お手紙 2015-6

お電話のセッションをされた方からメールをいただきましたのでご紹介します。
私の生活が、思ってもいなかった方向へ進みそうです。
最近は、本能的なものが全開になっているのか、頭で考えたようには自分が行動してくれま
せん。一見すると、無謀で的はずれなことをしているかに思えるのですが、実は明確な意図
をもってやっているのがわかってきました。
長い間、
「普通」にならねば、
「普通」になりたいと言って抑えつけた自分ですから、もうこ
こらへんで自由にさせてやろうかと思って、日々ドキドキしながら自分を見守っています。
まるで、自立を始めた子供を見ている親のようだと感じます。
危なっかしくてどうしても安定や常識の枠に自分をはめたくなるのですが、
「頼むから好き
にやらせてくれ。
」と反発されます。
親はけして、子供の不幸を望んでいるわけではないはずです。
ただ、並みな人より大変な要素をたくさん抱えているのだから、もっと安全で楽な道を選べ
と言いたくなるのです。
だけど、苦労は覚悟しているようなので、理性はただ、本能を信じて味方になって、背中を
押してやるしかないのだと思います。
色々な問題点は残っていますが、それはもう、「病気の症状」では無く私の個性なのだと感
じます。
私の中には、無理に抑えたり矯正したりしなければいけない要素はありません。
ただ強い個性を持ってどう世間と折り合うか、どうやって生活の手段を得るか、そういうこ
となのだと思います。
苦労も悪くないと書かれていましたが、本当にその通りだと共感します。
その実感こそが、長年苦しまれ、今も努力されているからこそ得られた財産ではないでしょ
うか。私も今となっては、過去の苦労は宝だと感じます。
それがあったから今の自分があり、また、これから先、厳しい現実を生きていく大きな手助
けとなってくれるはずです。
一番嬉しいのは、過去の自分をそういう風に感じられることです。
それらが今の自分をこんな苦しい状況に追い込んだと嘆いていたのに、感謝と尊敬を持っ
て大切にすることができるようになりました。
昔は自分を苦しめていると思えていた数々の症状や不調は、実は自分を生かし守る働きが
あって、どれ一つ、無駄なものなんてなかったと、実感しています。
たくさんの犠牲や失ったものの代わりに、たくさんの大切なものを得ました。
何より、自分に与えられた人生を生き抜くということ以上のものはありません。
たくさん苦しんだのは、それだけ懸命に生きようとした証拠です。
今の実感は、いのちあってのものです。
自分のすべてを受容するというのは、ただ自分をほめるのではなく、どうしても納得のいか
ない部分があるとか、いのちさえあればと言いながら、やっぱりもう少し綺麗だったらとか
健康だったらとか、そんな不満やコンプレックスも全部自分として同居させることなのだ
と、最近は思うようになりました。
不安、迷い、甘え、劣等感、矛盾、そんなものも全部引き連れながら、自分の進むべき方へ
進む。人からは、バカげたことをやっているように見えても、自分に嘘をつくよりよっぽど
マシだし、人生は、恥をかいてなんぼ、恰好悪くてなんぼだと最近は感じています。
綺麗ごとを言って自分の本能の欲求から逃げるより、みっともなく振り回されていたい。
外面上は上手くとりつくろっても、自分にだけは正直にいたい、そう思います。
実はそれが一番難しいのですが…自分にはもっと冷静で賢く、周りから格好いいと言われ
るようにあってほしいという気持ちにどうしても流れたくなります。
だけど、これまでそうしようとして、自分の一番大切な欲求に嘘をついてきました。
自分は病気だから、みんなのようにはできないから、見栄えがよくないからといって、恥を
かいたり傷つくことを恐れて気持ちをねじまげた代償は、確実に心と身体にあらわれまし
た。30 何年もひどい精神状態で、身体にもたくさんの後遺症を残して、いまだ難しい要素
を抱えたままで、40 近くなった今になって新しい道に踏み出すのは、無謀と言うしかあり
ません。だけど、それに背を向けたままで、もしも安定した生活や身体的な健康が手に入っ
ても、いい出会いがあったとしても、きっと私は本当に幸せにはなれない気がします。
毎日のように、
「どうしよう、こんなことして大丈夫やろうか。やっぱり止めた方が…」と
言いながら、結局は前に進んでしまっています。
嫌だ嫌だと言いながら、そういう無謀な自分が嫌いではありません。
どうなるか想像もつきませんが、今までの経験にすべて無駄はないという実感があるので、
何が起こっても悪いようにはならない、失敗しても必ず得るものがあるのだと信じていま
す。
今現在悩み苦しんでいる人は、それだけ真剣に生きようとしている証拠です。
何もできないときでも、その間に必ず何かは得ています。
それはきっと、かけがえのない宝となって自分のもとに返ってきます。
病気や障害そのものは、もしかしたら治らないかもしれない。途中でいのちがつきるのかも
しれない。もっと過酷な出来事が待っているのかもしれない。
けれど人生は、結果や成功や生きた年数ではなく、環境や状況に関わらず、その過程にある
のではないか、そう思います。
どんな人生になっても、どんな境遇にあっても、真剣に自分と向き合うのをあきらめないで
いたら、最期の瞬間に自分が、
「よく生きたよね。本当にありがとう」と優しく迎えてくれ
るのだと信じています。
自分と向き合うという、とても難しい課題に挑戦しようとする人が、マイセラにはつながっ
てくるのだと思います。
そんな出会いに感謝し、少しでも多くの人がいのちの実感を得られるよう、心から願ってい
ます。
とても嬉しかったし、今回もたくさんの気づきを頂きました。
本当に、いつもありがとうございます。
幼少期から自己否定のかたまりとなって身体感覚も自分自身の感情も何もわからなくなり、
食べる寝るといった本能的なものの正常な働きも失って、外界への実感もまるで感じられ
ない地獄のような日々を生きてきた私が、今は自分自身として生きることに深い喜びを感
じています。
身体面にしろ、生活面にしろ、大変な要素は満載だし、外から見ると全然幸せには見えない
のかもしれませんが、私は今生きていられることに、心から感謝をしています。
辛さや悲しみも、身体の痛みも、感じられることが本当に嬉しいと思います。
「人並み」とか「年齢相応」にはなれないけど、私は私のままでじゅうぶんだよ、よく生き
た、生かしてくれたと、頭を下げたい気持ちになります。
自分と向き合う、マイナス感情や知りたくない自分の本音と向き合うことは本当に大変だ
ったけれど、そういう機会を得られた自分は運が良かったと、心からそう感じるようになり
ました。
マイセラの活動は、そういう場を皆に提供し手助けをしてくれる、素晴らしいものだと思い
ます。たくさんの人がかけがえのないたった一人の自分の価値に気づき、それぞれの個性を
生かせるようになればいいなと願います。
私は自分自身が社会的に苦しい立場に置かれてきた人間ですから、同じように生きづらい
思いをしてきた人、過酷な運命を背負った人、暗闇の真っ只中にいる人にはなおさら、
それと向き合って苦しんだ人にしか得られない喜びを、味わってほしいです。
そしてまた、お話する機会があったら嬉しいです。
これから暑くなります。京子さんも他の皆さんも、多忙な日々と思います。どうかお身体ご
自愛してお過ごしください。