【寄稿】朝鮮学校にしかないもの/薛亜由美さん 私は現在、2 人の子どもたちを朝鮮学校幼稚園に通わせている在日 朝鮮人 3 世だ。今年からはオモニ会の役員も任されている。 それでも、日本学校出身の私は、長らく朝鮮学校や同胞社会の存在 を知らずに育った。高校の時、学生会活動に参加したことでそれらに 初めて触れた。当時、学生会で語られていた「無知は罪だ」という言 葉に衝撃を受けたことを今でも覚えている。 今の時代、日本社会において、朝鮮人という理由で露骨にいじめられ ることはほとんどない。けれど昔の私は、何も知らない日本の友人か ら投げかけられる「なんで韓国に帰らないのか」「韓国語しゃべれる のか」「ぜったい日本人でしょ」という質問に対して、何ひとつ満足 に返答することができず、ただその都度傷つくばかりだった。朝鮮と 日本の間で、何か政治問題がある度に、肩身の狭い思いをして周囲に ビクビクしていた。 20 歳の頃、学生会活動で出会った夫と結婚し翌年に第1子を出産。 その数年後、迷った結果、子どもたちを朝鮮学校に送る決意をした。 学生会活動を通じて、子どもたちを朝鮮学校に送りたいという気持ち があったからだ。 子どもたちが朝鮮学校に通い始めてからは、衝撃の連続だった。最 初はわからないことばかりで年齢も格別若かったため、何をするにも 緊張していた。 朝鮮学校は日本学校と違って、保護者や同胞が共に学校を支えてい る部分が多くある。運動会の玉入れの玉作りなどを行った際には、こ れって買うものじゃないのかなどと戸惑った。その他にも、給食、バ ザー、納涼祭の準備など、オモニたちがすることは盛りだくさんだ。 だけどそうした共同作業を通じて、他のオモニたちとすぐに打ち解け ることができたし、テキパキと動くオモニたちと接するうちに、自分 自身も成長していけるように感じる。 朝鮮学校に通いながら、在日朝鮮人として成長していく子どもたち の姿は羨ましくもあり頼もしくもある。何より、そうした経験を通じ て「どうして朝鮮学校に入れたのか」という周囲の質問に、今ははっ きりと答えられるようになった。 子どもたちが在日朝鮮人として生きるにあたり、多くの矛盾や葛藤 に直面した時、知識不足のために存在を否定されているような思いを 抱いてほしくない。昔の自分の経験から自分が何者かという知識を持 たせてあげたい。それが在日朝鮮人の子を持つ親としての責任だし、 そうした教育を受けることができるのは朝鮮学校だけだと思う。 日本社会で自分が何人として生きるのかという選択は、子どもたち が大人になったとき自分たちの尺度ですればいい。自分が在日朝鮮人 として、何を守り、どのように生きるべきかを日本学校では絶対に教 わることができない。 私は、日本社会において朝鮮人が朝鮮人としてあり続けられるよう、 今後も朝鮮学校と同胞社会を守っていきたい。
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