科学の社会史 第3回参考資料 - site

科学の社会史 第3回参考資料
バターフィールド『近代科学の誕生』はじめに(1957 年)
【解説】以下の文章は,「科学革命」という言葉を有名にし,のちの科学史家に大きな
影響を与えたバターフィールドの著作,H.バターフィールド(渡辺正雄訳)『近代科学
の誕生(上)』
(講談社学術文庫,1978 年;原著 H. Butterfield, The Origins of Modern
Science, 1300-1800, 1957)からの抜粋(13-14 頁)。ルビは省略した。
[1]
全くの「一般歴史家」が自然科学のいずれかの部門の最近の発達について
発言できるなどとは誰も思わないであろう。しかし,幸いにも,通常の教育目
的から見て,人文科学の学生に対しても自然科学の学生に対してもきわめて重
要だと思われる分野は,歴史家にとって比較的扱いやすい領域,しかも歴史家
の介入をとくに必要とする領域である。すなわち,いわゆる「科学革命」であ
る。
[2]
これは,ふつうには十六,七世紀と結びつけられているが,実はもっと以
前の時代にまで連続的にさかのぼるべきものである。この革命は,科学におけ
る中世の権威のみならず古代のそれをも覆えしたのである。つまり,スコラ哲
学を葬り去ったばかりか,アリストテレスの自然学をも潰滅させたのである。
したがって,それはキリスト教の出現以来他に例を見ない目覚ましい出来事な
のであって,これに比べれば,あのルネサンスや宗教改革も,中世キリスト教
世界における挿話的な事件,内輪の交替劇にすぎなくなってしまうのである。
[3]
それは,物理的宇宙の図式と人間生活そのものの構成を一新するとともに,
形而上学の領域においても,思考習慣の性格を一変させた。こうして,この革
命は,近代世界と近代精神の真の生みの親として大きく浮かび上ってきたため,
ヨーロッパ史における従来の時代区分は時代錯誤となり,邪魔物となってしま
った。歴史上に起こった変化のなかで,また思想・文化史上のひとつの章のな
かで,この分野ほど,その根底に働いていたものをくわしくさぐってみること
が重要なところは他にないであろう。
1
シェイピン『「科学革命」とは何だったのか』序論(1996 年)
【解説】これまでの「科学革命」概念に疑問を呈する最近の科学史家の著作,スティー
ヴン・シェイピン(川田勝訳)
『「科学革命」とは何だったのか』
(白水社,1998 年;原
著 Steven Shapin, The Scientific Revolution, 1996)からの抜粋(9-13 頁)。「……」
による省略は引用者・田中による。ルビと注は省略した。
[4] 「科学革命」というようなものはなかった,これが本書の主張である。か
つて,まだ学問の世界がより大きな確信や,より大きな安心感を与えていたこ
ろに,歴史家たちは,あるひとまとまりの,首尾一貫した,地殻変動的一大事
件が現実に存在したという主張をした。その事件は,人々がそれまで持ってい
た自然についての知識と,正しい自然知識の獲得方法とを,根本的かつ不可逆
的に変えてしまった,というわけである。その瞬間に世界は近代へと移行し,
それは幸いなことであって,十六世紀末から十八世紀初頭のあいだのどこかの
時点で起こったものとされた。……
[5]
科学革命というこの概念は,いまではすっかり伝統という殻に覆われてい
る。実際,この概念ほど重要で,研究に値することが自明に思える歴史的事件
は少なく,欧米の一般教養のカリキュラムでは,この科学革命の説明をするこ
とは,制度としてすっかり定着している。本書は,それを手際よく説明し,さ
らに,初期近代科学の形成に対してより大きな好奇心を喚起しようとする試み
なのであるが,二〇世紀の多くの「伝統」と同じように,科学革命という概念
の中身は,実は,われわれが思うほど昔からあるものではない。「科学革命」
という言葉そのものにしても,一九三九年にコイレが広めるまではほとんど使
われたことはなかったし,書物のメインタイトルとして使われたのは,さまざ
まな歴史記述法の中でまったく対極に位置する二つの書物,ルパート・ホール
の『科学革命』というコイレ色の強い書物と,マルクス主義的バナールの『歴
史における科学』の一巻『科学革命と産業革命』とが出版された一九五四年が
初めてであった。十七世紀の当事者たちの多くが,根本的な知的変化を引き起
こそうという意志を表明していたことまでは確かだが,その革命の担い手とさ
れている人々が,自らの行いを「革命」などという言葉を使って表現したこと
はなかったのだ。……
[6]
近年,十七世紀の科学についてのわれわれの理解が変わってくるにつれて,
科学史家たちは次第に,「科学革命」という発想そのものに座りの悪さを感じ
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るようになってきている。
「科学革命」という言葉を構成している,
「科学」あ
るいは「革命」という言葉が適切な言葉であるか否かも,それぞれに検討され
るようになった。多くの歴史家たちは今では,「これこそ科学革命である」と
言うにふさわしい特別な一回限りの事件が,ある特定の時代に特定の場所で起
こったと考えてはいない。それどころか彼らは,革命的な変化を受けたとされ
る「科学」という名の,論理的整合性を持つ一つの文化的存在があったという
考えすら,もはや認めてはいない。実際には,自然界の理解,説明,支配を目
的としたさまざまな文化活動が併存していて,それぞれの活動がそれぞれの特
徴を持ち,それぞれの変化を遂げていたというのである。さらにわれわれは,
今では,「科学的方法」というようなもの――科学知識を作り出すための,論
理的整合性を持ち,普遍的かつ効果的な一連の手続き――が存在するという主
張すらも,非常に疑わしいものと考えており,まして,その起源が十七世紀に
あり,それはその時から現在の私たちにまで自然に受け継がれてきているとい
うような説には,より深い疑いを持っている。加えて言えば,現在の多くの歴
史家は,十七世紀に科学的信念や科学活動に起こった変化は,これまで広く説
明されてきたほど「革命的」であったとも考えていない。実際,「科学革命」
が存在したと歴史家たちが言いだしたとたんに,化学や生物学においては十八
世紀,十九世紀に「遅れた」革命があったということが言われだし,十七世紀
の自然哲学と中世の自然哲学との連続性も繰り返し主張されるようになった。
2015.4
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