鎌倉の年中行事 6月

6月1日号
2016年(平成28年)
第 447 号
歴史の場から地域活性化
た。展示では江戸時代の
文教大の学生が制作し
た。
法で再建され
旧東海道の宿場町とし
て藤沢宿の歴史を伝え、
年条例﹂
に基づき、歴史や
年に制定した﹁街なみ百
った。藤沢市が2014
が流れる。当時の宿場の
り、解説のナレーション
分の1のジオラマがあ
宿周辺を再現した100
室もある。
で利用できる2つの会議
目的ホール、2階に有料
場所として利用される多
キングで訪れた人の休憩
れる。催し会場やウォー
ら建物の活用
んは、従来か
る石渡徳一さ
屋を継承す
た も の の、 萬
2006年
に店じまいし
弁当箱や旅枕などが見ら
地域住民や来訪者の交流
文化を感じさせる資源や
様子を再現したコンピュ
ふじさわ宿交流館 開館
の場となる﹁ふじさわ宿
ーターグラフィックスで
・
・2255
問い合わせ☎0466
の 特 約 代 理 店 の 板 看 板、
▼葛原岡神社例大祭
6月3日 時神前祭。4
金庫、
酒瓶などが並び、奥
﹁いざ、鎌倉﹂
∼歴史と文化が描
くモザイク画のま
ちへ。これをタイ
鎌倉が﹁日本遺産﹂に認
トルとする形で、
由比ガ浜方面へ神輿渡
定されました。▼日本遺
時宵宮祭、5日 時
場 ︶と 中 庭、 そ の 会 場 の
御。日野俊基卿の慰霊。
日
乗りでたブライダル業界
隣に蔵を改装した挙式場
がレストラン
︵披露宴会
の
﹃ Da iy u ﹄︵ 鎌 倉 市
部を借り受けたい﹂と名
想もあったが、昨年﹁全
貸やマンション建設の構
午 前 9 時 ∼ 午 後 5 時。 を思案してい
月曜休館。入館無料。
た。一部の賃
街なみを地域の共有財産
は、宿場を回遊している
として手を加えながら保
全、
再生し、
価値を高めて
気分を味わえる。画像は
同交流館は藤沢橋交差
拠点としていくという。
点に近い藤沢市
扇 ガ 谷・ 宮 腰 真 里 代 表 ︶ がある。
披露宴では 人、
日 産は、平成 年度から始
▼五所神社例祭
レストランでは 人が利 宵宮祭、 日 時例大祭、 まった国の制度で、地域
に貸すことになった。
神幸祭、 時頃海上渡御。 の歴史的魅力や特色を通
萬屋本店の歴史を将来に
物を見ていて雰囲気が気
日 時、 す。申請において、鎌倉
▼瑞賢忌
建長寺。江戸初期の豪商 は
﹁武家の歴史﹂
だけでな
は
﹁改装前から二人で建
じて我が国の文化・伝統
紡いでいこうと、既存の
に 入 っ て 選 ん だ。決 め て
時三つ目神楽。
雪﹂の特約店となって栄え、全市に
柱や梁、床の間などなる
よかった﹂
と話していた。
日
知れ渡るようになった。建物は関東
べく残した。大きなのれ
日 を語るストーリーを文化
▼ほたるまつり
∼1週間程、鶴岡八幡宮。 庁 が 審 査 し、 認 定 し ま
大震災時に焼失したのち、旧母屋の
んをくぐって中に入る
年︶に釘を使
わない伝統工
安置されたという。
で治水工事や航路開発の
いている方のお話に触れ
できるの意︶を音写した
1日∼8月
アルハト︵ふさわしい、
もので、修行を完成した
日葉山の海水浴場。
水浴場。7月2日∼8月
される人という聖者を意
それを楽しむ静寂や、余
は今日も門の下をくぐる
る仏像であるが、どれひ
違いない。﹁覚悟をきめて
何かを授けてくださるに
時代。
鎌倉市指定文化財。 といえそうです。︵N︶
裕のある空間もまた、鎌
火災で消失したという。
様々にありそうですが、
﹁ 鎌 倉 ら し い︻ 音 ︼﹂。
感じることに着眼点を置
▼ 先 日、﹁ 音 ﹂か ら 鎌 倉 を
トーリーを構成しました
文化、芸術にも触れたス
と、
正面の壁には、
酒問屋
問い合わせ萬屋本店☎ 功労者河村瑞賢の法要。
時代の酒・醤油・味噌など 0467・ ・2040
▼大祓式・古神札焼納
祭
日鶴岡八幡宮。
百羅漢像が鋳造された。 阿羅漢と呼ばれる。原語
▼海開き 6月 日∼
8月 日逗子海岸。7月
る機会がありました▼
人、悟りを得た人、崇拝
原型となった木彫り像は
日鎌倉の海
く鎌倉ならではの自然や
部分は192
萬屋本店は江戸時代の1806年
改装は昨年8月末から 用できる︵予約制︶。
に 酒 問 屋 と し て 創 業 し、 銘 酒﹁ 白 8カ月がかりで行われ、
5月8日の披露宴当
日、新郎の久冨裕広さん
日、初回の結婚式披露宴が行われた。
結 婚 式 場 と し て オ ー プ ン し、5 月 8
鎌倉市長谷の老舗酒問屋・萬屋本
店がリニューアルしてレストランと
次世代へ引き継ぐための
日に開
交流館﹂が4月
館した=写真。
藤沢宿は、江戸時代、時
宗総本山・遊行寺の門前
町でもあり、大山や江の
島詣での人たちでにぎわ
西富一丁目の約
5百 ㎡の市有地
に建設された和
風の2階建ての
建 物 で、 延 べ 床
27
倉ならではの魅力の一つ
そ の 後、 身 延 山 の 山 門
遠諱の前年に上棟され、
安置されたが、惜しくも
楼上に
よる一大作で、この木彫 ︵明治2年仮建立︶
像は江戸時代の彫刻
家、
仏師、髙橋鳳雲の作に
16
面積は約380
15 12
味する。ブッダの弟子と
銅像製。像高最大 ・0
しては最高位の羅漢さん ㎝ 、最小5・4㎝ 。江戸
スだ。雲に乗るもの、椅
を私たちに授けてくださ
人を見守り、聖者の智慧
513軀からなる羅漢
像は実に様々でユーモラ
子に横座するもの、龍や
っている。
亀 に 乗 る も の、 獅 子 や
虎、犬、猿、象、魚など
この門の先には清風が
の動物もみられ、それは
吹き抜け、来る人の心に
とつとして同型のものは
自分の道を歩んでいきな
愉しい。500軀を超え
ないというから凄い。
いて下さった気がした。
さ い ﹂羅 漢 さ ん が つ ぶ や
﹁羅漢さん﹂と人々か
ら親しまれるが正式には
30
㎡、総工費に1
6月
13
12
10
24
5年︵大正
石渡徳一さん
り像を原型として銅造五
文
永井宗直
写真 原田 寛
14
億8千万円をか
なく自分の内を探してゆ
24
けた。
く。険しいいばらの道を
10
31
1階の郷土資
料展示室に藤沢
天空に聳え立つような
堂々とした建長寺三門。
突き進まねばならない。
14
40
55
その楼上に五百羅漢像が
題字は建長寺派管長
吉田
正道
建長寺三門・五百羅漢像
人々を容易に招き入れて
そんな重圧すら感ずる。
にある意義は深い。
途轍もない大きさの背景
くあったというからその
創建当初は現在の3倍近
はいるようだが、その奥
への入口なのだ。
﹁門より入るは是れ家
珍にあらず﹂という中国
宋代の諺がある。門の外
開山蘭渓道隆禅師五百年
現在の三門は1775
や他から得た知識などは
年︵安永4年︶の再建。
本 物 で は な い、 と い う
レストラン・結婚式場に
29
意。禅の道は厳しくその
10
30
28
創業2百年の酒問屋『萬屋本店』
11
11
18
74
28
〒248 0007 鎌倉市大町2丁目8番13号 2 202
http://kamakura-asahi.com
は深く、ここは禅の世界
宝物を外から得るのでは
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