「言葉の暴力」、いじめによる痛み

ひかる
人はなぜ、いじめをするのでしょう?僕は小六のとき、
かも、それをした人達のことを僕は友達だと思っていたの
悪意を帯びてゆき、「嫌がらせ」になってゆきました。し
優
秀
賞
いし
常陸太田市立瑞竜中学校
二年
しら
いじめを受けていました。自分が彼らに何をしたのか、て
で、まさか、という思いとともにかなりのショックを受け
白
石
光
ん で 見 当 が つ か ず、 晴 ら せ な い ス ト レ ス が 積 み 重 な っ て
ました。それでも僕は、彼らとの関係が壊れるのを恐れま
「言葉の暴力」、いじめによる痛み
いった毎日。本当につらかったことを覚えています。
した。僕が抱いていた友情が一方通行で、幻だったと思い
たくなかったのです。だから、僕には何も言えませんでし
みなさんは一年間にいじめが何件起こっているか知っ
て い ま す か? 公 立 の 学 校 で 認 知 さ れ て い る だ け で も、 約
小五になると、僕への攻撃はさらにひどくなり、とうと
た。
苦痛を味わった人が二十万人以上。そして、いじめと「認
う僕が一番触れてほしくなかった事が攻撃の対象になりま
二十万件もあるのだそうです。僕と同じ、又はそれ以上の
知されていない人」も含めれば、どれ程多くの人がいじめ
した。僕は顔の骨格に生まれつきの病気を抱えています。
たのです。しかし彼らは僕が一言も言い返せないような、
に苦しんだか分かりません。なぜ、いじめて平気なのでしょ
いじめの「前兆」が始まったのは小四の頃で、初めは本
僕の心の奥深くを少しもためらうことなく攻撃してきまし
それでも、数回の手術や治療を経て、かなり良くなってき
当に小さなことでした。筆記用具を落とされたり、強く叩
た。僕にとって初めて、「言葉の暴力」
を感じた瞬間でした。
うか。
かれたり、当初はただの「ふざけ」だったものが、次第に
− 18 −
じめをする人達と同じになるのも嫌でした。
と今まで僕を育ててくれた両親を裏切る気がしました。い
ないんだ。」そう言い返したかったけれど、言ってしまう
「俺だって好きでこんな病気を持って生まれて来た訳じゃ
うだけの気力は残っていませんでした。いじめは被害者の
自分に飛んでくることは明らかで、僕にはそれに立ち向か
こで反論してしまうと、さらに研ぎ澄まされた言葉の刃が
しかし実際そんなことはそう簡単にはできないのです。そ
もしみなさんの周りに「いじめられているのかもしれな
自分を守ろうとする気持ちさえも奪うのです。
とを汚い物でも見るようになりました。僕が「人の絆」と
い。
」と感じるような様子の人がいたら、少しでもいいか
小六の頃には、ほとんどの人が彼らの肩を持ち、僕のこ
いう言葉を信じられなくなったのも、ちょうどこの頃でし
しいのです。一人でもそれに気付いてあげられれば、そこ
ら話を聞いてあげて下さい。いじめられている人のほとん
その様子を見てたまりかねた両親が学校側に直談判し、
からいじめを解決する糸口が見つかり、いじめの地獄から
た。小学校の思い出の中でいちばん辛い時期で、正直なと
やっといじめは終わりました。彼らは僕の家に謝りに来て、
救い出してあげられるかもしれないのです。僕は今、穏や
どが、自分からは意思表示することができません。だから
何事もなかったように、元の学校生活に戻りました。でも、
かな学校生活を送っています。いじめの痛みを知る僕だか
ころあまり思い出したくありません。何度も泣き、眠れぬ
どんなに謝られても心の傷がふさがることはありませんで
らこそ、できることがあるはず。そんな思いで、毎日を過
いじめられている人の出す小さなサインを見逃さないでほ
した。その傷は今も僕の心にぽっかりと大きな口を開けて
ごしています。
日々が続きました。
います。
いじめをしている人には、いじめられている人の苦しみ
がわからないのだと思います。いじめのつらさを自分が感
じられないからこそ、いじめという行為に走ってしまうの
でしょう。もしいじめの被害者が反撃をすることができる
のなら、ただのケンカで終わることができると思います。
− 19 −