若者の政治参加 日本の陥穽とその先を見据えて 慶應義塾大学法学部政治学科 3 年 太田夏美 目次 1,序論 2,本論 第一章 日本人の意見発信能力向上のために 第一節 教育による内部的アプローチ 第二節 選挙制度改正による外部的アプローチ 第二章 理性的な政治参加を目指して 3,結論 1,序論 若者の政治参加については近年ホットな話題が絶えない。2014 年 12 月に行われた第 47 回衆議院議員総選挙においては、全体投票率が 52.66%と過去最低を記録したことは記憶に 新しい。中でも 20 歳代は 32.58%まで割り込み、50 歳代の 60.07%、60 歳代の 68.28% と比較するとその低さが際立つ結果となっている。i また、橋本徹氏が主導した大阪都構 想を巡る住民投票では「シルバーデモクラシー」が話題になった。方や、国会では改正公 職選挙法が成立し、国政選挙や地方選挙の選挙権が 18 歳以下に引き下げられることとなっ た。さらに、昨今の安保法案を巡る議論では、学生団体「自由と民主主義のための学生緊 急行動 SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy s) 」が国会前で抗議 活動やデモを行い注目されている。 「常に政治に無関心だと言われていた若者が遂に動き出 した」との印象と評価のもと、海外メディアでも「意外な日本の一面」として報道され、 世界的注目度も高いものとなっている。 しかし、そもそも若者の政治的無関心は「昨今の日本の問題」というよりも普遍的一般 的なものであるといえる。よく政治的関心を表すものとして使用される投票率を例にとれ ば、先進国でも若者の投票率というのは相対的に見れば低いもので、日本国内においても 昔のデータを見てみると常に二十代のそれが最も低いことがわかる。それはやはり若いう ちは社会や政治に密着している部分が少ないからである。年を重ねるごとに社会保障等へ の関心は高まるが、若いうちにはなかなかそうはいかない。特に、日本は豊かで安全な国 であるために、現状への満足度が非常に高く、不満がない故に政治に対して危機感がない というのが実状である。先進各国のデータを見ても似たようなことが言えるだろう。だが、 これらを加味してもなお、日本は世界から特に政治的意識が低いという印象を抱かれてい る。それは日本人が主体的に問題意識を持って意見を発する傾向が薄いということであり、 この点で日本人は一歩段階が遅れている。この症状が、意見を発する必要性の低さも相ま って、最も顕著に表れ出る若者に、一歩階段を上がってもらい標準スタートラインに立っ てもらうために、第一段階として根本的内側からの改革として日本の教育の改革、補助的 外部的にインセンティブを与える試みとして選挙制度の改正の二点を第一章において考察 する。これにより日本の若者はスタートラインに並ぶわけだが、既にこの段階をクリアし 意見を声高に叫ぶ段階にある、昨今のトレンドともいえる存在 SEALDs も考慮し、その先 にあるステージとして、 「理性的な民主主義」を第二章で提唱していきたい。年を重ねるご とに、どこか変化を嫌悪し自身のそれまでの経験や思想に縛られてしまう面は否定できな い。閉塞的な空間に新たな風を吹かせることができるのは、若者である。 2,本論 第一章 日本人の意見発信能力向上のために 第一節 教育による内部的アプローチ 教育について、日本では選挙や政治の仕組みについては教師から一方向的に教え込まれる が、具体的政治のプロセスを体感する要素がないことが大きな欠陥である。しばしば「教 育の政治的中立性」のもとであるからだとの弁明がなされるが、 「イデオロギー教育になっ てしまうリスクよりも、政治教育をしないことのリスクが大きいのに、イデオロギーとい うリスクに気を取られているというのが現状」iiという斎木陽平氏の言葉を借りて反論とす る。 では、具体的にどのような施策が考えられるだろうか。歴史認識に関する問題で興味深い 話を耳にしたことがある。イギリスにおいては、とある歴史事実を扱う際に、始めにその 出来事に関する印象を生徒に問うてみて、誰が、どの国がどう悪いと思うかを考えさせる という。さらにそれぞれのグループに分かれて各々の意見をぶつけ合う。つまり教師から 一方的に知識や、場合によってはイデオロギーが流入する以前に、主体的に思考して意見 を表出させるプロセスがある。このディベートのプロセスは、日本以外の先進国では比較 的メジャーな手法として重宝されているが、日本では後進的と言わざる得ない分野だ。し かし、近年、日本の教育を見直す際に「双方向」や「討論」といった単語が頻出している ことから、日本でもその重要性が認識されつつあることには違いない。そして、このプロ セスは政治教育の発展に大いに寄与するものである。例えば、政党ごとのマニフェストや 政策方針を提示し、生徒に一番良いと思う政党を自ら選んでもらい、政党ごとに分かれて 討論するといった手法をとる。主体的な行動を通して生徒には自分の考えを表出する能力 が育まれる。日本はその国民性を脱してディベートをカリキュラムの中心に据えなければ ならないときに直面している。 さらに、シチズンシップ教育の有用性にも注目したい。シチズンシップ教育とは、「社会 の構成員としての『市民』 (citizen)が備えるべき『市民性』(citizenship)を育成するた めに行われる教育であり、集団への所属意識、権利の享受や責任・義務の履行、公的な事 柄への関心や関与などを開発し、社会参画に必要な知識、技能、価値観や傾向を習得させ る教育」iiiと定義される。国への忠誠心と愛着は混同されてはならないものである。ジョン・ F・ケネディが 1961 年の大統領就任演説において、「国があなたのために何をしてくれる かではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。」ivと述べた のはあまりにも有名である。日本という「国家」の一員であり「市民」であることを認識 し、自らの生活に終始することなく、国家に参画していく意識作りというのは若いうちに 必要なものである。 第二節 選挙制度改正による外部的アプローチ 本節では現状若者の政治的関心を下げる要因ともなっている選挙制度について論ずる。 「選挙への参加」という最もわかりやすい政治参画の道が開けることは、若者の政治的関 心を大いに高めるものと考える。選挙制度には、投票場所や時間、方法などの「周辺部分」 である投票システムと、立候補や選挙区を定める「中核部分」の制度とに分けられるが、 本稿では長期的視座に立って後者を考察する。 中核部分においては、第一に被選挙権の問題が挙げられる。若年層にとって、同年代が 政治家として活躍していれば、興味の源泉になり得、また刺激にもなり政治的関心の高ま りに貢献する。しかし二つの問題点が障壁となっている。まず高額な供託金である。現行 制度では立候補する際、非常に高額な供託金が必要となる。 (注参照)v 年長世代に比べ資 本形成が遅れている若年層にとって 300 万円というのはあまりに重すぎる負担と言わざる を得ない。次に被選挙権の年齢である。選挙権に関しては 2016 年夏の参院選挙から 18 歳 に引き下げられることが決定し、ようやく世界水準に追いつくといった形だが、被選挙権 に関しては依然出遅れている。日本の場合、国政選挙の被選挙権は衆議院で 25 歳、参議院 は 30 歳からであるが、世界に目を向けると 18 歳までに被選挙権を与えている国はすでに 50 か国を超えている。2015 年 5 月のイギリス総選挙では、スコットランド民族党に所属す る 20 歳の女子大生が、長年議席を維持してきた労働党の重鎮を破り、当選した。ノルウェ ーでは過去に高校生が国会議員に当選し、地方議員にまで目を向ければ、より多くの国で 大学生や高校生の政治家が生まれている。vi こうした実情を鑑みると、未だに日本では政 治への参入障壁が高いと言わざるを得ない。投票「する」側と同時に「される」側の改革 も、政治的関心を高める上で考えていかなければならない状況だ。 もちろん、 「する」側の改革も継続していかなければならない。特に近年叫ばれる「シル バーデモクラシー」の問題は深刻で、若年層の「自分が投票しても大した力にならず無意 味である」という既存の意識をますます助長する結果にならざるを得ない。特に大阪都構 想においては、年代別にみると、特に賛成が多かったのは 20 代(61%)と 30 代(65%) であり、40 代(59%) 、50 代(54%)、60 代(52%)においても賛成が過半数を占めた。 一方、70 歳以上は反対が 61%で賛成を上回ったという。vii しかし全体の結果は僅差で反 対票が上回ることとなり、 (若年層の投票率の問題はあるにせよ)少子高齢化の現実を感じ させ波紋を呼んだ。このような状態が続けば若者の政治離れが加速することは否定できな い。具体的な方策として、若年層の票を加重するということも提唱されているが、「法の下 の平等」を謳う憲法下ではいささか非現実的なようにも思える。現在地域間の「一票の格 差」が問題になっているが、年代間による事情も考慮して、 「年齢別選挙区」を作り、それ ぞれの選挙区に定数を定めるなどの対策も考えられる。 第二章 理性的な政治参加を目指して 本章では、前章において「発信する力」を備えた若者たちの先を見据えて、 「理性的な民 主主義」について論じる。これは日本に限らず全世界に共通する課題であると考えるが、 身近な日本の出来事を例にとる。自発的に意見を発信するラインに立った若者たちといえ ば、2015 年の現在においては、誰もが口を揃えて「SEALDs」と言うだろう。なぜ彼らが このように突発的にスタートラインに立てたのか。それは戦後日本の言論空間のタブーで ある「戦争」を想起させる法案であったからであるが、これに関しては論じ始めると本論 から脱してしまい、それだけで一つの論文を構成できよう事柄であるため、詳説はしない。 少し長いが、ここに SEALDs の中心的メンバーである奥田愛基氏が安保関連法案の中央公 聴会にて野党推薦公述人として述べた一節を引用する。 「政治のことは選挙で選ばれた政治 家に任せておけばいい。この国にはどこかそのような空気感があったと思います。それに 対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考 え、声を上げることは当たり前なのだということ。そう考えています。その当たり前のこ とを当たり前にするためにこれまでも声を上げてきました。 」viii この意識は主権者である 国民や、とりわけ若者に共有されるべき崇高な理念である。この意識の下、十数人で始ま った組織だというのだから、その行動力と意思には見習うべきところが多くあり、これま での日本に欠けていたものが SEALDs やデモ活動に見て取れる。このことを確かめた上で、 私は一つの提唱をしたい。即ち、感情ではなく、理性に基づいた議論である。本稿で安保 論争を繰り広げる気は毛頭ないが、議論が感情的な方向に流れてしまっていることは否定 できまい。 「戦争法案」というレッテル貼りは現状を見えづらくし、第二次世界大戦の記憶 が刻み込まれた日本人にとってはあまりに重くのしかかり、センチメンタルな渦を呼び起 こす。実際に、国際社会の国々の実状と、日本で議論になっている法案を見比べれば、こ の法案が最終的に成立したとしても日本が「普通の国」以下の機能しかできないことは自 ずと理解できる。仮に日本が集団的自衛権を行使できるようになったとしても、依然とし てカナダなどよりもその国際的役割は小さく、数字で表すのであれば 10%にも満たない。 そして、 「ベルギーや、ルクセンブルクや、デンマークのような小国は、半世紀を越えてア メリカの同盟国であり、国内法制上当然のこととして集団的自衛権行使が可能であったの に、集団的自衛権の行使として一度もアメリカの戦争に加わっていない」ix。意見の発信の 次段階として、理性的な視座で物事の等身大を見極める能力というのが重要な要素となる。 3,結論 以上、第一章において現在の日本人の若者に足りない意見発信意欲を補うための施策とし て教育と選挙制度の両面から論じ、第二章においては、第一章の段階をクリアした後に待 ち構える関門について、直近の事例を取り上げて考察した。本稿を閉じるにあたり、アメ リカの第 3 代大統領トマス・ジェファーソンの「教育なき民主主義は無意味である」との 言葉が思い出される。政治教育のない民主主義は、年を重ねて必要性に迫られるまで、若 者をただ狭いコンフォートゾーンの中で右往左往させる。また、理性や知識に基づかない 感情的な議論は無用な対立と憎悪を助長するのみである。 i 国政選挙における年代別投票率について http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/ (2015/9/17 閲覧) ii それでも、若者の政治参加って必要ですか? http://ironna.jp/article/715 (2015/9/17 閲覧) iii 今野喜清・新井郁男、児島邦宏(編集代表) 『学校教育辞典』教育出版, 2003, pp.367-368 ivジョン・F・ケネディ大統領就任演説 (http://www.jfklibrary.org/JFK/Historic-Speeches/Multilingual-Inaugural-Address/Mul tilingual-Inaugural-Address-in-Japanese.aspx) (2015/9/17 閲覧) v 選挙の供託金の金額 http://thepage.jp/detail/20140210-00000007-wordleaf (2015/9/17 閲覧) vi "18 歳選挙権"法成立~若者の政治参加とさらなる課題は http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/221042.html (2015/9/17 閲覧) vii 大阪都構想 年代別投票率 http://www.asahi.com/articles/ASH5J7X87H5JPTIL01M.html (2015/9/17 閲覧) viii SEALDs・奥田愛基さん中央公聴会に http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/15/sealds-okuda-aki-speech_n_8138032.html (2015/9/17 閲覧) ix 安保法制論争を「脱神話化」する http://www.newsweekjapan.jp/hosoya/2015/09/post-1_1.php (2015/9/17 閲覧)
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