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朝鮮の詩心の行方 : 金素雲訳『朝鮮詩集』の翻訳の問題
と可能性
呉, 世宗
言語社会, 2: 274-293
2008-03-31
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/16508
Right
Hitotsubashi University Repository
学生投稿論説
朝鮮の詩心の行方
金素雲訳﹃朝鮮詩集﹄の翻訳の問題と可能性
呉世宗
は島崎藤村、佐藤春夫、李一株、巻頭のスケッチ画には高村光
の朝鮮現代詩のアンソロジーとして話題を読んだ。その序文に
金素雲︵−︶訳﹃乳色の雲﹄︵河出書房、 九四〇年︶は、日本初
はざまで正当に位置づけられてこなかった。、
待遇を受け、しかし結果的に両国の言語的、文化的、時代的な
も持った。それ故にこの訳業は、韓国と日本において対照的な
語・母国語としない者による日本語訳という極めて特異な特徴
そのような時代状況もあって、この翻訳作品は、日本語を母
本語に翻訳された時期︵2︶でもあった。
太郎、題字には山口玄珠、といった当時の詩壇、画壇の忙々た
韓国では、この作品は親日文学と見なされ、ほぼ評価の対象
一 はじめに
るメンバーが配されており、評価の高さをうかがわせる。だが、
対照的に日本では、﹃乳色の雲﹄から戦後の﹃朝鮮詩集﹄に
外として黙殺され続けた。
文学的な危機の時期であった。また同時に金允植が指摘するよ
至るまで︵3︶、古文調で雅語を多用したその翻訳が、人々の好意
この作品が出版された一九四〇年は、言うまでもなく時代的・
うに、朝鮮人の心理把握のために多くの朝鮮語の文学作品が日
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号
第
会
社
語
言
ながりを持った友﹂︵4︶であることを、﹃朝鮮詩集﹄から読み取る
と詩魂の限りでは、日本と朝鮮とは互いに敵ではなく、深いつ
を持って受け入れられてきた。一連の好意的な受容は、﹁文化
した文体も作用していることは間違いない。だが他方で、﹃朝
このような待遇の要因に、金素雲の翻訳法及びそれがもたら
ある。
﹃朝鮮詩集﹄は日本と韓国において長い間放置されてきたので
鮮詩集﹄を注意深く読むならば、諸手晶と彼の方法論の問には
点で共通する。しかしこの受容は、今では周知のことだが、
﹃乳色の雲﹄に載せられた佐藤春夫の序文タイトル﹁朝鮮の詩
みは二重となる。一つは歪曲・曲解ともいえる金素雲の翻訳の
方法論とそれを支える思想を原詩との比較によって抽出するこ
制御し切れない齪齢があるようにも見える。そのため本稿の試
鮮半島に浮かび上がった﹁純粋なアジアの詩心﹂を、日本から
と。そしてもう一つはその方法論と照らし合わせながら、そこ
人等を内地の詩壇に迎へんとするの辞﹂が示すように、矛盾を
失われつつある﹁なつかしいものと﹂見る点で、先の見解をよ
から作品が逸脱していく様を詩中より掘り起こしてみること。
含むものであった︵5︶。佐藤は、欧米の文化的影響を免れた、朝
りノスタルジックに共有している。だが佐藤は、朝鮮語は﹁廃
留まらない﹁朝鮮の詩心﹂の行方を、﹃朝鮮詩集﹄から探るこ
すなわち本稿はハ金素雲の方法論とその結果としての作品を批
している の で あ る ︵ 6 ︶ 。
とに繋がっているはずである。なお﹃朝鮮詩集﹄に関しては、
滅せんとする言葉﹂であり、朝鮮人は﹁敢然として日常の生活
つまり﹃朝鮮詩集﹄は、﹁詩魂﹂の類似性故に肯定的に受容
金素雲自身が定本とする岩波文庫版を用いる。また訳文比較の
ことを試みるものである。このことは、日本文学という領域に
されただけではない。その遅れたものである﹁詩心﹂が、従属
ために、近年、逐語訳的に翻訳し、雑誌﹃績﹄に掲載された
判的に問い直すことで、﹃朝鮮詩集﹄を新たに位置づけなおす
.的に日本︵語︶に同化し、かつ補完するものと見なされたから
︵一∼一二号、もず工房、二〇〇一∼七年目金時鐘訳﹃朝鮮詩集﹄
でノスタルジーだけでなく、剥き出しのコロニアリズムも露に
こそ.受け入れられて来たとも言える。その後も﹁朝鮮の詩
から引いたものは脚注に載せた。
から批棄﹂すべきだとも述べており、金素雲の翻訳の賞賛の影
心﹂︵7︶は、原詩との比較検証さえなされないまま﹃朝鮮詩集﹄
によって体現され、今道友信や芳賀徹などから賞賛され続けて
きた︹8︶。このようなコロニアルな矛盾を一身にまとったため、
方
の
行
朝
の
心
詩
鮮
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2
二
﹃朝鮮詩集﹄の基調
1﹁半創作﹂的翻訳の核心
ヰ﹂τ ユ ユ・ズ音ロ丁赴司神考脅q叫.
叫﹂τ司響釧詩人音斗壱脅q叫.
嬰斗鞍擁 至ユ・呈 オ型銀祉司
釧呈。丁叫叫音司エ 潮エ 刈﹂τ斐対唱
ここでは金素雲が﹁半創作﹂︵9︶と自ら述べる翻訳行為の基調
叫﹂τユ三己d蓋⊥﹂詩を社せ脅司4.︵B︶
を通して表現するという、詩集全体の基本的な音調﹂が宣言さ
このタイトル変更によってハ﹁隠された心情を朦朧とした隠喩
野にひとり咲いては繋るる
色や香やいつれ劣らぬ
愛ほしや野に咲く菊の
野菊︵金素雲訳︶
を見ていきたい。四方田犬彦は、﹃朝鮮詩集﹄︵岩波文庫版︶の
基調となる作品を、巻頭に収められた韓龍雲﹁桐の葉﹂として
いる︵01︶。この﹁桐の葉﹂の原詩タイトルは﹁せ人丁銀聖運﹂で
れたと見ている︵H︶。巻頭に置かれた作品がその詩集全体の基調
花ゆゑにいよよ香し。.
あり、直訳すれば﹁知りようがないのです﹂となる。四方田は
をなすというのは、一般的には妥当な見解である。だが﹃朝鮮
野の花のこころさながら
偽らぬうたぞうれしき。︵41︶
ひとり咲き ひとり朽ちつつ
この國に生へる弾入
うたびと
詩集﹄においては、﹁桐の葉﹂よりも、さらには藤村や春夫の
﹁野菊﹂を挙げるべきだろう︵尼︶。
序文よりも前に置かれ、銘の役割を果たしている作品、異河潤
号号針
うに、極端な言葉の刈り込み、構文の改変、原詩にない詩句の.
読んで明らかなように、金素雲訳では、五七調に合わせるよ
峠﹂τ三州 屯 号叫己冒 4噛脅司叫.
変わってしまっている。大きく変更されたものとして、作品の
追加などが見られる。その結果、全体のニュアンスが本質的に
外。斗撚州羽エ 刈﹂τユ声望司
嬰叫書71州と裂叫昊朴刈鰭三帰
認。て 号朔
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号
第
言
語
会
社
原詩にはない﹁生へる﹂が入ることで﹁野菊﹂と﹁詩評﹂が重
第二連の﹁この國に生へる詩人﹂というフレーズにおいて、
内在的論理の変更に関して見ていく。
内在的論理巴作者主体の位置付けが挙げられる。まずは作品の
主語であるダ峠”︵私︶が省略されている。しかしそれに代わ.
次に作者主体の変更を見ていく。翻訳では、.一、二連ともに
という論理の変更がなされている。
ように、原詩の花11詩という論理に対し、翻訳は花一−詩人“詩
性を拒む非自然の寓意性を新たに獲得したとさえ言える。この
その結果、﹁この國﹂.の﹁詩人﹂は野生的・自然的に発生し、
では、﹁咲き﹂﹁朽ちつつ﹂は﹁詩人﹂にかかってしまっている。
散る︶のは﹁詩人﹂ではなく﹁詩﹂であるところが、金素雲訳
そのため原詩においては、花のように“判ユ刈Lτ”︵咲いて
大されている。“曽”︵地︶を﹁國﹂と訳すことは、日本と対比
さらにこの暗示される﹁私﹂は、詩人という属性を超えて拡
暗示されている。
想う﹁私﹂は、省略されながらも、逆説的に作品の外部に強く
の表出を示す言葉が挿入されることで、﹁野菊﹂や﹁詩人﹂を
って、原詩にはない﹁香し﹂や﹁うれしき﹂という臭覚や感情
ね合わせられ、またこの自然性を基調とするイメージの連続性
誰知ることなく﹁ひとり咲き﹂、自然の摂理に従い﹁ひとり朽
が同時にその﹁國﹂の﹁詩人﹂を自然と一体化した者として均
される形で、より鮮明に﹁朝鮮﹂をクローズアップさせ、それ
によって、 一、二連が緊密に結び付けられている。
﹁うた﹂も、自然性を強く帯びることになる。翻訳において
質的に表象する結果になっている。そのため第一に、作品の内
ち﹂る者となる。それのみならずこのような詩人から生まれる
﹁偽らぬうた﹂とは、この自然的な生から生まれる自然な﹁う
部にありつつも外部に位置する﹁私﹂は、この﹁國﹂を外から
っている。それに関連して第二に、外部化される﹁私﹂は、
た﹂に他ならない。
は、金素雲訳がもたらすような自然性のロジック.に取り込まれ
﹁偽らぬうた﹂かどうか判定する批評家的役割を果たしている。
まなざす者として、対象を包括し取り込んでしまヶ集束点とな
ていない。そこから原詩の﹁詩人﹂たちは、“到−。丁痔”︵亡し
この﹁偽らぬうた﹂は、先に見た内在的論理の変更により、金
それに対し原詩では、花、詩人、詩は愛されても、﹁詩人﹂
く︶とも。叫野土主”︵思いのまま︶に﹁咲き散る﹂花のよう
素雲自身の価値基準が強く反映されたものである。そのため第
三に、この批評家としての﹁私﹂には、翻訳者・金素雲も入り
な詩を書こうと意志する聖母とも読める。.その意味で“列曽〃
︵この地︶の﹁詩人﹂たちは、翻訳されることで、自然的連続
行
の
方
の
心
詩
鮮
朝
2
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わしめたのは、一九二八年夏事である︵51︶。この前年︵一九二七
﹁こんな素晴らしい詩心が朝鮮にあったとはねえ1﹂と彼に言
た朝鮮の民謡の訳稿を、面識のなかった白秋宅に持ち込み、
雲が師事した北原白秋の影響が認められる。金が日本で収集し
このような変更をもたらす翻訳行為の思想的背景には、金素
点、批評家、そして翻訳者という役割も担うのである。
込んでいる。このように﹁私﹂は詩人であるだけでなく、集束
ることを求めている。というのも﹁節約﹂された詩語と詩人が
加えて白秋は、詩語はできる限り﹁節約﹂し、適切に配置す
論理が金素雲訳に働いていることも見た。
の背後に詩人︵の品位︶を強く暗示するわけだが、そのような
者は根本的に区別させられている。この根本的な区別が、作品
といえども、詩人の﹁個性﹂の先行性を前提にする限りで、両
は、﹁野菊﹂の論理と重なり合う。また﹁円融体﹂をなした詩
醸し出されるからである§。金自身も翻訳に.関して、﹁だらだ
渾然﹁体となることで、言葉は﹁生物﹂﹁言霊﹂と化し、﹁言葉
らした原詩を短めに切りつめると、 一段と引き締ま.つた効果を
年︶には、白秋の詩論﹃芸術の円光﹄︵アルス︶が出版されてい
韻﹂︵61︶とは何かを論じたものである。白秋によれば、詩の気品
挙げられる﹂と述べている︵91︶。実際、﹁野菊﹂も、原詩を改変
の余韻一とりもなほさず、気品ある霊魂の余韻一余徳﹂が
は技巧だけでは生まれず、むしろ詩人の情念や知識、とりわけ
る。﹃芸術の円光﹄巻頭の﹁芸術の円光﹂は、詩の﹁気品﹂﹁気
品位が詩に融合することで生じるという。
いる。この点も白秋の詩論と符合している。このようなことか
してでも極度に言葉が刈り込まれ︽独特の余韻がもたらされて
詩はその詩人のあらゆる情念、瓦全、思想、知識の渾然たる
ら白秋の詩論は、翻訳の思想的背景になっているとみなせよう。
ヘ ヘ へ
体は、この二点を支えるためのいわばツールとなっている。金
せるところにある。五七調といった古典的韻律及び古文調の文
集束点や批評家だけでなく、翻訳者・金素雲も作品に滑り込ま
﹁私﹂を作品の外部に位置付けることで、その役割を拡大し、
一に詩人と詩の自然的︸体化である。第二に詩入としての
ここまでをまとめるならば、﹁半創作﹂的翻訳の核心は、第
円融体であることである。かくして個性その儘の表現が成る。
.最も入間的な、而も亦永遠の神格にまでの無我の流通が蝕よ
り起る。かるが故にその詩の高下はその人自身の高下に由る。
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
詩は偽るべからざるものだからである。︵u︶
読んで明らかなように、詩とは詩人との﹁円融体﹂であるこ
と、そしてそれゆえに﹁偽るべからざるもの﹂であるという点
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会
社
言
語
ることになるのである。
金素雲を含む﹁私﹂にとっての﹁偽らぬうた﹂として包括され
たのだろう。その結果として、この詩集に収録された詩全体が、
それゆえ詩集全体の基調として、特権的に銘の位置を与えられ
素雲訳﹁野菊﹂は、そのような﹁半創作﹂的翻訳の典型であり、
詩集﹄の基調とみなした詩、﹁桐の葉﹂の第一連。“叶誹・王土
対象の計算された分節が施されている。例えば四.方田が﹃朝鮮
情緒が自然に流露しているように見えるが、そこには﹁私﹂と
金素雲訳は、その古典的な韻律や文体のために、外見的には
より自己をあ.る情感に向けて触発することである。
は﹁私﹂と対象を分節することであり、もう一つはその分節に
い空から 垂直の波紋を描いては舞い散る桐の葉−、あれは
ですか。﹂といったところであろうが、金素雲訳では﹁風のな
垂直の波紋を起こしながら 静かに落ちる桐の葉は 誰の足跡
午千剖赴朴剤唱q叫.”︵2。︶。直訳するならば﹁風もない空中へ
しτユ。奇朔垂直朝波紋音州司明ユ且司東司刈Lτ⊥三。望。τ
ではこの﹁半創作的﹂翻訳は、どのような方法及び独自の思
翻訳の方法及び思想
想に支えられているのだろうか。.
三
の翻訳﹂
一﹁私﹂と対象の分節、 自己触発、﹁こころ
る。また比喩を操作することで曖昧化したり、逆に明確化した
変更・追加・削除・圧縮などにより、仔情性を強めたりしてい
.続的に反復することで視覚性を高めたり、構文の改変や語句の
多様なテクニックが用いられていることがわかる。同じ語を連
要な役割を果たしている。他の典型的な対象強調の翻訳作品と
﹁一﹂は他の詩でも用いられており、主に対象を強調する重
を作り出し、両者を分節する働きをしているのである。この
に観点が移っている。つまり﹁一、﹂が私と対象の問に距離
﹁一、﹂を転換点として﹁あれは誰の遷でせう。﹂と﹁私﹂側
めされることで、対象は鮮やかに強調される。と同時に、
誰の楚でせう。﹂︵一六頁︶となっている。﹁∼桐の葉﹂と体言止
りもしており、四方田の言うように﹁隠された心情を朦朧とし
して、三陸史﹁青葡萄﹂がある。
以上の基調を踏まえて﹃朝鮮詩集﹄を再読するならば、実に
た隠喩を通←て表現する﹂と言うだけでは、彼の翻訳の特質の
全体は押さえられない。
一連のテクニックは、大きく二つの側面に分類しうる。一つ
の
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の
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詩
鮮
朝
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青葡萄
田ユを七月。︻﹂
碧王丘汁01﹁司井﹂τ 刈 型
魅剛肝﹂己留晋早−﹃せせ列号朔斗叶胡
司可音亙ぜ叫ス丁対司ス丁刈司哩司ユ
計﹂冒鬼 エ丁巳τ.昨堺井井ムロ。τ勉エ
剋 呈ス吐州非 ユ日州鬼司刈 ⊥喧
田斗叶誹−﹂τム﹂冒。τ ユ望立τ 暑主エ
青抱−己嘱ユ饗叶舎外エ銀。﹁q
川ユ畳喫叶王£暑叫明列魁
早ム﹂。τ 脅叫剤刈呈 ろす。﹁屯蛙
叶朔.峠。丁司刈﹁叶魁。τ 祖 蛙 州
尋叫睦呈刈入丁社。冒叫屯胡 早 唱 . ︵ 2 1 ︶
青葡萄︵金素雲訳︶
わがふるさとの七月は
たわ㌧の房の青葡萄
つたえ しづ
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言
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つぶ み うつ
ふるさとの古き傅説は垂れ鎭み
ェ九−一九〇頁︶
︵一
圓ら實に ゆめみ映らふ遠き空。
海原のひらける胸に
白き帆の影よどむころ
あおごろも
船旅にやつれたまひて
青抱まとへるひとの訪る﹂なり。
かのひと.と葡萄を摘まば
しと買に手も濡る﹂らむ、
小童よ われらが卓に銀の皿
いや白き 苧の手ふきや備へてむ。
あさ
李陸史の代表作である、この詩全体の構成を支えているのは、
﹁色﹂であるように思える。二行目のク青葡萄ゲの青から始ま
現を能動的に翻訳したり、朴二塁﹁夜空こそわがこ﹂ろしでは
たりである。中でも特徴的なものとして、原詩にある鉤括弧の
り、”叶﹂己”.︵空︶とク叶堺”︵海︶の青、ク瓢景せ朗”︵白い帆
︵手︶らの青、。。τ噌壁”︵銀の盆︶の銀、そして。血止睦エ
処理の仕方が挙げられる。例えば金素月の詩である。
原詩にはない拝情的表現を追加し、より饒舌に﹁私﹂を演出し
刈”︵白い苧麻︶の白というように。この内、白や銀は、青色
船︶の白、”青墨””王呈”︵葡萄︶そして葡萄に濡れた∠﹂”
を反映させうるものであるから、全体の色調は﹁青﹂と言えよ
を備えた﹁歌う詩﹂が多く、それゆえ対話的な詩には、鉤括弧
金素月の詩は、民謡舶要素である韻律、リフレーン、対話体
︵﹁
ゥつてはついぞ知りませんでした﹂︶という詩は、各連の最
が付されている場合がある。例えば﹁某社色染刈上穀叫£﹂
う。そして原詩では、この青色が、二行目の﹁青葡萄﹂から意
識され、それが空、海といった大きな広がりを持つ青から、
﹁帆舟﹂﹁青墨﹂﹁葡萄﹂﹁手﹂﹁手ふき﹂へと小さく凝縮されて
だけでなく、原詩が持つ色調及び一点に向けて凝縮していく論
影﹂という訳は、黒色を登場させてしまっており、誤訳である
中心に焦点を移動させていくのである。そのため﹁白き帆の
﹁白き帆の影﹂﹁主砲まとへるひと﹂﹁手﹂﹁手ふき﹂へと、対象
ている。即ち﹁たわ﹂の房の青葡萄﹂から始まり、﹁圓ら實﹂
これに対して翻訳では、対象に焦点を当てていく構成となっ
ている︵以︶。その結果、異河潤﹁野菊﹂同様に、﹁私﹂が外部に
は払拭され、﹁私﹂の内的な独白であるという印象が強められ
原詩各連の一行目と二行目の間で行われうる掛け合いの多声性
詩の歌う詩に近づけてはいる。しかし鉤括弧を外すことにより、
いる。翻訳は、全体を通して五七調のリズムを刻むことで、原
訳﹁ついぞ昔は﹂では、反復はするものの、鉤括弧が外されて
反復されている︵32︶。それが四度繰り返されるわけだが、金素雲
終行︵二行目︶は、必ずタイトルがそのまま鉤括弧に付されて
理的構成を、そこで断ち切ってしまっている。しかし対象に焦
強く暗示されることになる。
いく。
点を当て強調する翻訳は、対象とそれを見る﹁私﹂の明確な分
また原詩の持つ論理性をより明確化することで、﹁私﹂を際
立たせている作品もある。
節をもたらすという論理において一貫しており、重要な方法の
一つとなっている︵盟︶。
金素雲が反対に、﹁私﹂をより強調する際も多様な方法を用
いている。例えば鄭芝溶﹁ふるさと﹂では、原詩の受動的な表
方
の
心
の
行
詩
鮮
朝
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2
不死鳥
に喩える可能性を残している。同様に、﹁悲哀﹂のク列。ア”.
れの隣ぞ﹂とすることで、ここでもわずかに﹁悲哀﹂の対立項
︵隣︶を見つけられないとする原詩に対して、﹁爾を委ぬるいつ
悲哀1司﹂τエ曽池人T三叡三叫.
措定の可能性を示唆している。原詩でも﹁悲哀﹂は傷ついた鳥
はいるが、翻訳では、やや曖昧であった原詩の論理的構成を明
の比喩で形象化され、.またその﹁隣﹂に﹁幸福﹂が示唆されて
司三己三己碍且罷職可朔妾呈 卦 ス 刈 昊 研 帽 凧 上 群 .
と立ち上げている。このように金素雲には、原詩が持つであろ
白にすることで、対象を措定し、形象化する﹁私﹂をはっきり
で、その空白に好情的要素を注入していく﹂ことで、﹁モザイ
切り捨ててゆくことによか、叙述的な明晰性を希薄にしたうえ
三枝壽勝は、金素雲が﹁まず原詩にあったいくつかの要素を
う論理を明確に際立たせる訳もある。
。τ里司4二上311﹁幸福﹂司目塗
なれ
ク﹂のように好情的世界を構築したと述べて.いる︵26︶。三枝の批
かぎりで、その論は一面的な見解であろう。それよりも重要な
判は一定の評価に値するものの、金素雲訳の﹁不死鳥﹂を見る
なれ
︵中略︶
な計算が、金素雲の翻訳には働いていることを見て取ることで
ことは、曖昧化・明晰化の背後で﹁私﹂と対象を分節する巧妙
爾⋮を委ぬるいつれの終ぞ、
いと深きわが裡に爾は生きたり。
悲哀! 爾⋮をそも何に喩へむ
不死鳥︵金素雲訳︶
斗ス丁酒淫叶隔心。︵一、三連︶︹お︶
︵中略︶
司﹂τ斗長井を複比刈管財呈堺.
一六1七頁︶
鄭芝山﹁不死鳥﹂であるが、原詩では、﹁悲哀﹂を”呈警量
分節したものの融合は芝のようになされるのだろうか。﹁芸術
ところで翻訳の基調には詩と詩人の一体化があったわけだが、
︵一
密かに告げむ ﹁幸福﹂はいたく爾を憎めりと。
人丁王叡三堺”︵喩えることもできない︶としているのに対し、
の円光﹂では、詩人の反理知的な直感主義が融合を成し遂げる
あろう。
金素雲訳では、﹁爾をそも何に喩へむ﹂とすることで、わずか
2
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号
第
社
言
語
わけだが、金素雲においては、分節という方法自体に、自己反
る。そして金素雲においても、﹁私﹂が対象に向かう際、佐藤
いる。言い換えれば、分節によって﹁私﹂の心を触発す惹契機
春夫と同様、感傷を強調することが表現の主要な傾向となって
ある自己を詩と融合させるにおいて影響を与えたのが、林容澤
をつくり、それを感傷という伝統的感情を利用して詩と詩人の
省的な批評性が明らかに入り込んでいる。そのような批評性の
も指摘するように︵壁、佐藤春夫の﹁もののあはれ﹂であると考
﹂τ
いる翻訳作品に、金億﹁淡雪﹂がある。
﹁もののあはれ﹂を前面に出しつつ、﹁私﹂の自己触発が現れて
融合を求めるのである。そのような佐藤春夫からの影響である
の触発が見られる。
えられる。そしてそこに翻訳法のもう一つの側面である、自己
佐藤春夫が﹃殉情詩集﹄︵一九二一年︶でのデビュー以来、文
語体を用いたのは周知の事実である。だが単に古風な情趣が伝
統的な韻律・詩語によって表現されたわけではない。そのよう
引司刈しτ嚢虫ユ
な文体の背後に、強い批判的自我が存在しているところに佐藤
たふ詩﹂や﹁病﹂といった初期の好情詩は、﹁作者の心理的世
春夫の近代性があった。伊藤信吉も、とりわけ﹁夜毎わが心う
計己T王。吐
層噌刈 叶q妊斗.
﹂τ量噌刈呈
上﹁ユ叶も﹂τ。−帽.
響朔牡耳刈
界から自覚的に構成され、その意味で自意識のはっきりした作
品﹂︵82︶だと述べ、その近代的側面を指摘している。
﹁もののあはれ﹂とは、一般論的には、外界の様々なモノやコ
トに触れて生じる心のあり様のことである。佐藤春夫の場合、
行
の
心
の
磐明叫社空4刈
方
有名な﹁秋刀魚の歌﹂に見られるように、触発する対象に向か
計己丁魁列
2
83
鮮
朝
う際、強固な自我がこの﹁もののあわれ﹂と混じり合い、独自
上・ユ叶﹂τ’1心思.︵29︶
詩
の感傷的な好情詩となったところに、その詩史的意義もある。
対象と﹁私﹂をはっきり分節する金素雲の翻訳は、 ]方で批
評的な﹁私﹂を立ち上げ、他方でそれが向かう方向を明確にす
れる。そして﹁淡雪﹂というタイトル改変が、対象の淡さをよ
降りつもりては消えゆくあはれ、
淡雪の降りしきり
そこに至り詩人と詩は融合を果たす。両者が溶けあった果てに
れる﹁わが想い﹂はより夢く、移ろいやすいものに仕立てられ、
溶け合っていく効果を高めている。その結果、﹁雪﹂に触発さ
淡雪︵金素雲訳︶
雪ながらはなかしや
残存する作品の外部にくくり出された﹁私﹂からは、強固な自
り明確に演出することで、類似関係にある両者をより密着させ、
ひねもつを念ひつのりて
我を見ることもできよう。
.このように、語彙の借用といった表面的な関係を超えて、佐
夜明くればあとかたあらぬ
︵二二頁︶
感傷的な自己触発が見られる作品は多数あり、先の﹁桐の葉﹂
わが想ひにも似たれ かの雪。
原詩タイトルは﹁淡雪﹂ではなく﹁雪﹂であるが、積もって
や﹁青葡萄﹂もそれに該当し、その他、早期溶﹁石ころ﹂や朴
藤春夫の感傷的自我は金素雲に大きな影響を与.えている。また
も溶けてしまう雪に、みずからの﹁思い﹂を重ね合わせる素朴
これまで論じてきたように、対象と﹁私﹂の分節、それに続
く自己触発による融合という﹁半創作﹂的翻訳を、金素雲は
駆詰﹁ふるさとを懸ひて何せむ﹂などがある。
れ﹂﹁はかなし﹂など佐藤春夫の詩を想起させる言葉も用いら
﹁﹃こころの翻訳﹄﹂︹3。︶と述べている。だがこの﹁こころの翻訳﹂
な作品となっている。しかし翻訳では、構成が大きく変更され
れている。
には、大きく三つの問題がある。まず前節で見たように、外部
ているだけでなく、古文調であることや、原詩にはない﹁あは
より本質的な翻訳の論理構成としては、締めくくりの言葉の
ころ﹂とは﹁翻訳者のこころ﹂でもある。次にその.﹁こころ﹂
化する﹁私﹂には﹁翻訳者﹂が入り込んでいた。そのため﹁こ
調すると同時に、雪をまなざす﹁私﹂を作品の外に暗示してい
を詩に反映させる際、佐藤春夫的な感傷性が介在するため、こ
﹁かの雪﹂に見られるように、対象中心に訳すことで対象を強
る。それによって、分節された﹁かの雪﹂による自己触発の契
の﹁翻訳﹂は、日本の古典的な感傷性への﹁変換﹂として機能
してしまう。最後に、翻訳者・金素雲が﹁私﹂に入り込むこと
⋮機が生み出されている。加えて新たに挿入された﹁似たれ﹂に
よって、より説明的に﹁雪﹂と﹁わが想い﹂の類似性が強調さ
84
2
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第
社
語
言
り﹁こころの翻訳﹂とは、翻訳者の価値判断が多分に反映され
で、詩と詩人の密着の度合いを自ら判定することになる。つま
作品自らが、この方法論及び思想を逸脱していく様も伺う事が
思想を見た。だが﹃朝鮮詩集﹄からは、金素雲の意に反して、
訳の方法論、そしてそれを支えている﹁こころの翻訳﹂という
状況を、あえて歴史的モニュメントして残しておきたかったの
叶も心組州口引計明秘密含刈71司エ苛頗音司叫叫﹂τ
秘密d・q叫秘密司叫司。⊥ヰ士別・Tム﹂秘密三洋鍛音q叫.
秘密
韓龍雲に﹁秘密﹂という詩がある。
できる。
た思想であり、原詩の﹁こころ﹂.よりも、金素雲自らを古典的
感傷性へと触発するための翻訳態度とも言える。ここに歪曲的
な翻訳を可能にし、またノスタルジーやコロニアリズムを引き
起.こす要因があることは明白であろう。
四方田は、﹁彼は、.︹﹃乳色の雲﹄が出版された︺一九四〇年の時
ではないか﹂︵13︶と推測している。だが四方田の推測はロマンテ
秘密。τヰム・湖王刈肉二等叶q計頭音司4.
点で︸切の寓意が禁じられ、純粋なる仔情だけが許されていた
ィック過ぎる。それではそのような﹁状況﹂に加担していく、
ユ3ーエ叫刈叶秘密・τ計峠以音q叫.ユ三聖ユ秘密。τ
︹:::︺
土司叡﹂τ叫叶司劃せ叶刈表現竜λ乳汁叡。百円叫.
らず、﹃朝鮮詩集﹄を過去の﹁モニュメント﹂にしてしまうこ
金素雲の﹁こころの翻訳﹂の尚題性が掴めないからだ。のみな
とで、金素雲の翻訳が意図せず作品の潜在力を引き出していな
︵一連及び二連最終行、全二連︶︵認︶
一度は秘密を藏ひ込んでもおきました。でもやっぱりわたし
か。
秘密ですって一なんの、わたしに秘密なんぞありますもの
秘密︵金素雲訳︶
いか、といった再読の可能性を摘み取ってしまう。翻訳行為と
作品の関係を再検討してこそ、新たな﹁朝鮮の詩心﹂の在り処
が開示されると思われる。
四 ﹁こころの翻訳﹂から逸脱していく翻訳
前節で、﹁私﹂と対象の分節と、自己触発という金素雲の翻
方
行
の
.心
鮮
の
詩
朝
85
2
それからなほ一つ 最後の秘密があるのですが、さてこれば
には秘密が守れないのです。
しかし他方で、﹁鳴かぬ唖蝉﹂も、鳴き声を予感させること
未知なるものを内面に回収することに成功している︵訓︶。
未知なる声が私に到来する可能性が消され、反対に、ここでも
また原詩の”表現竜人丁汁些々月叫”は、英語の。き⇒oけΦ図−
﹁私﹂から逸脱してしまうのである。
つまり金素雲訳においても、﹁秘密﹂は根本的に制御されず、
続けており、原詩と同様、未知なる声の到来を準備してしまう。
ではない。そのため翻訳においても、﹁秘密﹂は沈黙に留まり
で﹁秘密﹂の言語化を欲望ざせはするが、言い表しているわけ
︹:::︺
、手だてがありません。 ︵一七−八頁︶
つかりは鳴かぬ唖蝉のやうなもので どうにも言ぴ現はす
﹁秘密﹂の自己運動を読み取ることができる。しかし金素雲訳
原詩からは、﹁私﹂の意図に反してひとりでに動いていく
では、﹁わたしには秘密が守れないのです﹂というように、
しの能力を強調する︵﹁手だて﹂︶訳となっている。そのことが
するが、金素雲の﹁言い現はす手だてがありません﹂は、わた
bおωωに相当し、わたしの能力に照らして﹁できない﹂を意味
は、その自己運動性が消去され、﹁私﹂に従属・回収させられ
﹁私﹂の側からの能動的な翻訳になっている。そのため﹁秘密﹂
ている︵詔︶。
して金素雲訳では、﹁鳴かぬ唖蝉﹂と改変してしまっている。
未知なる声が到来する可能性を詩にもたらしている。それに対
き反復であり、単に言い表しようがないことの表現を超えて、
訳の可能性と不可能性も姐上にのせる。それだけではなく、自
は、金素雲の方法論の可能性と不可能性を問い返すことで、翻
と、意図せず誘発される受動的なそれへと。そのため﹁秘密﹂
それが自己触発を二重化する。即ち自ら生み出す能動的な触発
ら逸脱していく﹁秘密﹂は、対象とし.ての自己同一性を喪失し、
の方法論の蹟きを現わしてしまっている。というのも﹁私﹂か
この表現を、a.声を持つが鳴かない、b.声さえ持たない、
己同一性を持たない﹁秘密﹂は、解釈の極限を形成することで、
図らずも﹁秘密﹂を制御することの放棄を示し、ひいては自ら
というように解釈が別れようとも、原詩のク州県司”︵﹁山彦﹂︶
読み手の解釈の可能性と不可能性も問いに付す。つまり﹁秘
という比喩であるが、これは言い換えれば、反復されるものな
が向こう側からこちらに帰ってくるという方向性に対し、こち
次に、最終行におけるク杢落選﹂τ州六二”︵声のない山彦︶
ら側から向うへと百八十度変わってしまっている。その結果、
2
86
号
第
会
社
語
言
ような翻訳・解釈を異質化する力を現しており、金素雲の翻訳
訳・再解釈するよう呼びかけてくる。韓龍雲﹁秘密﹂は、その
位置付けるのである。その結果、﹁秘密﹂は﹁私﹂に常に再翻
密Lは、解釈・翻訳を限界付けることで、作品の外部に自らを
ができる。
る。金網鎗﹁南。一章窓。τ聖裁土﹂からはその一面を見ること
配への抵抗の寓意性が、作品から浮かび上がってくるからであ
その作業により、金素雲が訳出を回避したといわれる植民地支
ンテクストに置き直してみることは、必要不可欠な勲業である。
語句の詳細な検討はあまり意味がないこと、﹃朝鮮詩集﹄は金
せ。−妊替尋司
南三三窓口露鋒土
南三号窓音田裁土
が意図せずもたらす作品の潜在力を、象徴的に示している。
﹁野菊﹂が金素雲訳の基調であったとすれば、この詩は彼の翻
訳法から逸脱する作品の潜在力を示す基調的な作品となろう。
素雲自身の作品と見なした方がよいこと、そして﹁残された課.
瑠d1 叫ユ
三枝は先に見た﹁モザイク﹂論の結論として、訳詩と原詩の
題は、彼の翻訳詩を外国文学ではなく、日本文学の業績として
工司毛量。三七刈旦.
子旦ロ司応唱点せ司銀ゑ
だが﹃朝鮮詩集﹄を﹁旧本文学の業績﹂として位置付けようと
どう評価するかということではあるまいか﹂と述べている︵訪︶。
すると、この秘密の力は打ち消され、﹁なつかしさ﹂を力説す
川 上剛Lτ ユ。。一1 暑。一畔ユ
を魍列井 零屋壱
る佐藤春夫的な読みに送り返す結果にしかならない。むしろ解
釈の極限を示す秘密は、﹃朝鮮詩集﹄をあらゆる読解の方法へ
脅刎斗母刈王箸土.
受刈且.︵36︶
朝朴ヰ社
と導いていく。即ち林容澤のような比較文学的研究はもちろん
のこと、作品それぞれの詩人論、作品論、思想的、哲学的、社
会学的、歴史学的、言語学的、精神分析学的等の多様な方法が
必要となろう。中でも﹃朝鮮詩集﹄と植民地との関連という、
.見逃すことのできない観点からすれば、一連の作品を歴史的コ
方
の
行
心.
の
詩
鮮
朝
2
87
総動員法が公布され、また七月には国民精神総動員朝鮮連盟が
雲の誘ひには乗りますまい
手鍬で草を取りまぜう。
鍬で掘り
畑が少し
南に窓を切りませう
としての﹁さあねI﹂は、“受刈丘”︵可笑しいですね︶に比
をどう老えるのか、という含みも帯びざるを得ない。その答え
生きるのか︶という問いは、詩が醸し出す田舎的生活と、それ
このような時代背景を踏まえるならば、。朝母ヰ社”︵なぜ
めた時期に当たる。
どいった、朝鮮人が日本語の作品を発表する雑誌が刊行され始
南に窓を︵金素雲訳︶
鳥のこゑは聴き法楽です
べて問いに背を向けてはいるが、その答えは、肯定的なもの、
発足している。そして一九三九年は、﹃東洋之光﹄や﹃総動員﹄
唐もろこしが熟れたら
否定的なもの、返答の拒否といった選択をシニカルに宙吊りに
ホ ミ
食べにお出でなさい。
葉は作品から外部に突出し、.読み手を捉える。言い換えれば
﹁なぜ生きてるか﹂という問いが、﹁さあねl﹂によって打ち
し、問い自体をつき返す効果をもたらしている。その結果、言
に対立する都会的生活という認識の枠を超えて、被植民地的生
なぜ生きてるかつて、
︵五七一八頁︶
は、一九三九年である。一九三七年の盧溝橋事件後、一九三八
る。この詩が収録された金壷鋳の詩集﹃望郷﹄が出版されたの
が見える。というのもこの詩の特異性は、そこにあるからであ
金素雲訳も金時鐘訳︵註36参照︶も、最後の二行の訳に苦労
林容澤は、﹃朝鮮詩集﹄に収録された諸作品の抵抗の寓意性
込んでいくのである。
に機能し、その呼びかけは、﹁私﹂だけでなく、読み手も巻き
上答えることなく沈黙する﹁さあねl﹂は、﹁秘密﹂のよう
ここに至り呼びかけは作品を超えて立体化する。つまりそれ以
さあね一。
年三月には、第三次教育令が発布され、﹁忠良な皇国臣民の育
は、﹁作品の情感が繰り出す自然ななりゆき﹂によって判断す
返され、逆に読み手に答えるように呼びかけてくるのである。
成﹂が教育機関で行われ始めている。同年四月には日本で国家
88
2
号
第
会
社
語
言
総じて言えば、対象が﹁私﹂から逸脱し、自己触発を二重化
されるべきものではないだろう。
るものである。そのため林が述べるような恣意的な基準で判断
性は歴史的コンテクストに置くことで強く発揮され、明白にな
べきだと述べている︵署。だが見てきたように、作品が持つ寓意
要因の一つとなったのである。
する歪曲的な翻訳を可能にし、コロニアルな矛盾を引き起こす
た。このような﹁翻訳﹂こそが、言語間、文化間の差異を抑圧
体化を自ら批評し続けること、それが﹁こころの翻訳﹂であっ
けられた﹁私﹂に金素雲自身が入り込むことで、そのような一
が二重化することで生じる、翻訳が翻訳を求めるという事態で
してもいた。潜在力とは、対象が﹁私﹂から逸脱し、自己触発
出した﹃朝鮮詩集﹄の潜在力とは、この翻訳が翻訳を求めると
あった。つまり金素雲は、﹁朝鮮の詩心﹂を、佐藤春夫的な仔
その一方で、金素雲の翻訳は作品の潜在力を意図せず引き出.
いう事態のことである。そのため﹁朝鮮の詩心﹂とは、確定的
情に閉じ込めると同時に、解き放.ってもいたのである。これは
するとき、翻訳作品は翻訳方法から逃れていく。そのとき翻訳
なものではなく、対象やそれを回収したはずの﹁私﹂が解釈や
金素雲の翻訳が、コロニアリズムと脱植民地の両面性を備えて
作品自体が再解釈、再翻訳を求めてくる。金素雲の翻訳が引き
言語化の可能性と不可能性のはざまで不確定化する、その先に
そのため目本と朝鮮の好情の類似性を見て取るだけであった
いることを意味する。この点に﹃朝鮮詩集﹄の特異性もあろう。
﹁詩心﹂や安定的な自己同一性を保つ日本語の外部にこそ住ま
り、日本文学として位置づけたり、その領域内でのみ解釈を施
こそ見出されるべきものである。﹁朝鮮の詩心﹂は、確定的な
ってい る 。
すならば﹃朝鮮詩集﹄再読の生産性はぽぼ失われる。翻訳が引
き出した作品の潜在力を測定するためには、原詩との比較は不
可欠である。さらに植民地問題との関連まで踏み込んでいくと
き、作品の表現が脱植民地への契機となっているかを多様な角
五 結論−朝鮮の詩心の行方
金素雲の﹁半創作﹂的翻訳とは、﹁私﹂と対象の分節とそれ
度から探ることは、今後の金素雲研究の重要な課題となろう。
言語間、文化間、言語と文化、コロニアリズムと脱植民地等の
﹃朝鮮詩集﹄を韓国や日本のどちらかに帰属させるのではなく、
が誘発する自己触発をその方法論として、詩人と詩の自然的一
体化を追及するものであった。その際﹁自然的﹂とは、日本の
古典的感情としての感傷を柱としていた。そして外部に位置づ
方
の
行
の
心
詩
鮮
朝
紗
2
はざまで捉え直すこと、それこそ﹁朝鮮の詩心﹂の行方を追う
時鐘による再翻訳などとの比較を通じて、﹃朝鮮詩集﹄を共時
イヌや沖縄の人々の文学作品、また本稿でも何篇か引用した金
素雲対訳詩集﹄上・中・下︵亜成書房、一九七八年、韓国︶が
い。
的、通時的に論じる必要があろう。それらは今後の課題とした
.事にも繋がっていくだろう。
幸恵﹃アイヌ神謡集﹄や山之口鎮﹃山之口膜詩集﹄といったア
そのためにも、一九四〇年代の他の朝鮮人の翻訳作品、.知里.
︵1︶訳者の金素雲︵本名一層教換、一九〇八年∼八一年︶は、十二
を除く︶、若干訳し直されている。
ある。金素雲が翻訳した詩はここにほぼ収録されたが︵首祭溶
註
を手始めに、多くの文学作品の日本語訳を手がけ、それのみな
︵6︶以上、佐藤春夫序文、﹃乳色の雲﹄、四−九頁。
﹃乳色の雲﹄所収。
︵5︶佐藤春夫﹁朝鮮の詩人等を内地の詩壇に迎へんとするの辞﹂、
朝刊。
︵4︶ 三好十郎﹁愚者の楽園﹂、﹃読売新聞﹄一九五三年六月一九日付
歳で日本に渡ってきた後、朝鮮の民謡や童謡の収集・翻訳など
もず朝鮮語・日本語による多くのエッセーや某日辞書編纂
ク
解韓日辞典﹄、高麗書林、一九六八年︶など、文化面で大
︵﹃
きな功績を残した。
五四頁。この時期出版された翻訳作品としては、申建訳編﹃朝
︵2︶金允植﹃韓日文學釧關聯様相﹄、一志社、一九七四年、転音、
ているが、それも日本留学中の芳賀徹の強い勧めによるもので
︵8︶近年、林容澤︵韓国・仁荷大学副教授︶が本格的に研究を進め
ある。
︵7︶興風館版﹃朝鮮詩集中期﹄の﹁後記﹂三三九頁にこの言葉が
の雲﹄として出版された後、収録する詩人と詩の数を増やして、
﹃朝鮮詩集﹄にはい く つ か の ヴ ァ ー ジ ョ ン が あ る 。 最 初 、 ﹃ 乳 色
嘉實﹄などがある。
鮮小説代表作集﹄、張赫宙編﹃朝鮮文学選集﹄、﹃李光駕短編集
︵3︶
日本語訳との比較、訳語における日本近代詩からの語彙借用の
あった。とはいえ、林は原詩と翻訳の検討、許南麟などの他の
緻密な追跡など、多角的に﹃朝鮮詩集﹄の意義を追及しており、
一九四三年に興風館から﹃朝鮮詩集﹄前期・中期として出版さ
一九五四年に岩波文庫の一冊に収められた。それ以外にも﹃金
れた。戦後、一九五三年に再編され創元社から出版されたあと、
2
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号
第
会
社
語
言
オーソドックスな比較文学研究ながら貴重な成果をあげている。
引用しているが、印刷の状態により文字が判読できない場合や、
五八六頁から引用。なお原詩は原則的にこの﹃資料集成﹄から
金時石山﹁野菊﹂も掲げておく。﹁私は野に咲いている菊の花
億、直後にページ番号のみを付す。また参考に、逐語訳に近い
いが、四頁にあたる。なお以下において金素雲訳を引用する際
成果に多くを負って い る 。
︵14︶
岩波文庫版﹃朝鮮詩集﹄、この詩に関してのみページ番号はな
明らかな誤植などは、﹃金素雲対訳詩集﹄で補った。
この研究成果を機に 、 シ ン ポ ジ ウ ム 開 催 、 学 術 ⋮ 雑 誌 に お け る 金
素雲特集など、﹃朝鮮詩集﹄は研究対象として新たな局面を迎
えた。その結果、これまでの賞賛一辺倒から一転し、四方田犬
林容澤の﹃朝鮮詩集﹄研究は以下のものがある。・﹁目語近
じらしく咲いては散る花ですので/私はその花を限りなく愛し
を愛します。/色と醜いずれも劣りはしませぬが/広い野にい
彦、三枝厨房などの批判的研究も現れている。本稿も林の研究
愛L︵第三回﹁金素雲賞﹂受賞︶、﹃比較文學研究﹄、東大比較文
まに咲いて散る花のように/色も香も偽りぴとつありませんの
ます。/蛇毒この地の詩人を愛します。/俺しくとも思いのま
代詩の比較文学的考察−金素雲心乱﹁朝鮮詩集﹂における恋
學會、一九八七、年 一 〇 月 ︵ 通 号 五 二 号 ︶ ・ ﹁ 金 素 雲 訳 ﹃ 朝 鮮 詩
︵16︶
一二号、もず工房、二〇〇七年七月、↓六頁︶。
﹁芸術の円光﹂の引用は、﹃白秋全集﹄第一八巻︵岩波書店、一
一五二頁。
金素雲﹃天の涯に生くるとも﹄、講談社学術文庫、一九八九年、
︵15︶
で/私はその人たちが詠む詩をこよなく愛します﹂︵雑誌﹃績﹄
集﹄とモダニズム詩 鄭 芝 溶 を 中 心 に ﹂ 、 ﹃ 比 較 文 學 研 究 ﹄ 、
下の詩の翻訳 金素雲訳﹃朝鮮詩集﹄の場合﹂、﹃日本研究﹄、
東大比較文學會、二 〇 〇 二 年 二 月 ︵ 通 号 七 九 号 ︶ ・ ﹁ 植 民 地 時 代
人間文化研究機構国際日本文化研究センタ!ハニ○〇四年︵二
公新書、二〇〇σ年。
九号︶・﹃金素雲﹃朝鮮詩集﹄の世界祖国喪失者の詩心﹄、中
︵17︶
同前、三〇頁。傍点、引用者。
九八五年︶からである。
頁。
︵9︶金素雲﹃こころの壁﹄、サイマル出版会、一九八一年、二四三
︵18︶
ギーが認められる。
同前、二一頁。ここにすでに胚胎している日本主義的イデオロ
四方田犬彦﹁訳と逆に。訳に。金時鐘による金素雲﹃朝鮮詩
集﹄再訳をめぐクて ﹂ 、 ﹃ 言 語 文 化 ﹄ 、 明 治 学 院 大 学 言 語 文 化 研
︵10︶
︵19︶
金素雲﹃近く遥かな国から﹄、新潮社、一九七九年、一九二頁。.
︵20︶
頁。
韓龍雲﹃冒斗沈黙﹄、﹃資料集成﹄三巻、一九九七年置一七六
同前、=二三頁。また四方田は、﹁桐の葉﹂への変更に白秋の
究所、二〇〇五年三 月 ︵ 二 二 号 ︶ 、 = 三 二 頁 。
︵11︶
歌集﹃桐の花﹄への関連性を示唆している。
がら粒ごとに入り込んで/大空のもと碧い海は胸をひろげ/白
く季節/この里の言い伝えがふさふさと実り/遠い空が夢みな
頁。金時鐘訳を示す。﹁わが在所の七月は/青葡萄が熟れてい
李陸史﹃陸史詩集﹄、﹃資料集成﹄一一巻、一九九七年、二四六
︵21︶
︵以下﹃資料集成﹄︶二二巻、一九九七年、太各社、韓国擁金、
この詩は﹃現代文學 全 集 ④ 詩 集 ﹄ 、 ﹃ 韓 国 現 代 詩 史 資 料 集 成 ﹄
﹃こころの壁﹄、二四四頁︶。
金素雲もこの詩は序詩のようなものだと述べている︵金素雲
︵12︶
︵13︶
方
の
行
の
心
詩
鮮
朝
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2
い帆舟がなめらかに押されてくれば/待ち遠しいお方はやつれ.
た体で青抱をまとい/必ず訪ねてくると言われているのだから
/そのお方を迎え葡萄を共に摘んで味わえるのなら/わたしの
二頁。
伊藤信吉﹃現代詩の鑑賞︵上︶﹄、新潮文庫、昭和二七年︵一九
︵28︶
五二年︶、三三四頁。
金億﹃星野詩集﹄、﹃資料集成﹄二七巻、一九九七年、二三一頁。
金時鐘訳では次のようになっている。﹁降りしきっては 積も
︵29︶
は銀の盆に/まつ白い苧麻の手拭きをよういしておいておく
り/積もっては またも/溶けてしまう 雪よ。/涙うるむほ
両手はびっしょり濡れてでもよいものを/あこよ、わが食卓に
れL︵雑誌﹃概﹄一一号、もず工房、二〇〇六年号一月ハ一六
ど/悲しいではないか。/日がな一日/積もっては またも/
もず工房、二〇〇三年三月、 一六頁︶。
ぴと夜のうちに/溶けてしまう この思い。﹂︵雑誌﹃縄﹄五号、
i七頁︶。
このような対象強調の方法が現れている作品に、金束換﹁北
國﹂や辛夕汀﹁稚さい 獣 ﹂ 等 が あ る 。
︵22︶
︵30︶
中央公論社、二〇〇一年四月、.三二〇頁。
四方田犬彦﹁識笑と断念一翻訳者・金素雲﹂、﹃中央公論﹄、.
金素雲﹃ごころの壁﹄、二四四頁。
原詩と翻訳の第︸連を引用する。原詩””暑評音銀列魁叶叫
︵31︶
︵23︶
暑しτせ呈/﹁司旭剋叫到暑設列且﹂〃︵一連、﹃金素雲対訳詩集
韓龍雲、前掲書、二二四頁。
︵32︶
上﹄、五〇1五一頁から引用︶、翻訳一﹁春秋ならず夜毎の月を
/ついぞ昔は知らなんだ。﹂︵一一=頁︶。
︵33︶
ましょうや。/私はたしかに、あなたへの秘密を 守ろうとし
る。﹁秘密ですって、秘密だなんて 私になんの秘密などあり
金時鐘訳では、秘密の自己運動がより強調された訳となってい
それに対して金素月﹁咀後日﹂の翻訳では、原詩どおりに鉤
︵24︶
である。
括弧が付されている。原詩においても内的独白が明らかだから
ましたが/秘密はつれないまでにも 自らを守ろうとはしませ
す。/ですがこの秘密は音のない山彦のようなものですので
んでした。ノ︹⋮⋮︺そして最後の秘密が﹁つあるにはあかま
鄭芝溶﹃鄭芝溶詩集﹄ 、 ﹃ 資 料 集 成 ﹄ 四 〇 巻 、 一 九 九 七 年 、 七 一
︵25︶
言い表しようが私にはありません。﹂︵雑誌﹃縄﹄五号、.もず工
〇頁。金時鐘訳も掲げておく。﹁悲哀! おまえは喩えるもの
るものだ。/︹⋮⋮︺/おまえを元に戻してあげようにもいか
とてない。/おまえはわたしの最も奥まったところで生きてい
房、二〇〇三年三月、 一〇1一一頁︶。
金素雲も後に﹁山彦﹂と修正している。しかしこれまで論じて
を.明↓”︵蝉︶と誤読した可能性もあることを示唆している。
︵34︶
四方田は﹁訳と逆に。訳に。﹂で、金素雲がク叫叶31”︵山彦︶
なお隣も見付けだせない。そっと打ち明けるがく幸福﹀はおま
えをこの上なく嫌って い た 。 ﹂ ︵ 雑 誌 ﹃ 纏 ﹄ 九 号 、 も ず 工 房 、 二
三枝壽勝﹁金素雲は何をしたのか1翻訳詩集おぼえがき﹂、
〇〇五年六月、 一〇頁︶。
︵26︶
きたことからすれば、意図的な訳語である可能性もある。
︵36︶
︵35︶
三枝前掲論文、三二頁。
﹃比較文學研究﹄、東大比較文學會、二〇〇二年二月目通号七九
号︶、二九頁。
金尚鎗﹃望郷﹄、﹃資料集成﹄八巻、 一九九七年、五三〇頁。金
林容澤前掲論文﹁日韓近代詩の比較文学的考察﹂、九ニー一〇
︵27︶
2
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号
第
会
社
語
言
で耕せそうな畑を/鍬で掘り/手鍬で雑草を取ります。/雲が
時鐘訳も掲げておく。﹁南に窓をしつらえるとします/ひとり
嫌したとてその術に乗りましょうや/鳥の唄は只で聴きとうご
ください。/なぜ生きるってですか?/そういわれても/笑う
ざいます。/唐もろこしが熟れたころ/共にいらしてお上がり
二一頁︶。
のみです。L︵雑誌﹃績﹄六号、もず工房、二〇〇三年一〇月、
二頁。
林容澤﹃金素雲﹃朝鮮詩集﹄の世界 祖国喪失者の詩心﹄、七
︵37︶
︵お せじょん/博士後期課程︶
方
行
.の
の
心
詩
鮮
朝
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93