高齢者の慢性痛とその対策

高齢者の慢性痛とその対策
札幌医科大学医学部整形外科学講座 教授
山下 敏彦
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 高齢者の痛みの特徴
わが国の大規模疫学調査によると、慢性痛
加齢により下行性疼痛抑制系の機能不全や
の有病率は年齢とともに高くなる(図 1)1)
。加
侵害受容ニューロン活動の増強が起こる 3)
、高
齢により脊柱・関節の退行変性が進行し、腰
齢者では痛みの感受性が増加する 4)などの報
痛や膝、肩などの関節痛が増加することが背景
告がある。これに対し、高齢者では痛みの閾
にある。
値が 12 〜 25%上昇する 5)
、皮膚における痛点
一方、高齢者における骨粗鬆症性椎体骨折
の数が減少する 6)などの正反対の報告もある。
の2/3 は痛みを伴わない骨折(形態骨折)2)で
このように高齢者が痛みを感じやすいのか、鈍
あることなどから、高齢者では痛みに対する感
感なのかは議論の別れるところである。
受性が低いのではないかとの推論がある。こ
一方、Harkins
れに対し、加齢に伴い侵害受容機能が亢進す
は年齢による変化はないとしている。また、生
る、すなわち痛みを感じやすくなるとの研究報
理学的には年齢による痛みの感受性に差はな
告もあり、議論の分かれるところである。
く、心理学的な受けとめ方の感度が加齢によっ
本 稿では、高齢 者における痛みの特徴と、
て低下するとの報告もある 8)
。さらに、高齢者
慢性痛に対する対処法について概説する。
における認知機能の問題も痛みの感受性と大き
7)は、痛みの閾値や耐性に
プロフィール
Toshihiko Yamashita
最終学歴 1983 年 札幌医科大学医学部卒 1987 年 札幌医科大学大学院卒業 主な職歴 1988 年 ウェイン州立 大学(米国)
ポスドク・フェロー 1994 年 市立室蘭総合病院整形外科科長 1996 年 札幌医科大学整形外科講師 1999 年 札幌医科大学整
形外科助教授 2002 年 札幌医科大学整形外科教授 2014 年 札幌医科大学附属病院長 専門分野 整形外科(なかでも脊椎・脊
髄外科)
、運動器疼痛、スポーツ医学 受賞歴 1995 年 日本整形外科学会、学会奨励賞、1995 年 米国整形外科アカデミー(AAOS)
Kappa Delta Award、2008 年 北海道知事賞、北海道医師会賞
35
高齢者の慢性痛とその対策
く関わってくる。一般に認知機能が低下すると、
は、動作時痛の有無や疼痛誘発テストの所見も
痛みに対する感受性が低下するが、中程度の
必要となるが、高齢者においては急激な動きや
認知機能の低下では、
「痛みを我慢する」とい
強い刺激を与えないよう留意すべきである。
う抑制がきかず、痛みの訴えが強くなることが
画像検査では、高齢者の場合ほとんどの症
ある。一方、重度の認知症になると、痛みをあ
例で何らかの異常所見を認めるが、無症候性
まり訴えなくなるとされる 9)
。
の場合が多い。その所見が、現在訴えている
症状の原因として合理的かどうかを、身体所見
Ⅲ. 高齢者の痛みの診断
等と併せて慎重に検討すべきである。
痛みの診断においては、高齢者に限らず詳
細な問診と身体所見・神経学的所見の精査が
Ⅳ. 高齢者の慢性痛の治療
重要である。
1. 薬物療法
問診においては、高齢者の場合ともすれば
慢性痛治療薬のほとんどは、何らかの副作
話が取りとめもなくなったり、長くなったりしが
用を有する。高齢者では、その副作用が発現
ちである。ある程度は、要点が明らかになるよ
しやすく、程度も大きくなる傾向がある。鎮痛
う医師が誘導することも必要である。また、家
効果があっても、副作用のために、処方の中止
族から補足的な説明を受けることも考慮する。
や薬剤の減量を余儀なくされることがある。
高齢者では、内科等の合併症を有する場合が
非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)では、
多いので、他院での治療歴や現在服用してい
消化管障害や腎機能障害に注意すべきである。
る薬の聴取は重要である。
予防薬を使用しない場合、NSAIDsによる胃潰
理学的所見や神経学的所見の検査において
瘍の発生率は4 〜 43%にのぼるとされる。予
(%)
※慢性疼痛保有者の平均年齢 46.3歳
19.0
17.0
年代別慢性疼痛保有率
15.4%
(1,400名)
15.0
12.9%
(719名)
13.0
11.0
9.0
9.2%
(336名)
7.0
5.0
18∼29歳
(3,660名)
30∼49歳
(5,560名)
図1 慢性痛保有率と年齢(文献1より引用)
36
50歳以上
(9,080名)
高齢者の慢性痛とその対策
防薬としては、プロトンポンプ阻害薬(ランソプ
高齢者では内科的合併症等のため、すでに
ラゾール、エソメプラゾール)などが用いられる
多くの薬剤を服用している場合がしばしばあ
10)
。また、NSAIDsを投与した患者の1 〜
5%
る。新たな薬剤を処方する場合には、処方され
に腎機能障害が生じるとされる 11)
。加齢により
ている薬剤を全て持参してもらうか、
「お薬手
薬物排泄能が低下し、薬剤効果の増強や遷延
帳」などを見せてもらい、薬物の重複や相互作
が起こるため、薬剤の減量を検討する必要が
用に十分注意することが必要である。
ある。NSAIDsは、心筋梗塞などの心血管障
害のリスクも上げる 12)
。
2. 理学療法
神経障害性疼痛では第一選択薬としてプレ
理学療法は重要な治療手段と言える。温熱・
ガバリンが用いられるが、ふらつき、浮腫など
電気療法などの物理療法と、ストレッチングや
の副作用に注意すべきである。とくに高齢者で
筋力訓練などの運動療法からなる。近年、とく
は、昏倒するような形での転倒がしばしば起こ
に運動療法の疼痛治療における重要性が強調
り、骨折などの危険性も高まるので注意が必要
されている。高齢者の慢性痛患者では、廃用
である。
性の筋萎縮や脊柱・下肢アライメントの異常を
オピオイドでは、便秘や吐き気、傾眠などの
伴う場合が多い。運動療法による脊柱・関節
副作用が比較的高率に発生する。高齢者では、
可動域の回復や姿勢の改善は疼痛の軽減に有
消化管の蠕動運動が低下しているが、オピオイ
効である。
ドはさらにこれを助長し、消化管からの消化酵
それに加えて、運動療法を継続することや周
素分泌も抑制する 13)
。オピオイド(モルヒネ以
囲からの励ましによるモチベーションアップが、
外)は、肝臓のチトクロムP450 で代謝されるが、
脳内のドパミン・システムに影響し鎮痛効果をも
加齢に伴う肝機能低下により、鎮痛作用や副作
たらすことが指摘されている(図 2)15、16)
。また
用発現に影響する可能性がある 14)
。
近年、筋収縮に伴い産生・分泌されるcytokine
運動療法
モチベーション・アップ
中脳
ドパミン
淡蒼球、側坐核
µ−オピオイド
鎮痛
図2 運動療法と脳内鎮痛メカニズム
運動療法自体やそれを継続することによるモチベーションアップにより、中脳からphasic dopamineが放出
される。それが淡蒼球や側坐核に作用し、鎮痛物質であるμ-opioidが放出され鎮痛効果をもたらす。
(文献
15より改変引用)
37
高齢者の慢性痛とその対策
(myokine)や、筋収縮時に発現する転写調節
行われるようになっている。しかし、手術の実
因子 PPAR-γとその共活性因子 PGC1-αが抗
施にあたっては、まず患者の全身状態、合併
炎症作用を有することが明らかにされている。
症の有無・重症度などを詳細に検索することが
運動を行うことにより、全身の慢性炎症が抑制
必要である。必要に応じて、内科や麻酔科へ
される可能性がある。さらに、PGC1-αは、骨
のコンサルテーションを考慮する。また、本人
格筋線維を発達させ筋萎縮を防ぐ作用も担って
および家族から十分なインフォームド・コンセン
いる。すなわちサルコペニアの予防にも寄与す
トを得ることが極めて重要であることは言うま
ると考えられている(図 3)17)
。
でもない。
3. 手術療法
4. 心理療法
保存療法の無効症例に対しては、手術療法
高齢者の慢性痛症例では、抑うつ、孤独や
の適応が考慮される。侵害受容性疼痛に対す
疎外感、認知機能の低下などの心理・社会的
る手術療法としては、炎症等による発痛組織の
要因が関与していることが少なくない 18)
。また、
除去を目的とする人工関節置換術、病巣掻爬
家庭環境もしばしば痛みの遷延化に関与する。
術などがある。また、脊柱・関節の不安定性に
周囲の関心を引くために痛みを訴える「オペラ
よる侵害刺激の除去を目的とするものに、脊椎
ント学習型」の慢性痛は老人や子供に多いと
固定術、椎体形成術、関節固定術などがある。
される。高齢者の場合、配偶者の喪失に伴う
一方、神経障害性疼痛に対しては、椎弓切除術、
情緒的変化も痛みを悪化させる要因となってい
椎間板切除術、神経剥離術、神経移所術など
る 19)
。
の神経除圧手術の適応が考慮される。
心理・社会的要因が関与し、難治性の臨床
近年では、活動性の高い高齢者が増えてお
像を呈する症例に対しては、認知行動療法が
り、QOL の向上を目的とした手術が積極的に
有効であるとされている。Raidら 20)は、認知
運動器活動
炎症性サイトカインの抑制
慢性疾患の防止
活性酸素の抑制
ミ
トコンドリア機能向上
骨格筋関連タンパクの生成
骨格筋量と筋力の増加
白色脂肪から褐色脂肪へ
分化促進
サルコペニアと筋萎縮の防止
FOXOを抑制
神経筋接合部の機能制御
微小血管の新生
PGC1ーα
不活発な日常
慢性炎症
2型糖尿病, 動脈硬化, がん
脳変性疾患, 慢性肺疾患,
サルコペニア
図3 運動器活動によるPGC1-αの発現とその生理作用(文献17より引用)
38
高齢者の慢性痛とその対策
行動療法は、高齢の慢性痛患者に対しても、
高齢者に対する血圧計を用いた疼痛評価の検
成人の患者と同様に有効であることを示してい
討.疼痛閾値と認知機能の関係性.名古屋学
る。認知行動療法の実践には、複数の診療科
院大学論集 医学・健康科学・スポーツ科学篇
や職種が参加した集学的(multidisciplinary)
2014; 3: 1−6.
なアプローチが必要となる。わが国においても、
5)北川公路:老年期の感覚機能の低下.日常
ペインセンターの開設など、慢性痛の集学的診
生活への影響.駒沢大学心理学論集:KARP
療体制が整備されることが望まれる。
2004; 6: 53−59.
Ⅴ. おわりに
6)山野井昇:加齢と皮膚感覚.繊維学会誌
1998; 54: 237−241.
7)Ha rkins SW:G eriatric pain . Pain
高齢者では、体力や認知能力に関して個体
perceptions in the old. Clinical Geriatric
差が顕著になる。したがって、単に歴年齢から
Medicine 1996; 12: 435−459.
判断するのではなく、個々の身体機能、認知
8) 佐 藤 昭夫:老 年 者と痛み.CLINICIAN
機能の状態に応じた痛みへの対応が必要とな
1985; 32: 966−970.
る。また、合併症や薬剤の副作用、高齢者特
9)伊藤久:高齢者における慢性痛の現状:痛
有の心理状態などへの配慮が求められる。
み治療の現場から. Geriat Med 2015; 53: 925−
一般の慢性痛診療と同様に、高齢者におい
928.
ても完全な除痛にこだわらず、
「痛みのために
10)Gra ha m DY et a l .:Prevention of
できないこと」ではなく「痛みがあってもできる
N S A I D - i nduc e d g a s t r ic u lc e r w it h
こと」を意識する前向きな考え方で、QOL の向
misoprostol: Multicentre, double-blind
上を目指していくよう指導することが肝要であ
placebo -controlled trial. Lancet 1988; 2: 1277
る。
−1280.
文 献
11)Whelton A, et al.:Nonsteroidal antiinflammatory drugs: effects on kidney
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高齢者の慢性痛とその対策
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