【優秀賞】旭川人権擁護委員連合会長賞 障がいを持った人たち 苫米地

【優秀賞】旭川人権擁護委員連合会長賞
障がいを持った人たち
苫米地 咲
ひと言に障がいといっても、色々ある。生まれた時から障がいを持っていることもあれ
ば、人生の途中から事故などで障がいを持つこともある。
障がいの種類もたくさんある。例えば、歩けない人、目が見えない人、耳が聞こえない
人など様々だ。
障がいを持っていても、自分で何でもでき、しっかりと生活ができる人、人の手を借り
ないと命を繋げない人と様々だ。
だけど、健常者だって様々だ。
色々な性格の人がいて、色々な生活習慣の人がいて、色々な考え方の人がいる。健常者
の人も色々な場面で人の力や手を借りて生きている。
私には、生まれてすぐに障がい者となった兄がいる。
予定より早く生まれてしまった兄は、未熟児網膜症のため完全に目が見えない。だけど
目が見えないだけ。今、高校一年生で札幌の学校に通っているが、生活のほとんどは自分
でできる。食事や着替えはもちろん、トイレや入浴、一人で遊びに行くこともある。
私は生まれた時から、目の見えない兄が傍にいて育ってきた。だから何のためらいも抵
抗もなく兄を受け入れ育ってきた。
父と母も生まれたばかりの頃は、悩み泣いてばかりいたそうだが、この子が将来一人で
も生きていけるようにと覚悟を決め育ててきたようだ。
目の見える子が、五回練習してできることは、兄には五十回練習すれば絶対にできるよ
うになると教え育てたそうだ。兄もそれに応えるように、諦めずに何にでも挑戦する。
色々なことを何回も何十回も何百回も練習し、今では一人でバスも乗り、海にも遊びに
行き、パソコンもギターもできるすごい兄だ。
もしも、私に障がいを持つ子どもがいたら、兄のように何でもできる子に育てられるだ
ろうか。
「かわいそう」兄のことで周りから何度も言われた言葉だ。声に出さなくても、明
らかにわかる同情の目。あまり嬉しいことではない。
「かわいそうだね」と言われるたびに、
何だか嫌な気持ちになる。兄と一緒に歩いていると立派な大人でも特異な目で見たり、差
別的な言動を受けたりすることもある。兄は明るく積極的な性格で、軽く「そんなことな
いです」
「大丈夫です」など受け答えをするが、私は悲しくて何も言えなくなる。
障がい者を見て出る「かわいそう」と怪我した動物を見て出る「かわいそう」は同じなの
だろうか。
兄は生まれてからずっと目が見えないから、見えない世界が当たり前。見えない人生を
頑張っているわけではなく、普通に生きている。
「同情の目で、特異な目で見ないでほしい。
普通の高校生として見てほしい。
」と兄のことなら思うが、自分だって手の無い他人を見た
時や足の無い他人を見た時、もしかして「かわいそうな人」
「なんか嫌だな」と思ってしま
うかもしれない。だけど、そんな時、私は普通に、当たり前にお母さんの手伝いをするよ
うに、友達の落としたものを拾うように、障がいを持っている人にだって普通に、当たり
前のように手をかせる大人になりたい。