作文部門 優秀賞 私の 「ふるさと」 フジサンケイ く ビジネスアイ賞 ぼ ひと み 久保 仁美 東京都立竹早高等学校 1年 「ふるさと」とは何だろうか。私は台湾・高雄市に生まれ、生後四ヶ月で東京に引っ越し、 四歳には再び高雄に戻り、高校一年生となった現在また日本の東京で暮らしている。そんな 奨励賞 私の故郷は一体どこなのだろうか。父が日本人で母が台湾人の私は一体、何人なのだろう か。私は幾度となく自分にそんな質問をぶつけてきた。大抵の人は母国の文化に影響され、ア イデンティティを形成していく。二つの国の文化に影響された私は自分がそのどちらを主体と しているのか悩み苦しんでいたが、その苦悩は「台湾で出会った日本」によって解消されたの だった。 特別賞 「剣道。」それが私が台湾で出会った日本だった。高雄で日本人学校に通っていた時、体 育の授業で初めて「剣道」というものに触れる機会があった。そこで私の最初の剣道の師で ある陳信寰先生にご指導頂いたのだ。陳先生は宮本武蔵を開祖とする二天一流の宗家免状 を持つ方であり、現在は日本統治時代に高雄に建てられた「武徳殿」の道場主である。教え て頂いたのは本当に少しの時間だったが私は先生の語る剣道の精神に強く惹かれた。 「『礼 に始まり礼に終わる。』この言葉は剣道をはじめとする日本精神を端的に表現している。」そ う先生はおっしゃっていた。私は剣道を学ぶことで同時に日本の古き良き文化を深く学びた いと想い、高校から剣道を始めることを決心した。言わば、私は純・台湾人である陳先生に日 本文化を教えて頂いたということである。日本人ではなく台湾人から日本を学ぶことは、日本 と台湾のつながりを強く示しているのだと思った。 そのつながりの深さを私は他の所でもたくさん発見することができた。その一つとして小 学六年生の時に調べ学習をした「八田與一」という人物が印象深い。日本の教科書にはほと んど載っていないため、名前すら知らない人が大半であるが、日本統治時代に台湾に多大な 影響を与えた人として、台湾では広く知られている。彼は台湾・台南市の烏山頭ダムの建設に 尽力し、台湾の農業水利事業に大きな貢献をした人である。嘉南大圳の父と呼ばれ、ダムを つくることにより、作物の生育が難しかった嘉南平野を、穀倉地帯へと変貌させたのだ。八 田與一をはじめとする台湾の日本統治時代に台湾の発展を導いた日本人がいたから、その 世代の台湾人が日本に好印象を持っているというのはよく言われる話だ。しかし、私はそれ 以上の何かがあると考えた。私が思うに、台湾人は目に見えるようなものだけでなく、目に見 えないものによって日本人の素晴らしさに気づいたのだと思う。例えば、 「まごころ」。八田與 一らが何故、異国の地である台湾で一生懸命働いていたのか。その理由を台湾をより発展さ せ、日本の利益となるよう、いわば台湾を利用し利己的な目的を達成させるためだと考える人 もいる。しかし、本当にそうだろうか。あくまで私の想像であるが、台湾に居た彼らは台湾人 のあたたかい人情に触れるうちに自分自身の中にある日本人特有の「まごころ」が芽生えた のだと思う。 人と人。それは日本人であっても、台湾人であっても、心の奥深くに相手を思いやるという 清廉な感情があるはずだ。私はそんな素敵なもので、日本と台湾がつながっていってほし い。そして私は日本語と中国語が出来ることを強みに両国の架け橋となり、相互理解や相互 交流を深めていきたい。そのためにも自分自身の「医師になり、世界中を飛びまわりたい」と いう目標を実現させる所存である。そこで、私の大切な大切なふるさとである日本と台湾の 文化・精神を他の国にも発信していこうと思う。たくさんの知識を持つことで様々なものの見 方ができるようになり、人々のもつ偏見や差別を払拭できると考えているからだ。日本と台湾 の絆を通して、 「世界平和」が実現すると言っても過言ではない。何事も小さな一歩から始ま る。私たちが(日本と台湾が)手と手をとりあって共に歩いていくべきだ。中国語には「貼心 (ティエーシン)」という言葉がある。思いやり、心からの親切などという意味である。日本語 の「まごころ」に似ている気がする。 「まごころ」も「貼心」も相手の気持ちにぴったりと寄り 添い、思いやる心を意味する。 私は今では日本と台湾、二つのアイデンティティを合わせもっていると胸をはっていうこと ができる。私を苦しめ悩ませた「ふるさと」は、むしろ私の礎であると気づいたのだ。領土や 国交などの問題が着目されている今だからこそ、私のような二国のふるさとを持つような人が 中心となれば、解決の糸口を見つけられるのではないだろうか。大切な「ふるさと」、日本と 台湾のつながりがこれからもずっとずっと続きますように。
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