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日本遺産ものがたり
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日本遺産構成文化財
旧水戸彰考館跡
(現在の第二中学校)
年 月1日号 第1383号
平成
28
第3話
〝 徳 川 の 平 和 〟の 到 来
ら約150年続いた戦乱の時代は幕を閉じる。次に日本
年の大坂夏の陣。この戦争で豊臣家
慶長 (1615)
は滅亡し、名実ともに徳川家の世となった。応仁の乱か
の儒学者である林羅山に命じ、歴史書
「本朝編年録」
を編
しっかりとした歴史書が必要だ。当時、幕府は当代随一
重要だと認識するようになる。先人の教えを学ぶには、
光圀は 歳頃から儒学に傾倒し、文い治政治を行ううえ
で、先人の教えをよく学び、それを活かしていくことが
さんしていた。光圀も期待を寄せ、羅山とも親交を深め
はやしらざん
あるから、実に253年もの長きにわたり、平和の世が
で戦争が起きたのは、慶応4
(1868)
年の戊辰戦争で
到来したことになる。
暦の大火)
が発生し、歴史書関連の貴重な文献の多くが焼
失、羅山も失意のあまり4日後に死去してしまった。
光圀はこの火災を受け、自ら歴史書を編さんすることを
決意する。この歴史書こそが、江戸時代を代表する歴史書
館である。いずれも日本遺産
「近世日本の教育遺産群」
の構
成文化財で、
水戸藩の文治政治をよく示す文化財といえる。
として著名な
「大日本史」
であり、その編さん所が水戸彰考
よる社会の安定化に重点を置いて平和を維持した。こう
〝徳川の平和〟
をどうやって持続させたの
さて、幕府は
だろうか。その答えの一つが、教育
(儒学)
の普及である。
した学問・思想によって社会を治めるシステムは
「文治政
優秀な学者が集結し、高い水準の学問的交流が展開した。
【編集】
みとの魅力発信課 ☎029・232・9107
029・224・5188 [email protected]
水戸市 歴史文化財課 関口慶久
のは、光圀ならではの発想だろう。彰考館には全国から
この文治政治をリードしたのが、会津藩の保科正之、
水戸藩の徳川光圀、岡山藩の池田光政ら、江戸時代初め
まさに、彰考館は平和の世の学問興隆を象徴する施設と
しゅしゅんすい
の進歩的な藩主たちである。中でも光圀は朱舜水
(第2話
いえ、
近世の教育の普及に大きな役割を果たしたのである。
【発行】水戸市 ☎029・224・1111(代表)
〒310~8610 水戸市中央1~4~1
主として有名だ。
参照)
を儒学教育の顧問に招き、儒学の普及に専心した藩
治」
と呼ばれている。
この時期、文治政治の影響により全国で学校建設が始
まるが、学校ではなく歴史書編さん所の創設を優先した
幕府は、武力による抑圧ではなく、儒学の普及・浸透に
とされている。
〝徳川の平和〟
とも呼ばれ、江戸時代の大きな特徴の一つ
ていた。ところが明暦3
(1657)
年、江戸で大火災
(明
18
世界史上、ここまで戦争のない状態が持続したのは、
江戸時代をおいて他にない。この世界最長の平和の世は
20
ものがたり」。今回のキーワードは「平和」と「文治政治」です。
日本遺産に認定された「近世日本の教育遺産群―学ぶ心・礼節の本源―」の歴史的魅力を語る「日本遺産
―近世日本の教育遺産群―
広報みと
日本遺産構成文化財
大日本史
水戸市の人口 人口…270,804人(男132,720人、女138,084人) 世帯数…118,417世帯 -平成28年5月1日現在(平成27年国勢調査速報値基準)-