消え消えの炎

消え消えの炎
細谷亮太
分け入つても分け入つても青い山
にみられるようにリズミカルで動きがあり定型
に納まり切れずに自由律を選びとったのごとく
なのに対し、放哉の句は蝋燭の火が消えるかの
様な彼の最期に合わせて自由律と出会った感が
あります。
放哉は種田山頭火と並ぶ自由律俳句の代表的
俳人です。一八八五年︵明治十八年︶に鳥取県
効いています。私は彼のプライドと独特の自意
裏の傍で折っているのか。﹁ほきほき﹂がよく
枯枝ほきほき折るによし
尾崎放哉
で生まれました。一高、東京帝大を出てエリー
識が吐露されている
今月の句、庭先の木の枯枝を折っているので
しょうか。それとも拾い集めた柴の枯木を囲炉
トサラリーマンとして保険会社に勤務するもの
すが、今月の掲句や、その後に詠まれた句、
の社会の規格に合うように自我を変容させるこ 漬物桶に塩ふれと母は産んだか
とを良しとしなかったのか、出来なかったのか、 のような句は勘弁してくれと言いたくなるので
世間からドロップアウトして世捨て人としての
︵聖路加国際病院
顧問︶
山頭火が人気ですが、古稀をむかえようとし
ている者には放哉の句もジーンと心に沁みます。
咳をしても一人
生活を始めます。寺男や堂守として各地の寺を
などには十分な共感を覚えます。
転々とし、一九二六年︵大正十五年︶、香川県
小豆島の貧しい庵で亡くなりました。同じよう
あるけばかつこういそげばかつこう
に世を捨てた山頭火の句が
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CLINICIAN Ê16 NO. 653
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