第一席 茶道の原点を紐解く 勝田 晴子

第一席
茶道の原点を紐解く
「なんか上手く言えないね」
神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校二年(神奈川県)
勝田 晴
子
ないかと思う。でも言わないことが悪いことではない。茶道未経験
者も対象にお茶会を開くときなどは、作法を知らない人だっている。
だからと言ってそれを責める人なんて私は見たことが無いし、この
先きっと見ることもないと思っている。亭主が美しく綺麗なお点前
をするだけでなく、何よりも心からもてなす気持ちが大切なのと同
じように、お客様も感謝を持ち合わせてさえいれば、作法が完璧で
なくても「心と心でのお茶」を成功させることができるのではない
だろうか。亭主とお客様が目を合わせていられる少ない時間で、い
かに心を通わせてお互いが楽しめるような場を作れるかが、何より
か浮かんでこない。どれだけの月日を重ねても、私は明確な答えを
言葉で言おうとすると、何ら茶道未経験の友達と変わりない答えし
特別極めているわけではないが茶道に精通している私なら何と答
えるか。友達に質問した後に自分で少し考えてみた。分かりやすい
像しながら言葉を紡いでくれた。そして最後に一言、こう言った。
も聴衆に感じてもらわなくてはいけないし、本はカバーが大事なの
のは日常に溢れていると思う。例えば音楽や本。音楽は作曲者の心
ということだ。「心と心のお茶」のように、見た目より心が大事なも
て、実は私たちの生活と背中合わせの、すごく近い位置に存在する
同じようなことをどこかで聞いたことがあると思う人はいないだ
ろうか。私はここまで思いを巡らせてみて、なにか引っ掛かるもの
も大切で、かつ一筋縄ではいかないことなのだろうかと思う。
見つけられないのではないかと思う。見つかってしまうとそれ以上
ではなく中身でいかに感動を与えられるかが大事だ。そう考えると
着物、和風、格式を重んじるなど、茶道が日常の一部でない友達
に茶道のイメージを尋ねた時、見た目や印象を思い出しながら、想
何も成長できない気さえする。だから、私は「なんか上手く言えな
茶道は昔から、人々の近くにそっと寄り添っているような、そんな
があることに気付いた。茶道というものが独立しているのではなく
い」が茶道に対する印象としてぴったりなのではないかと思うのだ。
うになった。それはなぜか。この言葉が、亭主とその場でお茶を飲
の核心に近いものをこの言葉が保有しているのではないかと思うよ
ではないし、抽象的だからこそ亭主一人一人が思うことも、伝えた
という抽象的なものだからだ。そうは言っても決して不安定なもの
紐を少しずつ解いていくように原点を求めていくと、結局のとこ
ろ明確な茶道のイメージは出てこない。なぜならそれが「心と心」
安心感をもった存在だったのではないかと思う。
むことができるという幸せ全てに感謝できる唯一の言葉だからだ。
いことも違ってきて味が出てくるのだろうと思う。そして一言で言
お点前頂戴致します。という一言がある。お茶と触れている時間
に口にしないことなどまずあり得ない一言。私は最近やっと、茶道
食事の前の「いただきます」と同じで、言わない人は少ないのでは
えないものだからこそ、茶道に馴染みが無い人でも様々な印象を持っ
てくれる。私はこれは素晴らしいことだと思うし、このように形が
定まりすぎていないからここまで多くの人に時代を超えて、国を超
えて親しまれてきているのだろうと思う。私に今できるのは、「なん
か上手く言えない」ような心地よさや荘厳さを伝えること。何より
お茶を楽しんでもらう気持ちを忘れないこと。それがきっと「心と
心の茶道」への一番の近道だから。