花の兄 犀星の出したステキな手紙の一部 が、新聞に紹介されていた 「来

花の兄
H27.1.30
第480号
犀星の出したステキな手紙の一部
が、新聞に紹介されていた 。「来たい
と思ったら何時でも来たまえ、汽車賃
だけ持って来たまえ、落葉の下から水
仙が伸びている古い町だ。犀」
もうこの一文だけで金沢の町の風景
が、切り取られてでもいるように思い
浮かぶではないか。詩人は一流の絵を
相手の心に描かせる。見事である。
この一文を目にした時、無性に一輪
の梅の花を見たいと思った。デジカメ
を持って学校中を探したが、学校内で
は目にすることが出来なかった。もしかしたらと思い、美術室へと足を向けた。
「鋭い!」自分の感覚は間違っていなかった。そこでは講師さんによる水墨画
の指導の真っ最中であった。子供たちの手元にあるお手本を観て、驚いた。梅
の花である。そこにある梅は墨で描かれているので、ほんのりとした赤みや匂
い立つような様子はないのだが落ち着いた趣のある梅がそこにはあった。
子供たちも指導される講師の先生の手元を、真剣な眼差しで見つめその表情
は一つも聴き逃さないぞといった気迫に溢れていた。子供たちの完成した作品
を軸にされていたので、その梅も描いた子供と一緒に写真に納めた。本当にス
テキな梅である。
梅は「花の兄」とも呼ばれている。どの花にも先んじて一等最初に咲くから
なのだろうか?。それとも日本を象徴する桜に先んじて咲くからなのだろう
か?いずれにしても「花の兄」という言い回しは、如何にも日本の文化をわき
まえてつけられているようで音にして言ってみるだけでシアワセを感じる。
「い
いなぁー」
さて、そういえば今年も福井県坂井
市などが主催する「一筆啓上賞」の入
賞作が発表された。犀星にも負けない
と言ったら詩人犀星に怒られるだろう
か?それこそホロリとさせられ落涙し
てしまう一文がキラリと光っている。
「戦地に赴く父へと送った手紙に、
金木犀の花粒を忍ばせたとか。お見そ
れしました」卒寿を迎えるお母さんの
事を書いた娘さんの一文である。因み
に金木犀の花言葉は 、「真実の愛」だ
そうだ。そのたおやかさに、戦中の女
性の美しさを私はみる。戦地へ向かう
夫への、この上ない恋文だったのであろう。一粒の金木犀の種が、多くの言葉
を超えて存在することにただただ感動する。
「おーい、お花を新しくしたぞ。活け方に文句あるなら出てこいや」亡くな
ったであろう妻への、これも恋文であろうか。もう、誰かではないが「なーん
も、言えない」ただそれだけである。きっと天国へ想いは届いたことであろう。
梅の花を「花の兄」と表現するこの国の文化を、私は美しいと思う。それを
脈々と繋げているこの国の人々を私は誇らしいと思う。如何だろうか?
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