第 3 回 H/ASCA 展 入賞者香港表彰旅行(平成 27 年 3 月)を終えて 愛知県立芸術大学 4 年 川角 岳大 香港バーゼルを体験して。体験というように今回のバー ゼル視察は私にとって体験と言うのが最も相応しい捉 え方であったように思う。まず私が今回バーゼルに対し てどのような立場であったかを考えてみた。 バーゼルがギャラリー主体のアートを売るものとして 扱った所であると前提する。そこには、作品を作る側と してのアーティストと、売る側としてのギャラリーの関 係がある。そして私は現在そのどちらの立場にも属して いないわけである。よって残ったのは参加する側として、 バーゼルを見に来た側の者と、作品を買いにきた側の者になる。しかしこの視察旅行での私の立場は、その両者 にも属していなかったと思われるのである。なぜなら当然作品を買うことは全く考えていなかったので後者はあ りえない。すると前者と考えるのが普通だが、私は今回、自らバーゼルに行くという意志のもと視察旅行を企画 し、意気込んで見にきたわけではないので、前者のような意気込みや金銭的リスク、覚悟も薄いのである。私は 突然目の前に現れた世界的アートイベントに、ふらっと立ち寄ってしまった。それは"見る"でもなく"買う"でも ない"体験"となったのだと感じた。そのような立場であるがゆえにとても客観的な視点でバーゼルを体験するこ とができたように思う。 ではバーゼル香港はどのような体験であったのか。ふたつほど感想をあげていく。 まずひとつは、見る側と買う側の存在を先に上げたが、ここでの作品の在り方は売る人と買う人の関係が優先的 であるように感じた。作品たちは全て買える対象として一定の形(物質)をもっていて、何処かに置き換えられる ような可能性を前提としている。売る側にも買う側にもそれが共通認識としてあるように思えた。しかし形の無 いものや物質として成り立っていないような作品も、増えつつある中で、今後そのような形式の作品がバーゼル で多く取り扱われることがあるのか、とても興味深いところである。 ふたつめに。バーゼルはおそらく完全に作者が主体での企画展示ではないだろうと想像できる。それを踏まえた うえではあるが、トップアーティストたちの作品を、一度にまとめて目にするという視覚体験は、彼らの存在(ア ート)が、こちら側に、自ら近づいて来てくれたような感覚を覚えるものであった。それは"体験"からえられた ものであっと言えるだろう。バーゼルに訪れるまでは存在してすらいなかった架空の世界(アート)が、確かにこ の世の何処かにあるものとして、私自身が確認できたこと。このことは今回の視察旅行での体験で最も重要な成 果であったと帰国後、思うのである。 最後になりましたが、このような貴重な体験を作り上げることができたのは今回のような形式での視察旅行であ ったためだと強く思います。堀理事長、倉田社長、企画運営して下さった皆様に大変感謝しています。有難うご ざいました。
© Copyright 2024 ExpyDoc