園精舎の鐘の声 細谷亮太 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな 蕪村 鳥羽殿とは京都市伏見区鳥羽にあった白河、 鳥 羽 両 上 皇 の 離 宮 で す。 応 徳 四 年︵ 一 〇 八 七 戸時代にはわが国では野分、お隣の中国では颶 風︵ぐふう︶と呼ばれていました。明治時代に な る と 英 語 の 名 称﹁ タ イ フ ー ン ﹂ ま た は﹁ 大 中央気象台長が﹁颱風﹂を気象用語として世に 風﹂が使われていたようですが、明治末に時の 定着させたという歴史があります。現代の﹁台 風﹂の文字が認められたのは昭和三十一年のこ とと言われています。 に雨を聞く夜かな 芭蕉 芭蕉野分して盥 わってきます。 あります。芭蕉の句を並べてみると、それが伝 る暴風を仕方のないものとして諦めていた感が 年︶に白河上皇がここに入り、鳥羽天皇も上皇 野分と呼ばれていた時代には天気予報など無 かったわけで、人々は秋になると時折吹いてく となった後にこの離宮に入りました。 この場所が鳥羽上皇崩御後に崇徳上皇と後白 河天皇の摂関家をまき込んだ保元の乱の舞台に なります。平清盛の登場のプロローグです。蕪 村はその後六百年ほど経った江戸中期に活躍し 吹き飛ばす石は浅間の野分かな た俳人、画家です。当然のことながらこの句は 芭蕉 画家蕪村ならではのイメージによる歴史絵巻的 猪もともに吹かるる野分かな 芭蕉 ︵聖路加国際病院 顧問︶ 現代では台風と呼ばれている熱帯低気圧は江 名句。季語は野分︵秋︶です。 108 CLINICIAN Ê16 NO. 651 (914)
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