第11号 2013.06.19 - 旭川文学資料友の会

旭川文学資料友の会
友の会通信
第
平成二十五年度
﹁旭川文学資料友の会﹂総会を開催
平成二十五年度の総会を終えて
旭川文学資料友の会事務局長
十河 宣洋
号
11
現在の会員総数二〇一名。
委任状一〇八名。出席三二
名と委任状が多くなりまし
たが、年度の事業報告と新
年度の事業計画を決める大
切な総会です。
旭川市教育委員会文化振興課花香課長と菅沼顧
問の挨拶を頂き、竹内議長を選出し議事に入りま
した。
事業報告で、ボランティア延べ六五一名、来館
者総数三四三八名の報告をしました。特に十月の
NHK旭川主催の﹁常磐公園の歩み展﹂の来館者
数は一六一八名と好評でありました。
公園ばかりでなく、旭橋や戦後行われた北海道
博覧会の映像を懐かしく思われた方も多かったよ
うです。
発行・NPO法人 旭川文学資料友の会
〒 070 0-044
旭川市常磐公園旭川市常磐館内
℡ 0166 2-2 3-310
Ⓕ 0166 2-2 3-334
また、高野斗志美展は五八四名と多くの方が足
を運んでくれました。とくに先生の教え子などが
多く、思い出の話などもしておりました。
文化団体が
交流室を使用
することも多
くなりました。
五行歌の会、
旭川歌人クラ
ブ、読書会な
ど定期的に使
用するサーク
ルも増えまし
た。
文学館ゆか
りの方の来館
者も多くなり、
小熊賞、井上靖、下村保太郎、高野斗志美など多
くの関係者が来館されています。
この多くの来館者が驚くのは、この館がすべて
ボランティアで運営されていることと、手づくり
の館であり、市民の好意による展示品の充実ぶり
です。蔵書だけでなく、ショーケースも寄贈のも
のが多いと知るとほとんどの方がびっくりしてい
かれます。
旭川が誇るものに育ちつつあると考えています。
会計に付きましてはNPO法人になってから、
それに合わせた会計になり、大変苦労しています
が、沢栗、水下両理事が細かく研究し二十四年度
の活動計画書を報告致しました。
二十五年度の事業計画について、企画展を列挙
しておきます。
啄木と旭川展、下村保太郎展、懐かしの子供遊
び展、旭川詩人クラブ展、広告とチラシ展などを
予定しています。
NPO法人として昨年法律の改正があり、それ
に合わせて定款の変更を提案し承認されました。
就業規則なども現在勉強中で、このことに詳しい
山﨑会員の指導のもと月二回程学習会を開いてい
ます。
役員の任期については来年の九月まで任期があ
りますので、改選はありませんでしたが、沢栗理
事が体調不良のため退任されました。
最後になりましたが、
昨年も沢山の資料を市民、
会員の方々から寄贈いただいています。約二〇〇
〇点の資料を寄贈いただいていますが、特に旭川
ケーブルテレビ株式会社様から貴重な資料を寄贈
いただいたことを申し添えておきます。
他にも器具・機材などの寄贈も一五〇点程もあ
りました。
この会は多くの方々の好意で運営されているこ
とを嬉しく思いますし、旭川の大切な文化の拠点
になりつつことを喜んでいます。
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第 11 号
旭川文学資料友の会通信
平成 25 年 6 月 19 日(水)
☆旭川文学資料館・企画展☆
﹁下村保太郎展﹂を今夏開催予定
2
七
: 月二日 火( ∼)九月十四日 土( )
下村保太郞展ポスター
制作 下村朔朗氏
下村保太郞 編集発行の
詩誌「情緒」創刊号
下村保太郞 蔵書票
会期
しは下村朔朗になっていた。
父はどこからもの創りに惹かれたのだろう。
五条六丁目には、本家に当たる丸長下村と下村
育英財団に付属した下村文庫が門を構えていた。
横手から入ると三和土が、太く黒光りした柱がそ
びえ、左には蔵、奥に竈が連なって、座敷には大
きな囲炉裏とぶら下がった自在鉤、そこは鄙びた
匂いのする旧世界。長くも青い時間を過ごして叔
父長蔵と、言葉を交わした父はすっぽり浸ってい
ただろう。
ガキさえも魅入る異界だったのだから。
父はここで文化を記憶したのだろうか。
墨汁と筆とバレンとで版画のなにかを学びもし
たが、受験で東京に連れて行ってくれた後はその
背中しか見えず、その存在を乗り越えることがわ
たしに残されていた。
びっくり箱から面白さを次々と取り出してあそ
んでいる。楽しいことばかりだったはずもないの
に、うらやましさが目に焼き付いた父の人生だっ
たが。今は、詩の作法を教わらなかったのが心残
りである。
会場でその父のかけらにでも、触れるものがあ
れば幸せになれるでしょう。
珈琲亭「ちろる」のマッチ箱
第十六回旭川文学資料展として﹁∼北の情緒・詩と版画
∼ 詩人 下村保太郞展﹂を旭川文学資料館企画展示室︵第
二展示室︶にて開催します。下村保太郞の詩篇、版画作
品、詩集、作品掲載誌、珈琲亭ちろる関係資料などを展
示。期間中、七月十三日には、下村保太郞ご子息 下村朔
朗氏と東延江副館長の記念対談を、八月二十四日には、
下村保太郞作品の朗読会を実施いたします。お誘い合わ
せの上、是非ご観覧ご参加ください。
下村保太郎展によせて
下村 朔朗
気が付いたときは、わたしは下村保太郎の息子
だった。四条九丁目︻喫茶チロル︼の柔らかいソ
ファーで飛び跳ねることを禁じられ、カウンター
内への侵入は阻止され、千草色に塗られた﹁サロ
ン・ド・オンクリ﹂の扉は密やかに閉ざされて、
そこから創り出される様々な愉しさは蚊帳の外。
偉い父は店の交代時間もあって早くに一人で飯を
食らい話すこともならず。仕事を上がり風呂から
出るとそそくさと上の書斎に閉じこもり、ウヰス
キを嗜みながら言葉の山を積み上げて、幾多の葉
書や手紙ははたまた詩誌に書き留まる。サワサワ
とクラシックの音色は家の中を漂って、棚に鎮座
する世界美術全集のピカソの裸婦は開陳し、限り
なく岩波写真文庫は世界を遍く知らしめて、わた
開店当時の「ちろる」
(昭和 14 年 11 月 4 条 9 丁目)
第 11 号
旭川文学資料友の会通信
平成 25 年 6 月 19 日(水)
昨年にひきつづき
﹁子供の遊び展﹂を開催します
会期 十月一日 火( ∼)十一月八日 金( )
:
会場 旭
: 川文学資料館第二展示室
百井昌男氏の資料をもとに展示します。期間中十月五日、
十月十九日には﹁遊び体験会﹂を実施予定。
﹁遊び体験﹂
の支援は、岡副会長とシニア会にお願いしました。
子供の遊びと俳句
旭川文学資料友の会副会長
岡 莊司
ある新聞社の﹁子ども
の 成長に 対す る意識 調
査﹂の結果。
テーマ︱
﹁子どもには、
将来どんな大人になって
ほしいか。
﹂
親の反応 ︱ ①どんな局面も乗り越えていく発
想力 ②物ごとをいろいろな角度から考えられる
人間 ③創造性豊かで発想力のある人
遊び心と遊ぶ力が創造力・想像力を引き出すと
よく言われる。自由な中 公(園や自然の中など で)
自ら見つけ出す遊びをたくさん知ってほしい。や
りたいことを見つけることは、成長の過程で大切
飯田 蛇笏
飯田 龍太
平井さち子
西島 麦南
竹下しづの女
飯田 龍太
飯田 龍太
上野 章子
伊藤 雪女
高田風人子
嶋田摩耶子
嶋西うたた
富安 風生
高浜 虚子
飯田 蛇笏
飯田 龍太
石原 舟月
廣瀬 直人
柴田白葉女
倉田 素商
池津 海彦
なこと。子どもは、落ちている棒一本から、自分
の世界をつくっていく。子どもが楽しそうにして
いること、夢中になっていることを見守り、そこ
から好きなことを見つけられるように親として応
援してほしい。
長く俳句作りをしていたので﹁遊びと俳句﹂に
ついて述べる。俳句には﹁季語﹂があり、日本の
四季を楽しませてくれる。
︿春 季﹀
磯遊び二つの島のつづきをり
葦の間の泥ながるるよ汐干潟
凧ひとつ浮ぶ小さな村の上
川越えて風船雲にしたがへり
遠足の声ばらばらの峠越え
しゃぼん玉吹きゐる顔に山近む
風車ひとつのこらずまはりけり
ぶらんこや山蹴りあげて海へひく
︿夏 季﹀
夕ぐれの瀬に浴ぶ兄を見てゐたり
一瞬の命はげしき大花火
手花火の匂ふ幼なの手を洗ふ
転びし子水鉄砲を離さずに
夏休み最後の午後の補虫網
草笛や目つむれば山河迫り来る
友だちのなき麦笛を鳴らしけり
かまど
裸子にかすかな熱の 竈 口
貸ボート旗赤ければ空青く
手花火の子や湯あがりの髪ぬれて
︿秋 季﹀
星合の後山を払ふ巽風
七夕の夜汐しぶける浜祠
天地ただ広くてつんのめる案山子
ひとところ暗きを過ぐる踊の輪
︿冬 季﹀
綾取の眠りなりたる影法師
縄とびの縄は冷えねば夜迫る
竹馬が古本選ぶ眸をよぎり
いささかの雪の日向の青写真
母織れる窓の下なる雪遊び
雪降れば女子大もつくる雪達磨
︿新 年﹀
かるた切るうしろ菊の香しんと澄み
双六のまた振出しへ戻る父
朝よりの雪に灯を入れ福笑ひ
大空の羽子赤く又青く又
焼跡に遺る三和土や手鞠つく
廻りゐる独楽跨ぎゆく路地の人
着飾りて陽をもて遊ぶ羽子日和
い
橋本多佳子
戸川 稲村
中村草田男
沢木 欣一
和地
清
皆吉 爽雨
山口 青邨
飯田 龍太
鷹羽 狩行
藤村 克明
阿波野青畝
中村草田男
嶋田 一歩
鈴木 飛鳥
俳句作家は、景色・心情・情報などを把握して
吟味し、想像力や語彙力を駆使しつつ一句を完成
させる。常に、五感を研ぎ澄ますことにより、想
像力を発揮する努力をしている。
子どもは、遊びを通して五感を研ぎ澄まし、創
造力をふくらますことができる。
今回は、
﹁紙飛行機作り﹂に挑戦。好奇心・興味
は進歩のための原動力。紙飛行機は、性能のよい
機体を作り、上手に飛ばすことが興味の中心。紙
飛行機で一番大切なことは、機体の調整。機体の
僅かな曲がりや捩れも見逃さずに丁寧に直し、試
験飛行の飛び方をよく観察し、
それに応じて調整。
親子で体験することにより、他の親子とも交流
できるので、
﹃文学資料館﹄に足を運んでくださる
ことを期待するものである。
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第 11 号
旭川文学資料友の会通信
平成 25 年 6 月 19 日(水)
旭川詩人クラブ第二十七回詩画展
旭川詩人クラブ第二十七回詩画展
森内 伝
旭川詩人クラブ事務局長
年
月
旭川文学資料館を会場に詩画展を開催いたしま
す。皆様のご来館を心よりお待ちいたしておりま
す。
期間 平成
時∼午後
時
日︵火︶∼
月 日 土( )
開館時間 午前
入場無料
場所 旭川文学資料館 第二展示室
月
日︵土︶
分∼午後
時
日(、月曜日、祭日休館 )
﹁大雪山系詩人について﹂
講話と詩の朗読
講話
詩誌﹁青芽﹂主宰
年
時
∼昨年の詩祭、詩画展より∼
平成二十四年十二月八日︵土︶午後一時三十分
から、旭川市常磐館二階キッズルームで﹁旭川詩
人クラブ詩祭﹂が開催され、司会立岩恵子、富田
正一会長挨拶のあと﹁詩と音楽﹂の講話をされる
瀬戸正昭氏︵詩誌﹁饗宴﹂主宰︶の紹介が山口敬
子からあり、四十分余りの限られた時間の中で行
われ、引き続き詩の朗読があり、旭川詩人クラブ
会員から荻野久子、土橋和子、森夏生、山口敬子
と森内伝が参加。ゲストには佐藤比左良、武藤迪
子︵神戸市︶
、佐藤孝、村田譲、鈴木たかし各氏に
よって行われました。
﹁詩と遊ぼう!﹂は東延江が担当。
﹁雪﹂という
題名を決め、出席者がグループに分かれ一人一行
の即興詩をつくり、それをグループ内で組み合わ
せて連詩にしました。
そうして出来た作品を三篇紹介します。
雪
そら
空を切る天の雫
空からおりて来る雪は
私の心を癒してくれる女神
白い布団のその下に眠る
トゲの鋭いばらの枝
貴女は唄をうたうように手を動かして
足もとに散る 別れの曲
雪
北極星から降りる六角
ザックリと青い︱。
いつまで降り続くのか
近道 回り道 歩き疲れてもう一歩
鏡面のような街路の上に
ピアニシモが ふりつむ
雪
あれはいつの日だったろう。それとも夢?
雪は白いのであろうか
そうは思えない時がある
うる
美わしい花々となって降りそそぎ
天からの手紙という雪を両手に受けて
ふんわりと冷たく私のほほに落ちる
冷えびえと音も無く
積もる雪がわが胸に
ホワイトスノウの今日が始まる
=昨年の詩画展出品者=
8
4
(2)
︵平成 年 月 日 火( ∼) 月 日 土( ︶)
東延江 出雲章子 荻野久子 沓澤章俊 小森
幸子 高野みや子 立岩恵子 土橋和子 富田
正一 森夏生 森内伝 森山幸代 山口敬子
12
富田 正一 氏
詩の朗読 詩と遊ぼう
期日 平成
午後
場所 旭川文学資料館 第二展示室
哀しみも汚れも宙へと 昇華して
ふたたびの 白
雪氷のついたフロントガラス
6
7
自主企画展 共催・旭川詩人クラブ
旭川文学資料館
11
10 12
30
(3)
24
12
1 16
(1)
11
11
4
3
25
25
第 11 号
旭川文学資料友の会通信
平成 25 年 6 月 19 日(水)
今年実施された企画展を終えて
﹁旭川川柳社七十七年の歩み展﹂
を終えて
沢栗 修二
﹃陽の露の恵み柳の芽が育ち﹄と詠じたのは旭
川川柳社の開祖敦賀谷夢楽翁である。
昭和三十年六月三日、七十歳で亡くなった夢楽
の一周忌に建立された川柳句碑は上川神社の境内
にある。北海道で一番最初に建てられた川柳の句
碑となる。
大正初期に川柳同好会﹁熊會 オヤ
( ジカイ︶﹂を率い
て、昭和十一年五月旭川川柳社を創立し、句誌﹁川
柳あさひ﹂が発刊されて今年で七十七年になる。
戦時期の中断はあった
が、平成二十五年一月で
誌齢八百号に達しこれを
記念して標記の回顧展が
企画立案された。
三月一日∼三十一日ま
で文学資料館で開催され
た。
道内の川柳結社単独で、
このような展示会は初め
ての試みとあって肩に力
が入る。故前大野信夫主幹が﹃市民文芸・百年記念
号﹄において年表と共にその流れを詳述されてお
り、旭川文化団体協議会に託された句誌の保存もあ
って創刊号から繙くことができ記録情報に接する
ことが出来たのは幸いであった。
北海道における川柳の曙、創生期に札幌から川
柳界の重鎮尾山夜半杖を、前後して神尾三休と両
名の旭川移住後の貢献は旭川川柳史上にひときわ
光芒を放つ。加えて中央柳界との人脈を築き交流
を続けた歴代主幹の功績が旭川の隆盛基盤を作っ
た。句誌の選者に六大家ほか高名な吟者陣を迎え
るなど、道内外の川柳子の羨望を集め旭川の名を
高らしめた。
加藤破天光は道新の職場川柳のポプラ会主幹を
務める傍ら﹁川柳あさひ﹂の編集を永年担当し、
詩人鈴木政輝に、俳句の塩野谷秋風に川柳評の寄
稿を求めるなど誌面を賑わした。
田中五呂八は旭川から他誌に新聞に縦横な投句
活動をなし、小樽に転じ新興川柳を勃興。等数々
の逸話を楽しみながら、資料の整理や制作展示か
ら新たな川柳の息吹に触れた。刺戟と新情報収穫
の悦びに感謝している。謝々
﹁啄木と旭川展﹂と
﹁国際啄木学会旭川セミナー﹂
旭川文学資料館副館長
東 延江
国際啄木学会の旭川セミナーが二〇一三年四月
二十日、二十一日とロワジールホテルで開催、そ
の学会の中で私は二十分であったが﹁旭川と啄木
︱蕗堂・啄木会・宮越屋などー﹂のタイトルで話
をさせていただいた。
啄木を函館に呼び﹁紅苜蓿﹂の編集に加えたの
は松岡蕗堂といい、明治から昭和二十三年没する
まで旭川の常磐公園の一隅に居をかまえていたそ
の人である。
啄木が明治四十一年一月二十日、釧路に向かう
途中、旭川駅前の宮越屋旅館に宿泊の折、午後三
時十五分旭川駅で下車、宿に荷をおくなり支庁前
︵三の十︶の〝さる家〟を訪ね、留守にあう。そ
の〝さる家〟とは誰の家か、蕗堂かーというとこ
ろは今もって解明されていない。
しかし、啄木がまっすぐに訪れる人が旭川に他
にいただろうか。この疑問を解くのにはもう少し
の調査を要するだろう。
又、大正十一年おわりころから旭川に陽炎草二
を中心にした﹁旭川啄木会﹂が存在していた。
セミナー開催にあわせ、昨年四月、啄木歌碑像
建立の呼びかけのために作られた﹁啄木と旭川﹂
のパネルをもとに旭川文学資料館で自主企画展
﹁啄木と旭川展﹂を開催。
四月二十一日、セミナー参加者はこの日、旭川
文学散歩の午後一番に立ち寄り、旭川でしか見る
ことが出来ない啄木展に会場いっぱいの参加者は
一時間余り、少し心を残しながら次の館へと向か
った。
短い生涯の啄木だったので、どこに行っても同
じ様な展示になっているので見るほどのものでは
ないのではと最初は文学散歩のコースに入れても
らえなかったが、啄木来旭当時の﹁北海タイムス﹂
のコピーなどははじめて目にしたとよろこんでも
らえ、研究者の数人は、いいものをみせてもらっ
たと礼状までいただき、やりがいのあった展示で
あった。
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第 11 号
旭川文学資料友の会通信
平成 25 年 6 月 19 日(水)
リレーエッセイ
旭川出身の作家 海原卓氏と、当会に自書﹁旭橋﹂を寄贈く
ださった立野茂氏より寄稿いただきました。
この人、あの人
︱石川啄木と小笠原善平 ︱
海原 卓
三浦綾子さんは、一
九九九年 平(成一一年 )
一〇月一二日死去され
た。七七歳であった。
亡くなられる少し前に、
私は御自宅で三浦さんにお目にかかっていた。
用件は、三浦さんの﹃塩狩峠﹄のテレビ映像化
の承諾を頂くためだった。三浦さんの死は、盛岡
の駅の食堂で、
テレビニュースで知ったのだった。
三浦綾子記念文学館の設立の計画が発表された
とき、三浦さんのほかに旭川に縁のある文学の人
達は、ほかにもたくさん居たから、この人達の記
念館の必要が、現在の旭川文学資料館だと思って
いる。
明治四一年一月二〇日、石川啄木が駅前の宮越
屋旅館に一泊した事実から、駅構内に啄木像と歌
碑が建てられたのは、この間のことである。
それで思い出す。乃木大将の学僕になって、将
軍の庇護を受けたのが、宮古の人で、第七師団二
七連隊の歩兵中尉小笠原善平である。結核を患っ
て退役したが、病のため故郷に帰って自殺して終
る。その彼の手記を素材とし
て、
徳富蘆花が小説として発表したのが、﹃寄生木﹄
である。
明治四三年、蘆花は旭川を訪ねている。春光台
の旭川実業高校の庭に、歌碑が建っている。同縣
人である啄木に、
善平を歌ったと思われるものが、
何首かあるが、その一首を左に挙げる。
人といふこころに一人づつ
良平がゐて常にうめけり
○
ほかに、二・二六事件に連座した軍人歌人とし
て斉藤瀏少将があり、その娘で歌人の斉藤史がい
る。これらの人々にも光があてられることが待た
れるのである。
了< >
○
注< >
良平は小説﹃寄生木﹄の主人公篠原良平からとっ
ている。
私の﹁旭橋﹂への思い
立野 茂︵大秋︶
東高教諭の時、旭中時代から国漢で著名であっ
た村上久吉先生の作詩された漢詩﹁旭橋﹂を読ん
だ私は、是非書にしたいと思った。
それは私の叔父が語った出征時の思い出や戦争
体験を本にしてあげたいという思いとも重なって
いた。本の方が先に実現した。
日本の敗戦の年、名寄農業学校一年生の私達は
多感な十五歳で、﹁一億玉砕﹂
の叫ばれているなか、
父母と水盃で別れ、北見の訓子府からさらに山奥
の駒里へ、食糧増産の為﹁援農﹂に入った。そし
て戦後は、農地改革で農地は三分の一となり、家
業の後継を諦めた私は旭川師範学校本科の試験を
受けて入学し、教師になることを目指したのであ
った。
そして幾度となく旭橋を渡ることになった。
その度に私の胸中に去来するのは、この橋を渡っ
て戦地に向かい、あるいは白布で包まれた白木で
戻ってきた兵士達への思いであった。
次の一文は、
叔父の語りを聞き取り書いた﹁歴史で見る一衛生
兵の太平洋戦争﹂の一節である。
﹁︱略︱ ともか
く陸軍二等兵の私は戦地へ向かうことになった。
野戦病院に向かう三隊は四百余名。旭川駅へ向か
って夜間行軍となった。旭橋のライトに映えて浮
き出る長い列は、黒い影を引きずりながら黙々と
続いた。
︱略︱ いつの間にか自分とは全く別のと
ころで歩むべき道が定められていた。︱略︱
長い列に遅れまいと、先を行く戦友の歩幅に自
分を重ねるように急いだ。どこか遠く八月の盆踊
りの太鼓の響きが、半ば空白化していた私の耳元
を流れていた。ふと、またいつかこの橋の上を歩
くことがあるだろうか、との思いが点滅灯のよう
に頭の中をよぎった。
﹂
以上のようなことで書いた私の書﹁旭橋﹂が文
学資料館に収めていただき感謝です。
あの作品は、
東京の書宗院展出品作であったが、
以後東京の国立新美術館、ローマの美術展等で多
くの方々に鑑賞して戴いたものでもあります。
6
第 11 号
旭川文学資料友の会通信
平成 25 年 6 月 19 日(水)
・委託企画展 第(十六回旭川文学資料展 )
﹁ ∼北の情緒 詩と版画∼ 詩人 下村保太郞展﹂
・
︵七月二日∼九月十四日︶
詩誌﹁情緒﹂を編集発行した詩人 下村保太
郞の詩作品、版画作品、直筆原稿や、経営し
た﹁珈琲亭ちろる﹂の資料も展示します。記
念行事として七月十三日に下村朔朗氏と東副
館長の記念対談を、八月二十四日には下村保
太郞作品の朗読会を予定。どちらも土曜日の
一時半から文学資料館第二展示室にて。
・委託企画展﹁ ∼懐かしの∼子供の遊び展﹂
︵十月一日∼十一月八日︶
十月五日と十九日に﹁遊び体験会﹂を予定。
土曜日の一時半から第二展示室にて。
・自主企画展﹁旭川詩人クラブ第二十七回詩画展﹂
︵十一月十二日∼十二月七日︶
旭川詩人クラブとの共同主催
十一月十六日、第二展示室にて講話と詩の朗
読会を一時半から実施予定
・委託企画展﹁広告とチラシ展﹂
︵十二月十七日∼三月二十二日︶
期間中講演会を予定しています。
新非常勤職員紹介
はじめまして
浅野 留美子
友の会の皆様、はじめまして。お元気にお過ご
しでいらっしゃいますか?
四月よりご縁を結んで頂きまして、事務のお仕
事を担当しております。読書を楽しみますが海外
ミステリーが好きで、文学作品に関しては無知な
状況でございますが、どうぞよろしくお願いいた
します。
初めてお仕事をした会社は七十名余りの社員数
でしたが、家族的な関係を保ちつつ社会人として
の土台をきちんと教育をしてくださった場でした
ので、私は多くの事を学びました。その後札幌へ
とチャレンジに出ましたが不安な一歩は、視界が
随分と広がる事になる素晴らしい人達との出逢い
に繋がりました。長期入院を何度かする事になっ
た折も、幸か不幸かここでも、私を高めてくださ
る出逢いが病室でありました。旭川に戻り、新し
い友人を得、淋しくなくなったなぁと思えるよう
になった今年、今度は資料館でスタッフの皆さん
との出逢いの機会を頂いたのです。
﹁人は人によって研がれる﹂と言う言葉が好き
です。沢山の大好きな人達との出逢いから感謝の
念と共に心に沁み込んだ言葉です。出逢いは支え
となり、今日の私に育ててくれました。毎日、常
磐公園を楽しむ小さな幸せも得ております。目に
する瞬間ごとに変化を見せてくれる景色の色合い
にフワフワ、キラキラとしたシャボン玉が、心の
中に飛ぶのです。その煌めきを自分の魅力の一つ
として、また新しい出逢いに結ぶ事ができたら嬉
しいなと思う私です。

事務局だより
︻昨年秋に臨時総会を開催︼
平成二十四年九月十五日十一時より、旭川
市常磐館第二展示室にて臨時総会を開催。出
席者二十三名、表決委任者一一八名。議長は
竹内利和氏。議題は役員改選。これまでの理
事 監・事を再選することを決定しました。
︻平成二十五年度定期総会を開催︼
平成二十五年五月十一日午後一時半より、
旭川市常磐館第二展示室にて定期総会を開
催。出席者三十二名、表決委任者一〇八名。
議長竹内利和氏。議事は次のとおり。
︵一︶平成二十四年度事業報告及び決算報告
︵二︶会計監査報告
︵三︶平成二十五年度事業計画案及び予算案
︵四︶定款の変更について
︵五︶ 就業関係規程及び会計規程の整備について
︵六︶その他
各議事異議なく承認されました。
︻今年度の企画展︼
・自主企画展﹁啄木と旭川展﹂︵六月十五日終了︶
旭川啄木会との共同主催
期間中の四月二十日、二十一日、ロワジー
ルホテル旭川にて国際啄木学会旭川セミナー
が開催され、東延江副館長が﹁旭川と石川啄
木﹂と題して研究発表しました。二十一日に
は、セミナーに参加した啄木研究者が三十名
ほど来館し企画展を観覧してゆきました。
※友の会のホームページが出来ていますので、ご
覧ください。
http://www.abs-tomonokai.jp/
※今年度小熊秀雄賞︵第四十六回︶を受賞された
与那覇幹夫さんと大江麻衣さんが、先月十二
日、小熊秀雄賞市民実行委員会の高田雍介事務
局長と共に来館されました。
※当会報次号の発行は今年十一月中旬を予定して
います。
※浅野留美子さんが今年四月からスタッフに加わ
りました。経理・事務を担当します。
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第 11 号
旭川文学資料友の会通信
平成 25 年 6 月 19 日(水)
友の会・文学資料調査事務室・近況報告
沓澤 章俊
・山内みゆき詩集﹃小鳥の歌﹄ 山内みゆきエッ
セイ集﹃自分を探して﹄
・山田勝子﹃春よ、こい﹄ 著者旭川市在住
・合同句集﹃丘﹄第三集 旭川ホトトギス俳句会
発行
・
﹁記録集 兵村のまちづくりを探る﹂第二号 旭
川兵村記念館友の会編集
・山村輝夫︵文・絵︶﹃天と地の家族﹄
・斎藤紘二詩集﹃挽歌、海に流れて﹄ 著者は第
四〇回小熊秀雄賞受賞者
・松田光春﹃復刻 郷土讀本﹄﹃近文先住民族保
護概況﹄
・三好文夫版画﹃ユーカラ三題﹄
・石山宗晏 西・勝洋一共著
﹃道北を巡った歌人たち﹄
旭川叢書第三十四巻
・新明セツ子遺句集﹃花野﹄
・長岡早芽女句集﹃花辛夷﹄
・片山礼子﹃有島武郎小論﹄
・﹃旭橋架橋 周年記念誌﹄ 北海道遺産名橋﹁旭
橋﹂架橋 周年記念事業実行委員会発行
・与那覇幹夫詩集﹃ワイドー沖縄﹄ 大江麻衣詩
集﹃にせもの﹄ 共に第四十六回小熊秀雄賞受
賞詩集
・与那覇幹夫直筆詩稿 大江麻衣直筆詩稿
・二宮清隆詩集﹃鏡の向こう﹄ 著者は旭川北高
出身
・川田靖子エッセイ集﹃我はまことの葡萄の木﹄
著者は第五回小熊秀雄賞受賞者
・詩誌﹁骨と壁﹂十二、十三号 松岡真弓
・太田幸夫﹃啄木と鉄道﹄
・佐藤勝﹃資料 石川啄木 啄木の歌と我が歌と﹄
﹃石川啄木文献書誌集大成﹄ 著者は国際啄木
学会会員で﹁湘南啄木文庫﹂主宰者
・渋谷美代子詩集﹃天地無用﹄﹃閑人帳﹄﹃へん
なうち﹄
・菅原政雄﹃魂乞い︱詩人 渋谷美代子の世界︱﹄
・菅原政雄﹃集産党事件覚え書き﹄︵上 中・ 下・ ・
補遺及び資料目録︶﹃集産党事件覚え書き補遺
1﹄﹃集産党事件覚え書き補遺2﹄
﹃激動の昭和戦前を生きた亀岡光枝の軌跡﹄
菅原政雄小説集﹃残党﹄
・菅原真青句集﹃蚯蚓鳴く﹄ 著者は菅原政雄
敬(称略・かっこ内紹介者 )
その他、歌集、句集、詩集、各文芸誌、各文学
館館報等、多数寄贈いただきました。ありがとう
ございました。
友の会人事動向
︻新入会員︼
山﨑則明・中川校一・鈴木紘一 東(延江 )
丹下美井 住田和敏 斉藤傑 高野信子
高野澄子 高
(野信子 )松井芳・本田雅榮
山(田勝子 )秋山芳子 沼澤利昭 浅野
留美子 水(下寿代 )
︻退会者︼
三堀玲子 大石郁子 森治明 小谷喜三一
石川駿夫 福川悦子 佐藤哲彦 中島京子
高木五郎
︻ご逝去︼
二〇一一年十二月没 渡辺実 様
二〇一三年四月十八日没 角谷恵子 様
︻現在会員数︼ 二〇一名 ︵六月八日現在︶
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収集・
提供いただいた資料本の数々
昨年六月から今年五月末まで、追加された資料の
一部を紹介します。
文学資料調査事務室
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・合同句集﹃すずかけ﹄第二十七、二十八集
・北のアルプ美術館 周年記念誌﹃串田孫一の
小宇宙︱復元された仕事部屋︱﹄
・東延江編﹃旭川の詩誌に書かれた小熊秀雄﹄
﹃﹁旭川新聞﹂の今野大力︵紫藻︶作品﹄
・志村有弘﹃忘れ得ぬ北海道の作家と文学﹄
著者は深川市生まれの日本文学研究者
・湊保﹃変貌するアラブ﹄ 著者旭川市生まれ。
・﹃飛ぶ橇文庫﹄ 小熊秀雄賞市民実行委員会発行
・斉藤傑編﹃高野斗志美 著作目録﹄
・金子きみ短歌作品集﹃夢の中のはしご﹄
・藤田湘子直筆原稿︵木村照子句集﹃冬麗﹄序文︶
・立野茂﹃ノモンハン﹄
・橋本勇次﹃からす貝の思い出﹄ 著者旭川市居住
・常磐公園画像三枚 千鳥ヶ池、花月園
大正末期頃撮影
・伊藤長治﹃切り絵 朝倉南蝶 俳句﹄
・片山晴夫﹃文学の径を歩く﹄
・岡田三郎﹃南風北風﹄ 昭和十九年八月発行
・北海道文化財保護協会会報﹁文化情報﹂第三三
五号 舟山廣治﹁旭川文学資料館に見る公共を
担う姿﹂掲載
・冬木美智子詩集﹃しろき もののき﹄ 著者本名
平泉美智子 旭川市在住
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第 11 号
旭川文学資料友の会通信
平成 25 年 6 月 19 日(水)