日本遺産ものがたり 年2月1日号 第1399号 平成 29 三の丸小学校 (三の丸1) 第 話 東洋と西洋、学びの融合 11 のがたり」。今回のキーワードは「近代教育」です。 (1872)年、明治政府は 「学制」を発布し、義務 明 治5 教育を含む、西洋の教育制度を導入した。これは古代以来、 学問の根本であった儒学教育から、近代教育への切替えを ゆ の先覚者となった豊田芙雄などが有名だ。 い」 という自主性を教育の基本としていたから、切替えはそ すべての子どもに教育を義務づける─―現代では当たり 前のことだが、江戸時代は教育を強制せず、本人の 「学びた 内に建つ閑谷中学校の校舎は国の登録文化財となっている。 和 まで、実に 約300年 間にわたり 存 続 し、現 在、敷 地 た旧藩士たちが立ち上がり、閑谷中学校として再興された。 また、江戸時代の学舎も近代学校の校舎に活用された。 しずたに 「唯一無二の美しい学校」 と言われた閑谷学校は明 かつて 治以 後に廃 校となったが、学 舎 が失われることを憂 慮し う簡単ではなかった。事実、各地で学制反対一揆が起き、近 一方、弘道館は水戸城内という一等地にあったため、明 治以 後は県 庁 舎として利用されたが、水戸の近 代 教 育の 発展と無関係ではなかった。市内唯一の高等小学校であっ 館 や 医 学 館 が あ った 部 分 全 域 が 小 学 校 敷 地 と し て 活 用 さ この状況を打開するため、政府は一計を案じた。新たな 学校を建設し、外国人教師を招くのではなく、人々になじ ここに、江戸の学びと近代の学び、言い換えれば、東洋の れた。これが現在の三の丸小学校である。 校の分 教 室としていたが、や がて弘 道 館 敷 地のう ち、武 学びと西洋の学びとの融合が図られたのである。 閑谷学校や弘道館のように、現存する近世の教育遺産 の近 くには近 現 代の学 校 があるケースが多い。こうした た水 戸 市 高 等 小 学 校は、当 初、弘 道 館の建 物の一部 を学 小学校の教師は、寺子屋の師匠が担った。彼らの多くは 藩校や私塾の出身者で、高水準の教育をマスターしていた。 景観は、一見するとアンバランスに見えるかもしれないが、 か、と考えたのだ。そしてこの案はただちに実行に移された。 そのため、世界史や世界地理などの新たな知識をすぐに吸 証であり、我が国の近代教育の基礎が、江戸の学びにあっ 実は東 洋と西 洋の学 びの融 合という、教 育 変 革の歴 史の 【編集】 みとの魅力発信課 ☎029・232・9107 029・224・5188 [email protected] 水戸市 歴史文化財課 関口慶久 たことを物語る、貴重な景観なのである。 あかし 収し、生徒へ的確に教えることができた。大学の教授陣に ち そ う 【発行】水戸市 ☎029・224・1111(代表) 〒310~8610 水戸市中央1~4~1 京帝国大学教授となった栗田寛や内藤耻叟、女子高等教育 ひろし 出身者が増えていった。水戸藩出身の教育者としては、東 ついても、最初はお雇い外国人が多かったが、次第に藩校 みのある近世の学舎や師匠を近代教育に組み入れてはどう 近 代 学 校として生まれ変わった閑 谷 学 校は、江戸から昭 代教育は最初からつまずいてしまった。 図る、我が国の教育の一大変革であった。 ふ 日本遺産に認定された「近世日本の教育遺産群―学ぶ心・礼節の本源―」の歴史的魅力を語る「日本遺産も ―近世日本の教育遺産群― 広報みと 日本遺産構成文化財 閑谷学校内 旧閑谷中学校 (岡山県備前市、現閑谷学校資料館) 水戸市の人口 人口…271,082人(男132,923人、女138,159人) 世帯数…119,088世帯 -平成29年1月1日現在(平成27年国勢調査確定値基準)-
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