PISA 調査で測れない美術教育で育まれるキー・コンピテンシー - 福井大学

福井大学教育実践研究 2
0
0
7,第3
2号,pp.
1−6
原
著
PISA 調査で測れない美術教育で育まれるキー・コンピテンシー
―美術科教員養成におけるスタンダーズの基礎として―
福井大学教育地域科学部
池
内
慈
朗
本研究のゴールは,美術教師が将来を担う子どもたちのヴィジュアル・リテラシー等,あるいは,美
術教育に関わるキー・コンピテンシーを効果的に育成するための指針として,美術教師に「最小限必要
な資質能力(スタンダーズ)
」を体系的にまとめようとするための基礎的研究である。本論考では,PISA
調査では測れない能力で DeSeCo が提示されたキー・コンピテンシーの再考を行いたい。ハワード・ガ
ードナーは,
2006年に『Five Mind for the Future』という著書で5つの認識能力(マインド)を定義して
いる。ガードナーの5つのマインドからみた,美術で育まれるキー・コンピテンシーを検討してみたい。
キーワード:キー・コンピテンシー,DeSeCo,ハーバード・プロジェクト・ゼロ,美術教育,教員養
成スタンダーズ
Ⅰ.はじめに
い。
本研究は,美術教師が将来を担う子どもたちのヴィジ
第三に,学校教育とそれ以外での学び,すなわち,フ
ュアル・リテラシーを効果的に育成するための指針とし
ォーマルな学習とインフォーマルな学習とのを明らかに
て,美術教師に「最小限必要な資質能力(スタンダーズ)」
していきたい。
第四に,ガードナーの5つのマインドからみた美術で
を体系的にまとめようとするための基礎的研究である。
国家レベルでのコンセンサスを得ている米国のスタン
育まれるキー・コンピテンシーを検討してみたい。
ダーズと米国の実情の調査を柱としヨーロッパなど文化
先進国の美術の教師教育も比較調査をし,最低限必要と
Ⅱ.美術教育に関わるキー・コンピテンシーの再考
されるコンピテンシー,パフォーマンスの項目の明確化
と体系化を行い,わが国独自の美術科スタンダーズを立
案し,教育実習での評価基準として試行し,項目の省察,
1,DeSeCo のキー・コンピテンシー
19
97年,OECD(Organisation for Economic Co−operation
and Development 経済協力開発機構)加盟国は,PISA(the
微調整を行うことが最終的ゴールとなる。
教育に及ぼす芸術の有益性,芸術の秘められた力が欧
Program for International Student Assessment)調査に着手
米で話題視されてきている。芸術教育研究で最先端をい
している。義務教育終了時の生徒が社会に参加するのに
く米国ハーバード・プロジェクト・ゼロによって芸術と
充分な知識と技能をどの程度修得しているかをみる目的
いう教科が3Rs(読み・書き・計算)や,他教 科の理
で始まったものである。PISA 調査は,主に個人の読解
解を促進するなどの効用が見出されている。
力,数学および科学リテラシーの測定に焦点をあてたも
PISA 調査の日本の学力の低さは,教育界にも衝撃を
のである。しかしながら,OECD は,PISA 調査で計れ
与えている。しかしながら,実施母体の OECD は社会
ないものがあることに気づき,
1998年にそれらを調査す
を生きていくうえでのキー・コンピテンシーを同一視し
る DeSeCo(デセコ:Definition & Selection on Competen-
ていないし,芸術の重要性や視覚的思考の学習の必要性
cies の略)が設置された!。
は述べられておらず,芸術教育に関わる我々,美術教育
DeSeCo では,OECD のこれまで学力観では重要な資
研究者が,先陣をきって学校教育の中での美術の意義を
質を見落としてしまうという懸念から,生まれてきたの
明確にする必要がある。
が様々なキー・コンピテンシーの概念である。読み・書
また,DeSeCo の挙げるキー・コンピテンシーは,曖
昧さが伴っており,理論的な裏づけに欠けている。
関連コンピテンシーは,人間の発達や社会での営みをカ
この論考では,まず第一に,美術教育に関わるキー・
コンピテンシーの見直しをしたい。
き・計算などのカリキュラム基盤コンピテンシーや教科
第二に,DeSeCo
の挙げるキー・コンピテンシー,他者とうまく関わる能
バーするには,充分でなく,DeSeCo の活動は「うまく
いく生活とよく機能する社会に貢献するコンピテン
シー」に的を絞り込んだものである。
力は,著者が長年研究を続けてきた,ガードナーの MI
理論の対人的知能等と呼応する部分も多いが,どのよう
に異なっているのか,また問題点を明らかにしていきた
― 1 ―
池内 慈朗
3,ガードナーの知能理論と比較
2,先行研究
愛知教育大学のふじえみつるは,これまでに,米国で
ハワード・ガードナーは,ハーバード大学の心理学者
20年以上にわたって多くの美術教師たちに,長く受け入
で「Frames of Mind」「Creating Minds」「Leading Minds」
れられている DBAE(Discipline Based Art Education)研
など,これまでの15冊の著書を通し,知能や創造性,リー
究の第一人者であるが,近年では,
「全米美術基準(the
ダーシップについて私たちが理解する上で,大きく貢献
National Visual Art Standards)」についての特に,能力分野
している人物である。ガードナーについては,著者は他
について,DBAE 的視点,子ども観,美術観などの視点
の論文等と重複するので,簡単に説明させて頂く%。
MI理論&では,個人が興味をもつ領域や好きな領域
から美術教育のスタンダーズについて問題点の分析がな
!
されている 。
は,秀でた知能の領域と密接な関係があり,各個人の知
また,ふじえは,感性の概念について研究を進め,最
能のプロフィールは,8つの知能の異なる組み合わせか
近の研究では,美術におけるコンピテンシーの問題に美
ら生じるものであり,したがって,思考は,個人によっ
"
てそれぞれ認知形態が異なるので,作り上げられる世界
術教育における能力観から分析を加えている 。
著者は,ふじえらと,計画中である研究のゴールは,
も異なると考えられている。問題を解決する際も,各個
美術教師が将来を担う子どもたちのヴィジュアル・リテ
人は異なった戦略を用いており,問題の解き方も異なっ
ラシー等,あるいは,美術教育に関わるキー・コンピテ
ているのである。
ンシーを効果的に育成するための指針として,美術教師
次に,ガードナーは多元的知能理論において,知能,
に「最小限必要な資質能力(スタンダーズ)」を体系的に
才能,神童,専門的知識,創造性,天才について,対象
まとめようとするための基礎的な研究である。
年齢,領域・分野を,発達的に説明するため,ガードナー
は才能のマトリックス(表1)を用いて提示している。
DeSeCo のキー・コンピテンシーでは,3つのカテゴ
DeSeCo のキー・コンピテンシーで欠けている部 分を
リーとして以下のものがあげられる。DeSeCo の中心的
ガードナーの知能,ガードナーの才能のマトリックス
研究者,ドミニク・ライチェン(Dominique S. Rychen)#
(giftedness matrix)という枠組みで検証してみたい。
8つの知能のみならず,DeSeCo のキー・コンピテン
によれば,
シーの問題は,発達段階など示していなく,あまりにも
漠然としたものである。
1.他者とうまく関わること
ガードナーの8つの知能の「知能」は,生物学的な可
2.協力すること
能性のひとつである。「才能」は,「将来を約束されて
3.紛争を処理し,解決すること
いる」場合,その文化のあらゆる領域でみいだせる。「神
をあげている。これらは,ダニエル・ゴールマンのいう
$
「EQ」 とまったく重なっており,著者であるライチ
童」という早熟なひとは,モーツアルトのような音楽の
領域で才能を示すが,全般にはわたっていない。
ェンも引用している。もとを正せば,ゴールマンは,ガー
「専門的技術・エキスパート」は,ある領域で10年仕
ドナーの対人的知能,自己認識知能から,インスピレー
事を続けるそうなる。しかし,オリジナリティは示さな
ションを得たとのべている。
い。
表1
用語
才能のマトリックスの一覧表
脳領
対象年齢
領域・分野
関連事項
—
—
知能
生物心理学
すべて
才能
生物心理学
幼年/成長期
未分化
経験の結晶化
神童
生物心理学
成長期
現在の領域/分野
広いリソース
成人後
領域の受容
蓄積された知識/
領域/分野との衝
実り多い
突
非同時性
普遍的
幼少期との関連
専門的知識
関連する領域/分
野
創造性
将来の領域/分野
成人後
天才
広領域/広分野
成人
(Gardner, 1997)
― 2 ―
PISA 調査で測れない美術教育で育まれるキー・コンピテンシー
「創造的」といわれる人も,天才の定義とは結びつか
Ⅲ.インフォーマルな学習
ない。
熟達職人「マイスター」のレベルになると創造性が表
1,学校によらない学習
れる場合もある。「天才」は,専門的,創造的であって
5∼6歳児は,すでに「学校によらない学習」
,すな
普遍的な業績を示す人であるが,他の文化や時代にも天
わちインフォーマルな知識の形態として学んできている。
才に値する人はいたであろう。
これらインフォーマルな知識の存在は,いまだほとんど
解明されぬままに重要視もほとんどなされない。幼稚園
!
4,成長過程と能力観
・保育園と小学校教育との連携の溝は,ここにも問題が
(1)5歳児の領域/分野との関連性について
みいだせよう。インフォーマルな知識を身につけている
人生のはじめの数年,幼児は,自分を取り巻く世界が,
にも関わらず,小学校では,それらを無視して,フォー
どのようになっているか強力な理論と概念を独自に組み
マルな学習のみを押し付けられる。子どもの保護者の多
立てる。そして少なくともシンボル体系の基礎となる初
くは,読み書き,計算などのフォーマルな学習ができな
期の能力(言語,数,音楽,二次元描写など)が発達す
いからといって,右往左往し,塾や家庭教師に助けを求
る。
める。
これらは,外からの指導や獲得ではない。幼児は,文
インフォーマルな学習とフォーマルな学校教育とのギ
化の領域についてぼんやりした意識しかなく,分野の存
ャップをうめていくことが大切である。美術教育におい
在についての感受性も低い状態で発達をとげる。モーツ
ても,
(リーダーシップ,創造性)いかにして転移を生
アルトのようにその領域で熟達をみせ,専門的技術と創
じさせるかがフォーマルな学校教育に課されている重要
造性の獲得にむけて進む。
な問題である。
「転移」は,新しい事柄を学習する際,既に学習した
技能や知識を適用することである。
(2)10歳児:領域におけるルールの習得
この時期の子どもは,学校で教えられるものかどうか
に関わらず,文化における領域や習慣をできる限りはや
2,インフォーマルな学習としての博物館・美術館との
く習得しようとする。
パートナーシップ
芸術の領域では,メタファーをなるたけ避け,できる
子どもたちは,野外活動や,遊び,図画工作などの場
だけ正確に写実的な作品を作ろうとする。また,ゲーム
において,実に様々な方法で学ぶ。学校という環境で,
のルールも知ろうとする。この時期は,いわゆる徒弟制
教室に座らせることで,学習の方法を狭めているのは,
による特定の知識を身につけていく時期である。
むしろ大人である。博物館や,歴史博物館,自然史博物
館,科学博物館,動物園,水族館などは,まさに学習の
宝庫であり,教科書を使って教室のみで学ぶこととは,
(3)青年期
1
5歳から,22歳は,才能のマトリックスの発達におい
比べものにならないほどに子ども達の心を豊かに出来る
て,重要な時期となる。神童は,輝きを失い,ある領域
機会があり,本物,実物=真実との触れ合い,リアリテ
で10年(創造性の10年理論)道を究めると,エキスパー
ィーをより体験できる場であるのである。
トのレベルに達する。実際に,いくつかの青年が自分の
学校は,今後,積極的に地域のあらゆる博物館・美術
創造性をすてたり,あるいはうまく乗り越えると創造的
館とパートナーシップを結ぶなどして学習の場として,
な仕事をする可能性がある。
子ども達が頻繁に出入りできるようにすれば,学習の可
能性は大きく拡がるであろう。さらにそれが,エントリー
・ポイントという学び方によって実現できるのであれば,
(4)成人した実践家
創造性を追求した人たちのいくつかの特徴がみられる。 博物館・美術館での学習が有効となる。
野心,自信,軽い神経症,大胆さなどである。
1
0年周期説(創造性の10年理論)の最初の10年は,そ
3,美術の認知的側面を重視した,他教科の学びの入り口
の領域を揺るがすような過激な意見をいう。その後の10
ガードナーの理論は,単に知能を説明したものだけで
はなく,芸術を知的活動とみなし,知能との関係をも説
年は,より総合的な言動に変化する。
明していることで評価されている"。
多くの,天才的な芸術的能力を示す子どものすべてが,
ガードナーは,これまでの学習と知能の組み合せの違
成功した訳でなく,むしろ,脱落した例の多いことを
いから生じる教育方法の問題点に応えるために,
1991年
我々はしらない。特に美術の天才児が,青年期に挫折し
に著書『Unschooled Mind(学校によらない心)』の中で,
ている。
MI 理論を基にしながら,ピアジェの認知発達及び近年
の認知学習研究を取り入れた学習に焦点を絞った考え方
を打ち出した。そこには,それぞれの知能の領域内での
― 3 ―
池内 慈朗
理解の方法,知能の領域間での理解の方法などの研究成
(Ellen Winner)とルイス・ハートランド(Lois Hetland)
果から,訓練による習得の形態の違いを導き出したエン
が中心となって進めてきた研究プロジェクトで,芸術の
トリー・ポイントの概念を明らかにし,5つのエントリ
学習と他教科の成績との関連性に関して1950年以降の公
!
式に発表された研究,非公式な研究を含めた,約2
00の
ー・ポイントの類型を示している 。
膨大な研究を基に,メタ分析という,複数の研究を数量
4,エントリー・ポイントを用いた学習
的に合成することができる一種の統計的な技法を用いて
1993年から始まったプロジェクト・ミュゼェ(Project
分析したものである。
"
MUSE : Museums Uniting with Schools in Education) は,
大がかりな研究プロジェクトで,多くの期待を受けて
あらゆる学習の宝庫であり,知能訓練の格好の場として
いた。しかし,音楽の結果は,芳しく,美術と他教科の
博物館・美術館の可能性に着目してきました。エント
学習は良い結果は出なかった。
リー・ポイントとは,
“学習の入り口”という意味であ
ウィナーらは,芸術の正当性について,このように,
り,個々の興味をうながす質問によって,子どもの学び
他教科を伸ばしたり,間接的に芸術を用いて他教科を学
に対する手がかりにするものである。「5種類の窓」が
ぶよりも,直接的に芸術は芸術として学ぶべきであると
設けられていることから,異なったどの窓からもエント
考えている。
リーできる。エントリー・ポイントは,クイズ形式であ
しかしながら,REAP の調査は,パーキンスは,
「学
り,オープンエンドな問いに徹するというもの答えには
習の転移」の観点から,ガードナーも,エントリー・ポ
正解も間違いもない。
イントを推奨しているだけに,
「美的な窓(Aesthetic)」
の有効性は否定しない。
(1)「物語り(Narrative)の窓」
Ⅳ.5つのマインド(認識能力)とコンピテンシー
(2)「理論・数量(Logical/Quantitative)の窓」
(3)「基礎的(Foundational)な窓」
(4)「美的な窓(Aesthetic)」
1,「Five Mind for the Future(将来に向けての5つの
(5)「経験の窓(Experiential)」
認識能力)」
知能理論で考えると,知能と学校教育での各教科は,
プロジェクト・ミュゼェのワークショップでエントリ
対応していないので,弱いところがあった。しかし,キ
ー・ポイントを体験した美術館に勤めるある学芸員が,
ー・コンピテンシーとして考えるなら,最適と思われる
ワークショップの主催者側の質問「教育と学習に影響を
5つの認識能力をガードナーが提示している。2006年,
するか」に対して,こんなことを述べている。「エント
ガードナーは,『Five Mind for the Future』$を著し,5つ
リー・ポイントの考えが将来,教授法に影響するのは確
のマインド,「The Disciplined Mind」「The Synthesizing
実であると思われる。私は,以前,教育者のグループと
Mind」「The Creating Mind」「The Respectful Mind」「The
仕事をして,同じ問題について議論したことがあるが,
Ethical
毎回,幾人かは問題の立て方(論理的/数量的)に言及
著書を出版している。
Mind」について,これまでの集大成ともいえる
する者もあれば,同時代の文化にいかに適合するかにつ
ガードナーによれば,我々は,大きな変化の時代に生
いて話す者もおり,一方では,目にする形,色,美的な
きており,そして,それらの変化に対処するために新し
ラインに焦点をあてる者もいて,たいへん新鮮であっ
く考えたり,学ぶ方法を必要としている。この著書で,
た」と。
ガードナーは,
「数年先にはプレミアさえつくであろう」
という,5つの認識能力(マインド)を定義している。
5,ハーバード・プロジェクト・ゼロのプロジェクトREAP#
まず第一の「The Disciplined Mind」は,同名の著書
教育に及ぼす芸術の有益性,芸術の秘められた力が欧
が,
1999年に出版されている%。これは,
「学問のマイン
米で話題視されてきている。芸術教育研究で最先端をい
ド」であって,学校で熟達しておく主要教科(科学,数
く米国ハーバード・プロジェクト・ゼロによって芸術と
学,歴史を含む)とともに,すくなくともひとつのプロ
いう教科が3Rs(読み・書き・計算)や,他教科の理
フェショナルな技術に精通しておく能力についてのべら
解を促進するなどの効用が見出されている。
れている。
ハーバード・プ ロ ジ ェ ク ト・ゼ ロ(Harvard
第二の「The Synthesizing Mind(統合するマインド)」
Project
Zero)の傘下で彼女らが指揮したチームの研究がプロジ
は,さまざまな学問や分野の異なった領域,または圏内
ェクト REAP(Reviewing Education and the Arts Project :
から考えを集積して綿密に結びついた全体としてのアイ
教育および芸術を見直すプロジェクト)で,美術や音
デアに統合し,それを他者に伝達する能力である。
楽などの芸術が,主要教科の成績を向上させるのに役立
第三の「The Creating Mind(創造するマインド)
」は,
つという主張には証拠があるのか否か,という問題につ
ここでは,新しい問題や,疑問,現象を発見し,解明す
いて系統的に検証したものである。エレン・ウィナー
る能力であり,同名の著書が,1993年に出版されている&。
― 4 ―
PISA 調査で測れない美術教育で育まれるキー・コンピテンシー
この著書で,ガードナーは創造性が生まれるには,条件
いる。
ともなるのが「ドメイン(Domain)」
「フィールド(Field)」
V.おわりに
「優秀な個人(Individual)」である。
過去に文化の中に蓄積された知識の集合体であるドメ
米国において,美術教育の「学習内容のスタンダード
イン,ドメインから知識を獲得し創作を行う個人,個人
化ないし,明確化の波が急速に」押し寄せていることが
を評価するフィールドの3領域から創造性は生まれると
報告されている$。しかしながら,キー・コンピテンシ
いうもので「創造性」の研究の際の枠組み設定としても,
ーが不明瞭なまま,スタンダード化を進めるのは,教育
後の研究「GoodWork」においても個人,ドメイン,フ
改革が何度も失敗してきたことを繰り返すことになるで
ィールドを用いている!。
あろう。DeSeCo の設定しているキー・コンピテンシー
フロイト,ピカソ,アインシュタイン,ストラビンス
の問題点は,子どもの発達段階など示していなく,あま
キー,ガンジーについて,かれらの生涯を通じて,創造
りにも漠然としたものである。キー・コンピテンシーを
性の生まれ方を分析したものである。
再考するうえで,ガードナーの提示した,
「学問のマイ
第四の「The Respectful Mind(尊重するマインド)」,
ンド」,
「統合するマインド」,
「創造するマインド)」,
「尊
人間の集団や,個体における相違の認識とそれらを尊重
重するマインド」,「倫理のマインド」の5つのマインド
する能力をさしている。
の考え方は,今後,役に立つものであると思われる。ガー
第五の「The Ethical Mind(倫理のマインド)」労働者
ドナーの研究は,芸術的能力,創造性からはじまり,知
能から,Ethics といった人間の生き方にまで拡張してき
と市民としての責任を達成する能力である。
「The Ethical Mind(倫理のマインド)」は,もっとも
ている。
美術教育におけるキー・コンピテンシーの問題は,発
ここ数年ガードナーらが,熱中して取り組んできたテー
達に応じた技能の習得,芸術的シンボルシステムの理解,
マである。
ガード ナ ー は,現 在 グ ッ ド ワ ー ク・プ ロ ジ ェ ク ト
教育に及ぼす芸術の有益性,今後,芸術の秘められた力
(GoodWork Project)を中心とした「グッドワーク(Good-
を享受できるような,明確化を進めることが必要となる
"
Work) 」研究を,スタンフォード大学教授ウィリアム
であろう。
・デーモン(William Damon),前シカゴ大学教授で現在
それらのキー・コンピテンシーを明確化することで,
クレアモント大学教授ミハリィ・チクセンマハイ(Mi-
美術教師が将来を担う子どもたちにキー・コンピテン
haly Csikszentmihalyi)の3者で行っている。
シーを効果的に育成するための指針として,美術教師に
ガードナーらによる GoodWork の定義づけは「グッド
ワークは,技術的に優秀であると同時に,倫理的,道徳
対して「最小限必要な資質能力(スタンダーズ)」が提示
できるであろう。
今後,ガードナーの MI 理論,5つのマインド理論の
的かつ責任のある結果を求めるような仕事」をさしてい
#
る 。我々は日々様々な誘惑に向かいあいながら,専門
研究を進めると共に,さらにキー・コンピテンシー,教
家としての仕事を成し遂げていくが,いかにグッドワー
員養成スタンダーズについて新しい研究が生まれること
カーになるのか。卓越性に優れていたとしても,金銭的
を期待し努力もしていきたいと考えている。
成功のみに目のいく悪い仕事(Bad Work)や妥協的仕
事も多い。このように時代が急激に変動し,テクノロジ
ーによって時間と空間の感覚が激変するときこそ社会に
はグッドワーカーが必要とされる。アインシュタインの
註
理論も平和利用では,原子力発電に用いられるが,悪用
すれば,核兵器開発がある。個々人の倫理観の持分は,
大小はあるが,倫理面で責任を持とうと努力する人と,
1)edit. D.S.Rychen, & L.H.Salganik,
(2003). Key Compe-
金銭的,世間的成功や権力しか視野にない人とのあいだ
tencies for a Successful Life and a Well−Functioning Society.
には明らかに違いがある。どのような職業や分野にも,
Hogrefe & Huber Publishers.(立田慶裕二監訳『キー・コ
このような「グッド・ワーカー」が存在する。
ンピテンシー
特に,知性,知能,知識については,だれしも重要視
国際標準の学力をめざして』明石書店
2003年)
するが,グッドワークの概念に込められた,優れた仕事
2)ふじえみつる「全米美術教育基準の成立とその課題
とともに,持つべき倫理観は,あまり重要視されていな
について」『美術教育学』第2
5号,2004年.pp.383−397
い。
参照。
ガードナーは本書の中で,数あるさまざまな例から彼
3)ふじえみつる「美術教育のための『能力』観の研究」
の考えを明らかにしつつ,将来の我々に,必要とされる,
5
『美術教育学』第28号,2007年.pp.335−346参照。
つの認識能力(マインド)は価値ある洞察を,次のステ
4)Op. cit., 1) pp.85−125.
ップへと躍進させる手だてについて,思考をめぐらせて
5)Goleman, D.
(1995). Emotional Intelligence. New York :
― 5 ―
池内 慈朗
Brockman, Inc.(土屋京子訳『EQ −こころの知能指数』
ト・エデュケーション』2
000年,第30号
建帛社. pp.59
−72.
講談社)
6)拙稿,
「ハワード・ガードナーの多元的知能理論(MI
13)拙稿,プロジェクト REAP(リープ)
:芸術教育が
理論)および芸術的知能概念の教育実践における意義」
他教科に及ぼす影響に関する研究 ― ハーバード・プロ
『美術教育学』第18号,1997年参照。
ジェクト・ゼロの芸術教育活動の支援 ―『美術教育学』
7)ガードナーによれば,知能は,!言語的知能,"論
第29号,2008年.印刷中。
理・数的知能,#音楽的知能,$空間認識知能,%身体
14)Gardner, H. (2006). Five Mind for the Future. Boston :
運動能力知能,&対人的知能,'個人内的知能,(博物
Harvard Business School Press.
的知能(8つ目は,1997年に追加)に分類できるとした。 15)Gardner, H.(1999). Diciplined Mind. NewYork : Simon
現時点では,実存的知能が現在検討されており,ガード
ナーによれば81としている。MI 理論という知能の概
2
念は,知能領域の発達の違い,脳損傷研究,進化論的証
&Schuster.
16)Gardner, H.(1993). Creating minds : An anatomy of
creativity seen through the lives of Freud, Einstein, Picasso,
拠などから導きだされたものである。
Stravinsky, Eliot, Graham, and Gandhi. New York:Basic Books.
8)Gardner, H. (1993). Multiple Intelligences : The Theory
17)Gardner, H., Csikszentmihalyi, M. & Damon, W. (2
001).
in Practice. New York : Basic Books.(黒上晴夫監訳,『多
Good Work : When ethics and excellence meet. New York :
元的知能の世界 ― MI 理論の活用と可能性 ― 』日本文
Basic Books.
教出版,2003年。)
Fischman, W., Solomon, B., Greenspan, D., & Gardner, H.
9)Gardner, H.
(1988). A Cognitive View of the Arts
(Eds.).
(2003). Making Good : How young people cope with moral
Feinstein,H. and MacGregor, R. Research Readings for Disci-
dilemmas at work. Cambridge : Harvard University Press.
pline−Based Art Education : A Journey Beyond Creating, Re-
18)拙稿,「ハーバード・プロジェク ト・ゼ ロ に よ る
ston : National Art Education Association. p.108.
GoodWork プロジェクト ― グッド・ワーク概念の成立
10)Gardner,H.(1
991).The Unschooled Mind , Basic Books,
過程の分析研究 ― 」
11)拙稿,
「エントリー・ポイントによる学びへの可能
教育学会誌』印刷中。
性の拡げ方」安藤輝次編著『評価規準と評価基準表を使
19)山口健二,赤木里香子「学校教員の職能開発機関と
った授業実践の方法』黎明書房,2002年,67−7
7頁.
してのアメリカの美術館 ―2
0世紀末の美術教育改革動
12)拙稿,
「鑑賞教育」への認知的視座とその実践,プ
向を背景に― 」
『美術教育学』
第25号 441∼455頁.2004
ロジェクト・ミュゼェ(Project MUSE) ― ハーバード
年。
第3
9号,平成19年度『大学美術
・プロジェクト・ゼロの美術館教育への挑戦 ― 『アー
A Study on the New Concept of Key Competency Brewed in Art Education which can not be measured in PISA Survey
Itsuro IKEUCHI
Key words : Key Competency, Teacher Education, Standards, Harvard Project Zero, Art Education, DeSeCo, Five Minds for the
future
― 6 ―