法話17回

朝の法話
第十七回
十月九日
全校の皆さん、おはようございます。
秋も深まり、朝晩は少し肌寒く感じる季節となりました。
さて、今朝は先週放送した「四諦八正道」の中の「八正道」から学
びたいと思います。
「八正道」とは、さとりを実践する八つの道のことを指します。そ
の中にものごとを正しく見る「正見」があります。
釈尊はかつて、自身が目の当たりにした「老病死」という問題にぶ
つかり修行しました。その後、さとりを得て、その苦しみの原因は老
病死そのものではなく、いつまでも若く健康でいたい、死にたくない
という執着にあったことに気付きました。現実や真実を正しく見られ
ない「邪見」を捨てる「正見」の実践こそ「苦」を超える道であると
明らかにしました。
私たちの普段の生活を考えてみると、「正見」ができているかという
と、どうでしょう。自分中心の見方をしてしまっているのが実際のと
ころではないでしょうか。外見だけで物事を判断したり、噂や自分の
価値観で判断してしまうことが多いように思います。
昔話に、とんちで有名な一休さんの「松の木」というお話があるの
を知っていますか?
ある日、町中にくねくね曲がった松がありました。その松の木の前
に立て札があり、こう書かれていたのです「この松をまっすぐに見た
者には 金一貫文を与える。(一休)」
人々は、何とかこの松をまっすぐに見て、お金をもらおうとしまし
たが、答えがわかりません。そこに蓮如上人というお坊さんが通りか
かり、「私は答えが分かった」と言いました。人々が「どうやって真っ
直ぐに見られるのですか」と問うと、蓮如上人は「よう、曲がってま
すね」と答えました。納得のいかない人々がもう一度問うても、蓮如
上人の答えは同じだったのです。人々は一休さんに事の次第を話すと、
一休さんは「さすが蓮如」と言いました。そして、道理のわからない
人々に「曲がった松を真っ直ぐに見るとは、そのまんま見るというこ
とだ」と教えたといいます。
自分の思いや計らいや都合に左右されず、ありのままの姿を見て、
そのままの姿を素直に受け入れていくということが「正見」なのです。
これで朝の法話を終わります。