初めて朽木中学校の校長室に入った平成25年3 月26日(火)。あれから

初めて朽木中学校の校長室に入った平成25年3
月26日(火)。あれからほぼ2年が過ぎました。
本年度最終号となります。卒業式式辞をそのまま
発明王、トーマス・エジソン。彼の最大の挫折は、
教師に「この子は教育するに値しない」という両親宛
掲載します。1年間ありがとうございました。
そうです。エジソンには、大きなショックでしたが、こ
の手紙を持たされて、学校から家へ帰されたことだ
のために彼は教養を身に付け、真に偉大な発明家
弥生3月、別れの時です。弥生(やよい)と書いて
になれたということです。アメリカ合衆国大統領 エイ
「弥生い(いやおい)」とも読むそうです。弥生(いやお
ブラハム・リンカーンは、商店経営に失敗し、測量
い)とは、植物がさらに成長することを意味します。
士、軍人、さらに弁護士としてうまくいかず、才能を
高島市立朽木中学校第68期卒業生20名の皆さ
ん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様、
義務教育9年間、約9,000時間に及ぶ学習の修了で
す。ご卒業、誠におめでとうございます。
別の方向に転じました。そして、アメリカ合衆国史上
最も偉大と言われる大統領となりました。
私自身の大きな挫折は、大学受験に失敗したこと
です。大学浪人時代、毎日10時間勉強しました。
高島市教育委員会教 育 委 員 加 藤 み ゆ き様を
扇風機もエアコンも炬燵もない、4畳半の下宿で1年
はじめ、地域の皆様や関係各位におかれましては、
間を過ごしました。孤独でした。そ の 年 、 届 い た 年
お忙しいところをご臨席賜りましたこと、高段からで
賀 状 は 2 通 だ け 。家に帰ったのは、お盆と正月の4
はございますがお礼を申し上げます。
日間だけです。次の年、どうにか合格し、自分自身
さて、いよいよ君達は、自分の人生について真剣
に考える時期となりました。
そこで、まず自分のことを知る必要があります。
で一つの壁を突破できたと感じました。
人生、いつかは勝負の時がきます。その時はでき
る限り逃げないでがんばってください。
かえ
人間の目は外側に向いています。自分のことは、
でも、本当にしんどくなったら家に 還 って来てくだ
なかなか分からないものです。様々な体験をしたり
さい。昨年、富田富士也さんの講演を聞きました。そ
本を読んだりする以外に、周囲の人から自分がどう
の時の資料の中に、次の詩がありました。
見えているのか、意見や忠告に耳を傾ける必要もあ
「甘えてもいいんだよ」
るでしょう。自分という人間がどういう人物で、何を得
泣いていいんだよ
甘えてもいいんだよ
意とし、何が好きで、や り た い こ と は 何 な の か。そう
照れていいんだよ
弱音を 吐い てい いんだ よ
いったことが見つかった人は、それだけで幸せかも
頑張らなくていいんだよ
しれません。何事も一 生 懸 命 や っ て み な い と、自
そのまんまの自分で
分のやりたいことは見 つ か ら な い も の だ と 思 い ま
いいんだよ
す。
あなたに
そのまんまの自分で
かえ
では、君達の先輩は、どんなことを大事にしてき
還る家はありますか?
あなたに還る家はありますか?
たのでしょうか。朽木中学校の校歌に繰り返し出てく
「かえる」という文字は、還暦の「還」、ぐ る っ と 回
る言葉があります。それは「希望」です。希望や夢を
っ て 戻 っ て く るという意味の還を書きます。私の息
持って生きることを大事にされてきたのでしょうか。
子が、外国に行くことになり、子離れできない父親と
ま た 「 熱 と 情 け と 誠 心 」という言葉があります。「熱
しては「あかんかったら戻ってきたらいいで」と話して
と情け誠 心 」を大事にして生きて行きなさいというよ
います。
まごころ
まごころ
うに、私は感じます。
最後に、保護者の皆様にお願いです。家庭とは、
人生は、様々な失敗から、いかに立ち直るかの連
家族とは、いつでも受け入れてくれる足場であり立脚
続ではないかと思います。負けること、失敗すること
点であると思うのです。最悪の時でも戻れる、そうい
は誰にでもあることです。そこで終わったら失敗のま
った場所であ るべきだと 思う ので す。
まです。なぜ失敗したのかを分析し、次 に 生 か し 、
成功すれば、それは失敗で はなく なるので す。
卒業生を始め生徒の皆さん、保護者の皆様の幸
せを祈っています。