近 代 彫 刻 の 先 駆 者 。 「女 」「北 條 虎 吉 像 」は 重 要 文 化 財 に 。 荻 原守衛(碌山)(おぎ わら もり え(ろくざん)) 穂高矢原(やばら)出身 〈 守 衛 が 活 躍 し た 時 代 〉 1 8 7 9 年 ( 明 治 12 年 ) ~ 1 9 1 0 年 ( 明 治 43 年 ) 享 年 31 歳 43 女 「 が 」 完成。 「北條虎吉像」 が重要文化財に 指定される。 42 近代彫刻として 初めて「女」が 重要文化財に指 定される。 43 中村屋の一室で 吐血。永眠。 42 第 3 回 文 展 に 北 條 虎吉 像 」 「 労 「 働 者 を 」 出 品。 41 日本に戻る。 39 パリ、ニューヨ ークで彫刻の基 礎を学ぶ。 ロダンの 考 「 え る人 を 」 見て彫 刻家になろうと 決心する。 ニューヨークか らパリに渡る。 36 和 昭 治 明 34 ニューヨークへ 渡米。洋画の研 究を行う。 32 美術家を志して 上京。 穂高矢原に生ま れる。 12 人間の内面にあるものを表現しようとした彫刻家 守衛(碌山)は絵画の勉強をしていましたが、パリ留学時代、ロダン の「考える人」に心動かされ、彫刻家になる決心をしました。ロダンの作 品を見たり、直接会ったりして、モデルと作者、互いの動きの中で生き ている姿をとらえ表現すること、静止しているポーズの中にも動きが なくてはならないことを学びました。 碌山の作品 ○パリ留学時代 「女の胴」「坑夫」 ○日本に戻ってきてからの作品 「文覚」「デスペア」「戸張孤雁像」「労働者」「爺」「小児の首」 「香爐」 「灰皿」 「宮内氏像」 「銀盤」 「北條虎吉像」 (重要文化財) 「女」(重要文化財) もっとリアルなもの、もっと人間の内部に目指す生命力を求め続けて 心魂打ち込んだ絶作「女」 相馬良(黒光)への思い に悩む自分自身の苦悶、愛 情と理性の間に苦悩してい る女性の苦悩を像に刻もう と考え制作に取りかかりま した。 寒い冬の間、作りかけの 「女」の像を凍らせないよ うに、着物や毛布などを掛 け、自分は寒さに震えてい ました。 大地についた膝から、腿、腰、胴、胸、 首、頭へと伸びていくリズミカルな動き の美しさ、天に向かって何かを訴えかけ ているようなポーズから生まれてくる悲 しみ、内にたたえられている清らかさが 見る人の心に迫ります。 顔は相馬良に似ていると言われていま す。良への思慕がこの作品に表れている のでしょう。 【碌山美術館所蔵】 心を無心にしモデルと向き合った「北條虎吉像」 自分の情感だけではいけない。まず は相手の性格をしっかりととらえなく てはいけない。対象であるモデルに溶 けこんでその人がもつ生命を求めなけ ればいけない。そう考えながら制作に 打ち込みました。 形だけを表現するのではなく、心や その人の性格も表現したいと考えていたのです。 【碌山美術館所蔵】 力強さを表現するために左腕、 両足を取り去った「労働者」 最初は手足をもぎ取られた姿ではあ りませんでした。完成した作品そのも のの構成の弱さが気に入らない、両手、 両足に囲まれた空間がどうしても間が 抜けていると感じ、不満を感じていました。 文展出品後、碌山自身で左腕を取り、次いで両足 を取り去ってしまいました。その方が作品の調和が とれると考えたのです。 【碌山美術館所蔵】 【参考文献】 安 曇 野 市 H P 「安 曇 野 市 ゆ か り の 先 人 の た ち 」 「 花 美 術 館 vol. 8 」 ( 株 ) 花 美 術 館 「碌 山 愛 と 美 に 生 き る 彫 刻 家 荻 原 守 衛 」 (財 )碌 山 美 術 館 、 南 安 曇 教 育 会 「荻 原 碌 山 」 南 安 曇 教 育 会 「美 と 愛 の た た か い 近 代 彫 刻 の 父 ・ 荻 原 碌 山 」 塚 田 正 公 ・ 著 岩 崎 書 店 【 碌 山 美 術 館】
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