ら避難させることを考えてきました。 福島県飯舘村の選択 「 放 射 能 の 線 量 が 20 ミ リ シ ー ベ ル ト 3 . 1 1 の 東 日 本 大 震 災 当 初 、福 島 第 一 原 になるから村から直ちに避難しなさいと 発 の 北 西 30 か ら 45km に 位 置 す る 村 の 被 な っ た と き 、『 室 内 な ら 2 0 ミ リ シ ー ベ ル 害は地震と津波で甚大な被害を受けた他 ト 以 下 な の で ど う で す か 』と 国 と 交 渉 し 、 の地域に比べても小さいものだった。し 村に 9 社(現在は 7 社)の企業を残しま かし、それもつかの間。原子炉で次々に した。その中で 1 番大きい会社は避難の 爆発が起き、村の全域の放射線量が年間 最中に上場しました。 通 算 20 シ ー ベ ル ト に 達 す る 恐 れ が あ る 「防犯パトロールも村民の人々を避 と す る「 計 画 的 避 難 区 域 」 (1 ヶ月以内を 難先から村の臨時職員という立場で募集。 目安として住民全員の避難が指示される 2 日、場所によっては 4 日に 1 度の出役 区域)に指定された。 です。もちろん線量を計りながらです。 原発事故から約 1 年半あまり過ぎた今 8 時間交代だが 4 時間だけ。残りは室内 年 3 月、国が行った避難指示区域見直し でレポート作成などをして体を休める。 により、村は「避難指示解除準備区域」 そのことを知らない人は『村民を危険に 「 居 住 制 限 区 域 」「 帰 還 困 難 区 域 」 の 3 さらして』という話になるわけです。 「後発の避難でしたから、首相官邸か つに分断された。 そんな中、6 月末に仮役場が置かれて ら は 、 例 え ば 、『 長 野 県 に ( 避 難 先 が ) いる飯野出張所を訪れ、菅野典雄村長さ 500 あ り ま す 』 と い う 話 で し た が 、 私 は んの話を伺った。 『1 時間程度のところで探してもらいた い』と指示を出しました。その結果、今 現 在 、村 民 の 9 割 が 村 か ら 1 時 間 以 内 の 所 に い ま す 。 県 外 は 530 人 で す 。 村 に 近 いところへの避難で: 通勤時間を延ばすことで仕事を辞め ないですむ 転校しないですむ 家 族 が バ ラ バ ラ に な り 1,700 世 帯 が 3 , 0 0 0 世 帯 に な っ て い る が 、そ れ も た まには行き来ができる 飯舘村村長 菅野典雄さん 福 島 県 飯 野 町 、村 役 場 飯 野 出 張 所 に て h t t p : / / w w w. v i l l . i i t a t e . f u k u s h i m a . j p Q:あ の 日 以 来 、 と く に 苦 労 さ れ て い る こ とは何ですか。 いずれ村に戻るとき、戻れない人た ちもこの近くにいることでいろいろ なアプローチができる などのメリットがあります。 「避難中で大変なので、転校した子も 「 村 の 人 口 ( 約 6,000) の 大 部 分 は 牛 含め、子どもたち全員に声を掛けてドイ を飼い、畜産との兼業農家でしたが、原 ツ、イタリア、オーストラリア、沖縄、 発事故ですべて閉ざされてしまいました。 北海道などに行かせて交流もさせていま 放射能による『健康のリスク』と『生活 す。大事なのは 1 人ひとりに寄り添うこ の変化のリスク』をどうバランスを取り と。 『 1 人 ひ と り の 復 興 』と い う こ と を 考 ながら村民を避難させるかをずっと考え えていくことが『村の復興』に繋がると てきました。ふるさとを守りながら、職 いう計画を立てているわけです。 を失った人の職をできるだけ確保しなが Q: 今 、 国 に 望 む こ と は 何 で す か 。 うもの』というのもありですが、近くに 「他の災害の場合、家や家族を亡くし あって慈しみ、育んでいく方がいいじゃ たこと自体はとても重いが、いずれ0か ないですか。ふるさとを他の場所に新し らスタートできます。放射能災害は、世 く作るという人もいるが、そこがバラ色 代を超えて、長い間、不安と生活苦と戦 なのだろうか。大事なのはふるさととし いながら0に向かっていかなければなら て次の世代に何を残すかだと思います。 ない。 「もう 1 つ、他の災害は家族であれ、 「いずれ『帰る、帰らない』の判断を するときが来る。村の判断の上に個々の 地域であれ、乗り切ろうとみんなの心が 判断をしてもらうことになるが、1 人ひ 結 束 す る 。放 射 能 災 害 の 特 異 性 は『 分 断 』 とりが条件や環境を正しく知ることも大 です。家の中でも、お年寄りと若い人は 切。放射能について正しく怖がることが 違う。線量の高いところ低いところでも 大切。戻ったけど失敗した、戻らなかっ 違う。福島県の中でも避難したところと たけど、戻ればよかったという話になっ 風評被害を受けたところで対立している。 ては困る。 『分断』と厳しく向かいあわざるを得な 「復興プランは色々あるが、1番の復 い と こ ろ に 、故 意 で は な い こ と は 判 る が 、 興の原動力はそこに住んでいる人たちが 国はさらに『分断』するような政策をず 自 分 の『 ふ る さ と を 想 う 気 持 ち 』、自 分 の っと出している。不安を掻き立て、人間 『 家 族 を 想 う 気 持 ち 』、あ る い は『 生 計 を の心の分断を起こしている。 担ってくれる畑や牛を大切にする気持 「大地震、大津波、原発とどこの国も経 ち』で、そこをうまく活用することが本 験したことのない大災害に遭遇している 来の復興の原点のはず。 の で 、 国 、 県 、 わ れ わ れ に し て も 100 点 「 別 の 言 い 方 を す れ ば 、『 顔 の 見 え る 、 の答えは出せない。ベストはあり得ない 声の届く中で政治をやっているわれわれ がベターに向かって力を合わせて、知恵 に も っ と 裁 量 権 を 下 さ い 』と な る 。 『権限 を出して、乗り切るしかないのだから、 と 財 源 だ け く れ 』と い う の で な く 、 『われ われわれも被害者意識だけではなく、国 われも一緒になって苦労して、少しでも のことも少し考えてやるべきだし、国も いい状況を国と一緒に作っていく』とい われわれの大変さを理解して、心に寄り うことなのに、国はその辺がまだよく分 添 っ た 政 策 を 出 し て も ら わ な く て は 困 る 。 か っ て い な い 。」 物事の白黒だけの判断をしていると、多 分、日本はこれから世界に伍していけな * * * いと思います。 「復興を少しでも進めるという考え ( 3.11 の 震 災 直 後 、菅 野 村 長 は 三 宅 島 方から、国は放射線量による村の3つの と山古志村の村長さんと勉強会をやった 区分けをしました。不満はあるが、少し そうです。全村民避難を経験した三宅島 で も 事 業 が で き る こ と が 大 事 。不 満 だ が 、 は 3 年 、山 古 志 村 は 4 年 半 で 帰 村 し た が 、 その中でどういう風にわれわれはやって 「 ど ち ら も 帰 村 率 は 65-70% 。 一 度 出 て いくかについて、われわれから具体的な しまうと、どんな災害であれ、元に戻る 提案を出すことで国も変わってきている。 ことはない。残念ながら、われわれは放 Q: 菅 野 さ ん に と っ て の 「 ふ る さ と 」 と 射能ですからもっと下がる予測をしてい は何ですか。 るわけで、われわれの復興計画は、他の 「ふるさととは『何にも代えがたい居 場 所 』で す 。 『原発だから遠くにありて想 自 治 体 と は ま っ た く 違 う 。」 と 菅 野 村 長 。 ( イ ン タ ビ ュ ー :野 沢 聡 子 )
© Copyright 2024 ExpyDoc