他者理解の科学と現象学―心の理論から間身体性へ

2011 年 2 月 26 日:2010 年度第三回身体知研究会(RMEK)資料
他者理解の科学と現象学―心の理論から間身体性へ
田中彰吾(東海大学)
【キーワード】他者理解,心の理論,シミュレーション説,ミラーニューロン,間身体性
1.他人を理解すること
・日常生活において、私たちが他人の心や行動を理解する場面にはさまざまな種類のものがある。いく
つかの例をここにあげてみる。
① 他人の意図を理解する(※写真①)
② 他人の欲求を理解する(※写真②)
③ 他人の感情を理解する(※写真③)
④ 他人の考え方を理解する
-過去のいじめの体験を聞いて、人付き合いについてのその人の考え方を理解する
⑤ 他人の性格を理解する
-他人のちょっとした言動から、
「あの人らしいな」とその人物の性格を再認識する
2.心の理論 Theory of Mind
・一般に、人が他人の心や行動について理解できる(あるいは「理解できる」と感じる)のはなぜなの
だろうか? 従来の心理学や認知科学では、
「素朴心理学 folk psychology」
や「心の理論 Theory of Mind」
という概念で説明がなされてきた(cf., アスティントン, 1995; 子安, 2000)
。
-人にはもともと、他人の心的状態について想像したり推論したりする能力が備わっており、この能
力を「心の理論」と呼ぶ。この能力があるため、人は一般に、他人にも心が宿っているとみなすこ
とができ(他人への心の帰属)
、他人の心のはたらきを理解し(心的状態の理解)
、それにもとづい
て他人の行動を予測することができる(行動の予測)、と説明されてきた。
→心の理論の由来
-もとは、霊長類研究者のプレマックとウッドラフが、チンパンジーに実施した実験結果にもとづい
て提起した概念(Premack and Woodruff, 1978)
。
-実験は、檻の外にあるバナナを取ろうとしている人間の映像をチンパンジーに見せ、課題の解決に
つながる写真(棒を突き出している写真)とそうでない写真から 1 枚を選ばせるというもの(※写
真④~⑦)。チンパンジーが課題解決につながる写真を安定して選んだことから、彼らは、チンパ
ンジーは「心の理論」を持っていると考えた。
-つまり、チンパンジーは「人間がバナナを欲しがっている」とその欲求を理解し、「だから人間は
棒を突き出すだろう」と推論したため、棒を突き出している写真を選んだ、と考えることができる。
だとすると、チンパンジーは、映像に映った人間の「心的状態を理解」して、それにもとづいて「行
動を予測」していることになる。
3.誤信念課題 False-Belief Task
・人間の幼児を対象にして、心の理論の成立を確かめた実験に、ウィマーとパーナーが考案した「誤信
念課題」
(通称チョコレート課題)と呼ばれるテストがある(Wimmer and Perner, 1983)
。
1
-テストは人形劇を用いて子供に質問するもので、設定は次のようになっている(図①)
。
・物語の登場人物である少年マクシが、戸棚Xにチョコレートを置いて出かける。
・マクシが不在のあいだに、母親がチョコレートを戸棚Yに置き換える。
・幼児への質問:
「帰ってきたマクシは、どこにチョコレートを探すでしょう?」
-応答する幼児に心の理論が成立していれば、「マクシはチョコレートが戸棚Xにあると思い込んで
...
いる(誤信念)
」と正しく推論できるはずなので、
「マクシは戸棚Xを探す」と答えることができる。
逆に、心の理論が成立していないと、幼児はマクシの心的状態を理解できない。自分が知っている
事実と、マクシが知っている事実を区別できないので、「マクシは戸棚Yを探す」と答えることに
なる。
-実験結果によると、4 歳以前の幼児は誤信念課題に正答できない(4 歳~6 歳児で 57%、6 歳~9
歳児で 86%の正答率)
。人間の発達過程で心の理論が成立するのは 4 歳以降であることは、他の実
験によってもほぼ確かめられている(アスティントン, 1995)
。
4.なぜ「理論」なのか?
・そもそも、他人の心的状態を想像したり行動を予測したりする能力を、なぜ「理論」と呼ぶ必要があ
るのだろうか? プレマックとウッドラフはその理由について、次のように述べている。
【この種の推論システムは、ひとつの理論と見るのが適切である。というのも、第一に、そうした状
態は直接に観察可能なものではなく、第二に、そのシステムは予測に、とくに他の生物の行動につ
いての予測に用いることが可能だからである】(Premack and Woodruff, 1978, p.515)
-ここから読み取れるのは次の 2 点で、自然科学に類するものとして心の理論が構想されていること
が分かる(cf., Davies and Stone, 1995; 河野, 2005; 子安, 2000; 鈴木, 2002)
。
① 心そのものは目に見えないが、推論という理論的な過程としてはたらいている(自然現象は観
察できても理論的法則は目に見えないように)
② 理論に従って結果を予測することができる(理論的法則から自然現象を予測できるように)
-このように、他者理解の理論的側面を強調する立場は、心の「理論説 theory theory」と呼ばれる。
→理論説の前提
-理論説は、他人の心は直接にアクセスできるものではなく、他人の行動を理解し予測するには、心
についての一般的な法則に沿って推論する必要がある、という前提に立っている。
5.シミュレーション説 Simulation Theory
・80 年代後半以降、理論説に対する代案として、一部の哲学者から「シミュレーション説」が主張され
(Goldman, 1989; Gordon, 1986)
、論争が繰り広げられてきた(Davies and Stone, 1995)
。
-シミュレーション説の考え方の中心にあるのは、他者理解は理論的な操作によって可能になるので
はなく、自分を相手の立場に置いて模擬する simulate ことで可能になる、という点。
-相手が置かれている状況に自分もいるものと想定して、相手の立場でものごとを感じ、考え、行動
したとしたらどうなるか、というシミュレーションを自分の心のなかで行って、それを他人に投影
することで、他人を理解することができる、ということ。
【自分が他者の立場にあると想定し想像し、自分なら(その後)どういう状態になるかを構成し創造
し、そしてその状態を他者へと帰属させることで、他者に心的状態を帰属させる。要するに、私た
ちは他者の状況を模擬し、それに沿って他者を解釈するのである】(Goldman, 1989/1995, p.81)
2
→チョコレート課題再考
-ウィマーとパーナーの誤信念課題は、シミュレーション説からも説明できる。幼児は、「チョコレ
ートは戸棚Xにある」というマクシの思い込みを観察と推論から理解しているのではない。登場人
物マクシの立場になって状況を想像することができ、その想像をマクシに帰属させることができる
ため、マクシの思い込みを理解することができるのである(Gordon, 1986)
。
6.理論説とシミュレーション説の相違
・チンパンジーの実験や誤信念課題は、理論説でもシミュレーション説でもそれなりに説明できる。た
だし、他者理解のプロセスや観点には大きな違いがある。
-理論説は、離れた場所から他人を客観的に観察し、他者全般に該当する一般的な理論や常識的な法
則を適用することで、他人の心を理解し、その行動を予測できると考えている。
-シミュレーション説は、他人の状況に自分の身を置き、自分ならどうするかを想像し、それを他人
に投影することで、他人の心を理解し、その行動を予測できると考えている。
-ここには、他者理解について「客観的・三人称モデル」を取るか「主観的・一人称的モデル」を取
るか、という違いが見られる。
→部分的な妥当性
-現実には、人は場面や相手に応じてどちらのモデルも使っている。とくに、他人の振舞いや言動が
直感的に理解できないときは、「こういう場合はこうするものだろう」という常識に沿った推論も
行っているし、「自分ならどうするだろう?」というシミュレーションも行っている(※写真⑧-1,
⑧-2, ※映像①)。日常生活で私たちが実践する他者理解は、どちらのモデルでもありうる。
7.真の論点は何か?
・理論説にもシミュレーション説にも共通して見られる問題点は、他人の心は当人だけにアクセスでき
る私秘的なもので、身体の背後に隠れているという見方である。
【理論説もシミュレーション説も、他の心ある生物を直接に経験する可能性を否定している。だから
おそらく、私たちは、理論的推論や内的シミュレーションを信頼して採用する必要があるというわ
......................
けなのである。したがって、どちらの説明も、他者の心は隠れているという見方を共有している】
(Gallagher and Zahavi, 2008, p.183. 強調引用者)
→メルロ=ポンティの心理学批判
-哲学者のメルロ=ポンティ(1951)も、他人の心の位置づけや他者理解の問題が、心理学にとって
最初から躓きの石だったことを早くから指摘し、批判している。
【古典期のすべての心理学者たちが暗黙に了解していた論点は、次のことである。すなわち、心理作
..............
用または心的なものは、本人にのみ与えられている何かだ、ということである。……ここから、他
者の心理作用は、私には根本的にアクセス不可能だということが帰結する。……私は身体的な外観
を介して間接的に他者を把握するしかないことを認めざるを得ない。私は骨と肉を備えたあなたを
見、あなたはそこにいるのだが、あなたの考えていることを知ることはできない。私は、あなたの
表情・身振り・言葉など、つまり私が目撃する一連の身体現象から、推測し、察するしかないので
ある】
(Merleau-Ponty, 1951/1997, pp.171-172. 強調原文)
8.心身二元論と他者問題
3
・他者の心は私秘的なもので、他者の振舞いの背後に隠されているという発想は、デカルト的な心身二
元論、コギトから出発する近代哲学が突き当たる理論的帰結である(河野, 2005)
。
-人間を心と身体に区別すると、他者の心は、身体の向こう側に隠れている独立した領域と考えざる
を得なくなる。しかも、自分が直接にアクセスできるのは自分の心だけだということになると、他
者の心は間接的にしか理解できないだけでなく、そもそも他人に心があるのかどうかさえ分からな
いことになる。
【心理作用は本人にしかアクセスできないもので、私の心理作用は私にしかアクセスできず、外から
は見えないものだ、という根本的な偏見を放棄しなければならない】
(Merleau-Ponty, 1951/1997,
pp.175-176)
→ありのままの他者経験
-現象学的に見て重要なのは次のことである。私たちが日常生活において実践しているのは、他者の
心を理解できるかどうか以前に、また他者の行動を予測できるかどうか以前に、実際に他者に出会
い、他者を直接に経験しているということである。
-私たちが直接経験している他者は、人間の姿をした機械として現われてくるのでもないし、自分か
らはアクセスできない心として現われてくるのでもない。心とも身体ともつかない存在(生きられ
た身体)として、心身が区別される以前の一個の人間として現われてくる。
【精神による精神の構成は存在しない。人間による人間の構成が存在するのである】
(Merleau-Ponty,
1960, p.275)
9.もともと有意味な他者の振舞い
・日常生活における他者経験をありのままにとらえると、私たちは、他人の表情・視線・動作など、他
人の振舞いそのもののなかに、さまざまな意味を直接に感じ取っている(cf., 玉地, 2010)
-例えば、他人の笑顔からは喜びが伝わってくる、他人の落ち着かないしぐさには不安が感じられる。
他人が何かを指させばその方向を見る。推論やシミュレーション以前に、身体化された相互作用
embodied interaction を通じて、私たちは他人とかかわり、漠然とではあれ、他人を理解している。
他人を理解することは、一種の身体知として実践されている(間主観的・二人称モデル)
。
-原理的には、他者の心は身体から区別された領域に隠れているのではなく、その振舞いとともに、
身体と未分化なしかたで現われていると考えるべきである。
→行動する身体としての他者
-私たちが生活世界において出会う他者は、真空のなかに単体で存在するわけではない。さまざまな
物や対象にかかわりつつ行動している身体である。他者を知覚するということは、ある環境や文脈
において具体的に行動する身体(世界内存在としての身体)を知覚するということである。
-だから、例えば、駅のホームで列をなす人を見れば電車を待っていることが分かるし、腹を押さえ
てトイレに駆け込む人を見ればその人の便意を理解することができる。自己と他者の相互作用は、
共有された環境や文脈において生じ、他者の振舞いは意味のある行動として私に現われてくる。
10.ミラーニューロンの役割
・90 年代後半以降、神経科学において、ミラーニューロンが他者認知や他者理解にも重要な役割を果た
していることが指摘されてきた。ミラーニューロンの特徴は、自己が運動するときと、他者が同じ運
動をしているのを見ているときの両方で活動することにある。なお、サルでは、対象にはたらきかけ
4
る他動詞的行動のみで反応するが、ヒトでは、自動詞的な運動行為でも反応する(リゾラッティとシ
ニガリア, 2009)
。
-このため、ミラーニューロンは、他動詞的行動にともなう他者の意図の理解や、他者の動作の模倣
などで重要な役割を果たすと推測されている(村田, 2005)
→シミュレーション説の根拠?
-ガレーゼとゴールドマンは、他者の運動を見たときに自己の脳内で活動するミラーニューロンのは
たらきを潜在的 implicit なシミュレーションとみなし、シミュレーション説を裏付けるものと主張
している(Gallese and Goldman, 1998)
。
-すでに確認したように、他者理解においてシミュレーションが必要になるのは直感的な他者理解が
できない場面であり、そこでの実践は意識的で顕在的 explicit な過程である。その意味で、ミラー
ニューロンをシミュレーション説と結びつけるのは適切ではない。
→間主観性の神経基盤
-他人の表情やしぐさや動作を知覚するとき、私たちはその身体表現そのものに他者の意図や感情を
感じ取る。自分のシミュレーションを相手に投影するのではなく、最初からそれを他者の意図や感
情としてとらえている。ミラーニューロンは、このような間主観的な他者理解の神経基盤と考える
ほうが適切である(Gallagher and Zahavi, 2008)
。
【誰かが何かをするのを見たとたん、それが単独の行為であっても行為の連鎖であっても、相手が好
むと好まざるとにかかわらず、その動きはただちに私たちにとって意味を持つ。当然、その逆も成
り立つ。……明確な、あるいは意図的な「認知作業」はいっさい必要ない】(リゾラッティとシニ
ガリア, 2009, pp.148-150)
11.間身体性 Intercorporeality
・自己と他者の身体化された相互作用は、心の理論が 4 歳前後で成立するのに比べて、その発生時期も
きわめて早い。例えば、誕生直後の新生児は、口の開閉や舌の突き出しをまねる(新生児模倣:Meltzoff
and Moore, 1977 ※写真⑨)
。生後 9 カ月ごろには、相手のまなざす対象に目を向ける(共同注視:
Scaife and Bruner, 1975)
。
-発達の最初期において、他者の身体や動作の知覚は、自己の身体における同じ行動、同じ対象を共
有する行動として出現する。こうした自他の共鳴は、発達過程で消失するわけではなく、自他の相
互作用の基盤として作用し続ける(Gallagher, 2005; Gallagher and Zahavi, 2008)
。
→間身体性
-ミラーニューロンの活動や発達初期における自他の共鳴関係を考慮すると、自己の身体と他者の身
体のあいだには次のような関係があると考えられる。他者の行動を知覚することは、自己の身体に
同じ(潜在的な)行動を引き起こす。逆に、自己の行動を他者が知覚すると、他者の身体において、
同じ(潜在的な)行動が生じる。例えば、相手の笑いにつられて思わず自分も笑ってしまう、自分
のあくびが伝染して他人もあくびする、といったように。
-メルロ=ポンティはこのような自他の身体の関係を「身体的間主観性 intersubjectivité charnelle」
または「間身体性 intecorporéité」と呼ぶ(Merleau-Ponty, 1960)
。
【他人もまたそこに存在する…だが、最初から精神として、ましてや心理作用として存在するのでは
ない。そうではなく、例えば怒りにおいてまたは愛において直面するように、何も考えずに私たち
がそれに対して応答してしまうような表情、身ぶり、言葉として存在するのである……ひとりひと
5
りが、その身体において他人をはらみ、他人に裏づけられている】(pp.294-295)
→間身体性からはみ出るものとしての心
-以上のように、他者を理解することは、基本的には、間身体性において他者に共鳴することである。
ただし、それが他者理解のすべてではなく、他方では、他者に共鳴しない余剰を「他者の心」とし
て読み解こうとすることでもある。
<引用文献>
アスティントン, J. W. (1995).『子供はどのように心を発見するか-心の理論の発達心理学』(松村暢隆訳)
新曜社
Davies M, & Stone, T. (1995). Folk Psychology: The Theory of Mind Debate. Oxford: Blackwell.
Gallagher, S. (2005). How the Body Shapes the Mind. Oxford: Oxford University Press.
Gallagher, S. & Zahavi, D. (2008). The Phenomenological Mind: An Introduction to Philosophy of Mind
and Cognitive Science. London: Routledge.
Gallese, V. & Goldman, A. (1998). Mirror neurons and the simulation theory of mind-reading. Trends in
Cognitive Sciences, 2(12):493-501.
Goldman, A. I. (1989/1995). Interpretation Psychologized. Mind and Language, 4:161-185. (reprinted in
Davies & Stone, 1995)
Gordon, R. M. (1986/1995). Folk psychology as simulation. Mind and Language, 1:158-171. (reprinted in
Davies & Stone, 1995)
河野哲也 (2005).『環境に拡がる心-生態学的哲学の展望』勁草書房
子安増生 (2000).『心の理論-心を読む心の科学』岩波書店
Meltzoff, A. N. & Moore, M. K. (1977). Imitation of facial and manual gestures by human neonates.
Science. 198:75-78.
Merleau-Ponty, M. (1951/1997). Les relations avec autrui chez l’enfant. Parcours 1935-1951. Lagrasse:
Verdier.
Merleau-Ponty, M. (1960). Le philosophe et son ombre. Signes. Paris: Gallimard.
村田哲 (2005). ミラーニューロンの明らかにしたもの:運動制御から認知機能へ『日本神経回路学会誌』12
巻 1 号, pp.52-60.
Premack, D. G. & Woodruff, G. (1978). Does the chimpanzee have a theory of mind? Behavioral and
Brain Sciences, 1: 515-526.
リゾラッティ, G. & シニガリア, C. (2009).『ミラーニューロン』
(柴田裕之訳)紀伊國屋書店
Scaife, M. & Bruner, J. (1975). The capacity for joint visual attention in the infant. Nature.
253:265-266.
鈴木貴之 (2002).「心の理論」とは何か.『科学哲学』35 巻 2 号, pp.83-94.
玉地雅弘 (2010). 身体が言葉を失った時-非言語的なやり取りから生まれる身体の意味について.『医
療・生命と倫理・社会』9 巻 1-2 号, pp.66-81.
Wimmer, H. & Perner, J. (1983). Beliefs about beliefs: Representation and constraining function of
wrong beliefs in young children’s understanding of deception. Cognition, 13:103-128.
※本研究は、2010 年度科学研究費補助金(課題番号:21700607)の交付を受けた
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