『頭は「本の読み方」で磨かれる』

●小論文ブックポート 115
〈連載〉小論文ブックポート
●茂木健一郎 著 『頭は
「本の読み方」で磨かれる』
こ れ は 脳 科 学 で 言 う と、「 脳
の側頭連合野にデータが蓄積さ
精神にできることはすべてでき
る よ う に な る と 主 張 し て い た。
だ が ベ ン ロ ー ズ は、「 人 間 の 意
識下で働く知性には、計算手順
には書き下せない要素がある」
と全否定した。「物怖じせず、自
説を述べる、ロックンロールな
姿 勢 」 に 著 者 は 大 き く 惹 か れ、
脳科学者を目指したのだ。
それでは読書に慣れていない
人は、何から始めればよいのか。
人が何か行動をくり返すこと
ができるようになるのは、脳の
中にドーパミンが放出されるこ
とによる「快楽」に基づく。
そこで著者は「自分にとって
読み切れてうれしいと感じられ
るような、簡単すぎず、難しす
ぎないくらいの本」に挑戦する
ことを勧める。一冊読み切った
達成感を味わえば、また次に新
しい本を「読みたい」と思うよ
うになる。その積み重ねで、読
書への抵抗感が薄らぐのである。
本書には著書が影響を受けた
冊 余 り の 本 が 示 さ れ て い る。
こ れ ら も 参 考 に、 ま ず は 一 冊、
読み切ってほしい。
(評=福永文子)
れていく」状態である。側頭連
合野は記憶や聴覚、視覚を司る
部 分 で あ り、 そ の 人 の「 経 験 」
を蓄積する機能がある。「『本を
三笠書房刊(定価 本体1300円+税)
読 む 』 こ と は、『 自 分 の 経 験 を
増 や す 』 こ と 」。 他 人 の 書 い た
文 章 を 読 む こ と で、「 自 分 と は
違った人間の考え方や人生を追
体験すること」になる。本を読
むことで書き手の思考の道筋を
の肥やし」になるのである。
たどり、自分と異なる他者の感
勉強とは「読むこと」
読 書 の「 い い こ と 」 は 何 か。 じ方や考え方を発見していく作
その一つが「読んだ本の数だけ、 業 を 行 う。「 太 宰 治 や ド ス ト エ
高 い と こ ろ か ら 世 界 が 見 え る 」 フスキーと何度も夕食をともに
ことである。著者は「読むジャ
するようなもの」なのである。
ンルが多ければ多いほど」足場
現代は「読む」ことを軽視す
が広がると見る。「自然科学書か
る。特にインターネット上の膨
ら哲学書、小説、マンガ」まで、 大な知識は、あたかも「外部に
複数のジャンルを幅広く読む人
設置した自分の脳みそ」のよう
は「足場の広さが違ってくる」。 に 捉 え ら れ が ち だ。 だ が、「 外
部の知識」と自分の中に蓄えら
また足場の高さは、「そのジャ
ンルにおける積み重ね」だ。「足
れた「内部の知識」は全く異質
場が広ければ、世界をより広く
な も の だ と、 著 者 は 指 摘 す る。
自由に動き回って見ることがで
なぜなら、本を読むことは情報
き、足場が高ければ、より遠く
を脳にコピーすることではなく、
ま で も の を 見 る こ と が で き る 」 「 自 分 の 感 情 を 動 か し、 体 験 す
ようになる。
る こ と 」「 自 分 以 外 の 誰 か の 気
持ちを獲得すること」だからで
ある。こうして頭の中に蓄積さ
著者は本を「脳が育つための
最 良 の 肥 や し 」 と 位 置 付 け る。
本 は「 情 報 の 濃 縮 度 」 が 高 い。
脳に入る様々な情報を「要する
に、こういうこと」とまとめる
のが、「言語」である。言語は「脳
の情報表現の中でもっとも
ギ ュ ッ と 圧 縮 さ れ た も の 」。 文
章は、無限の単語の組み合わせ
から、選りすぐられて成り立つ。
さらに本となると、無限大の
暗黒の「言語の宇宙」から奇跡
的に凝縮されて現れた「結晶の
よ う な も の 」 だ と 著 者 は 言 う。
読書で圧縮された言葉をしっか
りと受け取れば、その味わいが
じわじわと広がり、脳の「一生
者は「人に話したくなる本」と
言うが、古典は時代を超えて多
く の 人 に 支 持 さ れ て き た「 大
ヒット作品」だからである。
著者が「文章界のディフェン
ディング・チャンピオン」と語
るのが、夏目漱石だ。著者は時
折、自分の言葉を振り返るため
に漱石を読んでいる。漱石が生
きた明治時代を現代では「黄金
の時代」と位置付けがちだ。だ
が 漱 石 が、『 三 四 郎 』 で「 こ の
ままでは日本は滅びる」と予見
したように、その先見性は卓越
したものなのである。
著 者 は よ く、「 漱 石 が 生 き て
いたらどう言うだろう?」と考
え る。「 古 典 を 現 代 に 置 き 換 え
て読むおもしろさ」を体感でき
れば、本は生きたものになる。
本との出会いが人生を方向づ
けることも、少なくない。例え
ば著者が脳科学者を目指した
きっかけは、イギリス人物理学
者のロジャー・ペンローズが書
いた、『皇帝の新しい心』(みす
ず 書 房 ) を 読 ん だ こ と だ っ た。
1980年代、人工知能の研究
者らは、コンピュータは人間の
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小論文指導に力を入れている
高校の中には、図書館を充実さ
させたり、「朝読書の時間」など、
生徒に読書を習慣づけていると
ころが少なくない。
そもそも本を読むことは、私
たちにどんな影響をもたらすの
か。今号は、茂木健一郎著『頭
は
「本の読み方」
で磨かれる』(三
笠書房)を読みながら、考えて
いく。
「情報に満ちた世の中」
本書は
で、
「かしこく生きる上での重
大 な 選 択 」 に 際 し て、
「本の選
び方」
「味わい方」
「実践へのつ
なげ方」を明らかにしたもので
ある。読書の効用を脳科学的な
視点から指摘している点も、ユ
ニークだ。
れた知識は発酵して育ち、その
に立つこと」は、科学の客観性
人の行動を決める「センス」に
や 批 評 性 の 重 要 な 要 素 で あ る。
変わっていくのである。
文科系はもちろん、理科系にも
読書は欠かせないのである。
高校生にぜひ、意識してもら
い た い の が、
「勉強というのは
古典は最強の「脳トレ」
読むこと」だとの、著者の認識
である。これは著者が、ケンブ
様 々 な 娯 楽 が あ る 現 代 だ が、
いちばん脳が鍛えられるのは
リッジ大学博士課程の留学時代
に 悟 っ た こ と。 大 学 院 生 時 代、 「 読 書 」 だ と 著 者 は 言 う。 な ぜ
なら、人間は「言葉」を使い続
脳科学のプロが集まった研究室
ける存在であり、言葉は「本で
では、世界中の論文からゼミ生
が選んだものを読み、発表した。 磨かれなければ光らない」から
である。言葉は人間の根本。
「人
実験と結果だけではなく、「発表
の担当者はなぜその論文を選び、 とつながる能力」であると同時
に、「 感 情 や 状 況 を 把 握 す る 能
どこをおもしろいと思ったの
か」
「論文を書いた研究者自身
は、
なぜその実験を考えたのか」
「どんな工夫をすればもっとお
もしろい実験になりそうか」を
徹底的に話し合ったという。 このように、読書を通じて獲
得する「自分以外の誰かの目線
力」でもある。「言葉の能力によ って、ものの感じ方、世界の見
え方、世界に対する動き方、人と
の結びつき方が変わってくる」
と著者は強調する。本は、著者
とともに、編集者や校閲者など
幾人もの知恵が凝縮されたもの。
そうした本を読むことは、言葉
を磨く上で、「ボクシングジムで
気合いを入れてスパーリングを
するようなもの」なのである。
このような、言葉のスパーク
リングに最も良いのは、「古典」
を読むこと。良い本の条件を著
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