本覚寺楼門の天井画完成

12 月1日号
2015年(平成27年)
第441号
国宝館で特別展
﹁鎌倉震災史﹂
証している。
中世・近世の歴史地震と大正関東大震災
に被害をもたらした。同
ん で い る 図 で、古 の 人 々
は日本地図を龍が取り囲
りの4枚に花や楽器を手
中央2枚に﹁龍﹂、まわ
板6枚に絵画が施され、
興 味 深 い。﹁ ぢ し ん の 弁 ﹂ 2㍍ほど。ヒノキの天井
の地震観が垣間見える。
況がわかるという。
﹃吾妻鏡﹄
、﹃親玄僧正日
記 ﹄︵ 重 要 文 化 財 ︶の 展 示
いにしえ
の ほ か、﹁ 日 蓮 聖 人 註 画
かりょう
に天を舞う﹁飛天﹂と、
住、京都嵯峨芸術大学准
描 か れ て い る。 京 都 在
国宝2点、重要文化財
讃 ﹂の 絵 巻 に は、1 2 5
人頭、鳥身の姿の﹁迦陵
び ん が
点を含む 点を展示。
7 年 の 鎌 倉 の 大 地 震、大
旱 魃、洪 水、飢 饉、疫 病 の
同館の浪川幹夫学芸員
様 子 が 活 写 さ れ て い て、 は﹁本展が、地震被害に
教授の仲政明さんと、ゆ
頻伽﹂が鮮やかな色彩で
対する再認識の場とな
り子夫人の共同作品で昨
かんばつ
り、災害時にどういう避
﹃吾妻鏡﹄の記録で
は、鎌倉で最も古い地震
難ができるかを考える一
国宝館は、災害から文化
災害の被害や避難の様
子 が 描 か れ た﹁ 鎌 倉 大 震
助にしてほしい﹂と話し
年3月に依頼を受け、制
▼御鎮座記念祭 日
時、鶴岡八幡宮。 時、
財を守り、後世に伝える
崩れ地が裂けた﹂。津波
災図巻﹂
、地震後の修理の
ている。問い合わせ同館
月6
は、 1 2 4 1 年︵ 仁 治
際、制 作 年 や 制 作 者 が 判
鎌倉国宝館で﹁鎌倉震
災史︱歴史地震と大正関
2︶﹁由比浦大鳥居内拝
明した仏像などの展示も
の寺社が倒壊し、文化財
日まで行われている。
東地震﹂の展示が
1923年︵大正 ︶ 和3︶に創建された。
の関東大地震では、多く
今回の展覧会は、中世
から近世に至る時期の鎌
殿が流失し、船十余艘が
は﹁大きかったので構成
え、完成させた。仲さん
飾りなどの露店が並ぶ。
まや熊手の縁起物、しめ
龍の足の部分を描き加
が 新た に
10 12 月
鎌倉市小町の本覚寺楼門︵仁王門︶
の 修 復 が 行 わ れ、 月 日、 天 井 画
17 16
設置され が大変だった。こうして
▼大祓・古神礼焼納祭
た。
全体で見るのははじめ
日鶴岡八幡宮。
天井は て﹂と話していた。
大祓 ・ ・ 時。
タテ 約 3
天井画の公開は 月上
古神礼焼納祭 時。
20㌢、 旬、同寺境内の夷堂であ
▼除夜祭
日 時、
鶴岡八幡宮。
16 15
大 き さ
としたものです。隣には
すが、運慶作といって申
による製作と伝えられま
の声を聞き届けてくださ
きな耳で私たちの心の底
下さるのです。そして大
寺、薬 王 寺、龍 宝 寺、浄 智
寺、杉 本 寺、満 福 寺、妙 本
寺、東 慶 寺、長 谷 寺、本 覚
要が営まれるという。
慈悲の観世音菩薩︵鎌倉
し分ないという研究者も
で、高さ
月号の
朝日2014年
らぬ人生に
い、世界の平和と皆様の
うか静寂な日々を切に願
︵国重文︶。
鎌倉時代初期、玉眼入
寄 木 造。 像 高 2 0 3
家内安全を祈ります。
寺など。︵詳細は各寺へ︶
浄 光 明 寺、青 蓮 寺、瑞 泉
時候の歩みが早
いと思う間に、今
年も残りあと一月
である▼本欄を担
当して三年、拙い
経験を交えながら思いつ
くままに
﹁鎌倉﹂を綴り、
また世界遺産登録に胸を
躍らせてきた。しかし、
物的証拠が希薄という理
由で未だに叶わずにいる
▼その最大の要因は、日
々の発掘調査で得られた
貴重な成果を周知するべ
き博物館が鎌倉にないこ
界遺産鎌倉﹂を実現した
で博物館を創建し、﹁世
▼早い機会に市民の総意
元しようとの気運は高い
なくなく、発掘成果を還
スが設けられる事例が少
しい建物内に展示スペー
方々のご協力により、新
路の周辺では、事業者の
った。今後は非公開で、
17
13
31
ヨ コ約 5
11
90 ㌢ の
31
っているのでしょう。
回で紹介︶が並
体から大きな光明を放つ
横須賀 岩戸山満願寺・地蔵菩薩立像
頼朝公発願による寺であ
の大きな力強い像を前に
ると伝えられますが、こ
手 を 合 わ せ て い る と、
と書くように、すべての
浄化再生す
そうだろうなと頷けま
命を育む力を持ち、また
る力をもつ
す。 寺 号﹁ 満 願 寺 ﹂ は
といわれます。どちらも
といわれま
﹁所謂、願望満ち得た﹂
がんもう
す。 鎌 倉 時
︵願いが満ちた寺︶とさ
力を与えて
し、ままな
すものを赦
今年もいろいろなニュ
ースがありましたが、ど
いわゆる
代から今に
れ縁起がとてもよい。
鎌倉時代初期の運慶工房
議に心が落ちつき、いろ
至るまで、
満願寺の地蔵菩薩は左
手に宝珠、右手には錫杖
りは谷戸に静かに響き渡
り、心落ちつきます。
いろな声が聞こえるよう
手を合わ
を持ち、量感豊かで堂々
﹁月日は百代の過客に
して、行かふ年も又旅人
也﹂芭蕉さまが仰るとお
り、月日は早く、とおり
人は心に何かつかえる
ものがあると、自分のこ
とばかりで頭がいっぱい
過ぎていく旅人のようで
す。今年のラストは自坊
になって、まわりの声な
ど耳にはいらないもので
の満願寺・地蔵菩薩を紹
満願寺は静かな岩戸の
じゅう
里にあり、住していると
になってきます。心の中
介します。
一日がとても穏やかに流
すが、お寺に居ると不思
れるようです。日だまり
18
見どころの一つ。
倉における歴史地
破壊した﹂とある。南北
☎0467・ ・0753
日に天井に設置し、 神楽奉納。
2日がかりで天井の柱に
▼歳の市
日9∼
時頃、長谷寺参道。だる
は1213年︵建暦3︶
震、大正関東大震
朝時代以降は地震の記録
施設として1928︵昭
災を概観するとと
が希少で、江戸時代にな
13
修復中の本堂の工事終了
▼除夜の鐘のつける寺 とにあり、これでは世界
円 覚 寺 内 正 続 院、建 長 から信用されない▼その
後、来春、全体の落慶法
寺、大 船 観 音 寺、光 明 寺、 一方で調査が多い若宮大
11
13
多いようです。
11
﹁舎屋が破壊され、山が
も に、 同 館 設 立 の
ると史料が残っていて状
大正関東大震災の古写真︵鎌倉国宝
館蔵︶坂ノ下から由比ガ浜の津波跡
22
作した=写真。
原点に戻って文化
85
財保護の歩みを検
16
び対の形式で祀られ、二
さて﹁地蔵﹂とは字の
満願寺は三浦一族佐原
ちから
ぞう
如く、大地の力を蔵する 十郎義連公開基の寺。源
連載第
12
日蓮聖人註画讃︵本圀寺蔵︶125
7年の鎌倉の大地震などを活写
題字は建長寺派管長
吉田
正道
文
永井宗直
写真
原田寛
に新しい世界が生まれて
龍を囲んで美しい天女たち
12
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は暖かく、野鳥のさえず
来るのでしょうか。
本覚寺楼門の天井画完成
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いものである。 ︵M︶
cm
(55
55)
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