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Study on Change of Agricultural Livelihood and Its
Contemporary Problems in Eastern Bhutan( 学位論文要旨 )
赤松, 芳郎
. vol., no., p.-
2015-08-28
http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/handle/iyokan/4652
Rights
Note
受理:2015-7-15,審査終了:2015-8-28
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IYOKAN - Institutional Repository : the EHIME area http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/
(第3号様式)(Form No. 3)
学 位 論 文 要 旨
Dissertation Abstract
氏名:
Name
赤松芳郎
学位論文題目:
Title of Dissertation
Study on Change of Agricultural Livelihood and Its
Contemporary Problems in Eastern Bhutan
(東 ブ ー タ ン の 農 業 を 中 心 と し た 生 業 変 化 と 農 村 問 題 に 関 す
る研究)
学位論文要旨:
Dissertation Abstract
ヒマラヤ山脈には多様な自然環境・民族・経済状況が存在し、これらはヒマラヤ
に存在する多様で固有の生業・生活の展開に寄与してきたと言われている。これ
らのヒマラヤ研究の殆どはネパールを中心とした西ヒマラヤ地域を中心におこな
わ れ て お り 、ブ ー タ ン を 含 む 東 ヒ マ ラ ヤ 地 域 で は 研 究 は お こ な わ れ て こ な か っ た 。
ネ パ ー ル か ら お よ そ 西 に 70km離 れ た ブ ー タ ン は ネ パ ー ル な ど と は 民 族 ・ 歴 史 ・ 社
会・経済状況において大きく異なるが、国外研究者に対する厳しい調査規制と実
証的研究の不足により未だ知られた国家ではない。特に東ブータンはこれまでブ
ータン研究の中心地となってきた西ブータンとは明確に異なる民族が占有的に居
住しており、その生活・生業活動も東西での差異が予想される。さらに東ブータ
ンの農山村にておこなった予備調査により、生業活動の大きな変化と、深刻な農
村部から都市部への移住問題が明らかとなった。
ブータン内の社会・経済の大きな変化はこれまで多くの研究者が度々指摘してき
たことである。しかし、農山村、もしくは農山村レベルにおいて人々の生活・生
業がどのように変化し、近代化が急進する現在、どのような問題が生じているか
ということに関しては殆ど注意が払われてこなかった。特に東ブータンはこれま
での生業に関する記録も殆ど残っておらず、伝統的な生業は人々の記憶から消え
つつある。また現在進行する人口流出は農山村で将来様々な深刻な農村問題を引
き起こすことが予期される。本研究の目的は東ブータンでのフィールドワークを
もとに、過去の農業活動を中心とした生業から現在までの変化を記載し、現在の
農山村が抱える問題を明らかにすることにある。
1) 近 代 化 開 発 以 前 の 生 業 活 動 (シ ュ マ ル 村 落 で の 事 例 )
対 象 村 落 は 比 高 1500mを 超 す 山 地 斜 面 中 腹 に 位 置 す る 。調 査 か ら 、異 な る 農 耕 技 術
や多様な生業活動に複合的に従事することにより、村落周囲の多様な自然環境を
広く利用していたことが明らかとなった。森林は焼畑によって主たる食料生産の
場となり、斜面上部と下部では異なる栽培作物・輪作体系が適用されていた。こ
れらは、標高による自然環境の差異を合理的に利用したものであった。さらに、
これまでブータンでは報告されてこなかった焼畑地所有・選択体系も明らかとな
った。また、焼畑に適さないマツ林などはウシの林間放牧地として利用され、村
民の近隣から広域に渡る活発な交易活動も明らかとなった。交易では村落間の自
然環境の差異を反映した取引がなされるが、インドとの越境交易においては食料
獲 得 の 他 に 、近 代 化 以 前 の 政 府 に よ る 納 税 (物 納 義 務 )も 交 易 活 動 の 一 側 面 を 担 っ て
いたことが明らかとなった。交易を通して村落には常畑耕起用の犁ウシを生産す
る特殊な種ウシや蚕卵などがもたらされており、交易活動を通して物資・技術な
どが他地域から移入され、村落内生業に取り込むことによって生産性を最大化さ
(第3号様式)(Form No. 3)
せる努力がなされていたことが示唆された。
2) 生 業 変 化 (焼 畑 の 終 焉 )と 村 落 生 活 の 変 化 (ジ リ 村 落 で の 事 例 )
対 象 村 落 は 舗 装 車 道 か ら 徒 歩 約 2時 間 の 河 川 沿 い に 位 置 す る 。東 ブ ー タ ン (特 に ツ ァ
ン ラ 族 )で 主 た る 食 料 生 産 技 術 で あ っ た 焼 畑 の 多 く は 1970~ 80年 代 に か け て 終 焉 を
迎 え た 。 そ の 原 因 と し て は 主 に 次 の 3 点 が 明 ら か と な っ た 。 (i) 技 術 革 新 ・ 集 約 的
労 働 力 投 下 に よ る 常 畑 生 産 量 の 増 加 、 (ii) 仏 教 教 義 の 浸 透 、 (iii)政 府 に よ る 土 地 所
有 制 度 の 変 化 と 火 入 れ 規 制 。 東 ブ ー タ ン で の 焼 畑 終 焉 に 関 し て 特 記 す べ き は (ii)で
あろう。開発による交通網向上と仏僧の説法による教義の浸透により不殺生戒が
村民レベルへと浸透し、焼畑における火入れは生き物を殺生するという観点から
宗教・社会的なスティグマが形成された。以上、技術・政策・宗教の変化の中で
ブ ー タ ン に お い て 焼 畑 が 完 全 禁 止 さ れ る 1995年 以 前 に 東 ブ ー タ ン で 多 く の 焼 畑 が
終焉へと向かったことが明らかとなった。
焼畑の終焉と同じくして向上した交通網などを通して村落には貨幣経済が浸透し
た。焼畑で耕作されていた穀類は多用途をもつトウモロコシを除いて消滅もしく
は減少傾向にあり、代わって商品作物が存在感を増し始めている。特に雑穀食か
ら輸入米への主食物変化は限られた稲作適地しかもたない村落、ひいては東ブー
タンのこれまでの農業に大きな影響を及ぼしていた。食料生産を目的とした農村
生活は食料消費の生活へと現在大きく変化しつつあることが明らかとなった。
3) 開 発 が 進 む 現 代 の 農 村 に お け る 諸 問 題 [ダ ウ ゾ ル 村 落 を 中 心 と し た 事 例 ]
対象村落はインドへと通じる国道沿いに位置し、早くから近代化の影響を受けて
き た 村 で あ る 。 対 象 集 落 で の 焼 畑 は 1960年 代 に は 急 速 に 下 火 と な り 、 代 わ っ て 常
畑での輸出用ジャガイモ栽培が主農業となった。常畑での栽培作物は夏季のジャ
ガ イ モ と ト ウ モ ロ コ シ で あ り 、農 耕 暦 は 単 純 化 し 、冬 季 の 休 耕 率 は 90%を 超 す 。村
での主食はジャガイモを販売して得るインドからの輸入米である。
現 在 、 村 内 に は 多 く の 空 き 家 (離 村 世 帯 )が み ら れ 、 村 落 外 縁 に は 35%を 超 す 放 棄 地
が 出 現 し て い る (離 村 世 帯 の 農 地 除 く )。村 民 達 は 農 業 に 対 す る 労 働 力 不 足 を 認 識 す
る一方で、教育を受けた子供たちには村外でホワイトカラー職につき、都市部で
近代的で快適な生活を傍受することを期待している。年老いた親たちは村外で暮
らす子供に引き取られ、離村世帯が増加するという過疎化スパイラルに陥ってい
る。村に残る高齢者たちは将来の農地を含む財産管理と生活のことを杞憂してお
り、離村を望まず子供に帰郷を促している高齢者もいる。しかし、貨幣経済が浸
透したブータン社会のなかで安定した現金収入機会の乏しい村に帰郷するかは不
透明である。低人口密度とともに国内市場規模が小さく、さらに地理的な交通不
便性を抱える東ブータンにおいて現在農業以外の産業育成は困難であるが、農山
村では人口流出・放棄地の拡大が生じており、農業、さらには農山村の存在意義
が問われる局面にさしかかっていることが明らかとなった。