今 - 山梨県立峡南高等学校

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Kyonan High School - Mechatronics, Architecture, Interior, Civil Engineering and Computer Assisted Business
発行:平成 21 年 6 月 19 日
自転車競技部は、今年度生徒総会によって同好会に認められました。
第1号
現在部員はわずか1名ですが、土日も返上して練習を行っています。
部員の野口君は、自宅の甲府から毎日自転車で通学しています。
2009 School Year
はじめてまだ半年ですが、過日行われた県総合体育大会で関東大会
校章の由来
超えます。旗手にとって、風は大敵
モットーに強健な
山梨県立峡南高等学校
ですが、腕の見せ所でもあります。
身体と精神を鍛え、
〒 409-3117 山梨県南巨摩郡身延町三沢 2417
今年度、旗手長を務めるのは、電
「志高頭低」を胸に、
子機械科2年 河西佑紀君(若草中
日々精進していき
学校出身)です。
ます。
Kyonan High School - Mechatronics, Architecture, Interior, Civil Engineering and Computer Assisted Business
TEL 0556-37-0686 FAX 0556-37-0213
学校の様子、生徒の活動状況な
どを「ブログ峡香」で紹介し
ています。是非ご覧下さい。
URL http://www.kyonanh.kai.ed.jp/ BLOG http://d.hatena.ne.jp/kyonan/
制作:情報広報部
次号発行は9月の予定です。
日向
成美さん
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○生徒会代表
努力の4原則を
︵情報ビジネス科3年 久那土中学校出身︶
が吹けばその重量は軽く 100kg を
礼儀、節度、闘志、
さを誇る「大團旗」は、ひとたび風
そ の た め に は、
﹁生徒会役員として頑張ってみない
応援団旗の中で、県内最大級の大き
峡南高校應援團が所有する4本の
か。
﹂ と 先 生 に 声 を か け ら れ、 嬉 し さ
送ろことこそが私たち峡南高等学校應援團なのです。
そしてなによりも一生懸命に頑張る仲間に力一杯のエールを
○自転車競技部 野口 敦司君
(2 月 20 日(金)
山梨日日新聞社主催)
と 不 安 の な か 立 候 補 を 決 意 し ま し た。
なる」
ことを改めて目標に掲げました。我が母校の勝利のため、
︵建築インテリア科2年
富竹中学校出身︶
第1回山梨県高等学校応援団発表会
3年生になり、真の意味での「どこにも負けない応援団に
選挙活動を通じて、峡南高校の生徒の
のです。
一人として、みんなのため学校
じめて応援される側になり、応援されることの喜びを知った
で み ん な で 盛 り 上 げ、 楽 し い も
応援団の存在意義を再認識させてくれました。私たちは、は
のにしていきたいです。
2月に行われた「第1回山梨県高等学校応援団発表会」は、
私は当初、バレーボール部に入りました。そして毎日練習
に 励 ん で い ま し た が、 部 員 不 足 か ら 試 合 に 出 る こ と が 難 し く
表面的なこだわりが強かったと思います。
のために頑張ろうという気持ちが強くなりました。そして
はまだ本当の意味での 応援団 に気づいてはいませんでした。
なってきました。しかし、部活動をやめたいとは思いません
雄姿を披露しました。
今、 副 会 長 と し て そ の 責 任 を 果 た そ う と 一 生 懸 命 に 取 り 組
にも負けない応援団になる」ことでした。しかし、この段階
でした。顧問の先生の指導により筋力トレーニング中心の活
はじめはいざ自分が先頭に立ち全校生徒を引っ張って行
かなくてはいけないという不安や自分がやらなくてはいけ
が甲府市で開催され、本校應援團もその
んでいます。
うになってきました。そして今、顧問の先生とのマンツーマ
ないというプレッシャーも多くあり大変でした。新入生オ
団員たちにはいつしか目標ができていました。それは、
「どこ
動の日々が始まりました。マシンを使ってのメニューの他に
ンによる同好会が学校側にも認められる存在になりました。
立 て 続 け に あ り 、 忙 し い 日 々 が 続 き ま し た。 特 に 生 徒 総 会
「第1回山梨県高等学校応援団発表会」
取 り 入 れ ら れ た 競 技 用 自 転 車 に、 私 は 少 し ず つ 興 味 を 持 つ よ
ト レ ー ニ ン グ ル ー ム か ら 屋 外 に 出 て の、 ロ ー ド で の 練 習 が
始 ま る よ う に な る の に そ う 時 間 が か か り ま せ ん で し た。 最 初
に 向 け て は 、 資 料 づ く り が 大 変 で し た が、 み ん な で 協 力 し
2年生になり下級生を指導する立場になった私は、そして
リ エ ン テ ー シ ョ ン や 応 援 練 習、 生 徒 総 会 と 四 月 か ら 行 事 が
は不安もありましたが、やがて楽しみになり放課後の練習が
今年2月には、このような状況の中で、
団長という重い使命を課せられることになりました。
自 転 車 で の 登 下 校 も 始 ま り し た。 甲 府 か ら の
なる生徒が応援団活動を支えています。
団員不足もあり3年生の引退によって 10 月に私はすでに応援
30
年度は校舎の耐震工事の関係から、例年十一月実施の
き今
ょうこう
峡 香 祭が六月に繰り上がりました。現在はそれに向けて大
たい」という気持ちを強く持って一員と
練習は厳しく、運動部並みの体力が要求されました。そして、
キ ロ メ ー ト ル は、 今 で は だ い ぶ 慣 れ
しかし今は、
「頑張る仲間の応援をし
さぶられ、そしてその姿に憧れ入部を決意しました。
片道約
がありました。
忙 し の 毎 日 で す が、 私 た ち 3 年
の先輩方の熱血指導と、学校そして応援に対する 思い に揺
の集まりとも言われ、 怖い イメージ
てきました。やがて徐々にタイムも上がって
早々に行われる新入生応援練習にあります。應援團や生徒会
りました。以前は不良と呼ばれた人たち
生にとっては最後の峡香祭なの
この間応援団のイメージもだいぶ変わ
いき、強くなってくることを実感しました。
私が峡南高等学校の應援團に入部するに至った理由は、入学
獲得しました。目標は全国大会出場です。そ
ました。
こ れ か ら も 様 々 な 行 事 が あ り、
ま だ ま だ 忙 し い 日 々 が 続 き ま す が、 み
校はわずかに数える程度となってしまい
し て 優 勝 で き る よ う な 選 手 に な る こ と で す。
(建築インテリア科3年 市川中学校出身)
ん な で 一 致 団 結 し、 こ の 峡 南 高 校 を さ
援団は減少の一途をたどり、存在する学
学校やお世話になった先生方に恩返しをする
○峡南高校應援團 第 51 代團長 中楯 真君
ら に 盛 り 上 げ、 良 い 形 を 築 き 上 げ て い
年々、県内の高校で部活動としての応
た め に も、 こ れ か ら も 辛 く 厳 し い 練 習 に 頑
が、現在は部員7名で頑張っています。
。
きたいと思います。
にその主導権を譲った時期もありました
張っていきたいと思います。
し、その後部員不足により委員会組織
自 転 車 に 出 会 っ て ま だ 半 年 で す が、 2 年 生
になり五月の総体では関東大会への出場権を
峡南高校應援團は、昭和 32 年に創部
待ち遠しくなりました。そして連れて行ってもらった境川自 て取り組みました。当日は、意見も活発に飛び交い、大変
転車競技場での練習は、私の人生を大きく変えるものでした。 盛り上がりました。良い意見もたくさん出て、充実した総
両方で地域を象徴し、大空に羽ばたく姿を表しています。
他 校 の 選 手 は も ち ろ ん プ ロ の 選 手 と の 練 習 は 、 と て も 良 い 刺 会 と な り ま し た。 こ れ ら を 参 考 に し な が ら 今 後 の 生 徒 会 活
激 に な り ま し た。
﹁ 速 く 走 り た い、 強 く な り た い。﹂ 動に生かしていきたいと考えています。
のTを表します。上部に富士を描き、最下部のAを除いて 西 の文字を表していて、
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出場権を獲得しました。種目「スプリント」
「ロード」に出場します。
基部は、農業(Agriculture)の頭文字Aの3個の組み合わせで、同時に工業(Technical)
Kyonan High School - Mechatronics, Architecture, Interior, Civil Engineering and Computer Assisted Business
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専門高校(工業科・商業科)の1日体験入学に参加
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してみませんか?
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さんは、ぜひ参加し授業内容などの確認をして下さい。
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また、普通高校に進学を希望している皆さんも、専門
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高校では「こんなことを学習するんだ!」ということ
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を知って欲しいと思いま
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今、少しでも本校への入学を希望している中学生の皆
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す。高校進学後の大学進
<昨年度参加者の声>
学に向けての参考にもな
*すごく分かりやすくて、楽しいし、以前より峡南高校に興味が出てきた。就職も進学も100%なんで、 るそうです。 将来に期待できる。峡南高校のイメージが上がり、聞いていたよりすごく良い学校でした。
*体験学習に参加して興味が出てきました。先生たちは熱心で、将来の夢に向かって行けそうな気がした。
(写真は昨年の様子です)
*他校に比べて丁寧だと感じました。子供が進路を決めるのにとても参考になったのではないでしょうか。( 保護者 )
富士エンジニアリング
日立製作所 山梨事業所
山梨学院大学現代ビジネス学部 <就職先>
富士ロイヤル C.C.
中島鶏卵市場
明電舎
山梨学院大学法学部
洋菓子舗ウエスト一宮工場
医療法人社団 高原会
ありあけ
ミラプロ
産業技術短期大学校
テルモ 富士宮工場
甲陽建機リース
日本印章協会ありあんす
クラウンファスナー
トヨタ東京自動車大学校
フローレン
土屋工業
ダイアート三枝
川崎電線 山梨事業所
甲府商科専門学校
山梨応化 本社工場
東海旅客鉄道 静岡支社
アリメント工業
ヤマト科学 南アルプス工場
優和福祉専門学校
桐戸歯科医院
龍王産業
長谷川醸造
富士通アイ・ネットワークシステムズ
服部栄養専門学校
ネイルサロン アンジェロ 身延総合設備
社会福祉法人 興邦会
高畑精工
山梨県美容専門学校
浅川製作所
富士急平和観光
甲府医療秘書学院
TDK甲府工場
岐阜プラスリック工業
サンキムラヤ
メッツ身延工場
THK 甲府工場
マキノフライス製作所
テルモ 甲府工場
日本軽金属 蒲原製作所
加藤精機
富士ロイヤル C.C.
中澤工業
ヤマト運輸 関東支社
ハイランドリゾート
サニカ
田代電化工業
防衛省自衛隊
(順不同)
︵建築インテリア科
テクノクリーン
○小澤 友毅君
足利工業大学
オリエンタル産業
建築コース1年 笛南中学校出身︶
土屋工業
ネイルサロン アロンジェ
私 は 以 前 か ら 建 築 物 に 興 味 が あ り、 峡 南 高 校 建 築
専門学校二葉製菓学校
諏訪東京理科大学
インテリア科の建築コースに進学することに決めて
メイコー
早野組
い ま し た。 入 学 し て み る と、 建 築 コ ー ス は イ ン テ リ
山梨光学
ア コ ー ス と 一 緒 の ク ラ ス に な っ て い ま し た。 普 通 科
日本工学院八王子専門学校
の 授 業 は 両 コ ー ス と も 一 緒 に 受 け ま す が、 建 築 や イ
のみ
You're a future engineer-to-be!!(将来エンジニアをめざそう)
か
<進学先>
ンテリアの専門教科は一部を除いてコース毎に分か
れて授業を受けています。
のこぎり
﹃建築構造﹄や
私 の 所 属 し て い る 建 築 コ ー ス で は、
﹃ 構 造 設 計 ﹄ で 家 の 造 り や 力 の 流 れ を 学 習 し、﹃ 工 業
基 礎 ﹄ や﹃ 建 築 実 習 ﹄ で 鋸 や 鑿 を 使 っ て 木 を 加 工 す
る 学 習 を し た り、 建 築 模 型 や 木 製 プ ラ ン タ ー な ど を
作 っ て い ま す。 ま た﹃ 建 築 設 計 製 図 ﹄ で 線 や 文 字 の
練 習 を し た 後、 住 宅 の 設 計 図 面 を 引 く こ と に な っ て
います。
入学してからまだ二ヶ月しか経っていないのでわ
か ら な い こ と も あ り ま す が、 寸 法 を 間 違 え ず に し っ
か り と 作 っ た り、 ド ラ フ タ ー と い う 製 図 機 械 を 使 っ
て き れ い に 仕 上 げ た り す る の で、 中 学 の 時 と は 違 う
緊張感があったりして楽しく学んでいます。こういっ
た専門の知識や技術を身に付
け、将来に役立つようしっかり
と学びたいと思っています。建
築に対して何もわからない状態
で入学しましたが、興味がある
内容を徐々に広げていきながら
三年間一生懸命やりたいと思っ
ています。
︵電子機械科1年 六郷中学校出身︶
雄君
○内藤
峡南高校に入学して2ヶ月近くが過ぎました。毎日、
自 転 車 で 通 っ て い ま す。 道 中 は 自 然 が 豊 か で と て も 気
持ちが良いです。
僕 が 峡 南 高 校 の 電 子 機 械 科 を 選 ん だ 理 由 は、 学 校 ま
で の 距 離 が 近 い と い う こ と も あ り ま し た が、 就 職 率 が
高いことでした。
入 学 し て の 第 一 印 象 は、 と に か く ﹁ 元 気 の あ る 学 校
だ な ﹂ と 思 い ま し た。 性 格 的 に 、 馴 染 め る の か が 不 安
でしたが、その心配は吹き飛び、友達もできました。
校 舎 の 窓 か ら は、 山 の 緑 が 多 く 目 に は い り 、 ま た 空
気 も お い し く 、 と て も 良 い 学 習 環 境 で す。 授 業 も 楽 し
く、 先 生 達 も し っ か り と 理 解 す る ま で 親 切 に 教 え て く
つ
れ ま す。 特 に 実 習 の 授 業 で は、 機 械 を 使 っ て 物 を 削 っ
た り、 溶 接 で 材 料 を 接 ぐ な ど、 普 通 高 校 で は で き な い こ と が
できるなど、楽しくとても充実した学校生活を、今送ってい
ます。
電子機械科では、高校3 年間でガス溶接やアーク溶接、小
規模ボイラー、危険物取扱などのたくさんの資格を取得する
ことができます。資格は進路決定の際、または就職にとても
有利になると思うのでできるだけ多く取得しようと考えてい
ます。
峡南高校は全員入部制です。部活動はどの部活も、それぞ
れの目標に向かって日々活動しています。僕は写真部に入り
ま し た。 興 味 は あ り ま す が 写 真 の こ と は
何も知らないので、これから二・三年生の
先輩たちに色々と教えてもらい頑張って
いきたいです。
ま だ 入 学 し て 間 も な く、 す べ て を 知 っ
て い る わ け で は な い で す が、 僕 は 今、 峡
南高校を選んで良かったと思っています。
࠯঺ ᵐᵏ ࠰ᾇஉᾁ὿ଐ ᵆ ங ᵇ
そ
本校は、大正12年に設立され今年で86年の歴史を誇る伝統校です。この間、過 疎・高齢化の進行や、地域産業の
へんせん
変遷など社会の急激な変化に的確に対応しながら、現在の発展に至っています。これは、「学校は地域のためにある。」という経営理念
のもと、自ら進路選択できる生徒の育成に努めた教職員と、自らが主体的に学び、職業を通じて社会に貢献してきた生徒とが、共に歩
んだ賜物だと実感しています。 私は、進路指導部に配属になり、製造業やサービス業など様々な職種の人事担当者と会う中で、本校
うかが
出身者の状況を聴いたり、採用の要請を行っています。以下の記述に、人事担当者の本校への期待や、先輩の活躍振りが伺えます。
「礼儀正しく、休まず毎日を元気に働き、職場の他のメンバーをまとめリードし、課長など上司を支えている。あるいは1部門の責任
者として日々活躍している。
」「生産ラインの改善と保守点検の責任者になれる人材を本校より採用したい。
」 等
み ぞ う
きがい
折しも、未曾有の経済危機の中ですが、こうした時期こそ社会を改革する気概を持ち、産業界や大学など高等教育との連携を一層強
化する中で、より実用の学問を重視し、職業を通じて社会に貢献できる人材を育成していき、このことにより、地域住民の期待に応え、
未来に向け発展していきたいと思います。 <菊島 靖彦先生 (就職支援専任教諭)>
Kyonan High School - Mechatronics, Architecture, Interior, Civil Engineering and Computer Assisted Business