Title 東北日本における開拓地の地理学的研究( Abstract_要旨 )

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東北日本における開拓地の地理学的研究( Abstract_要旨 )
渡辺, 茂蔵
Kyoto University (京都大学)
1965-12-14
http://hdl.handle.net/2433/211665
Right
Type
Textversion
Thesis or Dissertation
none
Kyoto University
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博
士
学 位 の 種 類
文
学 位 記 番 号
論 文 博 第 18 号
学位授与の 日付
昭 和 40 年 12 月 14 日
学位授与の要件
学 位 規 則 第 5 粂 第 2 項 該 当
学位論文題目
末北 日本 における開拓地の地理学的研究
論 文 調 査 委員
教 授 織 田 武 雄
(主
学
査)
論
文
内
教 授 小葉 田
容
の
要
津
教 授
旨
本論文 は第 1 篇 3 章, 第 2 篇 9 章の 2 篇 よ り成 り, 戦後の開拓を主眼 として, 明治以降におけるわが国
の 開拓政策 によ って造成 された開拓地の地理学的な諸問題 を, 東北地方の多 くの事例に基づいて論述 して
い る。
開拓事業を遂行す るには, 広大 な開拓地 の取得や開発, 経営 に多大の資金 を要す るため, 国家の援助を
必要 とす るのみな らず, 国家 として も失業救済や食糧増産な ど, それぞれの時代の社会的経済 的要請に応
じた開拓政策が必要 である。 第 1 篇 はいはば本論文の序説 に当るものであ り, 明治維新か ら今次の終戦前
までの, わが国の開拓政策 と開拓事業の変遷 を論 じてい るが, この期間におけ る最 も新著な開拓事業は,
明治維新 によ って失禄 した士族を救済す るために行 なわれた士族授産の開拓 である。 著者 は東北諸藩の事
例 によ って, 士族授産の開拓 は, 江戸時代の新 田開拓 と異 って開畑開拓が主 であ り, 栽培作物 も明治政府
の殖 産興業策 によ って桑 ・ 茶 ・ 楕 ・ 遭粟 (さとうもろこし)な どの換金作物が食糧作物に先行 し, なかには
純然 た る牧場開拓 まで行 われた こと, また 自藩 内に開拓適地が存在 しない場合 には, 弘前藩 ・ 相馬藩 にみ
られたよ うに, 農民 の耕地を強制的に買収 して士族を帰農せ しめた ことなどを明 らかに してい る。 しか し
士族授産の開拓が, 開拓資金 の貸与, 鍬下年季の設定による免税措置 などが行 われたにもかかわ らず, 坐
般的には成果を収めず多数の脱落者をみた理 由として, 著者 は士族の多 くが農業 に未経験であ った上に,
適切 な指導を欠 いていた こと, また明治 14- 15 年のデフレ政 策による全国的不況が, 換金作物 を主 とす る
開拓地 の農業 に大 きな打撃を与えた ことを指摘 してい る。
なお士族授産以後の開拓 としては, 明治後期の耕地整理法, 大正年代の開墾助成法の施行 に ともな う開
拓事業が挙 げ られ るが, 耕地整理法は専 ら畑地の水 田化を 目的 とす る土地改良事業 に重点が置かれ, 開墾
助成法において も個人的営利開墾事業 に止 ま り, また昭和初期か ら戦時中にかけては清洲開拓移民政策が
積極 的に着手 された。 従 って著者 は, 士族授産の開拓以後 は, それに匹敵す るほどの開拓事業 は, 少な く
とも内地では行 われなか った とみな してい る。
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第 2 篇 では戦後 の開拓 について, 東北諸県の開拓地 の実態調査 に基づいて詳述 してい る。 戦後 の開拓政
策 は, 士族授産の開拓 の場合 と異 って, 失業者や 引揚者 の救 済 の 目的のほかに, 戦後 の逼迫 した食糧事情
によ る食糧増産の 目的が加 ってい るのが特色 で あ り, そのため, 全 国 に155万町歩 の土地 を開墾 し, 100万
戸 を入植せ しめ る大規模 な計画で あ った。 しか し20年後 の現在 の実績 が示す ところによれ ば, 開拓耕地 は
40万町歩, 入植農家 は13万戸 に過 ぎない。
それは当初 の計画の算定が戦後 の混乱期 で杜撰 であ った ことは否めない に して も, 開拓適地 と指定 され
た土地 の大部分が, 耕 作高距 限界 に近 い高 冷地 に しか残 っていないため, 著者 は地形 ・ 気候 ・ 土壌 な どの
自然的条件 について低暖地 と比較 して, 高 冷地 の 自然的条件が戦後 の開拓 を 困難 な らしめた ことを論証 し
て い る。 またその対策の一 つ として, 著者 は月山山麓 の弓張平 開拓地 で行 った気象観測の結果 によ り, 高
冷地 の農地造成 には防風林 の効果が大 であることを認めて い る。
戦後 の繭拓地 の農 業経営 において も, 士族授産の開拓 にみ られ た と同 じく, 自然 的条件の ほかに, 入植
者 の素質や資金, 開拓地 の交通 な どの立地条件 も関係 す るところが大 で あ るが, 元来, 水利 に恵 まれない
開拓地 では, 大部分が畑作経営 によ らねばな らない。 しか し従来 わが国の農業 は水 田農業 に偏 してい るた
め, 畑作経 営 には経 験 も乏 し く, 殊 に戦後 は, 食糧生産 に重点を置 く畑作経営 を一律 に開拓地 に 導 入 せ
しめ よ うと した ことが, 開拓事業の成果 を阻害せ しめ た原 因で あ ると著者 はみな してい る。 従 って戦後 20
年 を経過 した開拓地農業 は, 戦後 の不安定 な時期を よ うや く脱 して, 地域 に即 した畑作経営を確立すべ き
転換期 に達 した と論 じ, 山形 県内の開拓地 の調査 に基づ いて, 東北地方の開拓地 に適応 した畑作経 営 とし
て,
「穀衣 ・ 果樹 」, 「酪農 ・ 果樹 」, 「酪農 ・ 疏菜」 , 「穀萩 ・ 肉畜」 な どの経営形 態を設定 してい る。
・また最後 に, 著者 は今後 の開拓計画 について も言及 して い る。 士族授産以来 の開拓 によ って, 立地条件
にす ぐれた開拓適地 は現在 では殆 ど残存 していないため, 従来 の よ うな小規模 な人力開墾 では限界 に達 し
て い る。 しか し大規模 な機械開墾 を行 えば農地造成 は可能 で あ り, 東北地方 では岩木 山 ・ 月山 ・ 八 甲 田山
山麓や青森 県西 海岸 ・ 会津南部地 区な どが, 大規模開墾 の適地 として想定 し得 るとい う。
なお 「乱川扇状地 の開発」 ほか 2 篇 の参考論 文 も, 本論文の基礎 的研究をなす ものである。
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
明治維新 以後 の開拓 についての研究 は, 北 海道の開拓 に関す るもの以外 は, まだ極 めて限 られてい る。
従 って, 明治時代 か ら北海道 についで開拓 の多 く行 われ た東北地方 について は, 著者 の研究 によ って は じ
めて, 士族 授産 よ り戦後 に至 るまでの開拓 の全貌 が解 明 され た と言 い得 る。 殊 に戦後の開拓 が, 当初 の計
画をは るかに下廻 る耕地や入植者 しか獲得 され なか った原因 について, 著者 は開拓地 の詳細 な調査 に基づ
いて究 明 し, 開拓地 の大部分が高 冷地 で あ り, 適切 な畑地経営 につ いての経験や指導が欠如 し て い た た
め, 戦後の開拓 が阻害 され た ことを明かに したの ほ, 従来 み られなか った著者独 自の研究 と認め られ るo
ただ士族授産の開拓 について は, 史料 の不足 もあ って, 記述がやや断片的で あ り, 東北地方の開拓 と密
接 な関係を有 す る北 海道の開拓 について, 僅 か しか触 れていないの は惜 しまれ るが, 著者 が開拓 に関す る
広汎 な問題 を多年 の研究 によ って解 明 した努力 は高 く評価 さるべ きであ り, また今後 の開拓計画 に も, 寄
与す るところは少 な くないで あろ う。
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よって, 本論文は文学博士の学位論文 として価値 あるもの と認め る。
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