第一席 茶道が教えてくれたこと 猪股 隼也人

第一席
に入部したが学園祭のころに今まで逃げてきたつけが回ってきた。
我が校の茶道部は学園祭でお茶会を開くのだが、その時の亭主・
半東・水屋・お運びを生徒のみで準備から本番まで行うのである。
今思えば高校生ともなれば当たり前のことであるが当時の自分から
すれば大きな衝撃だった。今までは茶道の先生に教えられた通りに
をやってみないか」と言われた。あまりにも唐突なことで間の抜け
自分が茶道を習い始めたきっかけはなにも特別なものがあるわけ
ではない。中学校二年生の初夏のころに古い幼馴染から急に「茶道
てしまった。
であった。「今回もまた逃げるんだろうな」と自分の心の片隅で考え
茶道が教えてくれたこと
明成高等学校二年(宮城県)
動き言われたことを一生懸命にこなしていたのだが学園祭では一か
ら自分で決めるのである。お道具やお菓子、お茶室の設営から亭主
た反応をしてしまったのだが、とりあえず見学にという話になった。
一年生のころは先輩の後ろに付いてやり遂げたがしかし結局いつ
もと変わらず、先生が先輩に代わっただけの、なんの成長もない結
猪股 隼
也人
この後のことは茶道を習っている人ならば分かるだろう。すべてが
果になってしまった。
や半東・水屋の動き方まで自分達で決めるというのは、今まで先生
初めて見る物に囲まれて緊張と好奇心につつまれるあの感覚に自分
決まったものに磨きをかけていく考え方があるからこそ自分は今ま
ことを考えていた時に目の前に茶道が現れたわけである。あの形の
あるんだから」と思った。
ことで逃げるのはやめよう。こうして自分の経験を活かせる場所が
自分が他の部員よりお茶会に慣れている自覚はあったが、思わぬ
所で役に立っていた。自分はこの言葉を聞いて「もう自分の好きな
「猪股君はすごくお茶会に慣れているね。もっと自信をもっていい
んだよ。来年もこの調子で頑張ってね」
に言われていた通りに動いていた自分にはかなり難易度の高いこと
も虜になってしまったのである。
そんな自分に愛想を尽かしていた時、ある一人の先輩が自分に声
をかけた。
そんなこんなで始めた茶道であるが、最近になり、続ける理由に
ついて考え始めた。自分は小学校と中学校ではずっとスポーツをし
ていたが自分はスポーツが好きではなかった。スポーツは自分で考
で続けてこれたのだろう。よく言えば適材適所といったところであ
え周りを見て動くものであるが自分はそれが苦手であった。そんな
るが悪く言えばただの逃げである。自分は逃げることは悪いとは思
ず日常生活においても考え方を変えるようにしている。
その後、学園祭が終わってからは逃げることより挑戦することに
重きを置き好きな事に全力で取り組むようにしている。茶道に限ら
わないが、人よりずるい生き方だと思っていた。
高校に入るころに、考えも固まって部活も運動部ではなく茶道部
物事から逃げることをせず、真っ直ぐ見つめることの大切さを教
えてくれた茶道が自分は大好きである。その大好きな茶道を自分は
これからも続けていく覚悟である。逃げることよりも挑戦すること
の方が何倍も楽しいことをこれから出会う人に伝えていきたいと考
えている。まずは身近な部活動の後輩達と楽しい活動を行っていき
たい。さらに海外に日本の文化を伝える手段として茶道は大きな役
割を果たすことが出来ると思える。
我が校には、海外からの訪問者がありその場でも茶道を日本文化
として伝える場面を設定できるように今後の活動としてどのように
伝えられるかを考え学んで実行していきたいと思う。