない協議会とのちが
いを生む要因は何か」という問いの解明をめざす。その際、1)自治体行政当局はどの部局がど
のように協議会活動を支援しているのか、2)協議会は誰がどのように管理・運営しているのか、
3)協議会は地縁組織との関係をどのように保っているのか、という3つの視点から、事例ごと
の比較を通じて協議会活動の検証を進めていく。もちろん、その前提として、当該地域における
行政当局と地縁組織との関係の歴史的変遷も整理する。最終的には、一連の検討を通じて得られ
る示唆を提示したい。
24
公募企画<公務員制度の基礎となる概念をめぐって-日中比較を手がかりとして->
「公務員」の用語と概念:日本と中国
毛桂榮(明治学院大学)
[email protected]
「公務員」という用語は、日本では少なくとも 1900 年(明治 33 年)の刑法修正案に遡る。
「公
務員」は、1907 年刑法で初めて法律用語となり、そして恩給法などにおける使用を除き、戦前で
は一般的に普及しなかった。戦後新憲法の制定と国家公務員法の制定に伴って、
「公務員」や「公
務員制度」の用語は普及した。資格任用制を中心とする「公務員」の概念は、戦後定着したもの
である。またその普及の過程で、
「公務員」の用語は、一般職の公務員、特別職の公務員のように、
多様な意味内容を有する概念(概念の多様化)となっている。
中華民国の官吏制度では、
戦前日本の官吏制度に影響された。1907 年の日本刑法の影響を受け、
中華民国の 1928 年刑法では「公務員」の用語が使用され、翌 1929 年に資格任用制のスタッフに
関わって「公務員」が法律用語として使用された。以後、
「公務員」の用語は普及するようになっ
た。しかし、中華民国そして戦後の台湾では、
「公務員」のほか「公務人員」、
「公職人員」、
「文官」
の用語・概念も同時に使用されている。資格任用制のスタッフについては、
「公務人員」の用語が
主として使用される。
共産党中国では、中華民国期の公務員制度だけではなく、
「公務員」の概念も廃棄された。憲法
や刑法では「国家工作人員」
(国家機関工作人員)の用語が使用され、共産党支配の政治では「幹
部」
(党政指導幹部)の用語が主たるものである。
「公務員」の概念や公務員制度の構築が 1990 年
代以後進められ、公務員法は 2006 年に実施されたが、「党が幹部を管理する」原則が法制化され
た。現在、中国では「国家工作人員」
、
「幹部」
(党政指導幹部)及び「公務員」の概念が、三つ巴
の状況である。
本報告は、
「公務員」という用語が、日本と中国でどのような概念で使用されているのかを比較
的に検討したい。
参考文献:
武藤博己・申龍徹編著『東アジアの公務員制度』法政大学出版局、2013 年
毛桂榮「公務員の用語と概念をめぐって」、明治学院大学「法学研究」97 号、2015 年 2 月
25
公募企画<公務員制度の基礎となる概念をめぐって-日中比較を手がかりとして->
「任用」とは何か—比較のための試論
南島和久(神戸学院大学)
[email protected]
日本の公務員制度における用語のひとつに「任用」がある。同概念は、職員の「採用」「昇任」
「降任」
「転任」を意味する現代日本の公務員法制の鍵概念であると同時に、
「情実任用」
「資格任
用」など、ジャーゴンの一部でもある。本報告では比較研究の手がかりとしてこの概念をほりさ
げてみたい。
日本の国家公務員法では、
「任用」の根本基準として「成績主義」が掲げられている。すなわち、
「職員の任用は、この法律の定めるところにより、その者の受験成績、人事評価又はその他の能
力の実証に基づいて行わなければならない。」
(国公法第 33 条)である。ただし、これは「能力の
実証」が近代人事原則であることを宣言しているに過ぎず、その中身の説明にはなっていない。
そうであるとするならば、
「任用」概念とはそもそも何なのか。いったいどのように説明されるべ
きものなのか。あるいは、比較研究を念頭に置くとき、どのように理解していけばよいというの
であろうか。様々な疑問がわいてくる。
周知の通り、
「任用」概念が近代日本において法的に掲げられたのは、明治 26 年の「文官任用
令」であった。ただし文官任用令の前には、
「文官試験試補及見習規則」
、あるいはそれ以前の「官
紀五章」があり、それらのベースには 1869(明治 2)年の「職員令」体制がある。職員令体制下
では、古代律令制の復活が企図され(二官六省制)
、この下で位階相当制も一定、復元されている。
「任用」の基礎にはすくなくともそこからの文脈がある。
さらにいえば、明治期に復活した律令制はそもそも古代中国にその起源があった。遣隋使・遣
唐使・遣新羅使を通じて日本にもたらされた律令法は、秦・漢にはじまり、晋・北魏を経て、隋・
唐へと発展継承されたものであって、これを基礎として日本の位階制・律令官制も構築されてい
る。法制史等の研究蓄積はそれを教えてくれる。
この歴史的蓄積のなかで形成されてきたのが、現代日本で使用されている「任用」概念である
といえるのだろう。もちろん現代の「任用」概念はかつての概念の輪郭を残す程度のものである
のかもしれない。それ以上の積極的な意味がどれほどあるのか疑問でもある。だが、こうした歴
史の古層に触れることは、日中比較においても、またそれぞれの官僚制の社会的意味を考察する
上でも、不要な作業というわけではなさそうである。
26
公募企画<公務員制度の基礎となる概念をめぐって-日中比較を手がかりとして->
現代公務員制と公務員の政治的中立性:日本、そして中国
白
智立(北京大学)
[email protected]
本報告では現代公務員制の基礎概念の一つである公務員の政治的中立性を取り上げて、その基
本内容と外延について整理し、この上に日本における実践と中国における主な議論を中心にこれ
を考察する。最後には比較行政論という視点から現代公務員制と公務員の政治的中立性における
日本と中国が直面する課題について問題提起を行う。本報告の要旨は下記の通りである。
公務員の「政治的中立性」は公務員任用論議の鍵概念のひとつである。現代公務員制における
公務員の政治的中立性の命題について概観すれば、以下のような基本内容と外延を抽出すること
ができる。まず官僚制生成の議論からは、公務員の政治的中立性概念は絶対君主への忠誠からな
る諸々の社会的利益を超越する古典官僚の君主・国家への一体化から生まれたものである。現代
民主制では現代公務員制における公務員の政治的中立性が政党や諸社会的利益から超然たる「全
体の奉仕者」より始動し、さらに現代国家の基本背景・特性から、国家全体・職業的専門性なる
中立性への期待が内包される。
現実の現代公務員制の実践としては日本の政治変動と公務員の政治的中立性の相関関係は看過
することができない。公務員法上の公務員の政治的中立性規定からの公務員の思考様式への拘束、
具体的な制度規定による公務員の政治活動参加への制限、公務員の実質的任用に対する政治的思
惑や具体的制度的働きへの抵抗などである。いずれも戦後民主化政治変動に伴って顕著に現れた
官僚制への民主統制・行政民主化過程における課題となるが、近年来の政権交代や公務員制度改
革の中に収斂されることによって、一層緊急性を増すようになり、直面せざるをえない古くて新
しい問題となる。
現代公務員制と公務員の政治的中立性の関係性を考える場合、中国における現代公務員制の樹
立と伝統的行政の政治化の特徴に関連しながら、当該概念の検討をさらに深める価値が生まれる。
政治体制の違いから中国の問題性を日本のそれに直結して議論する必要はないが、中国における
現代公務員制の樹立の過程にも公務員の政治的中立性や政治・行政分離の課題が内包されていた
ことは看過できない。2000 年代初頭の福祉国家政策への移行、その後の公務員法成立、現今の法
治国家造りの強調などからは、専門性・実績・職務法制ばかりでなく、公務員という職業に制度
的に従来と異なる新しい評価・思考・観察の視点が提供されている。
最後に、中日の比較行政論の視点から論点を整理すれば、さらなる問題提起を行うことが可能
である。現代公務員制の樹立は公務員の政治的中立性よりスタートし、中立性命題は現代公務員
制の原点でもある。現代公務員制樹立後の展開から見ると、現代国家の政治体制改革事情や公共
政策変遷、国家職能転換により、公務員の政治的中立性問題は解消されていないにもかかわらず、
中日の事例からみれば、それはさらに複雑さ・深刻さ・緊急さが増されている段階に来ているの
ではないかと思われる。両国の発展段階や制度改革課題は異なるにしても、現代国家の課題変遷
への対応、現代官僚制への有効な民主的統制の実現に限って言えば同様である。その場合、比較
行政論研究の効用からみれば、中国も日本もいかに公務員の政治的中立より発生した政治・行政
二分論をとらえていくべきかに尽きると思わざるを得ない。
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