[博士論文本文の要約] 嵐雪論: その表現と俳壇への影響

Nara Women's University Digital Information Repository
Title
【博士論文本文の要約】嵐雪論:その表現と俳壇への影響
Author(s)
服部, 温子
Citation
奈良女子大学博士論文, 博士(文学), 博課 甲第572号, 平成27年3月
24日学位授与
Issue Date
2015-03-24
Description
本文はやむを得ない事由により非公開。
【関連コンテンツ:論文の要旨及び審査の結果の要旨】
http://nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/dspace/handle/10935/4008
URL
http://hdl.handle.net/10935/4006
Textversion
none
This document is downloaded at: 2016-03-23T17:17:32Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
博士学位論文要約
嵐雪論 ―その表現と俳壇への影響―
2015 年 1 月
奈良女子大学大学院人間文化研究科
博士後期課程比較文化学専攻
服部 温子
本論文は、江戸の蕉門俳人嵐雪についてその作風と俳壇に与えた影響を考察したもので
ある。江戸は芭蕉の蕉風が最初に根付いた地であり、多くの有力な門人を輩出した。なか
でも嵐雪は其角とともに蕉門の双璧として称された。そのため没後も撰集の再印・再版や
発句集の編纂が盛んに行われ、アンソロジーにも多くの作品が取られた。また、吏登・蓼
太・寥和・巴人・蕪村といった多くの俳人が、芭蕉から直接ではなく、嵐雪およびその門
人を通じて蕉風俳諧を学んでいる。このように近世期の俳諧史上に大きな影響を与えたに
も関わらず、其角などに比して活動範囲が狭く作品数も少ないためか、その研究はこれま
でほとんどなされてこなかった。しかし、嵐雪が近世期を通して俳壇に与えた影響を考え
れば、その作風や手法について明らかにする必要がある。そのような問題意識のもとに以
下の考察を行った。
第一章では「嵐雪の俳諧表現」と題し、嵐雪発句に見られる表現手法について考察した。
第一節「対象把握
―児・幼心の発句をめぐって―」では嵐雪発句のうち児・幼心とい
った子どもに関することを詠んだものを取りあげ、嵐雪の対象把握と表現手法について考
察した。その結果、嵐雪の児に対する観察はこれまで誰も捉えなかった微細な点にまで及
んでおり、且つそれが従来からの季題の本意をしっかりふまえた上で捉えられていること
を明らかにした。加えて、それらを表現する際に、王朝物語的な言葉を取り込むことで句
意に深みを持たせていることも明らかにした。一般的に過度な古典的の利用は不自然さを
招きかねない。しかし嵐雪発句の場合には、十分な対象把握がなされ季語の持つ本意もし
っかりおさえられた上に、それらを生かすかたちで古典的な言葉が取り込まれているため、
不自然になることなく句意を深めることに成功していると結論づけた。
第二節「実感の演出
―妻を詠んだ発句を中心に―」では、妻を詠んだ嵐雪発句を中心
的にとりあげ、嵐雪の演出の手法について考察した。嵐雪には妻烈女との生活を詠んだ発
句が多いが、それらのほとんどが「我妹かさん」のように「我」という言葉を使ったり、
「め
おといさかひを人々に笑はれ侍りて」のような前書を付したりすることで、作者が詠作主
体であるように詠まれている。また、門人に自身が借金を申し出たこと詠ませたりもして
おり、殊更に生活を匂わせるような演出をしている。この他にも嵐雪周辺では、連衆同士
の何気ない会話を種に発句を詠むことも行われており、発句が社交の道具として機能して
いたことがうかがえる。そこから嵐雪にとっての俳諧は、文芸性を追求するものというよ
りも社交の道具という側面が強かったと結論づけた。
第三節「本意の展開
―紙鳶発句をめぐって―」では嵐雪が引っ越していく友人蚊足に
送った紙鳶発句をとりあげ、嵐雪が紙鳶という季語を句作の上でどう生かしているか考察
した。従来の解釈では、当該句は蚊足が引っ越していった日、ふと空を見上げると紙鳶が
揚がっていたという単純な景気の発句として捉えられてきた。しかし、稿者は、嵐雪の他
の紙鳶発句における紙鳶の扱いから、嵐雪が新たに旅人のイメージを付与して紙鳶を詠ん
でいることを明らかにした。その嵐雪発句を受けて、その後、他の蕉門俳人たちも旅を象
徴するものとして紙鳶を詠むようになっていく。同様のことは嵐雪の代表句「元日や晴て
雀のものがたり」にも言えることで、「元日の雀」の方は後世に季語にまで発展した。嵐雪
の表現が他の蕉門俳人たちに大きな影響を及ぼすものであったと結論づけた。
第四節「古典摂取の方法」では古典をふまえて詠まれた嵐雪発句をとりあげ、嵐雪の古
典摂取の方法について考察した。その結果、嵐雪の場合、古典の言葉や場面といった表面
的な要素よりもむしろ、その奥にある情感を共通項として古典をふまえていることが多い
ことを明らかにした。この情感をふまえるという点で、芭蕉と嵐雪は共通した特徴をもっ
ている。しかしながら、芭蕉が古典的世界とのつながりをより重視しているのに対し、嵐
雪は古典をふまえつつも当世的な感覚を重視しており、古典に対する態度には違いがある
ことも明らかにした。さらに、こういった嵐雪の古典摂取の特徴をふまえ、これまで句意
が明確でなかった発句二句についての解釈も試みている。
第二章では「俳壇における嵐雪」と題し、江戸俳壇における嵐雪について考察した。
第一節「入集者から見た『其袋』 ―元禄前期の江戸俳壇―」では元禄三年(一六九〇)
に出版された嵐雪の代表的な撰集『其袋』の入集者に注目することで、
『其袋』の成立事情
ならびに元禄前期の江戸俳壇の状況について考察した。
『其袋』は、蕉門俳書としては珍し
く非蕉門俳人が多く入集することが特徴の一つになっている。なかでも特に注目すべき入
集者は、これまで嵐雪とは没交渉であったにもかかわらず、
『其袋』では十句以上の発句と
連句が合わせて入集しており破格の扱いを受けている江戸の立志たちである。その背景に
は、貞享期には最大の勢力を誇った調和が次第に衰えを見せ始め、変わって一足早く宗匠
立机していた其角が台頭し始めていたという当時の江戸俳壇の状況があったと結論づけた。
第二節「『其袋』諸本考」では、現在所在の確認できる『其袋』版本全てについて詳細な
書誌調査を行い、版元の変遷・再印本出版の時期等について考察した。その結果、上巻で
は玉川大学蔵本が、下巻では富山県立図書館志田文庫蔵本が初版であることを明らかにし
た。また、近世末まで複数回行われている再印本の出版状況についても考察し、再印本出
版が享保末(一七三五)頃から盛んになっていることを明らかにした。其角・嵐雪といっ
た優れた門人を輩出した江戸俳壇だが、芭蕉没後は一時、芭蕉らが提唱した作風からは大
きく外れた奇矯・晦渋な作風の俳諧が流行し低迷した。そういった俳壇の状況を打開すべ
く起こったのが蕉風復興運動と呼ばれる蕉風俳諧を見直そうという動きで、享保末頃から
盛んになっている。このことから『其袋』再印本出版も当初は蕉風復興運動の一環として
行われたものであり、この運動がさらなる嵐雪作品享受を呼び起こし、再度の再印本出版
や嵐雪および『其袋』に因んだ俳書の出版を促したと結論づけた。