学習についての一つの経験から 県立楠隼中高一貫教育校 校長 山崎 巧

H27.6.9 全校朝礼講話
学習についての一つの経験から
県立楠隼中高一貫教育校 校長 山崎 巧
私は高校にはいったばかりの頃、田舎から大きな都市の高校に入ったものだったから、
なかなか学校や授業がペースがあわずに、相当におくれたと思います。高校選択を後悔し
た時期もあって、とうとう期末考査では1学年5〇〇人中491番、という大変ひどい成
績を取りました。何にも授業がわからなくなった。だいたい先生の言うことが念仏のよう
にしか聞こえない。どうしようと思った。成績のせいではないが、学校生活も本当にあま
りにおもしろくないので止めようと思った。部活動に逃げようとしましたが、担任の先生
からもこの成績では入部は許可できないと離れて暮らしている親にも連絡が行きました。
まあ私が部活動に逃げようとしているという担任の先生はわかっていたと思います。
そこで学校を止めたいのだがと一緒に生活していた兄弟に相談すると、
「止めればいい、
仕事も紹介してやる、全然問題ないやめろ、高校行かなくても何とかなるって」と言われ
ました。そうはっきりと言われると、逆に心配になったりしたことを覚えています。
そのとき、それじゃ一回だけ、全力で脇目も振らずに学習してから、学校を止めるかど
うかを決めようと思いました。そこで9月からの数ヶ月間、毎日8時間ぐらい授業のある
学校でしたが、帰ってから毎日4時間以上は学習に集中することにしました。なぜそう考
えたかと言うと、「学習を必死ですれば、生活の何かが変わるのではないか」ということ
でした。そして、一日の例外もなく、4ヶ月、授業は全力投球、家に帰って、毎日4時間
から4時間半学習して寝るという生活を繰り返しました。おまえは「うし年だから、なん
でも急に唐突に始めだす」と兄弟から言われたのをよく覚えています。とにかく、いろい
ろとやってみると、考えられないほどものすごい早いスピードの授業でめまいがしそうで
したが、必死について行くと、難しいところは繰り返しやってくれているということもよ
くわかり、必死に聞けば、わからないところはないんだととわかりました。
そして小テストを受けると、わかってはいるけれど、できない問題というのを発見しま
した。それは復習のされていない部分です。
だから、家では先生から言われた予習・山ほどの課題をすませまして、必ず復習を各教
科その日のうちに10分程度して「できる」ようになり、4時間以上はとにかくどんな疲
れている時でもやり続けました。当然、休日は10時間程度の課題が出ましたから、その
学習や、その他、一週間の中でできていないところの復習にやはり短い時間を当てました。
そうして3ヶ月後の全国模試の成績が、その1ヶ月後に帰ってきました。私は、全国模
試というのがどれも65点程度だったから、あまりできていないなと思いました。しかし、
成績表が返されると、500人中、30番と書いてありました。私は知らないうちに、4
91番だったのですが、一挙に460人ほど抜いていました。このことはいい経験でした。
一つは、私は、学校を止めなくても何とかよくなったのですが、この経験でわかったこ
とは、授業は難しいところを繰り返し振り返ってくれる、その時、その時を集中して一回
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しかないと思えば、授業がわからないことはないということでした。そして、授業でわか
ったと思っても、そのままにしていては絶対に「できる」ようにはならない。「わかる」
と「できる」とは違うということです。やはり自分なりの「おさらい」をその日のうちに
5分でも、10分でもやるということです。その日のうちにけりをつけるということはそ
れからの習慣になりました。
後で、私はK君という人に出会うこと(隣の席に座ること)になりますが、全く寡黙な
K君の授業の受け方はさらにバージョンアップしていました。彼は、受けた授業の内容を
全て暗記してしまって、次の日にできるようになっているのです。つまり「わかる」がす
ぐに「できる」となる。翌日も翌々日ずっとそのまま。どうしてできるのかと聞いても、
寡黙なK君は分かったような分からないようなことを言います。私が分かったことは、K
君を観察すると、授業中の集中力が人の数十倍あると言うことでした。彼は、頭がいいの
ではなく、授業中に全て「できる」ようになるまでを目標としよう、全て覚えようとして
いるんだなと思いました。横に座っていると、授業の中身がどんどんはいっていく音がし
たと感じるぐらい集中していました。そのため、彼は授業終了後、本当にぐったりしてい
ます。彼は面倒くさがりだったので、塾や他の参考書は使いませんでしたが、授業とテス
ト、宿題、対外模試、学校での問題集、受験対策などで現役で楽々と東京大学に進学して
いきました。授業を誰よりも自分のものにする方法を、私もまねをして2ヶ月訓練してか
ら、ずいぶん学習が楽になりました。彼に出会ってよかったと思います。人にとって全て
同じ1時間の授業ですが、彼にとってはそれがおそらく30倍ぐらいの価値があったと思
います。
吉田兼好の徒然草に、たしか「二の矢あると思うべからず。この一矢に定むべし」とい
う言葉があります。芭蕉の言葉にも、「ものの見えたる光未だ消えざるうちにいいとむべ
し」という言葉があったと思います。今の一回の勝負で決めよう、今光る(分かって感動
した)ものは消えないうちに自分のものにしようという意味だと思います。授業もそうい
う姿勢で臨むものだと感じます。
余談ですが、友達もみな私は「一緒にできない仲間」だったのが、そうではなくなって
びっくりした。皆、がっかりしたような感じでした。ただ、その中で一人N君という生徒
が、いつもはできない者どうしでふざけていたんですが、「僕はこの学校の一番の生徒よ
り君を尊敬することとする、君はあんなひどい状況から自分を変えていったというのすご
いことなのだ。本当にすごい。尊敬する。」とはっきりとまじめに言われてびっくりした
ことを覚えています。ただ、その人のことばは、人と自分を比較していない、いじいじし
ていない、まっすぐな言葉で鮮やかな印象を残しています。そして彼もその後難しい目標
を突破しました。
学習は自分との戦い、自分なりの工夫の世界で開けていくものです。その中心軸にある
のが授業に他なりません。他人と比べる必要は全くありません。ましてや他人よりできる
と威張るのはもってのほかです。徹底して、自分の生活改善や授業への向かい方を変えて
いく、工夫していくと自ずと力や結果はついてくるものです。今日の話は、自分の参考に
できるところはしてほしいと思います。後2週間ほどで期末考査です。頑張ってください。
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