『存在と時間』を読むために 4 『存在と時間』の基本構造と基本概念 「存在の意味への問い」の通路としての人間 現存在(Da-Sein): Da(現)としてのあいまいな存在了解を生きている人間 『存在と時間』の前半 『存在と時間』の後半 非本来性(Uneigentlichkeit) 日常性(Alltäglichkeit)における現存在 人(Das Man)としての現存在:頽落(Verfallen) 本来性(Eigentlichkeit) 不安(Angst)の根本気分の中の現存在 自己(Das Selbst)としての現存在 (第40節) 不安の無の明るい夜の中で 「なぜそもそも存在者が存在するのであって むしろかえって無でなかったのか」と問うて いる現存在:ハイデッガーが『存在と時間』を書く立場 ① 道具(Das Zeug):日常性において現存はすでに 常に使ってしまっている。 第15節 ② 道具連関(Zeugzusammenhang) 1つの道具はありえない。道具が道具であるためには あらかじめ道具連関が開示されていなければならない。 ⑨ 死への先駆 (Sein zum Tode) 可能性への先駆が日常性の 可能性への埋没から取り出し 究極の可能性である死へと直 面する(本来性における将来) 現存在の全体性 ③ Um-Zu連関:道具連関が可能であるためには あらかじめUm-Zu連関(ためにという連関) 第15節,第16節 がかいじされていなければならない。 第46節~第53節 ④ 有意義性の全体(Bedeutsamganzheit) 多くのUm-Zu連関の錯綜した全体=世界(Welt) 第54節~ 第60節 ⑤ 究極このためにということ(Worumwillen):現存在のために ということがあらかじめ開示されていなければならない。 この現存在のためにということへ向けて、多くのUm-Zu連関 第18節 が結集する。 ⑥ 世界-内-存在(In-der-Welt-sein) 現存在は、究極のためにということへ向けて有意義性の 全体を結集させつつ世界を形成し、また世界の家へ 投げ入れられる。(現存在の存在体制) 良心(Gewissen) 声のない声として常に 我々に呼びかけ、不安の 中へと呼び戻す。 なぜの問いである我々自 身がなぜの問いへ呼び 込む不気味な声 ⑦ 憂慮(Sorge):明日の事を気にかけるという形で 明日へと抜けだし、世界の中で 第41節 道具を配慮し、行為する構造。 (現存在の存在はSorge) 第62節 ⑫ テンポラリテート(Temporalität) 本来的時間性を存在一般の了解の地平として 受け留め、そこへ向けて存在一般の意味を問いかけ ること(『存在と時間』では展開されず) 第83節 Sorgeの定義:世界内部的存在者のもとに存在することとして、 世界の内に自らに先んじてすでに存在すること。 Das Sein des Daseinds besagt : Sich-vorweg-schon-sein in-(der-Welt) als Sein-bei ( innerweltlich begegnendem Seinenden). 第65節 第72節~第77節 ⑪ 先駆的決意性(Vorlaufende Entschlassenheit) 死へと先駆した現存在が歴史の中に隠されてい た 可能性を反復し、現状の中で決然と行為すること。 (本来性における現在) 第3章,題4章,第5章 ⑧ 時間性(Zeitlichkeit) 自らの可能性を了解する形で将来(Zukunft) へと抜け出しつつ、この変更のきかない私として 世界へ投げ出されている(Gewesenheit)自らに 突き当たり、この衝動の中から現在(Gegenwart) を開く運動。もうこれ以上先へ進むことが できないという意味でDaの開示性のどん底。 ここでは、時間は①将来→②過去→③現存 と連動し、常に将来が優位を持っている。 ⑩ 歴史性 (Geschichtlichkeit) 死に直面した自己がそこに当 って過去へ突き返され、歴史 の中に隠されていた可能性 を受けとどめる。 (本来性における過去) ⑬ 内時間性(本来的時間性から通俗的時間を導出する。) 第2編 第6章 ①時 間 性 :根源的開示性としての時間 第79節 (将来、過去、現在と動き、将来が優位を持つ) ② 配慮された時間:「今~しなければならない」という形で 第80節 時を配慮しつつ開示している。 ③ 世 界 時 間 :多くの人が共通に配慮している時間 第80節など 時を配慮しつつ開示している。 ④ 通 俗 的 時 間 :世界時間が理論の対象になった場合に 第81節 成立する。今、今、今の連続としての時間。 ⑭ 哲学史の解体(Destruktion der Philosophiegeschichte) (第8節参照) これは『存在と時間』の第2部の課題 既刊の『存在と時間』では展開されず、 『カントと形而上学の問題』 『現象学の根本問題』 などで部分的に行われている。 ヨーロッパの歴史の全過程において、時間は通俗的時間として受け取られていて、 それに基づいて存在一般は恒常的現前性(Ständige Anwesenheit)として理解 されてきた。将来が優位をもつ時間性という観点から、カント、デカルト、 アリストテレスなど、ヨーロッパの哲学史全体を解体(Destruction)する。
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