第11章 直観と直感とは違う・・・直観は凄い!

第11章 直観と直感とは違う・・・直観は凄い!
直観と直感とは違う。直感は、感覚的に物事を瞬時に感じとることであり、「感で答
える」のような日常会話での用語を指す。他方、直観は五感的感覚も科学的推理も用いず
直接に対象やその本質を捉える認識能力を指し、直感的な洞察力のことです。発達した第
六感のことである。直観,すなわち直感的な洞察力で有名なのはプロ棋士の直観力だ。こ
れは凄いのです。その科学的な研究も行われているが,プロ棋士の直観力による判断は正
しく、そこに出来上がりの局面が頭の中に見えているという。今はないけれど局面が進む
につれて出来上がっていくずっと先の局面が見えているというのだ。今ないものが見えて
いて,先々そのとおりになっていく。直観というのはそういうものだ。いい加減なもので
はない。よほど経験と修練を重ねていけばそういう直観力は身に付くのである。逆に,普
通の人は直観力がなく、あるの直感だけである。直観と直観は違う。違うけれど,直観力
というものは科学的に存在する。今私がここで言いたいのは直観の科学性である。
日本工業技術振興協会の超精密技術部会長をしておられた小林昭の著「モノづくりの
哲学」(1993年3月、工業調査会)は技術者にとって必読の書であり素晴らしい本で
あるが、直感と直観との違いが意識されていないので、ここにそれを指摘しておきたい。
小林昭はその本の中で次のように言っている。すなわち、
『「いかにしてつくるか」という時代は終わり、「なにをつくるべきか?」が問われよう
とするこれからの時代においては、創造性に対する期待がすこぶる大きくなる。独創的な
発想は、みずみずしい感性に培われた、ひらめくような直感から生まれるものであ
る。』・・・と。
言わんとするところはまさにそのとおりであるが、ここは直感という言葉ではなく直
観という言葉を使うべきである。ひらめきというのは、「祈りの科学」シリーズ4の第9
章に述べるシェルドレイクのいう霊感(インスピレーション)であり、それは「野生の精
神」の身に付いた人にのみ引き起こされる直観のもとである。霊感(インスピレーショ
ン)はひらめきであり、直観はそれにもとづく洞察力である。
第10章で「外なる神」である・・・神(ゴッド)、神(アッラー)、グレートスピ
リット,天の神,神道における八百万の神というものが果たして実在するものなのかどう
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かという問題提起をした。太一神は北極星のことだから目に見える。他は目に見えない。
しかし、直観によってそれを感じることができる。
ところで、皆さんはあらゆる物質はエネルギー(波動)であるということはご存知であ
ろうか?物質が波動であることは量子物理学の常識であって,非科学的な話ではない。あ
らゆる物質は「波動」なのである。だから、私たち人間もその波動を感じてあらゆる物を
見えるままに認識しているのである。人間みんなが見ているリンゴは貴方の見ているリン
ゴとまったく同じリンゴである。しかし,他の動物がリンゴをどのように見ているか,そ
れはその動物になってみなければ判らない。違う形や色に見えているかもしれない。「波
動」とはそういうものである。
宇宙の彼方から「波動」がやってくる。「外なる神」が発する「波動」、それを私た
ちは見るのだが,目には見えない。音楽家は「天空の音楽」としてそれを聞くことができ
るが,普通の人間の耳には聞こえない。しかし,第6感すなわち直観を働かせば見える。
キリストやマホメットやお釈迦さんなどいわゆる聖人と言われる人には見えていたのだ。
そう考えるのは決して非科学的ではない。私はそのことを主張したい。
ところで、「外なる神」を科学的な立場から理解するには、浜野恵一の「脳と波動の
法則・・・宇宙との共鳴が意識を創る」(1997年3月,PHP研究所)が一番良い。関
係する図書はいくつかあるけれど,一度はこの本を是非読んでもらいたい。ここではその
真髄部分を補足説明しおこう!
私たちの脳は,三層構造になっている。は虫類型脳と原始ほ乳類型脳と新ほ乳類型脳
というのだそうだが,は虫類型脳と原始ほ乳類型脳はほぼ一体的に機能するので,私はそ
れらをまとめて「活力の脳」と呼びたいと思う。新ほ乳類型脳は,知恵と大いに関係があ
るので,それを「知恵の脳」と呼びたい。「活力の脳」は赤ちゃんの時からどんどん発達
していくが,「知恵の脳」は青年期を過ぎて成人になってはじめて力を発揮する。成人に
なると「知恵の脳」は「活力の脳」を十分コントロールできるようになるのだそうだ。し
かし,この「知恵の脳」は,未知の部分が多く,またほとんど未使用の状態だと言われて
いる。直感力の発揮できる人はこの「知恵の脳」を普通の人より多く使っているが、私た
ち凡人はおおむね10%ぐらいしか使っていないのだそうだ。90%が未使用だというの
は まったくもったいない話だ。人によって悪知恵を働かせるために「知恵の脳」を使っ
ている人もおりケシカラン話である。詐欺師などはもってのほかだ!「知恵の脳」は良い
方向にどんどんつかって、大いに発達させていかなければならない。それが人類に与えら
れたこれからの大いなる課題である。
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ところで,私は第3章で,脳の中では、ともかく波動の共振が起っているという点
と、共振を起こす波動の元は外からのものであり、それを受けるのは脳の内部の波動であ
るということを申し上げたが,これは「外なる神」と「内なる神」との共振(共鳴,響き
あい)を述べたものである。「外なる神」も確かに存在するし,それと共振する「内なる
神」も当然存在する。
冒頭に申し上げたように、 直観力というものは科学的に存在する。今私がここで言い
たいのは直観の科学性である。
第12章で紹介する「黒もじの杖」の話を例にして、量子脳力学の立場から直観の説明
をしておきたい。今西錦司は黒もじを必死になって探し求めた体験が過去にたびたびあっ
たに違いない。そういう体験が「学習」として「波動粒子B」に保存されていた。あると
き黒もじの杖が欲しいと強く願いなら下山していたとき、その強い願いが「外なる神」と
共振を引き起こした。そして、突然、「波動粒子A」も共振を起こし、彼は何か異常を感
じたのに違いない。直観が働くには過去の必死の体験と強い願いが必要だが、まちがいな
く 直観力というものは科学的に存在する。(注:「波動粒子A」と「波動粒子B」につい
ては、第3章を参照されたい。)
「活力の脳」によって「ひらめき」(霊感)を感じ、「知恵の脳」によって「直観」を
得る。普通の人にも「祈り」によって「外なる神」の働きかけが起こるが、直感力のある
人は「外なる神」の特別の働きかけがある。日常生活においておおいに「祈り」を行うと
ともに、時にはおおいに特別な体験(学習)を積み重ねて「知恵の脳」を磨こうではない
か。
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