国 語

一
︵
現代文・評論
解答・配点
点︶
ると考えられるから。︵ 字︶
40
)
行うものであるため、著者に特権を与えることに根
拠はないということ。 (字
問六
ア
出典
粉川哲夫﹃メディアの臨界
紙と電子の
はざまで﹄︵せりか書房︶
こ がわてつ お
5点
粉川哲夫は、一九四一年東京生まれ。
メディア批評家。上智大学、早稲田大学
4点
3点
で現代哲学を学ぶ。著書に﹃メディアの
・ ⋮⋮は形式段落を表す。︶
牢獄﹄などがある。
ろうごく
7点
5点
︵※
段落︶では、まず、本も今日のデジタル技術に劣らず﹁オリジナルなき複製﹂という特徴を持っ
∼ 段落︶では、今日のメディアも従ってきたこの知的所有権という
きたため、﹁オリジナル﹂が意味をなさないものも出てきた
− −
40
本の複製とコピーライト︵著作権︶の問題は、レコードやCD/DVDとは異なる側面を持つ
Ⅱ
本の著作権が著者に帰属するとする根拠は便宜的
デジタル録音では、生音が録音されるのではなく、最初からデジタル信号としてしか存在しないような演奏が増えて
︵ の解説︶
レコードでは、マスターテープやマスター盤よりもオリジナルの生演奏が最高価値を占める
オリジナルのある複製
﹀
︿SP/LPレコードからCD/DVDへの変遷 オリジナルなき複製
Ⅰ
デジタル技術の発達によるオリジナルなき複製の出現
する主体を特定することは不可能となったのである。
ンピュータを地球規模で結びつけるインターネットは、個々人の行う複製を地球規模に拡大したため、知的所有権を独占
けをすることなのである。第二に、極限に達した複製技術機械であるコンピュータがいまや万人のものとなり、個々のコ
書とは作品の究極的な背後に潜む﹁作者﹂の言わんとすることにちかづくことではなく、読者が自分でテキストに意味づ
方式が、いま矛盾を露呈しているとする。第一に、すでに哲学︵解釈学︶や言語学︵記号学︶が明らかにしたように、読
を便宜的に採用してきたと述べる。しかし、Ⅲ︵
権を与え絶対化する、つまり、本は作者の知性の﹁複製﹂であり、知識は思考する﹁主体﹂の独占的な産物だという方式
ているため、著作権を設定しにくいメディアであったとする。そして、このことから、著作権を設定するため、著者に特
述べている。Ⅱ︵ ∼
本文は、三つの意味段落で構成されている。Ⅰ︵ ・ 段落︶では、レコードからCD/DVDへの変遷の中で、最初
からデジタル信号として録音されるためにオリジナル自体が存在しない︵﹁オリジナルなき複製﹂︶という事態が生じたと
●本文解説
6点︵各2︶
国 語
露呈
徹底
問一
ⓑ
ⓒ
ⓐ
便宜
問二 ウ
問三
同じ版の本は、どれを読んでも同じ概念を喚起す
30
字︶
問四
本は、作者∼的な産物だ︵
問五 読むことは、作者のメッセージを受動的に受け取
るものではなく、読者自らがテキストに意味づけを
32
78
本の複製は、今日のデジタルディスクにおとらず複製中の複製、オリジナルなき複製であった
文字というメディアは抽象化作用を持ち、﹁字面﹂の先の概念を読むものなので、同じ版の本はすべて同じものと見
なされる
﹁著者=作者﹂
著作権を設定するためには本そのものを越える領域が持ち出されなければならない
本は、コピーライト︵著作権︶を設定しにくい
=
ないようなものもあるため、そこではオリジナルの生音が
存在しないという事態が生じている、ということである。
以上の内容を説明しているのはウ。
国
語
Ⅲ
知的所有権の矛盾、独占する主体の特定は不可能
であり、正当であるか否かを問うのは無意味
知的所有権とは 契約の問題、﹁ゲームの規則﹂
知的所有権を独占する主体を特定することは不可能
●設問解説
あらわ
く不要﹂になったとまでは述べられていないため、誤り。
ア・エは、デジタル録音の優位性の説明になっており、
誤り。イは、デジタル録音ではオリジナルの生演奏が﹁全
問二
傍線部の結果を具体的に説明している内容を本文中
から読み取り、忠実に説明したものを選ぶ設問。
問三 文脈をたどり、傍線部の理由を述べた箇所を本文中
から探したうえで的確に表現する設問。
傍線部②の内容は、つまり、同じ版︵同じ文字が印刷され
傍線部②の直後に﹁同じ版の本を何回読んでも、それが
﹃オリジナル﹄から遠ざかるとは見なされない﹂ともあり、
段落の後半に、﹁デジタ
ル録音にいたって⋮⋮ここでは、﹃オリジナル﹄というこ
たもの︶の本はすべてが﹁オリジナル﹂であり、言い換え
− −
41
生演奏が最高の価値を持つものとして存在していたが、デ
とが意味をなさない﹂とあり、レコードではオリジナルの
ていった﹂ことである。また、
傍線部①直前の﹁これ﹂の指示内容は、﹁デジタル技術
の発達とともに、オリジナルなき複製、複製の複製になっ
問一 漢字の書き取りの設問。
便宜 ﹂は、都合のいいこと。
ⓐ﹁
露呈 ﹂は、隠れていたものが露になること。
ⓑ﹁
徹底 ﹂は、すみずみまで行き届くこと。
ⓒ﹁
ジタル録音では、最初からデジタル信号としてしか存在し
極限に達した複製技術機械であるコンピュータは万人のものであり、個々のコンピュータを地球規模で結びつける
インターネットは個々人の行う複製を地球規模に拡大
・﹁主体﹂は思考する者自身
・読むことは、読者が自分でテキストに意味づけすること
哲学︵解釈学︶や言語学︵記号学︶は、この矛盾をつきつめた
思考は﹁超越者﹂のメッセージを受動的に受け取ることではなく、読書は、﹁作者﹂の言わんとすることにちかづ
・
くことではない
﹁著者﹂という特権者を設定し、そこに権利を帰属させる方式、メディアの製作方式が矛盾を露呈している
・著作権が著者に帰属するということの根拠はきわめて便宜的
にすぎない
・著作権はもともと 取り決め︵契約︶
・本は作者の知性の﹁複製﹂であり、知識は思考する﹁主体﹂の独占的な産物だという考え方
︶ ︵しかし ・﹁著者﹂に特権をあたえ、絶対化することによって、﹁著作権﹂が可能になる
=
=
=
意味︶を喚起する︵=読み取る︶はずだ、と考えられるか
版の本に印刷された同じ字句からは、読者は同じ概念︵=
味︶を読むわけだが、﹂に述べられている。つまり、同じ
は、﹃字面﹄だけを読むのではなく、その先の概念︵=意
化作用︵=概念を喚起するはたらき︶と関係がある。文字
き複製であった。それは、文字というメディアが持つ抽象
理由が、
段落の冒頭の﹁本の複製は、⋮⋮オリジナルな
れば唯一の﹁オリジナル﹂はないということである。この
ものであるため、著者に特権を与えることに根拠はない、
取るものではなく、読者自らがテキストに意味づけを行う
読むとは、︵思考とは︶作者のメッセージを受動的に受け
哲学︵解釈学︶や言語学︵記号学︶が明らかにしたことは、
具体的な内容が述べられていることを押さえる。以上から、
⋮⋮ではなく、読書は⋮⋮意味づけをすることである﹂と
る。 次 に、 傍 線 部 ④ の 直 後 の 4 行 に、﹁ 思 考 は、 も は や
そこに権利を帰属させる﹂ことの矛盾であることに注目す
解答のポイント
ということである。
﹁読むとは、作者のメッセージを受動的に受け取
るものではない﹂ということが書けていること。
解答のポイント
ら、ということが理由となる。
﹁ 同 じ 版 の 本︵ = 同 じ 字 句 が 印 刷 さ れ た 本 ︶ で
は﹂ということが書けていること。
﹁読者自らがテキストに意味づけを行うものであ
る﹂ということが書けていること。
味して合致しないものを選び出す設問。
問六
本文の各箇所においてテーマがそれぞれどのように
展開されているかを的確に読み取り、選択肢を一つずつ吟
﹁著者に特権を与えることに根拠はない﹂という
ことが書けていること。
﹁同じ概念︵=意味︶を喚起する︵=読み取る︶﹂
ということが書けていること。
問四
傍線部の内容を言い換えている箇所を探し、指定字
数と指定された形式に当てはまる部分を的確に抜き出す設
問。
傍線部③﹁本そのものを越える領域﹂とは、直後に﹁す
なわち﹃著者=作者﹄である。﹂と言い換えられており、
アは、 ・ 段落の内容と突き合わせると、﹁近代の小
説の読者たちの間で絶対化され﹂の部分が誤りなので、こ
段落に集中している。﹁∼とい
う考え方﹂とあるので、単に、﹁﹃著者﹄に特権をあたえ、
はあるが、読者たちの間で絶対化されたわけではない。
れが正解。﹁近代の小説という形式のなかで定着され﹂と
その内容に当たる箇所は
絶対化する﹂、﹁本の著作権は、著者に帰属する﹂といった
行目︶という考え方に相当する記述を抜き出
点︶
まず、傍線部④中に﹁この矛盾﹂とあり、この指示内容
が、直前の 段落末の、﹁﹃著者﹄という特権者を設定し、
二
現代文・小説 ︵
解答・配点
きれいなだけだと酷評されたこと。︵
問四
ウ
問五
イ
字︶
38
取り決め︶﹂、さらに﹁ゲームの規則﹂に過ぎないと述べら
れている。
エは、 段落の﹁コンピュータ﹂﹁インターネット﹂に
よる複製の拡大の結果、知的所有権の主体が特定できなく
学科卒業。一九四七年、歴史小説﹃霧の
田宮虎彦︵一九一一∼一九八八︶は、
東京生まれの小説家。東京帝国大学国文
田宮虎彦﹃荒海﹄︵新潮社︶
た みやとらひこ
出典
なった事態を言い換えており正しい。
2点
6点
中﹄で本格的に小説家として認められた。
4点
4点
がある。
みさき
岬 ﹄、 短 編 集﹃ 絵 本 ﹄
﹃ある女の生涯﹄﹃異端の子﹄などの作品
作 で も あ る﹃ 足
あし ずり
歴 史 小 説﹃ 落 城 ﹄、 半 自 伝 的 小 説 で 代 表
4点
− −
42
問一
ウ
問二 ア
問三
三 枝 に 必 ず 褒 め ら れ る と い う 自 信 が あ っ た 絵 を、
20
イ・ウは、 ・ 段落の内容と合っており正しい。知的
所有権とは、元来便宜的に設けられたもので、﹁契約︵=
結果のみの記述ではなく、﹁本は、作者の知性の﹃複製﹄
∼
であり、また、知識は、思考する﹃主体﹄の独占的な産物
だ﹂︵
す。
23
問五
傍線部の内容を説明した箇所を本文中から探したう
えで設問の要求に合わせて的確に説明する設問。
22
●本文解説
本文は、﹃荒海﹄の後半部からの出題で、主人公の槙子
が、自信を持って描いた絵を見てもらった三枝から、きび
しい批評をされたことが、内容の展開の中心になっている。
リード文にも書いてあるように、時間の進行に従って場面
が展開していない点に留意して読んでいくことが大切であ
らないものを自分のものとして把握しなければならないの
んでいくのを感じた。私は、また、今は何であるかはわか
だ﹂とあるように、褒められるまで絵を描く﹁執念﹂は、
すでに乗り越えている点で、エは誤り。
問三
心情の理由を把握する設問。
この設問では、本文解説に述べているように、内容を時
間的進行に従って理解していく必要がある。これが第一の
キーポイントである。﹁似島の絶壁の上から見た夕映え﹂
こしき
行目の﹁槙子が似
時間的な進行の展開にもとづくと、
島の絶壁の上から見た夕映えを∼﹂から本文末尾の﹁槙子
い た 作 品 で あ っ た。 と こ ろ が 三 枝 は、﹁ き れ い だ な ﹂ と
の絵は、槙子が三枝に必ず褒めてもらえると自信を持って
る。
は、三枝の最後の言葉にみじめに打ちのめされた。﹂の部
な ︶ 売 り 絵 は 描 く な ﹂ と 酷 評 し た の で あ る。 本 文 末 尾 の
言 っ た だ け で 褒 め て く れ な い う え に、﹁︵ 芸 人 の 描 く よ う
︵注3︶にある﹁その日﹂の説明である。
が、傍線部②の表現と一致している点を見逃さないのが、
﹁槙子は、三枝の最後の言葉にみじめに打ちのめされた﹂
解答のポイント
第二のキーポイントである。
﹁必ず三枝に褒められるという自信があった﹂と
いう内容が書けていること。
﹁絵をきれいなだけだと酷評された﹂という内容
が書けていること。
問四
心情を把握する設問。
この文章では、槙子に接している三枝は、槙子という一
人の画家を育てていこうとしている人物として、終始一貫
問五
全体の内容を把握する設問。
文から読み取れない内容であるので、どちらも誤りである。
アは槙子が三枝の批評をいつも熱心に受け止めているの
で誤り。イは﹁嫌悪している﹂が過剰表現であり、エは本
が選べよう。
碗や皿﹂の後片付けをすることである点を押さえれば、ウ
わん
は、﹁三枝の家の流しの洗い桶に﹂ある﹁食事のあとの茶
ちゃ
﹁卒業﹂には、二つの意味がある。
①業︵所定の課程︶を終えること。↓例﹁卒業式﹂。
行目の
おけ
して描かれている。そして、傍線部③の﹁そんなこと﹂と
ここは、②の意味である。
問二
心情を把握する設問。
傍線部①より前の部分、﹁何かを教えられたことに気づ
いた﹂﹁誰からも感じることのなかったもの﹂﹁槙子の心に
∼
まといついていたものを切り裂くのを、槙子は感じ、自分
をあらためて見直すことがあった﹂、および
正解はイ。本文の﹁槙子は、三枝の最後の言葉にみじめ
に打ちのめされた。﹂︵ ∼ 行目︶、﹁三枝が槙子に感じさ
広く、深いものでもあった﹂を押さえると、槙子は三枝か
わからなかったが、それはするどいばかりのものではなく、
思う。それが何であるかは槙子にはわからなかったが、そ
せているものは、絵だけについてのものではないと槙子は
∼ 行目︶、﹁私は、また、今は何であるかは
あった。﹂︵
16
わからないものを自分のものとして把握しなければならな
14
ど描かない方がいい﹂と言われて﹁何かを教えられたこと
見なすこともできるが、﹁絵に対する情熱を失いかけてき
好意を、自分ではまだ意識していない程度に抱いていると
も
− −
43
に気づい﹂ているし、﹁やがて、自分をつつんでいる若葉
21
ている﹂が不適切であるから、アは誤り。
20
の緑のみずみずしく萌え出る力が、自分の心をもつつみこ
つぶや
いのだ︱︱槙子は自分の心に言い聞かせるように心の中で
イは﹁周囲から孤立している﹂が誤り。
呟いた。﹂︵ ∼ 行目︶の三点を押さえて選ぼう。
ウは﹁技法﹂に限定している点が誤り。
槙子は三枝のために、台所の洗い物を片付けることが、
槙子は三枝に褒められたいという気持ちは抱いていたが、 三枝から﹁褒められなければ絵が描けないようなら、絵な ﹁たのしく﹂﹁心がはずんでいる﹂のだから、異性としての
いる。したがって正解はアである。
れはするどいばかりのものではなく、広く、深いものでも
ものではないと槙子は思う。それが何であるかは槙子には
﹁三枝が槙子に感じさせているものは、絵だけについての
16
ら影響を受けることによって、絵の技法的な向上だけでは
67
14
なく、新しい個性的な自分が作られつつあることを感じて
66
う卒業した﹂。
②一定の程度や段階を通り越すこと。↓例﹁漫画はも
問一
語句の意味を把握する設問。
●設問解説
るのか。↓
問二・三・五
のように接しているか。↓
問四・五
2 槙子は、三枝の批評をどのように感じ、その批評から
どのような影響を受けて、これからどうしようとしてい
1 三枝は、槙子の絵をどのように批評して、絵とはどの
ようなものであると述べているか。また槙子に対してど
そして、文章全体の内容を読み取るポイントは、次の二
点である。
前の位置に来ることを押さえる。これを読み取るヒントは、
分までが、﹁槙子は、﹃街角の花屋﹄を描いたあとに∼﹂の
39
ら、絵など描かない方がいい﹂と言っているが、絵を描く
こと自体をやめるようにとは言っていないし、﹁低俗な絵
しか描けなくなってきている﹂も不適切であり、エも誤り
三枝は、問四でも述べているように、槙子をあくまで一
人の画家として見ているのであり、﹁異性として意識して
しゅう
である。
こ ほんせつ わ
﹃古本説話集﹄
こん
じゃく
もの がたりしゅう
う じ
しゅう い
もの
成立した説話集で、編者は未詳。上下二
がたり
巻からなり、﹃今昔物語集﹄﹃宇治拾遺物
語﹄と共通する説話も多い。
消﹂という副詞の呼応で不可能の意味を表す用法。
5点
6点
6点
︵各2・完解︶ ﹃ 古 本 説 話 集 ﹄ は、 平 安 時 代 末 期 あ る
いは鎌倉時代初期︵十二世紀頃︶までに
5点
4点
出典
いる﹂﹁自己の感情を抑えている﹂とは読み取れないから、
たか
覚えよう!
︱︱助動詞の活用
●完了の﹁ぬ﹂
ぬ
ね
○
活用語の未然形
ざる ざれ ざれ
未然 連用 終止 連体 已然 命令
接続
な
に
ぬ ぬる ぬれ ね 活用語の連用形
ず
○
●打消の﹁ず﹂
ず
ず
ざら ざり
問三
傍線部を解釈する設問。
の 仮 定 条 件 を 示 す 接 続 助 詞﹁ ば ﹂ で あ る か ら、﹁ 動 い た
﹁いささかも﹂は、﹁少しでも﹂の意。﹁はたらかば﹂は、
﹁動く﹂の意の四段活用動詞の未然形﹁はたらか﹂+順接
ら・動けば﹂。﹁ぬ﹂は完了の助動詞﹁ぬ﹂の終止形。﹁∼
てしまう﹂などと訳す。﹁べし﹂は推量の助動詞の終止形。
﹁∼だろう﹂などと訳す。﹁ぬべし﹂の﹁ぬ﹂を強意の用法
アは﹁動くので﹂が﹁已然形+ば﹂の意味になっている
の で 間 違 い。 イ は、﹁ 動 け る の で ﹂ が や は り﹁ 已 然 形 +
と考え、﹁きっと∼だろう・∼にちがいない﹂などと訳す
意。
こともできる。したがって正解はエ。
ば﹂の解釈。﹁ないだろう﹂は﹁ぬ﹂を打消の助動詞﹁ず﹂
は﹁ぬべし﹂などと推量の助動詞を伴う場合が多い。ここ
は動作が終わったことを示すので、完了。
し﹂を﹁抜け出せるだろう﹂と解釈しているので間違い。
問四
内容を把握する設問。
たま
﹁こはいかにしつることにか﹂は﹁これはいったいどう
したことか﹂の意。なぜそう感じたかといえば、男は観音
経を唱えて﹁助け給へ︵お助けください︶﹂と念じていた
のに、大蛇が現れ、﹁我はこの蛇に食はれなんずるなめり
− −
44
ここは下に体言︵﹁ほど﹂︶が続いているので連体形。
したがって打消の助動詞﹁ず﹂の連体形である。﹁え∼打
の連体形ととっているので間違い。ウは、﹁落ち入りぬべ
も・まったく﹂などの意味がある。ここは下に﹁うち伏す
問二
助動詞の文法的意味と活用形を答える設問。
事もせず﹂と打消を伴っているので、③の用法である。
く・ か り に ﹂、 ③︵ 下 に 打 消 の 語 を 伴 っ て ︶﹁ ほ ん の 少 し
ⓑ
﹁あからさまに﹂は形容動詞﹁あからさまなり﹂の連
用形。①﹁急に・突然に﹂、②﹁ちょっと・ほんのしばら
ⓐ
﹁やをら﹂は物事や動作が静かに進行する状態をいう
副詞で、﹁そっと・静かに・おもむろに・そろそろと﹂の
問一
語句の意味の設問。
●設問解説
話である。
蛇は観音様の遣わしたもので、信心の甲斐があったという
か い
脱出できた。男はふらふらになりながら家にたどり着く。
そこで男は蛇の背中に刀を刺してそれにつかまって谷から
る。男は蛇に飲まれるかと思ったが蛇は谷を登ろうとする。
を唱えて助けを請う。すると大蛇が現れて男に近づいてく
は日頃から観音経を唱えて信心しており、ひたすら観音経
動けば谷に落ちるという状態で困っている場面である。男
本文は、ある男が鷹の子を取りに行って失敗し、谷に落
ちる途中でかろうじて助かったが身動きできず、少しでも
●本文解説
問五 ひたすら谷の上の方へ登ろうとする様子であるので
問六 イ
27
4点︵各2︶
ウは誤り。
点︶
三枝は槙子に、﹁褒められなければ絵が描けないような
三
︵
古文
解答・配点
問一 ⓐ
エ
ⓑ
ウ
問二
完了・終止︵形︶
打消・連体︵形︶
30
問三
エ
問四 観音様の助けを願ったのに蛇に食われようとして
いるから。︵ 字︶
Y X
ここは文が終止しており、係り結びもないので終止形。
﹁ぬ﹂は完了・強意・並列の意味で使われる。強意の用法
X
Y
︵食べられてしまうのであるようだ︶﹂と思ったからである。
観音様に助けを請うたのに大蛇に食べられてしまうのでは
●現代語訳
を載せて、木の枝をつかんで︵いたが︶
、少しの身動きを
︵谷に落ちかけている男は︶どうしようもなくて、石の
かどで、角盆ぐらいの広さで、突き出している石の端に尻
解答のポイント
ろう。本当にどうにもしようがない。こうして、鷹を飼う
﹁悲しきわざ﹂ということになる。
﹁観音様に助けを願ったのに﹂ということが書け
ていること。
み申し上げ、信心し続け申し上げていたので、
﹁お助けく
ことを仕事にして生活していたが、幼い時から観音経を読
する方法もない。少しでも動いたら、谷に落ちてしまうだ
﹁蛇に食われようとしている﹂ことが書けている
こと。
いち ず
よ
ぐ ぜい しん にょ
ださい。
﹂と一途に思って、ひたすら頼み申し上げて、こ
ほど大きい蛇であった。長さ二丈ほどであるのが、とぐろ
﹁何だろうか。
﹂と思って、そっと見ると、何とも言えない
海﹂と申すあたりを誦んでいるうちに、谷の奥の方から、
かい
﹁弘誓深如
の経を、夜も昼も何度となく誦み申し上げる。
問五 傍線部の現代語訳の設問。
﹁ただ﹂は﹁ひたすら﹂の意の副詞。﹁登らん﹂の﹁ん﹂
は 意 志 の 助 動 詞﹁ む ﹂ な の で﹁∼ う・ ∼ よ う ﹂ と 訳 す。
して来るので、
﹁私はこの蛇に食べられてしまうのである
を巻いた幅が三尺ほどであるのが、自分の肩先へと、目指
何 か が が さ ご そ と︵ 音 を 立 て て ︶ 来 る 様 子 が す る の で、
﹁けしき﹂は、﹁様子﹂。﹁なれ﹂は断定の助動詞﹁なり﹂の
已 然 形。﹁ 已 然 形 + ば ﹂ は﹁ の で・ か ら ﹂ と 訳 す。 し た
解答のポイント
ようだ。悲しいことだなあ。観音様お助けくださいと願っ
がって﹁なれば﹂は﹁であるので﹂という意味になる。
途に念じていると、
︵蛇は︶どんどん近づいてきて、自分
ので、
﹁どうしよう。ただこの蛇につかまったら、きっと
くしない。ひたすら谷の上の方へ登ろうとする様子である
の膝のあたりを過ぎるけれども、自分を飲もうとはまった
たのに、これはいったいどうしたことか。
﹂と思って、一
﹁登らんとする﹂の﹁ん﹂を意志の助動詞として
訳せていること。
﹁けしき﹂が﹁様子﹂などと訳せていること。
﹁なれば﹂が﹁であるので﹂などと訳せていること。
登ることができるだろうよ。
﹂と思って、腰に差した刀を
し 続 け 申 し 上 げ て い た の で ︶﹂ と あ り、 現 実 に 大 蛇 に す
つりたりければ︵幼い時から観音経を読み申し上げ、信心
直接に観音様の慈悲で大蛇が遣わされたとは書いていな
いが、﹁幼くより観音経を読みたてまつり、たもちたてま
背中に刀を刺したままで、蛇はそろりと移動して、向こう
ことができないでいるうちに、
︵蛇は男を︶引き離して、
を取ろうとするが、強く刺さってしまっていたので、抜く
た。その時に、この男は︵蛇から︶離れて降りる。この刀
任せて引かれて行くと、谷から崖の上の方にそろりと登っ
そ っ と 抜 い て、 こ の 蛇 の 背 中 に 突 き 立 て て、 そ れ︵ 刀 の
がって助かったのであるから、信心の功徳で観音様がお助
﹂と思って、
︵その
側の谷に渡った。この男は、
﹁嬉しい。
字︶
せ せつしん ご
出典
﹃世説新語﹄
ている。
文学者の逸話を、徳行・言語・文学など
ぎ けい
4点
3点
六朝時代の劉義慶の著
﹃ 世 説 新 語 ﹄とは
うしん
作。後漢から東晋までの貴族や思想家・
りゅう
5点
三十六項目に分類して簡潔な文体で記し
− −
45
4点
4点︵各2︶
を︶見て驚きあきれて、泣き騒ぐ。
に行き着いたので、妻子たちや従者たちなどが、
︵この男
やっとのことで、影のよう︵にやせた姿︶で、ようやく家
になることもせず、まして食べることはなく過ごしたので、
りした動きもせず︿=ほとんど動きもせず﹀
、まったく横
場から︶出て急いで行こうとするが、この二三日にはっき
うれ
柄︶をつかんで、
︵蛇の︶背中にすがって、蛇の行くのに
けになったと考えるのが妥当であろう。したがって正解は
問六
本文全体の理解を問う設問。
イ。
ア は﹁ 罰 が 当 た っ て ﹂﹁ 大 蛇 に 飲 ま れ て 男 は 死 ん で し
まった﹂が誤り。ウは﹁自分を食べようとした﹂が誤り。
点︶
エは﹁力尽きて亡くなった﹂が誤り。
四
︵
漢文
解答・配点
れたのに、一人動じなかった様子。︵
問五
エ
38
問二 ウ
問三
われまさにこれをこころみるべし︵と︶。
問四
突然馬が突っ込んできて周囲の人が皆うろたえ倒
︶ ⓑ
問一
ⓐ
はなは︵ダ よ︵リテ︶
20
●本文解説
登場人物
かん せん ぶ
ていた。ある時、桓宣武が突然馬を突っ込ませてその反
・王東亭⋮桓宣武の家臣。桓宣武にその将来性を見込まれ
ア 客の 笑を﹁不 然﹂で否定しているので不適。
イ
公は作法を間違えたことを問題視していないので不適。
エ
家柄についての批判的な記述はないので不適。
字一字だけ返るときに使うことにも注意して読む順番を書
二度目に読むときは返り点に従って読む。また、レ点が漢
意。再読文字は、最初に読むときは返り点を無視して読み、
応を試したが、全く動じなかった︵問四︶ため、名声が
問三
書き下し文にする設問。
上がり、宰相の器であると人々に言われるようになった。 ﹁当︵まさニ∼べシ︶﹂が再読文字で、二度読むことに注
を間違えて、周囲の人に
・桓宣武⋮東普の政治家。家臣の王東亭があいさつの作法
情から大人物であると見抜いていた︵問二︶洞察力の鋭
1 2 4 3
いてみよう。
笑されていても、王東亭の表
い 人 物。 王 東 亭 の 人 間 性 を 当 然 試 し て み る べ き だ︵ 問
5
問四
王東亭の態度について記述する設問。
この順番にそって、すべてひらがなを用いて書き下し文
にすればよい。
吾 当 試 之。
三︶と考え、馬を突入させるという型破りな方法で王東
亭の大人物ぶりを明らかにしていく。
・賓客⋮あいさつの作法を間違えた王東亭をあざ笑う。桓
宣武のような洞察力はない。
るという非常事態にうろたえ倒れる。王東亭と対照的な
・左右⋮桓宣武の側近。周囲にいる人。馬が突っ込んでく
態 度 を 取 っ た こ と で、 王 東 亭 の 名 声 を 上 げ る の に 一 役
器であると言われた〟ということである。この場面の出来
傍線部③は﹁︵王東亭は、︶宰相の器である﹂という意味。
〝 突 発 的 な 事 態 に も 動 じ な い 王 東 亭 が 評 価 を 上 げ、 宰 相 の
買っている。
※この文章では、桓宣武の王東亭への思いから取った行動
笑した賓客に対して言った言葉である。つまり、 物ぶりを明らかにしているので、正解はエ。
①②のエピソードには、突発的な事態にも動じないこと
を描くという類似点があり、それによって、王東亭の大人
①あいさつの作法を間違えた後の、泰然自若とした態度。
②馬が突然突っ込んできた時に、動じなかった態度。
本文は、王東亭に関する次の二つのエピソードから構成
されている。
問五
本文の内容と合致するものを選ぶ設問。
周囲の人とは対照的に、﹁︵王東亭は︶一人動じな
かった﹂ことが書けていること。
﹁突然馬が突っ込んできて周囲の人が皆うろたえ
倒れた﹂ということが書けていること。
解答のポイント
=﹁宰相の器である﹂
←︿世間の反応﹀
王東亭の評価が上がる。
⇔対照的
・王東亭⋮動じない。
←
・左右⋮うろたえ倒れる。
桓宣武⋮突然馬を突っ込ませる。︵突発的な事態︶
事をまとめると、次のようになる。
と、その行動に対する王東亭の対応を読み取ることが伴
となる。
本文読解のために必要な語句の意味
・美誉=立派な名誉。よいほまれ。
じゃく
・人地=人柄や家柄。
たいぜん じ
・自若=泰然自若。大事に直面しても、落ち着いて、平常
心を保っている様子。
・凡=平凡。漢文は熟語にしてみると意味がわかりやすい
言葉も多い。
●設問解説
問一
重要な語の読みを確認する設問。
ⓐ
﹁甚﹂は﹁はなはダ﹂と読んで、﹁非常に﹂という意味。
現代語でも、﹁甚大な被害﹂というように、﹁非常に﹂の意
味で用いられる。
ⓑ ﹁ 因 ﹂ は﹁ よ リ テ ﹂ と 読 ん で、 こ こ で は 機 会 や 条 件 を
表し、﹁∼に従って・∼を機会として﹂という意味。﹁因
月朝 ﹂で、﹁月初めの朝会のために集まった時に﹂という
意味である。
問二
公の行動の意味を理解する設問。
然﹂は﹁しかラず﹂と読んで、﹁そうではない﹂と
﹁不
いう意味。では、桓宣武は何に対して、﹁そうではない﹂
笑されるようなつまらない人物ではなく、その
と言ったのであろうか。これは、傍線部①の直前の文で、
王東亭を
ア
﹁別の視点から考察﹂していないので不適。
イ
﹁王東亭の二面性﹂は描かれていないので不適。
ウ
﹁王東亭の高慢な人間性﹂は描かれていないので不適。
王東亭は
泰然自若とした態度から将来性があると思われ、自分が才
能を認めている人物のはずだと考えているのである。よっ
て、正解はウ。
− −
46
くわんせん
●書き下し文
わうとう てい
はなは
ぎ
うしな
ぶ
しん
しゆ ぼ
うやま
しよく じ
じやく
な
ざ
すで
じやう
しようしや
ひんかく
すなは
び よ
あ
あひへんせう
東亭、桓宣武の主簿と為る。既に承籍して美誉有り。
こ王
う
そ
じん ち
いつ ぷ
ばう
な
はじ
けんしや
公甚だ其の人地を敬ひ、一府の望と為す。初めて見謝する
われ まさ
これ
こころ
そ
じやうばう
み
どう
のち
かなら
めい か ここ
ただ
げつ てう
おのづか
お
よ
ぼん
おほ
これ
つ
かく か
り、 役 所 全 体 の 期 待 を 担 う も の と 考 え て い た。︵ 王 東 亭
は︶初めてお目見えのあいさつをした時、礼儀作法を間違
いた賓客たちが、すぐに
笑した。公は言った、﹁そうで
えたが、顔色一つ変えず、泰然自若としていた。その座に
は な い。 そ の 様 子 を 見 る と、 き っ と 平 凡 な 人 物 で は な い
しか
に儀を失ふも、神色自若たり。坐上の賓客、即ち相貶笑す。
こう い
公曰はく、﹁然らず。其の情貌を観るに、必ず自ら凡なら
わう
い
きだ。﹂と。その後、月初めの朝会のために集まった時に、
こう うち
はし
︵と自然に思われる︶。私は、当然、王東亭を試してみるべ
さ いうみなたう ふ
うま
ず。吾当に之を試みるべし。﹂と。後、月朝に因りて閣下
ふ
に伏せしとき、公内より馬を走らせ、直ちに出でて之を突
こ
こう ほ
うつは
然︶中から馬を走らせ、︵馬は︶まっしぐらに出てきて突
みな い
︵王東亭たちが︶御殿の入り口に控えていると、公が︵突
おも
く。左右皆宕仆するも、王は動ぜず。名価是に於いて大い
親の深い情愛を理解できるということ。︵
字︶
亭︵一人だけ︶は動じなかった。︵王東亭の︶名声がそこ
いそのかみ
ささめ ごと
学的価値を向上させた。
﹃ 石 上 私 淑 言 ﹄ は 江 戸 時 代 の 歌 論 書。
﹁もののあはれ﹂の論によって和歌の文
本居宣長﹃石上私淑言﹄
もとおりのりなが
出典
で 大 い に 上 が っ た。 誰 も が 言 っ た、﹁ 彼 は 宰 相 の 器 で あ
る。﹂と。
4点︵各2︶
4点︵各2︶
4点
3点
5点
上から、﹁普通の交流・世間並みの人付き合い﹂の意味。
あ る。 も と も と﹁ 情 け ﹂ の な い 状 態 を 表 す 言 葉 で、﹁ 情
ⓑ﹁なさけなき﹂は形容詞﹁なさけなし﹂の連体形。1
﹁薄情だ﹂、2﹁無風流だ﹂、3﹁興ざめだ﹂という意味で
●本文解説
本 文 で は、 自 然 と 心 の 中 に わ き 出 る 人 間 ら し い 情 愛 を
﹁もののあはれ﹂として重視した本居宣長の考えが述べら
行目
かねすけ
年代﹂、4﹁国・国家﹂、5﹁男女の仲﹂などの意味がある。
﹁世﹂には、1﹁現世﹂、2﹁世間・世の中﹂、3﹁時代・
ひ ﹂ で あ る。﹁ 交 ら ひ ﹂ は﹁ 交 流・ 交 際 ﹂ と い う 意 味。
ⓐ﹁世の常の交らひ﹂は、名詞﹁世﹂+連体修飾格の格
助詞﹁の﹂+名詞﹁常﹂+連体修飾格﹁の﹂+名詞﹁交ら
問一
語句の意味の設問。
●設問解説
しみじみと趣深く感じられるものである。
輔の和歌や藤原俊成の和歌は、
子を思って詠んだ藤原兼
子を持たない者でも、親の深い情愛が自然と思いやられて
5∼
人と人との交わりにおいて、﹁もののあはれ﹂を知らな
い人は、万事において思慮や情愛に欠ける。
1∼4行目
本文の内容は以下のとおりである。
直後に体言﹁人﹂があるので﹁る﹂は連体形。よって
ここは完了の助動詞﹁り﹂である。
問二
動詞・助動詞の活用についての設問。
︵=心がかたくなである︶とあるのが大きなヒントとなる。
た ⓑ 直 前 に﹁ 思 ひ や り な く し て ﹂ や﹁ 心 こ は ご は し く ﹂
おきたい。ここでは、人との交流について述べており、ま
の愛情﹂、4﹁趣・風情﹂という意味があることを知って
ら子を思う親の気持ちが理解できるという例を用いている。 け﹂には、1﹁人情﹂、2﹁情趣を理解する心﹂、3﹁男女
れている。ここでは具体的な和歌を取り上げて、それらか
40
進した。︵その時、︶周囲の人は皆うろたえ倒れたが、王東
に重し。咸云ふ、﹁是れ公輔の器なり。﹂と。
●現代語訳
王東亭が、桓宣武の主簿となった。︵王東亭は、︶祖先以
来の名声や勢力によって、既に立派な栄誉を得ていた。公
点︶
は非常にその︿=王東亭の﹀人柄や家柄に敬意を払ってお
五
古文 ︵
解答・配点
問一 ⓐ ア
ⓑ
イ
問二
り
老ゆ
Y
20
問三
エ
問四 病気で臨終が迫った時に
問五
子を持たない人でも、和歌を読むことで子を思う
X
現代語では﹁老いる﹂だが、古語では﹁老ゆ﹂である
ことに注意。ヤ行上二段で活用するのは、﹁老ゆ﹂﹁悔ゆ﹂
﹁報ゆ﹂の三語だけなので、覚えておくとよい。
未然 連用 終止 連体 已然 命令
い
い
ゆ ゆる ゆれ いよ
覚えよう!
︱︱ ヤ行上二段活用
老ゆ
たとひ
問三
本文の内容を把握する設問。
﹂が﹁親
傍線部を含む一文全体で考えてみる。すると﹁
− −
47
ここでは﹁世の常﹂で、﹁世間並み・ふつう﹂の意味。以
X
Y
10
の心子知らず﹂、﹁子を持ちて親の恩は知る﹂を指している
にも﹂の﹁も﹂に注目。﹁も﹂
の前に﹁いへるに﹂と
と親の心が思いやられて、しみじみと趣深く感じられるこ
とよ﹂という訳になる。そして、
あ る が、 ポ イ ン ト は﹁ に ﹂。 こ こ の﹁ に ﹂ は 接 続 助 詞 の
ことがわかる。さらに﹁
は直前部の﹁富める人は貧しき人の心を知らず﹂﹁若き人
ないの﹁だが﹂、和歌はその歌を聞くだけで理解できるす
おり、相手の立場にならなければ他者の気持ちは理解でき
ばらしさがある。このことを、親子関係の場合に即して具
﹁に﹂で、﹁∼だが﹂と訳す逆接の意味。問三で確認したと
係であることを示している。では、これらは何について述
は 老 い た る 人 の 心 を 知 ら ず ﹂﹁ 男 は 女 の 心 を 知 ら ず ﹂ と
べているのか。さらに前にさかのぼると、﹁すべて何ごと
あそん
の、中将への昇進のことを言上するとい
きょう
を聞けば、子持たらぬ人もおのづから親の心は思ひやられ
という和歌などを聞くと、子を持っていない人も自然と親
は﹁子を持つ親の心は闇のように迷い乱れてはいない
が、子のことを思うと闇夜の道に迷ってしまったように思
る。
の心が思いやられて、しみじみと趣深く感じられることよ。
思いを残して死なずにいることです。
ように、死ぬべき我が身も我が子の一大事にこの世に
原の、風が吹くのを待って消えてしまう露がすっ
笹
かり消えてしまわないで、笹のこの一節に思いを残す
ささはら
うことで、範光の朝臣のもとへ贈りなさった︵和歌︶、
のりみつ
︵息子の︶定家
という和歌や、三位である俊成が、病気で臨終に迫った時、
さん み
われることよ。
子を持つ親の心は闇のように迷い乱れてはいないが、
子のことを思うと闇夜の道に迷ってしまったように思
恩を知る﹂とも言っているのだが、兼輔の中納言の、
かねすけ
にも﹁親の心子知らず﹂とも言い、また﹁子を持って親の
ず、男は女の気持ちを理解せず、︵また︶世間のことわざ
気持ちを理解せず、若い人は年老いた人の気持ちを理解せ
知ることができないものであって、裕福な人は貧しい人の
いてもそのことに触れることがなければ、そのことの趣は
愛がないことばかりが多いものである。すべて、何事にお
ない人は、万事において思慮に欠けて、心がかたくなで情
世の中を統治する人ばかりではなく、通常の世間並みの
人付き合いでも、この﹁もののあはれ﹂ということを知ら
●現代語訳
﹁和歌を読むことで親の情愛を理解できる﹂とい
うことが書けていること。
﹁子を持たない人でも﹂ということが書けている
こと。
解答のポイント
体的に説明すればよい。
﹁親の心子知らず﹂、﹁子を持ちて親の恩は知る﹂が並列関
A
もその事に触れざれば、その事の心ばへは知られぬもの﹂
と あ る。 貧 富 の 差、 年 齢 差、 男 女 の 違 い、 親 子 の 違 い に
よって、それぞれ相手の気持ちがわからないものだという
一般論を述べているのである。だからこそ、相手の立場に
なって情趣を感じ取ることで、他者の気持ちを理解できる
ということになるのである。よって、エが正解。
うを具体的に取り上
ア は﹁ 親 孝 行 を し な い 子 の あ り よ
く
げ﹂が誤り。また、親の気持ちを み取ることの意義を知
らせようとしているわけでもない。
イは﹁人民の幸福を考えた政治が行われていない現状﹂
について具体的に述べられておらず、また、政治と親子関
係に関連性はないので不適。
ウは﹁子を持つ親にしか理解できない気持ちがある﹂が
誤り。
問四 解釈の設問。
﹁限り﹂は、1﹁限界﹂、2﹁限度﹂、3﹁極限﹂、4﹁最
後・特に命の最後﹂、5﹁時期﹂、6﹁それだけ﹂、7﹁あ
るだけ全部﹂などの意味がある。ここでは﹁病﹂が主語な
ので、﹁病が命の限りであった時に﹂という直訳をベース
に現代語訳を考える。
解答のポイント
﹁病限りなりし﹂の意味を、﹁病気で臨終が迫った﹂
﹁病気が重篤になった﹂などと書けていること。
問五
本文の内容を把握する設問。
和歌に関連した問いでは、和歌の前後の記述にも着目す
ることが大切である。﹁ といふ歌、⋮⋮ といふ歌など
B
て、あはれなるぞかし﹂とあり、ここが解答のベースとな
A
は︵注︶にあるとおり。
つまり、﹁
や
A
− −
48
の和歌を聞くと、子のない人でも自然
﹁思ひやられて﹂の﹁れ﹂は自発の助動詞。
直後の﹁聞けば﹂は、﹁已然形+ば﹂︵順接の確定条件︶
で﹁∼ す る と ﹂、﹁ お の づ か ら ﹂ は﹁ 自 然 と ﹂ の 意 味 で、
ら完了の助動詞﹁ぬ﹂の連体形、﹁かな﹂は詠嘆の終助詞。
る﹂は四段活用動詞﹁まどふ﹂の連用形に接続しているか
わ れ る こ と よ ﹂ と い う 意 味。﹁ ま ど ひ ぬ る か な ﹂ の﹁ ぬ
A
B
B