日 本 遺 産 も の が た り

日本遺産構成文化財 閑谷学校
(岡山県備前市)
第5話
教育先進藩、学校を建てる
日本遺産に認定された「近世日本の教育遺産群―学ぶ心・礼節の本源―」の歴史的魅力を語る「日本
を 受 け た い と い う 者 も 少 な く な か っ た。 そ う し た
く の 人 々 が 読 み 書 き を 学 び、 さ ら に 高 い 水 準 の 教 育
江 戸 時 代 は、 こ れ ま で に な く 多 く の 学 校 が 建 て ら
れ た 時 代 で あ っ た。 文 字 社 会 の 広 が り に よ っ て、 多
の 学 校 と な っ た。 さ ら に、 維 持 費 を 賄 う た め の 専 用
教 育 を 受 け る の に 充 分 な 建 物 が 建 ち 並 ぶ、 当 代 随 一
谷学校は、壮麗な講堂を中心に、孔子廟、文庫など、
建 設 に 当 た っ た。 こ う し て 精 魂 込 め て 建 て ら れ た 閑
遺産ものがたり」。今回のキーワードは「学校」です。
人 々 の 教 育 熱 に 応 え る た め に も、 多 く の 学 校 建 設 が
の 山 林・ 田 畑 も 備 え ら れ、 例 え 将 来 的 に 池 田 家 が 国
け る 情 熱 を く み、 工 事 現 場 に 引 越 し、 住 込 み で 学 校
必要だったのである。
るよう配慮するほどの徹底ぶりであった。
古堂を、水戸藩の徳川光圀は彰考館(日本遺産構成文
と す る 機 運 を 向 上 さ せ た。 そ し て、 町 人 や 村 人 が 学
閑 谷 学 校 を は じ め と す る、 教 育 先 進 藩 の 学 校 建 設
は、 町 人 や 村 人 自 ら が 師 匠 と な り、 学 校 を 建 て よ う
替 え や 取 潰 し に な っ て も、 学 校 が 自 立 し て 運 営 で き
江 戸 時 代 前 期 に 学 校 建 設 を リ ー ド し た の が、 熱 心
に儒学教育を行った「教育先進藩」の藩主たちである。
化財)をそれぞれ建設し、教育の普及に大きな役割を
校を建てる際、藩は原則として許可申請を求めなかっ
尾 張 藩 の 徳 川 義 直 は 聖 堂 を、 会 津 藩 の 保 科 正 之 は 稽
果たした。
教 え た い 人 が 自 由 に 教 え る こ と が で き た の で あ る。
こ の よ う な 自 由 な 教 育 環 境 は、 当 時 の 東 ア ジ ア 社 会
た。そのため、江戸時代は、建てたい人が自由に建て、
文
同 じ 教 育 先 進 藩 で あ る 岡 山 藩 の 池 田 光 政 が、しず寛
たに
( 1 6 7 0)年 に 建 設 し た 日 本 最 古 の 郷 校、 閑 谷 学
校は、我が国の学校建築の中でも異彩を放つ存在だ。
でも珍しいものであった。
㎞も離れた
こ う し た 中、 幕 府 官 学、 藩 校、 郷 校、 私 塾、 寺 子
屋 と い っ た さ ま ざ ま な 種 類 の 学 校 が、 全 国 津 々 浦 々
と こ ろ だ が、 閑 谷 学 校 は 城 下 町 か ら 約
山奥に建っている。この人里離れた風光明媚な地に、
ま で 建 て ら れ る よ う に な り、 江 戸 の 学 び は 大 き く 発
び
光政は儒学教育の理想郷を見出したのである。
展していくこととなった。
【編集】
みとの魅力発信課 ☎029・232・9107
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水戸市 歴史文化財課 関口慶久
光 政 は、 土 木 工 事 の 名 人 と し て 有 名 だ っ た 津 田 永
忠 に 学 校 建 設 を 命 じ た。 永 忠 は 主 君 の 閑 谷 学 校 に か
普 通 で あ れ ば、 通 学 し や す い 城 下 町 に 学 校 を 建 て る
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日本遺産ものがたり
年 月1日号 第1387号
平成
8
―近世日本の教育遺産群―
広報みと
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水戸市の人口 人口…270,954人(男132,791人、女138,163人) 世帯数…118,659世帯 -平成28年7月1日現在(平成27年国勢調査速報値基準)-