第十一回

哲学
第11回 ハイデッガー
「実存主義と現代技術」
吉田寛
「シュバルツバルトな毎日」 http://diary.jp.aol.com/mkupjekwyxne/ より
レポート解説
テーマ:功利主義と義務論(カント)を比較・評価。
4人乗りの救命ボートに5人集まった。どうする?
政治家が賄賂を受け取っても誰も被害を受けない場合、
受け取ってもよいか?
○、○+、○-、△、×で評価。
事例を論じるだけでなく、テーマを論じること。事例
二つで堂々と矛盾した立場をとるのはどうか。
意外と、どちらの立場の人もいた。どちらも私利私
欲ではない立場。現実には、自己利益にはしるだ
けとの指摘も。倫理は「べき」に関わる理念ですね。
賄賂の例では功利的な規則に従うという「規則功
利主義」の立場に近い考え方もあり。
パロ「ひとは単独で生きているわけではない」
ピロ「だけど、死ぬのは結局一人だ。私の人生を誰かに代わってもらう
ことはできない。」
パロ「どんな社会であってもそこで生きる人間が無自覚では意味がな
いということか。」
ピロ「どんなことを自覚するべきだと言うのか。」
パロ「自分が死すべき存在だということ、自分が自由な存在だというこ
と。」
ピロ「そしてその責任を引き受けること。」
パロ「重いね。ただ、それが実存的な生き方ということになるだろう。」
ピロ「社会に戻るけど、社会がわれわれから実存的な生き方を奪うこと
もある。その社会では自分自身を忘れてしまうわけだ。」
パロ「過酷な強制労働だとか?」
ピロ「それもある。だが、むしろ、一見豊かな消費社会とか、技術文明
社会のほうが、われわれから実存を奪いとりがちな気がする。」
パロ「浦島太郎だね。」
ハイデッガー
1889年 誕生 ドイツ田舎町、ドナ
ウ川の上流、アルプスの麓
哲学者、大学教員として一生を送
る
20世紀最大の哲学者(ウィトゲン
シュタインと共に)と称される
『存在と時間』(人間存在とは何
か)
実存主義の代表者(サルトルと共
に)
ナチズムへの協力を疑われる
1976年 没
ハイデッガー時代 二度の大戦
1989年 ハイデッガー誕生(ウィトゲンシュタイン、和辻哲
郎、ヒトラー、チャップリンと同年)
1905年 サルトル誕生
1914-19年 第一次大戦(戦車、毒ガス等)
1917年 ロシア革命
文化と人間の危機『魔の山』『西洋の没落』
1923年 マールブルク大学教授『存在と時間』
1933年 フライブルク大学総長(~34年辞任) ナチス政
権を取得(圧迫と追放の時代)
1939-45年 第二次大戦(原爆など) 戦後一時追放
復職後 教育と研究→ 1976年没
長崎修学旅行ナビ http://www.ngs-kenkanren.com/syuryo/peace/index.html より
現代社会と人間性
「人間疎外」人間が人間らしさを奪われ、奴隷状態
に陥っている状態(⇔善く生きる)
労働者の貧困、過酷な労働、文化的、人間的生活の荒廃、
植民地獲得戦争、過酷な植民地支配
マルクス、レーニン
これらを市民社会、自由社会の社会構造の問題と捉えて、
その改善を求めてる思想と人生
問題を解消したら「人間らしい」社会が誕生する?
ハイデッガー、サルトル、アーレント
人間と社会の中にある、人間の弱さと現代文明、現代技
術の問題
取り戻すべき「人間らしさ」の内実の解明
「存在」を問う(現象学的方法)
存在論=存在者の世界の前提的構造を解く
存在者たち(山、机、クルマ、社会、制度)の存在(どう
やって存在者として現れるか)を問う
「世界」=人が見て触って、そこで生きる、人に
とっての世界
意識の問題
人間が独自の仕方で意識を向ける(配慮する)ことで、
「世界」として存在する
→では、どんな「仕方」で?
「世界」とは(存在の仕方-1)
「世界」は「道具」として存在する
たいていの存在者は「道具」として存在している
人間にとって使えるものとして世界は人間に意識されて
いる
こうした人がそれを使って生きていく時間・空間の中で、
いまあって、これから使えるものとして、モノは意識される
• (⇔なまのモノに触れる芸術的経験)
手元にないものも、使えるかもしれないものとしてある
こうした「生きる」という関心や感情、意味のこもった「世
界」で私たちは生きている
「人間存在」(存在の仕方-2)
「人間存在」だけは、特別な存在者である
一人一人が「世界」を存在させている特別な存在
存在させられているに過ぎない「道具」たちとはぜん
ぜん違う
実存主義
モノとはぜんぜん違う特別な人間の生き方
自己の「誕生」と「死」が代替不可能な自分の固有性
の源
それを引き受けて、いつも忘れずに存在すること
「一期一会」の心で生きるということ(?)
「人間存在」(存在の仕方-3)
堕落した人間存在=モノと同じ
自己の存在(実存)を手放した存在者
=実存を持たない、ただの存在者(モノ)
どうして堕落してしまうのか
「一期一会」の精神で生きるのは難しい
自分の誕生と死を見つめるのは不安で恐ろしい
単調で平和な日常生活に慣れてしまう
「ひと」ばかり見て、自分の固有性を見失い、手放して
しまう
現代社会と技術が、人をモノ化してしまう
サルトルの実存主義
サルトル(1905-80年)
自由と人間性を実存主義の立場から擁護、活動
人間は自由な存在である(自由の刑⇔モノのあ
り方)
「実存は本質(性質)に先立つ」 「人は人になるのだ」
だが、人間はすぐに自由を手放してしまう(=ハイデッ
ガーの考察)
「人間」なら「自由」を引き受けるべし
自己の人生において決断と責任を引き受けなければ
ならない
ハイデッガーの技術論
近代技術technikの本質=Gestell
Ge-stell(骨格) 「仕組み」「組-立て」「集-立」「巨大-収
奪機構」
つまり、自然からまとめて強制的に奪い、管理・ストッ
クする というイメージ
Stellen(立つ) Bestellen() Bestand(在庫)
強制的で非人間的なイメージ(人間破壊、自然破壊)
人間らしく自然や自己に向かう可能性を締め出してし
まう
⇔芸術や素朴な工芸
物事の隠れた真理に接して表現しようとする
人間らしい世界とのかかわり
ハイデッガーの技術論への批判
「素朴な自然さと人間性を大事にすることと高度
の科学・技術を用いることとを、わざと絶対に和
解できないような対立関係に押し込め、云々」
(加藤尚武、p.28)
ハイデッガーは「技術決定論」だが、「技術にブ
レーキをかけたり、方向づけをする」ことは可能
(村田「技術哲学の展望」『思想』926号)
「技術」=目的合理性と「コミュニケーション」=公
共性との、バランス(ハーバマス)
現代技術と人間
論点(技術-現代文明-人間破壊の組に対して)
技術はそれ自体では善悪無記(人間にとって善い
も悪いもなく、完全にニュートラル)なのか?
メリットとデメリットがあるとしたら、それはどの程度、
どのようにか?
それは、人間性の観点からみてコントロール可能
か?
どうやって社会的にコントロールできるのか?
また人は、個人として技術とどうやって生きるのが、
善い生活、よい人生なのか?
ハンナ・アーレント
ハイデッガーの弟子
ユダヤ人で、ドイツからアメリカに亡命して活動
する。
「全体主義」の批判(『全体主義の起源』)
「仕事work」/「労働rabor」の区別
「公的領域」=政治(ポリス)=自由な言論と活動
の領域/「私的領域」=経済(家政)の区別=生
命の維持・存続の領域
仕事や公的領域の復権→人間性の復権
参考文献
『人と思想 ハイデッガー』、新井恵雄(著)、清水書院
『人と思想 サルトル』、村上嘉隆(著)、清水書院。紹介
本
『存在と時間』 ハイデッガー(細谷貞雄訳)、ちくま(学芸
文庫)
ハイデッガーの主著 20世紀の代表的哲学書
『イデオロギーとしての技術と科学』 ハーバマス(長谷川
宏訳)、平凡社(ライブラリー)
カント、ヘーゲル、マルクスらの技術思想を批判的に検討した技
術論(専門的)
『科学と社会』 都留重人、岩波(ブックレット622)
科学技術と社会の問題を間単にまとめたパンフレット
『ハイデッガーの技術論』 加藤尚武(編)、理想社
研究、批判と解説
連絡など
来来週10日が最終日。レポート試験にしま
す。授業でやった内容を整理して、自分の
考えを示すような課題を考えています。基
本的には小レポートと同じですね。持ち込
み可です。