第七回

哲学
第7回 「人格の尊重」
By カント
2007年5月22日 吉田
パロ「戦争や争いの絶えない社会では幸せにはなれないね。近
代の民主主義ってのは、そこからスタートしたんだね。」
ピロ「国民主権、平和主義。日本国憲法の柱だね。」
パロ「基本的人権の尊重についてはどうだろう?」
ピロ「きっと、それも誰かが提案したんだと思うな。」
パロ「誰が提案しようと、そんなことはどうでもいいんじゃない?
要は主張内容であって、理論だよ。」
ピ゚ロ「理論か。理論ってことは、つまり仮説? 基本的人権を尊
重すべし、という仮説なのかな? でもどうやって実証でき
る?」
パロ「仮説というより、むしろ決意みたいな感じだね。」
ピロ「そうすると、やっぱり、どんなひとがどんなつもりで、そうい
う決意を提案として言い出したのか、気になるね。」
パロ「そうだね。人間性にかかわる言葉は、無色透明じゃない。」
ピロ「その人の『色』ってものがある。そして、それが社会を動か
して、社会の『色』になる」
パロ「逆もまた真だね。」
カント
ドイツ(東プロイセン)
ケーニヒスベルク
1724年生-1804年(80
歳)没
敬虔なキリスト教の家
庭(職人)に生まれる。
生涯独身
勤勉で社交的な地方知
識人、大学人として生
涯を送る
カントの倫理思想
代表作
『純粋理性批判』(哲学、認識論、科学論)
『実践理性批判』(倫理学)
『判断力批判』(美学)
人間的立場から「善く生きる」を考える(≒デ)
信仰の領域と人間の領域を切り離す(≒パ)
人間の問題として社会の作り方(人への接し方)としての
倫理を考える(≒ロ)
「善く生きる」=お互いに理性ある存在(人格)として
尊重しあうこと
人格(ただ生きる存在ではなく理性ある尊い存在)(≠ホ)
人格尊重の倫理学→「人権」確立→現代の社会の理念
時代と人生 カントの時代
ドイツ(→ヨーロッパ全土へ) 宗教改革&宗教戦争
1651年 デカルト『省察』(フランス絶対王政へ)
1687年 ニュートン『プリンキピア』(自然科学)
1689年 ロック『統治論』(イギリス名誉革命以後、議
会制民主主義へ)
北ドイツ プロイセン王国(ドイツ帝国へ)
1724年-1804年 カントの
1762年 ルソー『社会契約論』『エミール』
1789年 フランス革命(フランス民主主義共和国)
カントの生涯 前半
1724年 ケーニヒスベルクに生まれる
敬虔主義(厳格なルター派キリスト教)もとで
育つ
1740-46年 ケーニヒスベルク大学生
1747-55年 街の家庭教師
1755年(31歳) 『天体論』『形而上学的認識』
執筆
同年 ケーニヒスベルク大学 私講師(給与
の保証のない身分)
カントの生涯 後半
1755年-1770年 私講師として 以降教授として
講義(数学、物理学、論理学、哲学、法学、地理学、教育
学)
研究と論文
デカルト主義的な合理主義の哲学
ルソー『エミール』を読む→「人間の尊厳」
1781年 『純粋理性批判』
哲学独自の領域を切り開く(一躍大哲学者に)
1797年まで 母校で講義を担当しつつ研究・執筆
カント倫理学、美学の基礎を築く
1804年 カント没(80歳)「Es ist gut!」
信仰(神)と学問(理性)1
カント以前(近代) 信仰の領域なし
ロック、ニュートン
神
推論
理性
(哲
学)
自然
デカルト
経験
自覚
科学的
研究
神
?
理性
(哲
学)
社会科学
的研究と
実践
社会
自
然
自然科学
的研究
信仰(神)と学問(理性)2
カントの場合 信仰の領域の確保
『純粋理性批判』の「善く生きる」
信仰
神
•理性の能力や方法
を検討
•信仰の領域を確保
信
心
理
性
科学的
=経験
的研究
批
判
哲学
自
然
理性の自己検討
社
会
カントの倫理学の出発点
カントの倫理学の前提
1.
道徳法則が存在する(研究の前提)
–
–
–
2.
もし道徳法則が存在するとしたら、それはどのようなものでなけ
ればならないだろうか
観察される「事実」としての法則(ex.自然に見出される自然法
則)でなく、
必要によって要請される「権利」としての法則(ex.社会に要請さ
れる法律)
道徳法則は普遍的(いつでも、どこでも、だれにでも当
てはまるべき)
–
–
自分勝手なルールは道徳ではない
特定の人、時代、社会にだけ当てはまる「善く生きる」はない
倫理は快苦、幸福を求めない
快苦、幸福は人によって異なる
道徳法則は人によって異なってはならない(前提2
「普遍性」より)
人
生
快苦の法則、幸福のための法
則は道徳法則ではない
–そのようなルールは人・社会によって
異なる
–また、自分にとっても、その時々で気
持ちよいもの、好きなものを求めても虚
しいだけ
社会
善さ
道徳法則の形
道徳法則は快苦、幸福などの対象をもとめるもので
はない
条件部
命令部
「○○のためには××せよ」という形ではない
「Aに嫌われたくなければ、うそをつくな」は×
(Aが嫌いになったらうそをついてもよい、のような自分勝
手なルールでは道徳が成り立たない)
自分の身の処し方、処世訓としてならよいが、道徳とは言
えない
道徳法則は無条件でなければならない
「××せよ」(「うそをついてはならない」)
道徳法則と自由意志
道徳法則は無条件
欲求の対象である特定の目的のために、××せよという
のではない
道徳法則には、欲望や感情で従うことはできない
道徳法則にはただ、意思の力で従うだけ
善くあろうとする意思(義務)から、無条件に法則に従う
自由意志は道徳の存在根拠として道徳に要請される
存在根拠
自由
意志
道
徳
要請
「自由」をめぐって
人間は「自由」なのか? 自由な意思は存在する
か?
AかBかを自由に選べる(選択の自由)
反論1:ビュリダンのロバ(AとBが完全に同じ条件だった
らどちらも選べないのでは?)
反論2:物理世界は閉じている故、人の行為も意思も物理
的に決定されているはず
AかBかが決まっているとしても、人はそれを意思す
るかしないかの自由意志をもっている(自律の自由)
自律の自由は道徳法則によって要請されている(カント)
人間が自然法則によって決定されているとしても、人間は
なお自由にそれを意思することができる(≒「考える葦」)
黄金律(原理的な道徳法則)
人は、意思+理性によって、道徳法則を理解し、受
け入れ、それに従うことができる
「誰にでも当てはまるような法則に従って行為せよ」
「汝の意思の格率が常に同時に普遍的立法の原理として
妥当し得るように行為せよ」(『実践』§7)
自分の嫌なことを人にするな
自分の望むことを人になせ
自分の理性で判断して、意思の力でこの法則に従う
ことが「善く生きる」ということ
快苦や欲望、幸福への憧憬などで流されるのはたまたま
善いと判断される行為だとしても「善い行為」だったとは言
えない(動機が大事「義務論」)
人格の尊重
人格=意思と理性を兼ね備えた道徳的主体
黄金率を理解して、お互いに尊重し合える
十分に尊重されるなら、お互いに尊重しあって平
和な社会を築くことができるはず
• 教育:自律的な理性と意思を育てる必要がある
• 人権:社会の成員の人格を尊重するための法律(憲
法)
• 刑罰:できない者には隔離と再教育(刑法的)
• 合意:理性的な話し合いの場を設ける(国連、議会)
「人権」の範囲
人格(理性と意思を持つ存在)があるから人権(尊
重される権利)を保証する
どこまで、どのような根拠で権利を保障するのか?
女性(男性とは異なる理性? 同等の理性、人格の承認)
植民地の人々(非西欧的な理性?)
精神薄弱者(不完全?な理性)
子供(教育を受ける権利、未熟な人格? 「成人」)
認知症老人(理性の衰弱? 感情、人格)
ペット、動物(感情、意思?)
ロボット(理性、自由意志は?)
「永遠平和のために」
人格を持った主体としての人間が、どうやって国家を
作り、平和な世界を作るか。
国民による自治(自律の原則)=共和制の実現
• 国民は、リスクの高い戦争を避けたいと望む
• 共和制でなければ、国家を所有物とする支配者によって、戦争に安
易に突入する可能性が高い
各国の平和連合を作る
• 共和国同士は平和を求める自国の権利を保障する
• 世界政府は、国民による自治国家としては不可能
平和を実現するのは自然と商業・利己心?/理性と道徳?
• 「事実としては、道徳性によって善き国家体制が構築されるのでなく、
善き国家体制こそが、民族の善き道徳性を育むのである。」p.206
• 「純粋な実践理性の王国と、その正義を推進せよ。そうすれば、汝の
目的、永遠平和の恩恵はおのずから実現されよう。」p.233
参考文献
『カント』岩崎武雄(著)、勁草書房。
カント哲学の解説書。古いけど定番的存在。
『世界の名著(カント)』、野田又男(編著)、中央公論
社(読みやすいカントの原書翻訳
『基礎』『人倫』『プロレゴメナ』収録のお買い得→中
公クラシックスの新書版で後二者は復刻)
『永遠平和のために/啓蒙とは何か』カント(中山
訳)光文社(短く、しかも読みやすいが、カントの国
家論、国際関係論満載)
『実践理性批判』カント(波多野精一等訳)、岩波文
庫(読みやすくはないでしょうが、じっくり読みたい重
要文献)